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鈴木商店と樟脳製造

ドキュメント内 鈴木商店と台湾開発-樟脳事業を中心に- (ページ 104-121)

第二章  鈴木商店と台湾樟脳専売制度

第二節  鈴木商店と樟脳製造

(1)製脳 a 製脳特許

 製脳が依拠する主たる法規としては「台湾樟脳及樟脳油製造規則」(明治32年6月22 日府令第16条、以下「製造規則」と略記)、「台湾樟脳及樟脳油製造規則施行細則」(明治32 年7月8日府令第57条、以下噛行細則と略記」)がある。「製造規則」によると、従来 清国政府の許可証所有者に限定されていた出願資格が、専売制度のもと総督府の自由裁量

となった。従来の業者に対してはなるべく許可する方針をとったが、乱立を防ぐため小資 本の経営者には合同経営を奨励し、漸次その数を整理することにっとめた。また噛付細 則」によると特許の任期は従来通り3ヶ年としたが、内台共通専売法施行に伴うr施行細 則」改正により無期限へと変更された(1)。

 製造人に対しては、樟樹濫伐の禁止、製造の着手・完了・納付及び休業、脳杜位置およ び個数の変更、脳長・脳下の異動など細部にわたる報告を義務付け、必要な監督を行った

(2)。また製脳を許可するにあたっては、山地蕃族との関係安定をことのほか重視し、

蕃族に対して製脳業者としてとるべき方策を許可指令書において厳格に規定した(3)。

この規定においては蕃族対策に必要な追加的設備や蕃族の頭目や壮丁への手当支給が製脳 業者の負担とされたため、この対策費は製脳にかかる生産費の中で原料費と並んで大きな

ウエイトを占めることになった。

 現場における製脳法の詳細については「粗製樟脳樟脳油製造取締規定」(明治34年10 月7目訓令第16号)が規定している。大正2年の「改正取締規定」(訓令第64号)で見

ると、製造法は土佐式または桶式を基準として、脳寮(製造場)の規格及び管理、竈、鍋、

甑、冷却器などの形状や寸法、原料採取、焚込、脳揚などの作業手順及び注意事項、作業 員の適正数が示されていた(4)。専売制導入時にはすでに旧来の小仕法は姿を消し大杜 法土佐式が一般に普及していたとはいえ(5)、その上でこれらの規格を満たせるか否か が製造の継続の可否に直結していたのであり、これにより資力の乏しい製脳家、製脳場は 淘汰されていったと推測できる。製脳特許人数の推移は【表2.2.1】のとおりである。

【表2.2.1】製脳特許人の推移

専売制導入直前 116人

単独専売施行(明治32年8月) 43人 共通専売施行(明治36年10月) 15人 島内製脳業者合同直前(大正8年4月) 14人

台湾製脳株式会社設立 .1人

 出所)『樟脳専売吏』p.920。

 製脳特許人は結局1人(1社)にまとめられ昭和8年の官営移行まで続くことになる。

合同の背景としては、原料棒樹の分布は全島山野100万町歩におよび、その中に点在した ので取締は容易ではなかったこと、また作業地が隣接し製脳業者間では脳下を争奪するな

ど、折からの大戦景気と相侯って焚失費は高騰し、生産費は上昇の一途をたどったことが あげられる。大正7年に第一次世界大戦が終了し、内地で精製業、セルロイド業の合同が

一100一

行われると、この気運に乗じ、生産費節約を図るため、全島製脳業者14社の権利を継承 して台湾製脳株式会杜が設立され、大正8年5月操業を開始した。これにより、原料濫伐 防止の徹底、監督費、設備費、運搬費の抑制、需給調整の円滑化、逃走移転防止による脳 下の生活安定がはかられた(6)。台湾製脳株式会杜は資本金1,000万円、台北の本社およ び島内8カ所に出張所をもち、250名余の脳長(会社の請負人)、100名余の投首(脳長の 下請け)、7,000名の脳下が製脳に従事した(7)。

b 樟樹及び製脳用材払下

 明治28(1895)年一〇月発布の「製造業取締規則」(律令第26号)においては「官林の 伐採開墾及製脳には認許を要する」と定めていたものの、樟樹伐採は無償で払下には及ば ないとされていた。製脳用の薪材については31年になって払下の対象となったが、樟樹

