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鈴木商店と粗製樟脳販売

ドキュメント内 鈴木商店と台湾開発-樟脳事業を中心に- (ページ 121-140)

第二章  鈴木商店と台湾樟脳専売制度

第三節  鈴木商店と粗製樟脳販売

 本節では、台湾樟脳専売制度が導入された明治32(1899)年8月より鈴木商店破綻の 時期にあたる昭和2年3月までを論考対象とし、この間における政府の粗製樟脳販売方針 の推移を検討する。そして鈴木商店がこの販売過程にいかに関与したかを明らかにする。

政府の販売方針の変化に着目すると、この期間を以下のように3期に区分することができ

る。

(1)欧米精製原料輸出重視期〈明治32(1899)年〜明治41(1908)年〉

海外の精製樟脳業者を主な顧客とし、輸出を重視した時期である。国内に興りつつあっ た精製業に対しては、その製品が顧客の製品と競合しないように、むしろ抑制的政策を とった。海外国内販売とも主にイギリスのサミエル・サミエル商会(以下サミエル商会 と略記)が販売を担当した。

(2)国内精製原料供給重視期〈明治41(1908)年㍗大正7(1918)年〉

海外における主な顧客を急速に勢いを増してきたセルロイド業者へと転換した時期であ る。精製業においては海外精製業者に見切りをつけ国内精製業者の育成を図った。販売 は海外、国内ども内台両専売局の直売とし、台湾産の内地販売以外は三井物産が委託販 売を請け負った。次の国内産業重視への移行期にあたる。

(3)国内精製及びセルロイド原料供給重視期〈大正7(1918)年〜昭和2(1927)年〉

国内への供給に重点をおいた時期である。海外販売はセルロイド原料に限定し、国内の 精製業者を第一に、セルロイド業者にも積極的に供給を開始した。内台両専売局による 直売の形態は変わらなかったが、海外への委託販売については、国内精製業合同に伴っ て、三井物産から日本樟脳へと引き継がれた。

 政府の販売方針は、およそ内外の精製業、セルロイド業の動向と深く関係しており、さ らに合成樟脳や「支那」樟脳の進出を睨みながら、その供給量、販売価格が定められた。

また明治36年10月の内台共通専売制施行以降は、内台産樟脳の対立競合を避けるため、

「台湾二於ケル貨幣、銀行、関税及ビ粗製樟脳、樟脳油専売二関スル政務八大蔵大臣ノ管 理二層セシム 前項ノ政務二就イテハ台湾総督八大蔵大臣ノ監督ヲ承クルモノトス」(明 治36年2月25目勅令第18号、同36年8月20日勅令第129号改正)の規定に基づき、

特に販売上の重要事項については、大蔵大臣の監督の下に、内台両専売局間に綿密な連絡 調整がなされ、販売方針の変更、販路の調整、管轄の問題などは常に内台間の「協定」を

もって行われている。

 【図2.3.1】(資料編p.6に掲載)は明治32年から昭和3年に至るまでの粗製樟脳販売 形態の変遷、【表2.3.1】(資料編p.7に掲載)は同じく販売高の変遷を表している。ま た【図2.3.2】(資料編p.7に掲載)は同表を海外販売・国内販売別にグラフ化してもの である。これらを参考にしながら、各時期の販売の実際を詳述する。

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(1)精製原料輸出重視期〈明治32(1899)年〜明治41(1908)年〉

a サミエル商会への売渡販売

 従来日本の樟脳は、粗製のまま欧米に輸出され、精製樟脳またはセルロイドの原料に用 いられていた。単独専売制導入の明治32年頃には、冒木内地においては樟脳精製技術は ある程度進歩を見ていたものの企業としては未熟であり、またセルロイド工業も勃興の気 配を見せていなかった。したがって国内需要としては薬用もしくは防虫剤などの極少量に 留まっていたので、政府は、専売樟脳の販売については、海外輸出を主とすることを方針

とした(1)。

 樟脳専売の目的の1つは総督府財政収入の確保であった。しかしそれがために高い販売 価格を設定すると、合成樟脳や「支那」樟脳が台頭する恐れがあった。また国際的商品で ある樟脳は、ともすれば投機の対象となってこれまでも激しく乱高下したことから、総督 府としては、価格を低位に安定させるため、欧米需要者に直接販売することを理想として いた。これはまた、外商の介入を阻止し、これまで彼等に握られていた商権を奪還し、襲 断されてきた利益を回収するという、専売制施行のいま1つの目的にも遭うことであった。

しかし販売権入札の結果、台湾産粗製樟脳の一手販売権を獲得したのはイギリスのサミエ ル商会であった。これはひとえに政府が海外市場の事情に通じておらず、実務経験を欠い ていたことによる(2)。ひとまず専売樟脳の海外販路の確保と安定化を優先し、商権奪 還は次の課題とされたのである。

 明治33(1900)年3月24日、台湾総督府民政長官後藤新平とサミエル商会台北支店主 任荒井泰治との間で交換された「樟脳売渡契約書」によると(3)、契約内容の骨子は次 の通りである。

