1 野宿者の不安と危険
(1)都市の緊張
野宿者が増大した背景には全体社会の要因が大きく作用している。社会の矛盾のしわ寄せは一部の 人たちの生活を直撃している。野宿問題がますます深刻となった結果「都市の社会的緊張」という問 題が発生した。これは野宿者と非野宿者との相互の関係から派生し拡張してきた問題である。
この問題は、日常的に接するようになってきた野宿者をみる人びとの見方と関係している。目にし たくないものを見ているという奇異な感情や目障りだという敵意があることに加えて、人びとはそう した事態に対して何もできないという無力感や罪悪感も入り混じる。これは、野宿者が増大し野宿の エリアがむしろボーダーレス化し都市の全域に広がりをみせ、野宿という貧困の形態が野宿していな い一般の多くの人びとにとって顕在化してきたことと関係している。他方で、野宿生活者たちは、不 本意ながらホームレス生活を迎えているという自己矛盾の感情や、人びとから投げかけられる否定的 な視線を経験することで、精神的な打撃を受けることになる。野宿者と非野宿者の双方が抱えるスト レス状態(構造的ストレイン状態)が都市全体の緊張をますます高めていくのである(注1)。
図3−1 野宿者の不安※
74%
53%
0% 10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100%
可動層 固定層
ある ない
※ボランティアサークルふるさとの会「越年調査」(2002年調査)より作成
固定層とは、ブルーシート小屋や固定式のダンボールハウスに起居する人びとのことである。安定 した野宿場所を確保するために、野宿する場所を固定する人びとである。常設型ともいう。可動層と は、棺桶型のダンボールで寝たり、寝袋や毛布に包まって寝る、もしくはそのままごろ寝したりする 人びとのことをいう。野宿の場所に恒常の工作物を設置しないために、一晩ごとに寝場所を変えるこ とも容易なので可動層なのである。この層のことを移動型ともいう。
野宿生活における不安の有無を尋ねたところ、固定層と比べて可動層のほうが、不安を感じる比率 が高いことが分かった。これは固定層の場合、野宿の場所が大規模公園や河川敷の場合が多く、一般 住民の居住地とは、多少なりとも離れたところに起居しているのに対して、可動層の場合、寝場所が 一般住民の居住地と近いことが挙げられる。また、可動層の場合、寝場所を物理的に覆っていないの で、安心して起居することが難しいと考えられる。都市の緊張の度合いが増すことに応じて、可動層 のホームレスを中心に、不安の精神状態は一段と増しているように思われる。見逃してならないのは、
比較的安心して眠れる条件を有する固定層においても、不安の表明は半数に及んでいるということで、
ホームレスの状態そのものがホームレス生活を続ける人びとにとって、不安の重大な要因となってい るのである。
図3−2は、野宿生活に入ったあとの危険経験を示したものである。3割から4割の人が、野宿生 活における危険体験があると回答している。危険を及ぼした加害者は、若者、労働者等、地域の人の 3つに分けられる。目立つのは若者であり、次いで、労働者等である。ホームレスを続ける元労働者 の人びとのうちの一部の粗暴なグループからの被害経験が回答されている。それから、地域住民、そ してその他の中には公務員・警察官という回答もみられた。
図3−2 野宿後の危険経験※
0% 20% 40% 60% 80% 100%
96年調査 97年調査 98年調査 99年調査 2000年調査 2001年調査 2002年調査
危険ない 地域の人 若者 労働者等 その他
※ボランティアサークルふるさとの会「越年調査」(1996年―2002年)より作成
2 都市の緊張、緊張の拡散:新しい都市の問題
(1)野宿エリアの拡散化
1996 2000
23区計 3519 23区計 5677 1 台東区 836 台東区 1314 2 新宿区 613 新宿区 828 3 墨田区 392 墨田区 825 4 千代田区 189 渋谷区 394 5
渋谷区 183 千代田区 233 6 大田区 167 豊島区 229 7 中央区 160 中央区 220 8 豊島区 132 荒川区 165 9 港区 101 江戸川区 164 10 港区 148 11 大田区 143 12 葛飾区 137 13 江東区 129 14 北区 124 15 足立区 120
