―「葬られたる秘密」(1904)「紫雲たな引密夫の玉章」―
第一節 反面教師としての<お園>、その変容―失われた江戸の色彩―
「葬られたる秘密」A Dead Secretが『新撰百物語287』の「紫雲たな引密夫の玉章」を再 話したものであるということ、そして再話に際していくつかの点が大きく書き換えられて いることは、これまでにも指摘されている。門田守氏はこれらの作品について以下のよう に述べている。
日本の文化を西洋人に伝える際に、ハーンはさまざまな日本の物語に書き換えを行 っている。「葬られた秘密」には劇的な書き換えが施されており、興味深い。すなわち 原話はヒロインのお園は丹波の田舎から都に上って、男関係が盛んであった不貞の妻 という印象を抱かせるような語りになっている。彼女は素晴らしく美人で頭が良い一 方、都では当世風に言えば色情的な印象を抱かせる女性なのである。こんな罪深い女 でも最後には仏様のお慈悲で成仏できるという、仏のありがたさと若い娘に身持ちの 堅さを教える教訓談として原話は捉えて差し支えない。一方、ハーンはこの作品をた だ一度の不義の罪を犯したロマンティックな娘の悲恋話に仕立て上げている。表層的 書き換えと言うよりも、深層的な物語自体の意味をハーンはつくり変えている。これ はハーンによる創造的要素が強く前面に現れている作品になっている288。
(下線は筆者)
すなわち原典において主人公の女性はいわゆる「好色」として描かれていたが、ハーン の再話では一度だけ男性に心を動かされた女性ということになっているのである。そして 氏の指摘通り、そこにはハーンの意図的かつ深層的な物語の変更があった。そしてこの再 話に描かれた女性のつつましさは、西洋の読者へ、そして現在の私たちに「伝統的な日本 女性」というイメージを与え続けている。
287 『新撰百物語』は江戸時代後期、明和 3 年(1766 年)(推定)刊の浮世草子で、5巻からなる。計 15 話の怪談奇談集であり、大阪において吉文字屋市兵衛が出版したとされている。
288 門田守「ラフカディオ・ハーンと繋がりの意識―『怪談』における再話の方法について―」『奈良教育 大学紀要第 53 巻第 1 号』(奈良教育大学、2004)263 頁。
しかしながら、ここで問題にしたいのは、この「色情的」或いは「好色」といったこと にこそ、本来、この物語の神髄を見ることができないだろうかということである。すなわ ち、ハーンが行った変更は、ある意味で「再話」という枠を超えた創作となっているので はないかと考えているのである。
そもそも原典の「紫雲たな引密夫の玉章」は単なる一つの物語というよりもむしろ、「女 性のあるべき姿」を教示する一つの道徳物語であるといえる。冒頭部分は、次のように始 まる。
小夜衣さ よ ご ろ もなど書かきやりしハ嗚呼あ ヽたつと貴むべし貞女ていぢょとも節女せつぢょとも古今こ ヽ んに 秀ひいでし稀者末世ま れ も の ま つ せ
までも その名なを残のこせりかゝる賢女けんぢょを当世とうせいに不膵ぶ す いといひ練ねれぬといひ白しろいといひ土つちといふこれ 皆西南ミなせいなん
の蚯蚓ミ ゝ ずにして悪にくむべし人をして悪あくに 導ミちびくの罪人ざいにんなりかくのごときものをバ 鼠ねずミと いふとその所以ゆ へを問とへバ食くふ事のミを好このんで人前にんぜんへ出いづる事あたハざるがゆへなりと宜むべ なるかな子こは親おやの 心こゝろにならふものなれバ仮令かりそめにも不義淫乱ふ ぎ い ん ら ん
のことをいハず女子じ ょ しハ取とりわ け孝こうを第一だいいちにしてつゝしミを 教おしゆべし芝居し バ ゐの御姫お ひ めさまのかちやはだして出 奔しゅっぽんなされ後のち にハ傾城けいせいやへ売うられ給ふのイヤ私夫ま ぶのといふ名なハ勿論聞も ち ろ ん きかすも毒どくなるに母親は ゝ ごの好すきとて 娘むすめ
289 ラフカディオ・ハーン旧蔵書。富山大学ヘルン文庫にて収蔵。これは富山大学学術情報リポジトリ ToRepo で公開されているものである。
【図 5】『紫雲たな引密夫の玉章』の原文289
子こを鰹だ汁しにして一いち番ばん太たい鞁このならぬ中なかから 幼いとけなき子この手てを引ひいてしこミ給へバ暦れき々の(ママ)黒くろき 膵すい
と成なつて 男おとこの子ハ代ゝだ い 〱の家いへをもち崩くづし辻つぢだちの狂 言きゃうげんするやうになり女子に よ しは密夫まおとこの種たね と成ものぞかし290
このように、物語に入る前に「女」の育て方、社会における女性のあるべき姿について 記してある。当時、野暮ったいと見做されがちだった「貞女」や「節女」といった女性た ちを、賢女であると褒め称え、今一度これらの女性に価値を見出すべきだと説く。そして、
女子教育に関しては、特に注意を払うべきで、不義淫乱なことは決して言ってはならず、
