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野宿者の還流

ドキュメント内 二つの公共性と官、そして民 (ページ 127-140)

1 野宿者の拡散と還流の動向 

  大都市に集中する野宿者は、ドヤ街、寄せ場の町の中心部から、徐々に外縁化していった。中心に おける寄せ場機能の低下と、野宿の恒常化に伴い住宅地における一般住民との緊張関係を回避するた め、さらには野宿の長期化に対応するための適切な居住形態をとるためである。かくして、大規模公 園、河川敷・テラスでの野宿生活者が増大してきたが、その後はそうした空間も飽和状態となり、最 近では過密に伴うトラブルが野宿者同士の間で発生するようになった。また、一部のブルーシート小 屋の住民は、例えば東京などで実施される主として月に一度の撤去指導(小屋の建替え)への対応の ために心身の疲弊を蓄積させ、一部の野宿者は再び中心部に還流するようになった。 

野宿の長期化に対応してとった常設型の野宿形態には、一部で徐々に破綻・困難がみられるように なり、野宿者の一定部分の人びとの野宿地域はサイクル上に変転し、野宿形態もサイクル上に変転す るようになってきた。これは野宿の長期間の持続の困難性を意味するとともに、自立へと結びつかな いかたちでの野宿地域とその形態におけるダイナミズムが生じているということである。 

 

図8−1  野宿生活の外縁化と還流化の流れ 

A:<これまでの長期化対応における移動の主なパターン> 

ごろ寝      →    ブルーシート 

山谷中心部および小公園  →  隅田川、上野公園   

B:<還流を含む路上形態の流れによる移動パターンの相互化> 

ごろ寝      →    ブルーシート  ブルーシート      →    ごろ寝 

山谷地区中心部・小公園  →  隅田川、上野公園  隅田川、上野公園     →  山谷地区中心部・小公園   

2 行政サービスと野宿形態との関係 

  こうした中で、地方行政府が実施する国の法律によらないという意味で法外の緊急支援的なサービ スについて、それを活用したり依存したりする形態のスタイルと、そうした緊急支援とは一定の距離 を置くタイプとが分類できるようになった。行政にかなり全面的に依存するタイプと、行政サービス を部分的に利用するタイプと、行政の窓口を敬遠するタイプである。 

  まず行政サービス(城北福祉センター:東京都の山谷対策)全面依存型は、行政が応急的に提供す るサービスを可能な限りうけるタイプであり、東京都であれば、宿泊援護、医療相談、パン支給、娯 楽室を可能な限り利用するタイプである。ただし、こうしたサービスを利用するために、行政窓口の ある地域に路上生活しなければならず、野宿者は地域における住民との緊張関係や就寝形態に伴う野 宿者同士の緊張関係や、粗暴グループからの暴力被害にあう不安などを抱えつつも、そうしたサービ スエリアに滞在しなければならない。夜間の熟睡は困難で、日中は娯楽室等で休息をとったりしなけ ればならず、場合によっては心身の疲弊度増すというタイプの路上生活のスタイルしかとれないので ある。 

  次に、行政サービス部分活用型は、行政サービスの拠点から一定の距離に位置する公園、河川敷等

に居住するタイプである。行政サービスは必要なものを選んで選択的に活用する。東京山谷地区であ れば、山谷中心部を離れるほどこうした部分活用型が多い。比較的多く利用するサービスは、パンの 支給、東京都の特別就労事業(特別求人枠=大阪では「特別清掃」枠)の活用である。ただしこうし た部分的な活用には、特別就労順が回ってくるローテーションが白手帳(日雇労働者の雇用保険証)

の有無や、城北労働福祉センター就労カード所持が不可欠であることから、こうした手帳やカードの 発行手続きや就労番号情報などに周知し情報ネットワークを有していなければならない。それだけに、

これを利用できるのは行き当たりばったりの支援を期待するのではなく、計画的なサービス活用をし ようというスケジュール管理ができる人たちである。 

  さらに、行政窓口敬遠型では行政窓口を避け、窓口にサービスを求めないタイプである。これまで の経験から厭世的となった人や、山谷以外からの流入者で山谷のサービスの事情を知らない人や、身 を隠すために路上生活しているために名乗りをあげてサービスを求めようと思わない人や、これまで の経験からあらゆる意味で気力の低下している人が、このタイプの中に含まれる。 

