• 検索結果がありません。

障害者の課題と生きがい

ドキュメント内 学位の分野 教育学 (ページ 76-95)

第2章  身体障害者の障害受容の諸課題

第2節  障害者の課題と生きがい

 自我に目覚める思春期の頃になると、我々は「人生如何に生くべきか」という永遠の命 題に突き当たる。朝日新聞の投書欄に嘗て掲載されて話題を呼んだ岸本美奈子さん(当時 高校生、16歳)の問いかけ(23)に対して、大人から色々な返答はあっものの、「死んでは いけない。生きなければいけない」のは何故か、そして、「何のために強く生きなければ ならないのか」、あるいは「本当の人生の目的は何か」、という疑問に自信を持って主張 しうる根拠や明確な回答は新聞紙上では見あたらなかった。見方を変えれば、人それぞれ の人生もその意味も違っており、万人共通に当てはまる回答は有り得ないという事を物語 っているとも説明出来よう。

 岸本さんの、いわば「生きる意味」ないし「生きる目的」、つまり生きがいとは何か、

という1986年当時の問いかけはひょっとすると21世紀の現代でも同じように通用するか もしれない。これだけ文明が発達し、インターネットに代表されるように通信手段が簡単 かつ世界的規模で瞬時にして伝達出来る時代であっても、我々はこの混沌とし、多様化し、

世界が連動している地球で、何のために何をして生きていけばいいのか、判然としない。

長引く不況とリストラ、定職に就かない若者の増大、政治の腐敗、世界の戦争と貧困、そ れに伴う憎しみと悲劇の増幅。どれをとっても先が読めない時代の不気味さがある。そん な時代に希望と夢を持って生きがいを感じつつ、それをまっしぐらに突き進んでいけるの は余程幸運か才能がある人だけに違いない。不況に喘げば喘ぐほど、自分の真価を評価さ れる事なくクビを切られ、容易に再就職先が見つからない現状では、生きがいなどという 理想を追求していても、家族が路頭に迷い、貧困と失望の境遇に陥ってしまうだけである。

だから、厳しい社会状況の中では、糊口を凌ぐ事が優先され、「生きる甲斐」は後回しに されてしまいやすい。

 しかし、その一方で、あるいは先が読めない時代だからこそ、現代社会に生きる我々は、

混沌とした社会の中でも、何かを信じつっ、しっかりとした目的を持って生きていく事を 願って、いわば生きがい探しをしているとも言えるであろう。神谷美恵子↓24)は「人間が いきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない」し、「人間から生きがい をうばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない」と力説 したが、必要不可欠な生きがいは、どんな社会状況、どんな経済状況でも、万人に必ず見

っけられ、求める事が可能な対象であるのだろうか。さらにそれは、人生の半ばで病気や 事故に遭って、ベッドに臥床する生活や車椅子に拘束される人生へと激変してしまった障 害者にとっても、(再)獲得しやすい目標なのだろうか。

 多くの人により論述されている生きがいという言葉も、その内容は漠然としていて理解 しにくいのが実状である。神谷も生きがい自体の定義を述べておらず、「具体的、生活的 なふくみがあるから、むしろ生存理由といったほうがよさそうに思える」という程度に留

めているにすぎない(25)。

 それでは、岸本さんに回答出来るような、確固とした「本当の人生の目的」、あるいは 生きるに値する生き方に関して、さらには障害という「限界状況」における生きがいにっ いて考察していく事にする。

1.生きがいの意味するもの

  生きがいの意味について辞書(26}には「生きるに値するだけの価値。生きていること の喜びや幸福感」とあり、接尾語の「がい(甲斐)」とは「その行為の結果としての効果

・価値・張り合いなどの意を表す1とある。その例として、「頼みがい」、「苦労のしがい」、

「生きがい」の例が掲載されている。また、「がい」の定義の中に出てきた「張り合い」

は同じ辞書の定義では「働きかけただけの反応が感じられ、充実感のあること。やり甲斐 のあること」とある。以上から、生きがいの内容の鍵概念は生きている事の「価値」「喜 びや幸福感」「張り合い」「充実感」などになろう。

 上田吉一一は生きがいを「何らかの価値対象を目標とし、その実現をめざす個性的欲求実 現行動の中にとらえられるもの」(27)とし、生きがいとは結局「アイデンティティを持っ た自己の生きざまを、自己の価値観に照らして、肯定し、受け入れたとき感ずることので きる、自己の人生が生きるに値するとの認識であり、充実感である1 {28)と定義する。

しかし、生きがいを持つためには様々な条件が必要として、次の5つを提示する↓29}。第

一’ノ人生に希望を持っている事。第二に自らの役割の自覚がある事。第三にはっきりとし た価値観に支えられている事。第四にアイデンティティ(同一性)を失わない事。第五に 環境の影響に流されないで自らの意志で応える根性を持つ事。この5つの条件が満たされ て初めて生きがいを持っ事が出来るとする。これは畢寛「人格が、精神的、肉体的に健康 であるということ」であり、健康な人間である事の証左である。

 これに対して、小林司〔3ωは「生きがいは単一”なものではなくて幾つかの要素が組合わ さった複合的なものだ。そのうちでも一番大きな要素が自己実現」であるとし、生きがい のかなりの比重を「自己実現」が占めていると言う。生きがいのその他の中身としては「出 会い」・「生きる価値」・「愛」・「在ること」・「仕事」・「遊び」などを構成要素としてあげ

