• 検索結果がありません。

厚生労働行政面での諸問題

ドキュメント内 学位の分野 教育学 (ページ 142-159)

第3章  筋ジス成人患者を取り巻く諸問題

第2節  厚生労働行政面での諸問題

 そもそも児童や成人の筋ジス者のかなりの人たちが、どうして国立療養所に入院しなけ ればならないのだろうか。勿論、入院しないで家庭で生活している子どもや、会祉で働い ている人も現にいるものの、その数は多くはない。むしろ、進行性という病気の宿命から、

圧倒的多数の筋ジス児・者は全国にある厚生労働省所管の療養所に「入院」している。入 院というのは一般的にはその病気や怪我が治ったら退院するのが普通だが、この疾患は進 行するという問題を抱えていて、子どもの場合は、家庭で次第に看きれなくなり、例えば 石川高広の例では小学校1年生で、山田富也の例では中学1年生の時に、家族の願いと行 政の取り計らいによって、家から離れた国立療養所に入院せざるを得なくなった。一方、

成人の筋ジス者の場合は、筋緊張性ジストロフィーは知的に問題があるため、若い頃から 施設に入所していて、加齢と共に施設や病院をたらい回しされて、また、社会人として働 いている他のタイプの成人筋ジス者は、前節で紹介したUさんの例のように、中年にさ

しかかると、宿命的に歩行やADLの障害が進行し、毎日働く事に困難を来して退職し、

両者とも、つまり成人の筋ジス者の殆どの人は結果として最終的には全国にある筋ジス成 人患者を対象とした国立療養所に入院するという運命が待ち受けている。

 しかし、「入院」は実際的には「入所」と変わらず、一旦「入院」したら、最近は児童 の場合でも二十歳を過ぎてもそのまま継続して「入所」出来るようになったので、成人の 筋ジス者も子どもの筋ジス者も共に、死ぬまで留まる事が普通になった。

 こういった特殊な位置づけにある国立療養所という施設。そして、そこに国の政策とし て「入院」せざるを得ない人々の現状。21世紀という今日のリハビリテ・一一・一ションの理念 は「地域で生きる」、つまり「脱施設」が共通のテーマであり、国立療養所「入院」とい う名の「収容」は時代遅れの感があるが、「施設から地域へ」、「施設から家庭へ」という スローガンは、筋ジス者たちにはまだまだ理想でしか有り得ないようだ。

 また、一一一旦療養所に入院した人たちは、実際に患者となってどのような生活をしている のだろうか。日々の病棟生活は病院外の我々の生活とどのように異なっているのだろうか、

あるいは同じなのだろうか。そして、一一番大切な事であるが、みんな「幸せ」と感じてい るのだろうか。

 そこで、根本に立ち戻り、筋ジス者たちがどのような経緯で国立療養所に入院するよう

になったのかの歴史的意味合いを分析するとともに、現在の彼らの生活の場を垣間見る事 を通して彼らの限られた人生の「有りよう」を把握し、それらを踏まえて彼らの置かれて いる状況を考える手だてとしたい。

1.草創期における親の運動の歴史とその意義

 自分の子息がこの病気に罹り、日本筋ジストロフィー協会の設立と運動に関わってこら れた西岡和栄氏が自費出版された『H暮れて 道遠し』川を参照しながら、筋ジス児・

者入院の草創期の歴史を考察する事にする。

 ①1964(昭和39)年

 3月15H夜、「進行性筋肉萎縮症」の父母約20人が、東京都千代田区の都市センター に集まり、「全国筋肉萎縮症親の会」を結成した。明くる16日、厚生省や国会に「施設を 作ってください」と陳情し、その事が17日の朝日新聞に記事として大々的に取り上げら れ、「進行性筋肉萎縮症」あるいは「筋ジストロフィー(症)」という、世間では聞き慣 れない病名が知られるようになるきっかけとなった。

 「親の会」が主として訴えたのは、この病気の治療と入所施設の実現という事であった。

つまり、当時は入院して最先端で適切な治療を受けて、何とか治してもらいたい、という 親の切なる希望が強かった。

 会の会長は当時、伊藤忠自動車常務・徳田篤俊氏であり、行政への影響力もあったため か、厚生省に陳情に行くと、時の厚生大臣・小林武治をはじめ、次官や医務局長などが面 会に応じてくれた。

 この記事の反響は大きく、かつ徳田氏をはじめとする関係者の活躍によって、厚生省は 小林厚相直接の指示により、「進行性筋肉萎縮症児対策綱領」(5月6日付け、表6参照)