(8)が払下の対象となったのは、32年専売制施行に伴って発布された「製造規則施行細 則」(府令第57条)の規定においてであった。払下価格は官有林管轄庁毎に定められた。

北部文山性、羅東、苗栗、台中の一部においては製脳者が防蕃費を負担していた関係で、

払下価格は低く抑えられていた。しかし、明治37(1909)年度より防蕃費が地方税負担 になったことから全体の値上げを行い、特に相対的に高くなった南部の原料費との均衡を 図るため、北部の払下価格を中心に大幅に引き上げた(9)。【表2.2.2】は明治36年と37 年の各製脳区域の原料木(樟樹、薪材、製脳器具・小屋用材の総称)払下価格(樟脳100 戸当)、および改正の主要因となった明治36年度の製脳業者防蕃費負担の一覧である。明 治36年の改正では防蕃費を考慮した設定が見られるが、明治37年の改正によって台北か

ら遠い地方ほど低い払下料金が設定されている。

【表2.2.2】製脳業者の原料費(明治36,37年度)及び防蕃費(明治36年度)

局別 官有林管轄庁 明治36年改正 明治36年度防蕃費負担 明治37年改正

宜蘭 1,144円 小松楠彌:2.5−3円 2,800円

本局 深坑 1,144円 荒井泰治=2,985円 2,800円

桃仔園 1,394円 2,800円

新竹 I.418円 2,700円

一       一   一   一   一 .   I   一   ■   一   一   一   ■   一   一  一        一  一   一   一   一   一   一   ■  ■   ■  一     I  ■   ■ 一    一   一    一    一    一   一    一   一   一    一    一   一    一          一    一   一    一   一   ■   一    一   I   一   一   一    ■      一       一  一   一   一   一   一   一   一   一   一   一   一   一   ■

苗栗 苗栗 2.l08円 葉仕添:0−771円、呉永康:O.670円 2,700円

黄南球:2,595円、劉緯光:0,997円

一   一   ■   一   一   一   一  一  一    一  一  □  一        一 一   ■   一   一   一   ■   ■   一   ■       一  一   一   一   一 一    一    一    一    一    一   一    .    一    一    一    一        一   一    一   一    一    一    ■   一    ■   ■    ■    一    一        一        一    一   一 一  一  一  一  一  ■    一  一  ■  一  一  .  ■  一

台中 2,018円 林季商:2,045円、林烈堂:2,347円、 2,400円

南投 1,818円 黄春帆=2,347円、林資彬:0,757円 2,200円

台中 斗六 1,318円 1,600円

嘉義 1、,318円 1,600円

蕃薯寮 11144円 1,450円

台東 正.450円

註)数値は樟脳100戸当の費用をあらわす。

出所)『台湾樟脳専売志』pp.107−108。

C 製脳組織

製脳業者が経営する組織はおおよそ脳長制と業主直営制に大別できる。脳長制とは、一        …O1一

種の製脳請負業で、許可を受けた製脳業者(業主)より前貸を受け、従業員である脳下の 募集、脳杜築造、用器製作のための出資をし、脳下をつかって製脳を行う。また脳長と脳 下との間に介在し、脳長に対し製脳事務一切の責任を持っ肢首がいた。脳下は脳長か投首 に所属し、脳杜1個を通常2人で受け持ち、原料の削取・運搬・焚揚・脳館への製品運搬 に従事し、脳樟脳樟油の斤量に応じて賃金を受け取り、脳長、投首も製品に対して歩合を 受け取った。

【図2.2.1】脳長制と業主直営制

(脳長制)

前貸・歩合

業主(製脳会社) 脳 長 (投首) 脳下

返済

設備出資・脳下募集 製脳事務      賃金労働

(業主直営制)

業主(製脳会社) 脳下

監督員による巡視・指導 (投首介在の場合もあり)

設備出資・脳下募集 賃金労働

 出所)『台湾樟脳専売志』pp.127−128。

 業主直営制は業者が直接脳下の募集、脳杜築造、用器制作のための費用を負担して製脳 に従事するものである。通常は脳長・投首はおかない。脳長制の長所は、脳下の募集を業 主自ら行うより容易であり、蕃害にあっても脳長は白ら出資して築杜した関係上最後まで 踏みとどまって作業をする傾向がある。短所は、脳長が利に走りがちで、その結果原料濫 伐の弊害を生んだことである。一方直営制は業主が直接脳下に接し作業全般を監督できる ので濫伐を防止しやすく、技術指導も監督員を通じて徹底しやすい。また脳下の事情に通 じ、焚失費の適否を知りやすい。確かに巡山のため監督員雇用の出費は伴うが、それは脳 長への手数料分でまかなえる。製脳会社(業主)にとっては、製脳現場の事情に精通して