  ① 売渡数量は毎年300万斤から500万斤で政府が定める。

  ② 売渡価格は台北渡しで甲種95円、乙種85円とする。

  ③ 海外売捌は一定の売捌価格の範囲内で行う。この価格以上で売り捌いてはならな    い。

       甲 種    乙 種 ロンドン

ハンブルグ ニューヨーク 香港

107,843円 107,843円 107,843円 102,378円

99,702円 99,702円 99,702円

94,323円(100戸当)

④ 従来の樟脳市場である東洋及び欧米各地で需要相当の数量を適切に分配して売り  捌く。総督府は必要に応じて特定地域への販売数量を指定する場合がある。

 この他、現品引き渡し、代金支払い、契約違反時の措置、契約有効期限などが確認され ている。ここで注意すべきは、「委託」の形式をとらず、「売渡」すなわちサミエル商会 にとっては「買取」の形式がとられたことである。これによって総督府は「売渡」の時点 で収入を確定でき、のちの市場変動のリスクはサミエル商会が引き受けることになるので ある。サミエル商会は買い取った粗製樟脳を15〜17円上乗せした価格を上限として販売 するが、この上乗せ分から運搬費その他販売にかかる経費を差し引いた部分がサミエル商       一118一

会の利益となる内容であった。一方、サミエル商会は価格の制約はあったものの、どれだ けの数量をどの業者に販売するかなど、販売の方法に関してはまったくの自由に任された。

 ところがこの販売システムは開始早々頓挫することになる。内地樟脳の予想以上の増産 により市況が悪化、台湾樟脳の海外販路を妨げる事態が出来したのである(4)。さらに この事態を受けて議会に提出された内台共通専売法案が否決されるに及んで、さらに市況 は悪化した。総督府はサミエル商会の請願に応え、損失の一部補填と販売価格の下限を下 回る価格での販売を容認したが、サミエル商会・総督府とも大きな痛手を蒙ったのである。

これを教訓とし、明治36年の契約更改時には契約条項の一部を改正し、

  ① 売渡価格を欧米の市況に応じ設定し、年度内においても必要に応じ変更する。

  ② 売捌価格の設定を廃止し、かわって売渡価格と売捌価格との差額の制限(15円    以上〜17円以下)を設定する。(5)

というように、販売価格が市況と連動する内容となった。この後市況の変化に応じて価格 や売渡数量の変更はあったものの、明治41年3月末をもってサミエル商会との一手販売 契約が打ち切られるまで基本的な契約内容は変わらなかった。

 明治36年10月内台共通樟脳専売制が導入されると、大蔵省は台湾総督府と協議し、当 面内地産樟脳の販売を一切同府専売局に一任することに決定した。すでに台湾においては 専売制を実施し、専売運営に設備や経験をもっていたことのほか、制度草創期に販売系統 を複雑化しないことが考慮されてのことである。上述のように、台湾総督府は台湾産樟脳 の海外販売についてはサミエル商会を一手売捌人に指名した。また内地販売についても、

専売開始当初は便宜上サミエル商会を一手売捌人としていたものを、この年の4月以降は 同局神戸支局より直接需要者へ販売することに切り替えていた。そこで総督府は内地産樟 脳の販売についても、同じ方式を採用することとし、内地産樟脳は大蔵省専売局神戸樟脳 事務局より台湾専売局神戸支局に引き渡され、調理の後、海外販売はサミエル商会への売 渡、国内販売は同局神戸支局直売とした(6)。これについて総督府は11月18日サミエル 商会と内地産樟脳売渡契約を締結している。

b 精製原料輸出重視政策からセルロイド原料輸出重視政策への転換

 専売制発足当初は国内の樟脳需要は極僅かであったため、欧米への精製原料輸出を中心 とする方針がとられたのは自然の成り行きであった。その後国内の精製業もようやく発達 し、原料の需要も次第に増加するようになったので、明治36年4月よりサミエル商会売 渡を排し、専売局神戸支局による直売を開始した。しかし、その売渡条件は、サミエル商 会への売渡価格に比べ割高に設定したほか、買い受ける精製業者に対し、その用途を自己 の工場において工業原料に使用することに限定し、他用途での使用や転売を禁止するなど、

海外販売に比べて国内販売に厳しい制約を設けた(7)。この差別的価格設定は内台共通 専売制施行により一時中止されたが、精製製品は国内消費向けと認められるものに限り、

輸出用はできるだけ抑制する方針をとった。日露戦争後の好況時には精製樟脳業への新規 参入、新規払い下げ出願が相次いだがこれも原則不許可とした(8)。しかしそれでも国 内精製業による精製樟脳は欧米市場に安価に流出し、専売樟脳の顧客である海外精製業者 を脅かすようになっていった。政府は明治41(1908)年の段階で再び売渡価格の差別化 を復活させ、国内精製業抑制に動いている(9)ことから、この時期は粗製樟脳輸出に重       一H9一

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