 

表8−1 一言アンケート:炊き出しを週何回利用してますか(1995年12月10日)※ 

  利用回数  人(%) 

1 週1回  9人( 6.3%)

2 週2回  51人(35.4%)

3 週3回  51人(35.4%)

4 週4回以上  28人(19.4%)

5 ほとんど利用しない  5人( 3.5%)

合計 144人 

※ボランティアサークルふるさとの会「一言アンケート調査結果」(1995年)より作成   

表8−2 一言アンケート:第27週 センターの宿泊援助・給食を受けていますか(1995年12月17日)※ 

  利用内容     人(%) 

1 生活保護を受けているので必要ない 0人( 0  %)

2 宿泊+給食  28人(40.6%)

3 給食のみ  20人(29.0%)

4 受けていない   18人(26.1%)

5 その他=宿泊のみ  3人( 4.3%)

合計  69人 

※ボランティアサークルふるさとの会「一言アンケート調査結果」(1995年)より作成   

 今後アンケートを行う際、これまでの経験から「宿泊のみ」という選択肢を用意したほうがよい。

「受けていない」と答えた人のなかにはそうしたサービスを知らないという、おそらくは、新参者ら しい人もいた。それだけ野宿の裾野が広がっているということであろう。 

城北福祉センターのサービス(宿泊とパン)を利用しますかという質問に対しては、両方利用する という人が多いが、他方でどちらも利用しない人も目立つ。このように答えた人たちは利用意向をも たない層と、利用のことを知らないという新規参入者であるとみられる。 

東京都は、1960年代から年末年始の臨時宿泊事業を開始している。年末年始の時期は、日雇い 労働者にとっては厳しい時期であり、今日のような深刻なホームレス問題に直面する以前から取り組 んでいた事業である。ホームレス問題が深刻になると、年末年始の利用者は増え続けた。しかし、年 末年始のつらい時期にも、この臨時施設を利用したがらない人たちがみられた。表8−4によると、

1995年の時点では3分の2の人びとは利用したい(「行きたい」)と回答したが、残る3分の1 の人びとは行きたいとは答えなかった(「行けない」「行かない」「行きたくない」「知らない」

等)。この結果は、臨時的な対策は、ホームレス自立支援施策としては不十分であるということを示 していたのではないだろうか。なぜならば、その後、臨時宿泊に行く層と、行かない層とが明瞭に分 離していくのである。自立支援のニーズは多様であり、臨時的な対策に終わらない多様な施策が要請 されていたのである。 

 

表8−3 一言アンケート:■城北福祉センターのサービス(宿泊とパン)を利用しますか 

<1998年4月12日>※ 

  利用内容  人(%)

1  両方利用する  88人(42.9%)

2  宿泊のみ利用する  10人(  4.9%)

3  パンのみ利用する  58人(28.3%)

4  どちらも利用しない  45人(22.0%)

5  保護を受けている  4人(  2.0%)

合計  205人

※ボランティアサークルふるさとの会「一言アンケート調査結果」(1998年)より作成   

表8−4 一言アンケート:あなたは「都の臨時宿泊施設(大井など)」に行きますか(1995年12月24日)※ 

都の臨時宿泊施設に行きますか 人(%) 

1 行きたい  72人(65.5%)

2 行きたいが行けない(資格制限などで) 8人( 7.3%)

3 仕事・用事があるので行かない  6人( 5.5%)

4 山谷にいたい・行きたくない  21人(19.1%)

5 そんなの知らない  3人( 2.7%)

合計   110人  

※ボランティアサークルふるさとの会「一言アンケート調査結果」(1995年)より作成   

3 ボランティア活動エリアの拡張 

  ボランティアやNPOは、支援の活動を展開するエリアによって、異なったタイプの野宿者(路上 生活者)によって異なるニーズに対応した支援活動内容を独自に検討しようとする。野宿生活者から すれば、山谷中心部にいても、隅田川にいてもも、ボランティア団体や支援団体から、食料や寝具提 供等の支援を受けられる。行政機関の場合は一般的に、行政サービス機関から遠ざかると、行政機関 からの応急支援を受けるには不便さが増すのである。 

