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第三章 ジャポニスム文学への挑戦―遊女<君子>の物語―

第Ⅱ部 新しい女性像の発信

はじめに

第Ⅱ部で扱うのは、ハーンが松江時代(1890-1891)、熊本時代(1891-1894)、神戸時代

(1894-1896)を経て、晩年の東京時代(1896-1904)に入ってから出版された『霊の日本 にて』In Ghostly Japan(1899)、『影』Shadowings(1900)、『日本雑録』A Japanese Miscellany

(1901)『骨董』Kotto(1902)『怪談』Kwaidan(1904)に収められた作品である。第Ⅰ部 の作品とは異なり、後期から晩年にかけての再話は、その題材として近世の物語を用いる ようになったことが特徴的である。

ここで、近世において女性たちがどのような生き方をしていたのかを見ておきたい。封 建制度が敷かれ、男性中心の社会であったこの時代、階級によって女性の生は大きく異な っていた。高い階級に属する女性たちは、身分の高い女性たちは『仮名列女伝』、『女式目』

等を始めとする女訓書に学び、政略的な結婚の道具として扱われ、貞節を一方で強要され ながら家の犠牲になった245。「貞婦は二夫にまみえず」とする貞操観念は、武士階級の現実 的な意識として定着してはいなかったが、男女ともに結婚にも再婚にも、個人として選択 の余地はほどんどなかった246。あくまでも「家」の存続こそが最優先事項だったのである。

一夫一婦制が原則であったものの、確実に世継ぎを得るため側妾の存在は必然化し、歴然 と格付けされる社会であった247

その一方、農民の中でも上層の女性は若くに結婚し、多くの子を産んで、家の中で安定 した生活を送った。家業、家政を通して「家」の維持繁栄には役割を果たし、家内では一 定の権限を持っていた。下層農民に属する女性は、生家から婚家へと生活の場を移すこと はできず、奉公人として働き、家を支えたのち、その生活圏の中で結婚するというコース を辿った248。結婚後も、家の外で働き家計を支え、自らが家長となって家を維持せざるを得 ないケースもあり249、強固な家父長制を維持継承できる状態ではなかったのである。

245 脇田修「幕藩体制と女性」女性史総合研究会『日本女性史第 3 巻』(東京大学出版会 、1982)12-13 頁。

246 柳谷慶子「武家のジェンダー」大口勇次郎他編『新体系日本史 9 ジェンダー史』(山川出版社、2014)

201

247 柳谷慶子、同上、201 頁。

248 女性史総合研究会『日本女性生活史 第 3 巻 近世』(東京大学出版会、1990)34 頁。

249 菅野則子「農村女性の労働と生活」女性史総合研究会『日本女性史第 3 巻』(東京大学出版会 、1982)

62 頁。

町人の場合はと言えば、同様に、富豪であるか否かで生活は異なった。豪商の娘であれ ば、それ相当の家に嫁ぎ、子を産むが、家事や育児は乳母等にやらせるため、直接する必 要はなかった。すべきことと言えば、奉公人の管理や冠婚葬祭を取り仕切ることであった。

彼女たちは芝居見物や踊りへの参加などに興じることができ、中には文学や和歌などの趣 味を持つ女性すらいた250。これほどのレベルでなくても、上中層に属する町人女性たちは、

相当の教育を受け、読み書きそろばんはもちろん、茶道・華道、和歌や読書を楽しむこと ができた251。赤木志津子は、江戸時代は、武士の世というより、経済力で実質的な権力を握 った町人の世であった252と指摘しているように、町人レベルの女性たちは、江戸の町を彩る 存在であったと言える。

近世において、封建制度が敷かれ、家父長制度のもと多くの女性たちがしがらみの多い 生活を強いられていたことは言うまでもない。武士階級でなくとも、「女大学」、「女今川」

などといった、比較的簡潔で短い女訓書は多くの女性に影響を与えたことはよく知られた ところである。しかし、上流武士階級を除く庶民たちは、比較的自由に、多様な生を享受 していたのもまた事実なのである。

明治半ばに来日したハーンは、当然、こうした近世の社会を体験することはなかった。

しかし、晩年に取り組んだ、近代化以前の物語を題材とした再話作品こそ、現在まで高く 評価されているものである。第Ⅱ部では、七作品を取りあげるが、「孝」、「貞」、「嫉妬、復 讐」に大きく分類することができる。

そしてこれらは言うまでもなく、第Ⅰ部で見てきた女性たちよりも多様な描き方をされ ている。その背景には、心酔の松江時代、絶望の熊本時代、そして西洋社会(神戸)での 生活を経て確実に深化したハーンの日本理解がある。

ここで描かれる女性たちは、男性を含む周辺を何らかの形で教化させるという任務を担 わされている。自らの信じるところを、時に身を挺して示そうとする女性たちは、周りの 人物に、宗教的あるいは道徳的な理想を気づかせるはたらきをしている。彼女たちは、社 会的弱者としての女性が、美しく、はかないものとして、言い換えれば自己を犠牲にする ことでしか生きられなかった存在としてではなく、むしろその対極にある存在、すなわち 彼女たちの生きる社会制度へ積極的にはたらきかける姿として描かれる。

250 林玲子「町家女性の存在形態」女性史総合研究会『日本女性史第 3 巻』(東京大学出版会 、1982)第 3 巻 108 頁。

251 林玲子、同上、112 頁。

252 赤木志津子『日本史小百科 女性』(近藤出版社、1977)32 頁。

さらに、ハーンが女性の嫉妬や復讐を描くようになったことにも注目したい。それは、

単なる自己犠牲的女性ではなく、心の葛藤、抜け出すことのできない苦しみといった人間 的感情を女性に与えているからである。それは、封建制度という枠に閉じ込められていた 女性に、嫉妬という感情ばかりか、復讐することをも与えている。

さらに、この著作が対象とした社会にも意識を向ける必要がある。それは、言うまでも なく西洋諸国の人々であり、とりわけ、アメリカやイギリス人読者である。当時、アメリ カでは社会の公的な活動の場に数多くの女性が進出し、西部の州では女性に参政権が与え られ、女性が公職に立候補することさえあった253。その一方、ヴィクトリア時代の家庭の中 で母親という概念が再定義され、母性的国家という理想が育まれた254。つまり、1860 年代 から 1890 年というのは、アメリカの女性たちが家庭と社会との間で揺れ動きながらも、次 第に、そして着実に社会の中で権利を獲得していった時代であった。そして、それ以降は それまでの女性の社会的地位を更に高め、かつ強固なものへしようと多くの女性が奮闘し 始めるのである。このようなアメリカの社会に向け映し出された「日本女性」の姿は、ハ ーンなりの道徳観に基づいて読み手に新たな視点と気づきを与えようとするものであった。

以上のことから、第Ⅱ部では、熊本時代、神戸時代を経てたどり着いた再話作品が、初 期のそれと比べて、いかなる変化を帯びているのかに注目していく。様々な女性を描いた 再話作品が、ジャポニスムへの挑戦の意義を越え、ハーンの中にある普遍的な理想像の表 象へと、いかに深化していったのかを浮き彫りにする。

253 サラ・M. エヴァンズ『アメリカの女性の歴史―自由のために生まれて』(明石書店、1997)229 頁。

254 サラ・M. エヴァンズ、同上、229 頁。