孝を最優先させ、つねに慎みを教え込まなければならないのだという。さもなければ、そ の女の子が情夫を作り出すばかりか、家を崩壊させる原因ともなるのである。このような 厳格な文章に続く物語は、したがって、当然、この倫理観を何らかの形で示すものとなる。
そしてここに登場する<お園>とその両親は反面教師として描かれる。
今いま
ハむかし丹波た ん ばの国くにに稲村いなむらや善助とて呉ご服ふくしやう商売ばいする人ありてお園そのといふ 娘むすめをもち しが只たゞひとりの 娘むすめといひ諸人しよにんにまされる容 色ようしよくなれバ父母の寵 愛ちやうあいすくなからず田舎育いなかそだち となさんも惜おしと一年ねんのうち大かたは京大坂に座敷ざ し きをかり乳母婢うばこしもとを多おほくつけ置地下お き ぢ けで も堂 上たうしやうまさりじやと名なにたつ師をとり和歌わ かを 学まなバせ茶ちやの湯ゆも少すこし知しらいでハと利休流ち き う り うの 人へたのミ長板ながいたまでもたてまへ覚おぼへ廻まハり炭すミに 心こゝろをくだけハお精せいがつきやうと 婢こしもととも 琴こと
三さミ
絃せん
を取出とりいだし明日あ すハ芝居し ば ゐにいたしましよと女 形をんなかたの容貌す が たに気きをつけ声色こハいろをうつし仕立し た て あけたる 盛さかりの年とし二九からぬ目もと口くちもと田舎い な かにまれなるうつくしさ引手ひ く てあまたの其中そのなか の長良な が らや清七とてこれもをとらぬ身しん代だいがら 両りやう替がへしやう商売ばいめきゝ目利の嫁よめ子ご白しろ無む垢くむすめ娘二世かけ て夫婦の中なかハ黄金わうこんはだへ振手形ふ り て か たなきむつましさはや其そのとしに懐 妊くハいにんして玉たまのやうなる 和子わ こをもふけて世話にすがたも変かハらねハ下地し た ぢのよいのハ各かく別べつ(ママ)と 讃ほめそやされし291
すなわち、<善助>とその妻は、娘<お園>が非常に美しいという理由で、彼女に大金 をはたき、都へ留学させるのである。彼女は庶民であるにも関わらず、一流の教師から芸 事を習い、そればかりか乳母と多くの下女たちとともに三味線や芝居など都の娯楽生活を 楽しむのであった。この様子から、<お園>は「孝を最優先させ」たり「つねに慎み」深
290 小泉八雲、前掲(註 240)388 頁。
291 小泉八雲、同上、388-389 頁。
くする「貞女」や「節女」といった女性とは正反対であることが分かる。そしてこれは、
<お園>自身の人格とともに、彼女をそのように育んだ両親への批判も込められていると いえる。結局、美しい<お園>は難なく結婚をし、息子を産み育てながらもその変わらぬ 美しさを保ち続けた。いずれにせよ、彼女にとって「美しいこと」が何よりも強調されて いる。
ここで留意しなければならないのは、この反面教師が示すのは、それだけ現実社会が戒 められなければならない状況であったという事実である。すなわち、社会に存在する<お 園>予備軍へ向けた、警鐘としてこの物語が存在していたのである。前述のごとく、これ が出版された 1766 年、「貞女も節女も、今も昔も極めて優れ、たぐいまれな存在で、世の 末までも名を残す」べきであるにも関わらず、「現在において『野暮だ』、『不慣れだ』、『白 ける』、『不細工だ』という」考え方が極めて一般的であった。それが現実だったのである。
これについて、樋口清之氏は以下のように言及している。
町人は武士階級からの圧迫をうけることは少なく、かなり自由な生活をもつことが できた。封建社会では、恋愛は社会の秩序をみだすものとして罪悪視されたが、町人 の間では、恋愛は道徳的な善悪をこえた、なまの人間の感情であるという考えかたが 強かった。浮世草子の代表作家である井原西鶴が、「好色一代男」「好色一代女」「好色 五人女」などの好色物を書いて一般にうけたのも、当時の享楽的な都市生活を反映し て、かなり自由な恋愛がおこなわれたあらわれであった292。
このように、自由が非常に制限され、『新撰百物語』のいう「貞女」、「節女」が求められ、
また実際に存在していた武士階級とは異なり、<お園>のような町人、すなわち庶民とな れば、性の概念は完全に異なるものとして捉えられていた。だからこそ、井原西鶴『好色 一代男』(1682)、山東京伝『江戸生艶気樺焼』(1785)といった庶民の恋愛を描いた作品が 好んで読まれていたのである。そうすると、<お園>とその周辺の行為―都へ留学させ、
和歌やら茶の湯やらを学ばせ、芝居を見させ、気ままに遊ばせたこと―は、裕福な町人で あれば見栄も相まって、少なからず行っていたことだとみることもできる。本来保護者と して伴った乳母も下女たちも、そういったことが悪いとは考えもしないで<お園>と楽し む。こういった人々が多く存在していたという時代背景が、訓戒としての「紫雲たな引密
292 樋口清之『恋文から見た日本女性史』(講談社、1965)146-147 頁。