第2章 身体障害者の障害受容の諸課題
第3節 親の苦悩とその克服
身体障害者のリハビリテーションを考える場合、当事者である障害者自身の問題は、同 時に親の苦悩とその克服の道のりであるとも言えるだろう。
特にわが子が障害を持って生まれてきた場合の親の驚きと悲しみ・苦しみは想像を絶す るものがあり、並大抵の精神力では乗り切れるものではない。出産の時には親は誰でも自 分の子どもが“五体満足”で生まれてきてほしいと切に願っている。健康で元気な子ども が授かった時、親は何物にも代え難い至福の喜びに浸るが、そのような期待を抱いている 時に、障害を持って子どもが生まれてきた場合、荘然とし、「どうして私がそんな目に遭 わなければいけないのか」と、その“不運”を呪う。認めたくても認められず、信じたく ても信じられない事実に、身の不幸を悲しむ。
従って、障害を負った本人自身が向き合うべき問題には、当然の事、親自身もその事実 に向き合い、克服しなければならない宿命が必然的に付きまとう。そのため、親は自分の 子どもが障害児であるという事実をどのように考え、どのように対処し生きていくかとい う課題は、その子どもの生き方にも大きな影響を与える事になる。特に、お腹を痛めて出 産した母親にとっては父親よりも切実に「自分のお腹を痛めて生んだ子どもゆえに」とい う意識が強いだろうから、母親の意識と心理がどのように事実に直面したのかが大切にな
ってくる。
障害児の成長過程における母親の落ち込みをKeith(45)は危機的な時期Crlsis Periodsと 捉え、子どもの障害を知った時期、普通学校への入学時期、最終学校を卒業する時期、親 が高齢に達した時期の4っの時期に危機的な段階を迎えるとしたが、母親のこうした危機 は障害児の成長に随伴してたびたび襲ってくるのであり、その度に母親は落ち込みとその 克服の苦行を営まねばならない事になる。それは父親も同様であるようだ。作業療法frで ありながら自身が2児の障害児の父親である岩崎(46)はその事を「障害の受容の過程は必 ずしも直線的ではありません。日々の介護、子どもの将来のこと、子どもの成長に伴う日 々新たな問題、悩みは暗闇の中をいたずらに駆け巡ります。もう乗り越えたと思った悩み も、新たな事態を迎えて、また傷口を広げられる思いをすることもしばしばです」と語る。
この節では、障害児・者の家族、とりわけ母親が自分の子どもにどのように向き合い、
その苦悩と悲しみを克服し、子どもと共に生きていこうとするのかを分析する事にする。
1.心理的適応過程の段階モデル
障害児の親に関する研究は以前から特に母親のr障害受容」の問題として検討されてき た。例えばMiller c“ 7)は知的障害児の親の受容過程を第一段階 ショックと混乱期、第二 段階 適応期、第三段階 再統合期、の3段階に分類して分析した。またDrotarら1捌 は「適応過程の仮説モデル」として、先天奇形の子ども(ダウン症、先天性心疾患、口蓋 裂)の親(母親20人、父親5人)との面接を通して、第・段階 ショック、第二段階 否認、第三段階 悲嘆、怒り、不安、第四段階 適応、第五段階 再構成、と段階づけし て親自身の障害受容の過程を説明した。
これらのモデルは、基本的にag 1節で言及した障害者の障害受容の段階モデルと同じ考 え方である。その障害受容モデルは、例えば上田敏t4 9)によれば、ショック期、否認期、
混乱期、解決への努力期、受容期の5段階を経て価値転換し、人間的に成長するとしたが、
障害者の親、就中、母親の心理的適応の過程をDrotarらのモデルと照合してみると、極 めて類似しており、従って、障害者自身と同様の心の変遷を経て、障害受容し、自分の子
どもをあるがままに認め、育てていくというのが標準的な母親の様相という事になる。
この、親の障害受容の段階モデルを用いると障害児の親の心理的適応過程は理解しやす いが、MillerやDrotarらの研究の結論から導き出されたモデルは、いわば典型例の場合、
ないし最大公約数的なケースであり、すべての母親がこの段階モデルのコースを一人残ら ず進むわけではないし、その例外や程度が大いに異なる事例もあるであろう。また、その
「最終段階」以降にも幾度か落ち込みを体験する親も存在した事もあり、この段階モデル 自体に対する批判も当然出てきており、牛尾(5°)は「母親は、子どもの養育過程において、
いくつかの危機への遭遇を余儀なくされ、母親は、そのたびに落ち込み、障害受容をやり 直さなければならないのである。それゆえに、絶対的な『障害受容』や直線的な『段階的 受容』は存在しない」と結論づけている。
2.母親の変化の本質
さらに、障害児の母親がこの障害受容のモデルコースを歩むとしても、母親の意識や態 度の変化や変容の本質を、ただ単に最終段階の「再統合期」や「再構成期」に到達したと いう事だけに留まらずに、母親自身の人格的成長を強調する報告もあり、牛尾(f’ ’)は「単 なる『受容』に留まらず、人格に変容をきたし、さらには社会にまで眼を開くようになる、