る。そして、小林は突き詰めると生きがいとは「生きている意味をもたらすもの」であり、

「自分の可能性を伸ばしていく自己実現の過程である」とする。また「真の『生きがい』

とはむやみに働くこと、暇つぶしの手すさび、趣味、楽しみ、ではなくて、本当の自分ら しさを生かして、『働きがい』や『遊びがい』ではなしに、人間らしく『生きるかい』が ある」ものであり、「自分の生きがいは何かという問題は、生きる価値をどう考えるかと いう人生観の問題に当然つながってくる」のである。その彼の人生観とは、究極的には「人 はすべて自分に運命づけられたそれぞれの場で、他の人に少しでも思いやりと喜びとを与 えることができるような生き方をすることが大切だ」というものであった。小林の生きが い論の中心は「自己実現」にあるが、その根底には他の人に対する「思いやり」と「愛」

であると言える。つまり、「自分の可能性を伸ばしていく自己実現」のためには、他者へ の(無償な)奉仕や愛が必要であると説く。

 一一方、白石浩一(31>は生きがいのためには、自分の生活の中での定義づけと、内的な持 続性が必要であり、その有効な方法として「目標を持つ」事を強調する。それらを踏まえ て、生きがいをっかむ手がかりとして次の7項目を挙げている。つまり、a.生きがいと は生きる目標の設定である。b.生きがいとは目標への挑戦であり、戦いである。 c.生 きがいは確かな「手応え」である一「生きているんだ」という鮮烈な実感、「生けるしる し」である。d.目標は一一生を賭けるに値するもの、生涯を賭けて悔いのないものでなけ ればならない。e、目標設定にあたっては「洞察力」をできる限り働かせるべきである。

f.目標把握は価値の創造である。g.生きがいとは意識革命である。

 さらに白石は生きがいとは「よく生きる」事であり、「よく生きる」事とは「美しく生 きる」事をも含んでいると言う。この「美しく生きる」事は、外面的な美しさではなく、

内面から滲み出てくる美しさであり、人柄、生活態度、心の持ちよう、生きる姿勢などが 関係しているとする。「美しく生きる」ためには、自分の人生の目標を持つ事、自分σ)世 界を持つ事、心にゅとりを持っ事、の3つの点が大切であると説く。

 白石の生きがい論の主題は「生きる目標設定とそれへの挑戦」と言えるが、その目標の 達成を通して目指す究極の方向は、上記の小林同様、「本当の自分を生きるためには」ど

うするか、という「自己実現」である。彼は『生きがいの心理学 ほんとうの自分を生き るには』の最終章で「《生きがい》というのは、究極的には《自己実現》を目指すことだ というのが、私の考えです。それ以外のことは、ホンモノの生きがいではありません」

(3 :D

ニ言い切っている。そして、それが達成された時、人は輝いて人生を生きる事が出来、

幸福になれると力説する。

 これらの解釈とは違って、より哲学的な意味合いを、山田邦夫は宗教学者・岸本英夫の 文章を引用して以下のように述べている。つまり、「生きがいとは、それなくしては白分 が生きられない、自分σ)生きる支え、自分の生きる根拠である。言い換えれば、それのた めには自分を捨ててもよい、自分の生命よりも大切なもの、要するに『自分にとって自分 よりも大切なもの』である。例えば岸本が言うように、芸術家にとっての作品、実業家に とっての事業、母親にとっての子どもなどがそれでありうる。あるいは人はこう言うかも しれない一そう簡単には言えない、やはり自分が一J番大事だ、すべては自分が生きるため だ、と。しかしそれでは、その自分が生きるというのは何のためであろうか。人は、自分 が生きることの根拠を自分に与えることはできるだろうか。この問題は後で詳しく検討す るが、自分を本当に根拠づけるものは『自分にとって自分よりも大切なもの』でなければ ならない。生きがいの問題において、このような『自分にとって自分よりも大切なもの』

があるか否かは、もしそれがなければ生きがいもないと言えるほど、決定的に重要な事柄 であろう」〔33)。山田にとって、生きがいとは自分の生命を捨ててもよいほど、『自分にと って自分よりも大切なもの』がある、という事である。それは重病になっても、事業に失 敗しても、子どもに先立たれても、「『自分にとって自分よりも大切なもの』は無数にあ

る。極端に言えば、われわれがたとえどのような状況に置かれようとも、それは常にある」

と山田は断言する。そして、「本当の自己実現や生きがいは、直接的な自己主張によって ではなく、自己以外の他の者または物に我を忘れて専念するという迂路を通ってのみ達成 される」とする。この「直接的な自己主張によってではなく、自己以外の他の者または物 に我を忘れて専念する」という概念は先の小林の「他の人に少しでも思いやりと喜びとを 与えることができるような生き方をすること」とよく似ている。つまり、生きがいとは「自 己実現」であるとしても、「自己実現」は自己主張して我欲を貫徹させるのではなく、自 己以外の対象に思いやりと愛を込めて専念する行為を介して達成される、というのである

(この考え方は、筆者が分析してまとめた作業療法の定義とよく似ている)。

 これらを総合的にまとめると、生きがいとは「自分の人生に与えられた、自己以外の何

ドキュメント内 学位の分野 教育学 (ページ 76-95)

関連したドキュメント