いる脳長の雇用は、事業を円滑に進める上で確かに必要な局面をもったが、一方で会社と 脳下との間に介在し、その双方からコストを徴収しているのみならず、不利益をもたらす ケースも報告されている(1O)。専売局や製脳特許人においては、いずれ直営制への移行 が期待されていたと考えられる。業主直営制は、明治34年羅東映哩沙製試所の官打製脳 を請け負った鈴木岩次郎が専売局側の要請としてこれを導入した(11)ほか、明治39年 には蕃薯寮で官行を請け負った台湾採脳株式会社、41年には桃園県内で三井合名株式会 社がこの制度を採用した(12)。

d 官打製脳

 専売制下では山元製脳は特許民業を基本としていたが、一部の地方では官行で営まれた。

帰順土匪や蕃人への授産、製脳試験、民業経営困難、樟樹造林地整理などがその理由であ るが、実態はそのほとんどが民業請負のかたちをとり直営は」部にとどまった。官打製脳        一102一

の概略は以下の通りである。

 【第一期官行製脳】

① 台北樟脳局文山性試製所(明治32年9月〜35年3月)

  帰順土匪陳秋菊外6名の脳杜525個ほか製脳器具を金9,295円で買い上げ、改めて貸   与し製脳を請け負わせた。のち「専売規則」による製脳許可に切り替えて終了した。

 ② 新竹樟脳局上坪試製所(明治32年H月〜33年10月)

  蕃人授産を目的としたが、暴風雨被害、流行性感冒、他地域への転出により製脳従事   者が不足し事業廃止となった。

 ③ 羅東樟脳局臥哩沙試製所(明治32年7月〜36年3月)

  清国政府が製脳に着手して中絶していた地域を直営としたものであるが、暴風雨、蕃   害により、34年4月より民営請負に変更された。この時の請負人は鈴木商店鈴木岩   次郎である。のち小松楠彌らが請負に加わり、36年4月より台湾製脳合名会杜の特   許営業となり終了した。

 【第二期官行製脳】

 ① 蕃薯察庁管内の官打製脳(明治一38年11月〜42年3月)

  明治36年4月台湾採脳拓殖会社が製脳許可を受けたがマラリア及び蕃害のため廃業   を決断し、明治38年11月より官行のもと同業者が請け負った。のち櫻井貞次郎の許   可請負に移行した。

 ② 嘉義庁管内の官打製脳(明治41年6月〜43年7月)

  明治37年に嘉義製脳組合が製脳許可を受けたが、遠隔地のため製脳必需品や脳下の   調達に事欠き経営不能となった。同地での製脳途絶を回避するため官行とした。のち   宇都宮議蔵の許可請負に移行した。

 :第三期官行製脳】

  大正8年、羅東、新杜、魚油における造林地において原料歩留まり不良のため業者が   放置した区域において生立木を保存し、倒木根株のみによる直営製脳を開始した。

 【左旋性芳彰油官行製脳】

  リナロール製造事業を立ち上げるにあたり、芳樟の豊富な台北庁下での原料選択作業一   を直接監督指導するために官営とし、三井合名会杜に製造を請け負わせた。  (13)

 この時期の官打製脳はあくまで特許民業を基本とし、それが種々の困難な条件により立 ちゆかないところや、クス保続や新規事業立ち上げなど専売局がリードする必要が認めら れるところで限定的に行われたことがわかる。特に第三期官行製脳は終始直営で行われた。

規模こそ小さなものであったが、のちの官営製脳導入にあたってその自信と気運を助長す る事業となった(14)。

e 官営製脳

 昭和8年の第65帝国議会において製脳官営実施に係わる予算が承認された。禁業補償 金306万7,775円、買収物件費33万6,955円で、台湾製脳株式会杜の一切は総督府に買収

され、従来の特許民業は完全に終止符を打った。この後山元製脳は、専売局員白らが直接 脳長脳下の作業を指揮し、工程払賃金の形式で製品を収納した。官営へ移行した背景には 第一次世界大戦後のドイツ合成樟脳が一気に世界市場に進出し、天然樟脳としても一層の        一103一

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