という母親の価値転換、成長を示した1と指摘している。また、その成長の源泉は何かに っいて、山崎ら(52)は「環境条件と本人に内在する力が相互作用し合う過程のある時点で 本人が前進し始める」推進力を“内発力”とし、それが母親の成長を促通しているとした が、山崎らは「これはすべての親に備わっている資質であるかもしれないし、現われ方に は個人差が大きいものかもしれない」と述べ、漠然とした概念のままにし、明確な根拠は 明示していない。
しかし、母親自身が人格的に「主体変様1し、成長する事には深淵な意味が含まれてい るように思われる。つまり、母親の深い苦悩と内省の結果、導きUlされたものであり、そ の事は、結局、より哲学的、内面的な意味合いが存在していると言えるだろう。例えばパ ール・バック(53}は自らの障害児の養育の過程の中で、絶望のどん底で悲しみとの融和が 始まった時期があり、「その第一’段階は、あるがままをそのままに受け入れることでした」
と語り、その悟った段階を「魂の転換」と名付けた。伊藤{品はこのパール・バックの「魂 の転換」を「絶望のどん底に喘いでいる状態から立ち直る契機」であるとし、この契機を 介して「その人は一回りも二回りも大きな、また奥深い人物に成長していく」と断言し、
「人格者にrebiπhする」事が「魂の転換」の本質と述べている。そして、それを悟った パール・バックは「わたしは、この歩んで行かなければならない最も悲しみに満ちた行路 を歩んでいる間に、人の精神はすべて尊厳に値することを知りました。人はすべて人間と して平等であること、また人はみな人間として同じ権利をもっていることをはっきり教え てくれたのは、他ならぬわたしの娘でしたjと理解し、「親は自分の子どもの生命は決し て無駄ではない、たとえ、限られた範囲内であっても、人類全体にたいして重大な価値を もっている、ということを知れば、慰められるはずです。わたしたちは、喜びと同様に悲 しみからも、健康からと同様に病気からも、また利益からと同様に不利益(ハンディキャ ップ)からも一おそらく後者のほうから、より多くのことを学ぶことができるのです」と いう境地に高められたのであった。これらの「変様」を通して母親は単なる受容に留まら ず、社会にまで眼を開くようになる「母親の価値転換」を示すと指摘する研究も多い。事 実、パー一ル・バック自身も後には東西協会やウェルカム・ハウスの開設と運営に尽力し、小 説家としてよりも平和運動家として活躍した。
社会的活動の広がりの程度と範囲は個々の母親によって様々であるが、その大小・程度 を問わず、障害を持った自分の子どもの養育を通して、少しでも社会役に立っ行ないをす る事に意義と意味を見出す親へと「変様」 していく例が多い。例えば、筋ジス児童の母
親に中には、少しでも医療に関わり、困難の中にいる人達のために手助けしたいと病院で 働き始めた母親や、進んで筋ジス協会の活動を引き受け、夏のキャンプなどを企画し、同 じ病気の子どもを抱える家族の交流を通じて、悩みを語り合い、協力をし合いながら、共 に助け合って頑張っていこうとしている母親もいる。
3.家族の障害受容の問題
障害者の問題を単にその母親に限定しないで、母親も含めた家族全員の問題にまで拡大 して考える視点も必要な場合も多いだろう。勿論、疾患によっても家族の心理と向き合い 方は異なり、深刻で重度の疾患ほど家族の受容も困難を極める。
例えば、ALSの場合、進行が速く、障害が重い病気であり、ALSイコール死の病気、
を意味するほど深刻であるので、当然、家族は告知の問題に直面せざるを得ない。「ALS は患者だけでなく家族全員のこれからの生き方にまで影響し、ともに立ち向かっていかな くてはいけない」(55)事が重く家族にのしかかってくる。一方、発達障害児家族の場合は、
早期診断とその告知、治療や訓練の効用、親同士の連帯などが必然的な問題であり、北原
f56) ヘ「親の障害児の受容とは、障害を持った子どもを、自分の子どもとして、あるがま まに受け入れ、育児を楽しみながら、障害に応じて適切に育てることを受け入れることで ある」ととらえ、結局「親の障害への心理的適応」、っまり「障害を特別視しないという こと」を強調する。一一方、脳卒中の場合は、ALSなど進行性の疾患でもなく、また発達 障害児のように発達の途上、ないし成長の途上の問題ではなく、大概は患側の手足の麻痩 が残存するものの、障害は固定される場合が多い。その場合の家族の障害受容は「患者の 手足の麻痺がわがことのように一体として実感され、その後喪失の心的過程を乗り越えて、
そのことによって家族自身が失うであろう事態、家族が被る生活の変化のすべてを受容す ること」〔57)であると佐直は指摘する。
いずれにしても、成人の障害者の場合は、それを取り巻く家族全員の関わり方と支え方 が患者のリハビリテーションを大きく左右し、障害者が子どもの場合、家族の中でもお腹 を痛めて出産した母親の向き合い方とそれに関与する医療関係者や教育関係者の支援の有
りようが重要であると結論出来るであろう。