第一節 <長尾>と手紙―「裏切り」の加筆―
「お貞のはなし」THE STORY OF O-TEIは、『怪談』に収められた作品で、男が女との約束 を破り、他の女と結婚する物語である。『夜窗鬼談』の「怨魂借体」を原話とするこの物語 は、再話の過程で大きな変更が行われ、一読すると女の怨みを削除し美しい恋物語へ生ま れ変わったかのような印象を受ける。しかしこの作品もまた、単なるロマンティックな恋 物語ではない。むしろ細部を丁寧に読み解くと、原話を超えた女の執念、男への怨みが浮 かび上がってくるのである。ここで明らかにしたいのは原話よりも「男の裏切り」が明確 化されることにより、女の行為の意味が変わっているという点である。原話が書かれた時 代的背景、ハーンが意識した西洋の読者たちのことを踏まえつつ、物語に込められた新た な側面に迫りたい。
まず、原話のあらすじを確認しておこう。原話は、新潟の医師の息子<長尾>が鬱病の 芸者<阿貞>を治療することから始まる。彼女の心を癒すことで全快へと導いた<長尾>
は、ある夜<阿貞>にお礼の席を設けられ、同衾する仲になる。<長尾>の父は息子が遊 蕩していることに憤慨し、医学の修業に集中させるため強制的に江戸に行かせた。<阿貞
>はそれを聞き嘆き悲しみ、病が再発し、結局左目を失明した後に亡くなってしまう。五 年後、<長尾>が帰省すると、息子が再び女に走らないよう、父が急いで結婚をさせた。
稼業は継母の息子(長尾の義弟)が継ぐことになっていたので、<長尾>は妻と共に江戸 へ戻った。医者としての名声が高くなり、順風満帆な生活を送っていたが、ある日<長尾
>は左耳が聞こえなくなる。自分で「不治の病だ」と診断したが、ある日、有名な占い師 に相談すると、彼は言った。「二十年位前に、ある婦人を裏切りませんでしたか。」それに 対し<長尾>は「記憶にない」と答えた。しかし占い師は続けた。「その婦人は夜に左目を 失明し、最終的に鬱病で死んだ。怨念は残っている。」そこで<長尾>は愕然として<阿貞
>に祟られているのだと知る。占い師に「霊を祀って罪について謝りなさい」と言われ、
その方法に従って彼は手紙を書いた。「私が誓いを破ったのは、やむを得なかったからだ。
もし未だに私のことを慕っているのなら、生まれ変わって誓いを守らせてほしい。しかし 私は年を取って、気も衰えている。だから見た目があなたに似ている女に魂を移せば、私 たちはこの世で縁を果たすことが出来るだろう。私にはまだ子供がいない。あなたを妾に することができる。子供を一人産んでくれれば、私にとっても幸せだ。」そしてこの手紙を
仏壇の前で焚いた。その後、耳の聞こえはやや良くなった。そして三年後には完全に治癒 した。その前に、<長尾>の父が亡くなった。<長尾>は故郷に帰り、十三年の法要も行 った。江戸へ帰る途中、伊香保温泉へ行った。そこにいた十六歳程度の若い婢が非常に<
阿貞>に似ていたので、彼女に尋ねた。「あなたの容貌は私が知っている女性にとても似て います。あなたはどこから来たのですか。」すると婢は彼の手をとって、魅力的に答えた。
「あなたは<阿貞>を忘れたことがありませんでしたか。私はあなたの誓いを信じてあな たの帰郷を待っていました。しかし病が再発し、怨みを抱いたまま死んでしまいました。
私の念が消えず、あなたの体を悩ますことになりました。あなたの手紙を得たので、生ま れ変わることを待たず、この女に体を借りて、縁を果たしたいと思っています。約束を破 らないで、すぐに一緒に連れて帰ってください。私は妾となることもいやではありません。」
こう言って、悶絶してしまった。意識を取り戻した少女は、何が起きたか覚えていないが、
自分の体に別人が入り、怨みを述べる声は聴いていた。改めて、彼女の素性を聞くと、高 崎の落ちぶれた士族の娘で名前は<貞>、負債のためにこの旅館に来ることになったとい う。この旅館の主人は彼女を憐れみ、あまり酷使してはいなかった。彼女の身の上に同情 した<長尾>は彼女を妾にすることにした。間もなく彼女は男の子を産み、妻との関係も 良好で、妻の遺言により妻の死後、<貞>は<長尾>の後妻となった。以上が原話「怨魂 借体」のあらすじである313。
再話「お貞の話」は、原話から多くの点が変更されている。変更点を一瞥すると、以下 の通りである。①<お貞>は<阿貞>のように芸者ではなく、<長尾>の父親の友人の娘
(許嫁)である。②<お貞>は鬱病ではなく肺病で命を落とす。③再話において<長尾>
は<お貞>の位牌に手を合わせ「生まれ変わったら必ず娶る」という誓いを立てながらも 別の女と結婚した。④再話の<長尾>はある時期に立て続けに家族(両親、嫁、息子)を 失うという不幸に見舞われる。⑤再会を果たした<貞>は、原話では他の女の体に乗り移 っていたが、再話では実際に 16 年の歳月をかけて生まれ変わった人物である。このように、