を定め、全国の8地区に各々専門療育施設の設置を指定した。その8地区と病院は以下の 表7の通り。

 8月、厚生省はこの病気に対する概算要求書を大蔵省に提出。総額は約1億1200万円。

 9月、国立徳島大学に、厚生省と療養所施設の関係者が集合し、表7の8箇所の入院と 治療に関して打ち合わせ会議を開催した。その結果、入院は原則として学齢期児童とし、

入院期間は1年交代とする事が決まった。従って、当然の事、入院は子どもに限定される 事になり、成人の筋ジス者はその当時は対象から外される事になった。

 これらを受けて、ll月15日、東京都千代田区永田町の参議院会館で第1回全国大会が 開催された。この日、付き添いを含めて約200名の会員が出席した。来賓は衆参両議院・

厚生省関係局課長・療養所の病院長・大学の専門分野の教授・福祉団体代表など23名。

それに各新聞社・テレビ局などの報道関係者も取材に訪れた。

 議案としては、役員の選出、陳情書の検討、会費徴収、などを話し合って決定・議決し た。12月19日より大蔵省との予算折衝が開始されたが、この病気関係の予算は新規事業 のため、最初はゼロ査定された。これに驚いた徳田会長はじめ役員の面々は、あらゆるル ートを通じて奔走した(当時の伊藤忠商事の創始者、伊藤忠兵衛氏が尽力されたという)。

以後27日まで、大蔵大臣、自民党政調社会部会などとの4次にわたる政治折衝の結果、

重要項目の一つとして、医療費値上げ問題、生活保護基準引き上げ問題等に優先して、自 民党政調社会部会全員一致の要望をもって一一部復活し、三百床分、児童家庭局約1000万 円、医務局関係540万円となり、何とか療育医療が実施される目途がっいた。当時、封書15 円、葉書7円の時で、初年度としては大成果であった。

表6 進行性筋萎縮症対策要綱

(1)収容および治療について、各担当施設は協力大学と連絡を密にして収容   患者の選定、治療方針の確立に遺憾なきようにするとともに学齢期にあ   るものに対しては教育の機会を与えることとする。

(2)本病は病期、病勢によってはリハビリテーションの対象となるので該当   患者には積極的にリハビリテーションサービスを行うこととする。

(3)研究は治療と同様に大学と協力して積極的に推進することとする。

(4)医療費は、国立療養所入所費等取扱細則により保険診療費の100分の80   とし、療育医療の適応については今後検討すること。

(5)親の会とは連絡を密にしてこれを育成すること。

表7 日本で初めて設置を指定された筋ジス児入院国立療養所

北海道地区 東北地区 関東甲信越地区 東海・北陸地区 近畿地区 中国地区 四国地区 九州地区

八雲町 宮城県仙台市 千葉県四街道市

三重県鈴鹿市 大阪府豊中市 広島県佐伯郡 徳島県麻植郡 大分県別府市

国立療養所八雲病院 国立療養所西多賀病院 国立療養所下志津病院 国立療養所鈴鹿病院 国立療養所刀根ll」病院 国立療養所原病院 国立療養所徳島病院 国立療養所石垣原病院

床床床床床床床床 0  0  0  0  0 0  0 

0

12211111

 ②1965(昭和40)年

 3月21日、第2回全国大会が千代田区平河町の日本都市センター講堂で開催された。

議案はa.徳田会長病気辞任に伴う新会長の選出    b.会名の変更

   c.組織の整備

の3点であった。aに関しては、徳田会長は以前に肺切除した時の輸血による肝炎の悪化 のため健康が危ぶまれ、替わりに大阪支部長・小寺昇氏(大阪の読売広告社の杜長)が選 出された。bについては、実際の会員は成人の会員が多く、実状に適さないというので、

「進行性筋肉萎縮症児親の会」に代わって、「日本筋ジストロフィー協会」と改称された。

cは、会の組織を本部のほかに医務局単位に8地方本部を設け、その下に各都道府県支部 を置く事になった。

 4月、国立療養所兵庫中央病院が療養医療の指定病院となり、40床を置くと発表され る。国立療養所刀根山病院は、院長の特別の配慮で前年の1964年8月以降、全国に先駆 けて成人の患者を入院させていた。

 5月、佐藤栄作総理大臣に陳情。6月、衆議院・厚生省・大蔵省に陳情。8月、鈴木厚 生大臣・橋本官房長官に陳情。10月1日、厚生省通達により、筋萎縮症の入院児に対し て、保護者の所得に応じてその医療費の一部または全部が公費で支給される事となった(療 育の給付の開始)。その後も12月・明くる1月・2月に衆議院・厚生省・大蔵省に陳情す る。期末会員数は1300名となる。

ドキュメント内 学位の分野 教育学 (ページ 142-159)

関連したドキュメント