   

行政支援施設 

地域社会 

野宿生活者  中間地居住

←ボランティア支援→ 

               

図8−2  野宿者(路上生活者)がまちの中心地域から離れる傾向   

  こうした中で、支援団体には、隅田川等の居住定着化が進むことを支援してきた経緯がある。しか しこの結果は、自立促進に寄与していないいわゆる「肯定的結果」(動機はよくても、結果はよくな い)をもつことになった。行政の把握の範囲を離れ、結核など感染症の問題が拡散し、ブルーシート 小屋を建設するくらい自立能力があるにも関わらず、具体的な自立へとは結びつきにくく、現状を維 持するだけであった。他方では、隅田川河川敷やテラスでの居住継続は破綻することもあり、野宿地 の還流や野宿形態の周流を繰り返し、はては自殺・路上死などという不幸な結果に至る場合もあった。

ブルーシート生活を固定するだけでは、安心と安定とにつながらず自立をもたらさないことは、新宿 のダンボール村の火災事故が雄弁に物語っている。 

 

4 KSさんのケース 

 KSさんと出会ったのは、1996年のころだった。筆者が所属するボランティア団体が、サービ ス供給主体として発展し、高齢野宿者(路上生活者)向けに、毎週日曜日給食相談会を開始してから だ。会場となる地域集会施設は、小さな公園の中にあった。山谷の中心部からみればやや離れた場所 にあるその公園に住みついていたのがKSさんだった。出会った当初、KSさんは公園の主のように みえ、またそのどっしりとした体格と装いからも根っからの野宿者にもまた仙人のようにもみえた。

しかしながら、あとから話を聞くと、野宿生活もそう長くないことがわかった。誰しも1週間や10 日野宿しただけで、その身なりや形相から、街行く人の目からは、野宿者の権化のように見られる。

そこに人びとのラベリングやまなざしの地獄が始まっているのだ。 

KSさんは、山谷の主流の野宿者とは職業経歴を異にする事務職経験者である。1995年に会社 がつぶれ野宿者となった(ギャンブル、一家離散)。行くところもなく、山谷にやってきたものの、

日雇い労働ができるわけでもなく、いったん入った野宿生活から脱することは不可能であった。まず は、夜になれば多くの人が寝場所とするイロハ商店街通りで野宿を始める。しかしここは、緊迫した 雰囲気が漂い、よっぱらいがいたり、けんかが起こったりするので、おとなしいKSさんは、だんだ んと怖くなって、その場所から離れたいと思った。夜寝られそうな場所を探しに探し、山谷の中心部 から、徐々に離れていった。それは、活気に満ちた山谷の中心部から少しずつフェイドアウトするか のようであった。そして見つけた安住の地が、南千住のとある公園であった。以来、ここにテントを 張る名物ホームレスになる。この公園には他に住みつく人は誰もいなかった。地域の人に嫌われて追 い出されないように、朝は必ず公園内にいたる通り道を掃除した。そのためか、近所の人は反感も嫌 悪感ももたずに同情の目で彼をみていた。山谷地域の外周部に、KSさん流のホームレスのスタイル ができた。 

筆者たちボランティアは、KSさんの話をよく聞き、健康状態や自立のための意向などをきいた。

その結果、就労自立は困難であり、生活保護でアパート暮らしの方向で支援することとなった。1年 後、KSさんは、ボランティアの応援を受けて、とある福祉事務所の相談窓口を訪ねた。以後数年間、

当会から保証人の提供を受けるとともに、デイサービス利用者の枠組みに入るなどの支援を受けなが ら、6年間、生活保護自立の悠々自適の生活を送ることになった。そして、昨年、品川区内のアパー トで亡くなった。最後に看取ったのもボランティアであった。KSさん、享年60余歳という若さで あった。 

 KSさんのように、野宿問題が深刻になるにつれて、野宿の場所を山谷の中心部から周縁部に移し ていく人たちも増えてきた。拡散化、長期化、固定化という流れの中の中に、KSさんも含まれてい るのである。 

 

5 野宿者(路上生活者の)のニーズ把握のための調査   

― 調査はコミュニケーションの一つの方法 

ドキュメント内 二つの公共性と官、そして民 (ページ 127-140)