主な変更点を挙げるだけでも物語の色彩が大きく変わっていることが分かるだろう。それ ではこれらの点に注目しながら「お貞の話」にこめられた意味を読み解いていこう。
まず、「お貞の話」で注目すべき点として<長尾>の裏切りが明確化されているという点 である。原話では、<長尾>と<阿貞>は芸者と客の関係であり、<長尾>が<阿貞>と 同衾したと言っても二人の間に結婚についての明確なやり取りはない。したがって、<長
313 小泉八雲、前掲(註 240)367-370 頁。
尾>はごく普通に父の決めた相手と結婚し 20 年間の間、左耳が聞こえなくなるまで<阿貞
>の存在を忘れ去っている。
一方の再話では「両家では、長尾が学業を了えたらすぐ、婚礼の式をあげることに話が 決っていた314」とあることからも、<長尾>にとって<お貞>は正式な許嫁であった。しか し、<お貞>は不治の肺病におかされ、15 年という短い生涯を終える。死に際に、彼女は
<長尾>に以下のように告げる。
「長尾様、わたしどもは幼い時から行く行くは一緒になると言い交したいいなづけ の仲でございました。(中略)しかしいまわたしは死なねばなりませぬ。(中略)それ に、わたしどもまたいつかお会い出来る気がして、そのことをあなたさまに申しあげ たく思いました」……(中略)
「西方浄土のお話をいたしたのではございません。わたしどもはこの世でまたお会 いするよう運命づけられている、と信じているのでございます――たといこの体が明 日埋葬されようともでございます」
長尾は驚いてお貞を見つめた。長尾が驚いた様を見てお貞がにっこりとした。お貞 は、やさしい、夢見るような声で続けた、
「左様でございます。この世で――あなた様の今生のうちに、またお目にかかれる のでございます、おしたわしい長尾様……ただ、本当にあなた様がお望みならばでご ざいますよ。ただ、そうなるためには、もう一度女の子に生まれて一人前の女にまで 育たなければなりませぬ。そのためにはあなた様はお待ちにならなければいけませぬ。
十五年か、十六年でございましょうか。これは長い年月でございます……でもあなた 様はまだ十九歳でございますものね……」
臨終の苦しみを安らげようと思った長尾はやさしく言った、
「お前さまをお待ちするのは、務めというより喜びです。わたしたち二人は七世を 誓いあった仲ですから」(中略)
「神様や仏様でない限り、わたしたちがどこでどうして会えるかはわかりません。
でもあなた様がおいやでない限り、わたしはあなた様のもとへ帰って参ります。それ はもう必ずでございます。間違いございません……どうかこのわたしの言葉を覚えて おいてくださいまし」
314 小泉八雲、前掲(註 240)30 頁。
お貞の言葉はそこで途切れた。両の眼は閉じた。お貞は死んだ315。
(30-33 頁、原話[28])
以上が<お貞>の死に際である。彼女は生まれ変わって再び<長尾>の前に現れるとい うことを確信している。そしてそれを最後に許嫁に伝えるのである。19 歳である<長尾>
は、16 年後すなわち 35 歳の時に 16 歳となった<お貞>と再会し、そこでめでたく二人は 結ばれるというのが、<お貞>の描いたシナリオであった。死にゆく許嫁にその場しのぎ の返答をした<長尾>は、結局は父が選んだ別の女性と結婚をし、さらには子供までつく ってしまったのである。
ここで、<長尾>が<お貞>に宛てた手紙が、いつ、どのように書かれたのかに注目し たい。原話では<阿貞>を 20 年もの間すっかり忘れ去っていた<長尾>は、占い師に諭さ れ、謝罪の手紙を書く。その内容は、以下の通りである。
且ツ翰ヲ書シ曰ク余盟ニ負クハ己ムコトヲ得(ザル)ヲ以テナリ。卿若シ尚ホ余ヲ 慕フコト有ラハ。願クハ再生シテ盟ヲ尋ケ。然レドモ余年老ヘ気衰フ。或ハ魂ヲ容貌 卿ニ肖タル者ニ憑託セヨ。今世復タ前縁ヲ果スコト有ラン。我レ今マ子無シ。幸ニ妾
(ト)為(ス)コトヲ得テ。一子ヲ生マバ。我ノ願亦足レリ。書シ了ル316。
20 年もの間完全に忘れてしまっていた女性に書く手紙としてはずいぶん都合のよい内容 である。自分が誓いを守れなかったのはやむを得ない事情があったのだと弁解し、今でも 可能ならば彼女を受け入れるつもりがあるというのである。そして彼自身が年老いつつあ るので、できるだけ早く再生するなり別人に乗り移るなりしてくれればこの世で結ばれる ことができる、ついでに子どもを一人産んでくれと、家の存続というかなり実利的な望み を託すのである。若くして亡くなった<阿貞>の執念とは対照的に、年老いた<長尾>に とっての結婚などたかがこれくらいのものかと、気が抜けてしまう。
しかし再話の<長尾>が、<お貞>の死後、間もなく書いた手紙はこれとは全く異なっ た意味を持っている。
315 小泉八雲、前掲(註 240)30-33 頁。以下、「お貞のはなし」に関する引用については、頁数のみを本 文に記す。
316 小泉八雲、同上、368-369 頁。