表3−1 東京23区の野宿者の推移※
※東京都路上生活者概数調査結果から作成
野宿者の増加と連動して現れた現象は、野宿エリアの拡散化である。東京山谷地区の場合、野宿エ
リアは、山谷地区中心部から隅田川河川敷および上野公園へと拡大した。東京新宿地区の場合、高田 馬場寄せ場・ドヤ街から新宿駅西口を中心とする新宿駅周辺、戸山公園、新宿中央公園へと拡大した。
第一の特徴的な流れは、寄せ場から繁華街や大規模公園・河川敷という傾向である。こうした傾向は 大阪市でも、名古屋でも、横浜市や川崎市でも同様である。こうして広範な野宿エリアが形成される。
拡散化はさらに続き、野宿の中心エリアからさらに外縁へと拡大する。東京の2大エリアを例にとる と、台東区・荒川区にまたがる山谷エリア(東京都心東部エリア)は、墨田区・江東区・千代田区へ と拡大する。新宿エリア(東京都心西部エリア)は、渋谷区、豊島区、港区へと拡大する。大阪市も こうした傾向はみられ、大阪市西成区や中心部から大阪府下へと野宿者が増加していく。
拡散化した理由の第一は、寄せ場機能の低下である。都市の代表的な不安定就労層である日雇労働 者は、仕事を求めて寄せ場に集まる。寄せ場とは、日雇就労の労働マーケットであり、日雇労働の求 人―求職活動をとりなす公共職業安定所特別出張所、通称「日雇職安」があり、またその職安に隣接 して発生している手配師による非公式の労働マーケットがある。また寄せ場は、日雇労働者を主な客 として成立している簡易旅館街(簡易宿所街、通称ドヤ街)を含んでいることが多い。日雇労働者の 生活へのしわ寄せが顕著になったことが、ホームレスを顕在化させた第一の社会的要因であるために、
野宿者はこの寄せ場―どや街およびその周辺に顕著に現れた。しかしながら、野宿エリアは徐々に拡 散化していく。この地域の就労機能、つまり寄せ場機能が低下することで、この場所で仕事をえてド ヤに居住するというサイクルが崩れてくる。寄せ場機能の低下が日常化すれば、寄せ場に集まること 自体の意義も低下する。求職活動ならびに就労形態の変容もある。建設日雇よりも本やアルミ缶(か つてはダンボール集め=しかしその交換価値の暴落により変化)などリサイクル業を含む都市雑業と よばれる仕事に移行していく層がみられる。こうした仕事で得られた収入では、安定した軒のある生 活を確保するのに十分ではないので、野宿生活を続けるに当たって少しでも安定的な野宿場所を確保 する方策が必要になる。野宿に堪えるためには、眠れる場所のほか、食料や水の調達、トイレの確保 など生存のための課題を解決しなければならない。かくして野宿エリアの拡散化は進む。 野宿生活 者はまた、一般住民との緊張関係を避けるために、そしてまた野宿生活者同士のトラブルの元となる 過密状態を回避するために、外縁化、拡散化の方向をたどった。
こうしたパターンの典型を東京都新宿区高田馬場職安周辺にみることができる。寄せ場機能の低下 と平行して、元国家公務員宿舎を都心型高級マンションに変貌させるという開発事業が、中曽根首相
(当時)の民活第一号として、着手された。こうして、この寄せ場隣接のエリアで、高級イメージを もって住み始めた新住民によるジェントリフィケーション化が推し進められた。その結果、寄せ場・
ドヤ街は変貌を余儀なくされたのである。かくして、野宿生活者は高田馬場を離れ、都立戸山公園や 新宿区立中央公園などの大規模公園や新宿駅周辺、そして新宿繁華街へと向かった。その中で新宿西 口は、バブル期の西新宿都庁移転により夜間無人化が進み、都心にある公共の無人の「軒空間」が広 がっていったのである。近くには歌舞伎町などの繁華街も控えているのである。
バブル崩壊後は、日雇層とは異なる、寄せ場を経由しない、いわゆる非寄せ場経由型の野宿者が増 えた。こうした層は、日雇労働を経由しない常雇いを最長職(職業経歴の中で当人が最も長く働いて いた仕事内容)とする野宿者である。それゆえ野宿への移行パターンも異なっている。日雇労働者か ら野宿への移行パターンが、ドヤ・飯場での居住から野宿へというパターンではなく、安定居住から ストレートにホームレスというパターンを含んでいる。こうした人びとは寄せ場を野宿の出発点とし ていないので、拡散化したエリアで野宿するようになった。かくして、駅、河川・高速道路下、大規 模公園、公共施設用地などで野宿者が増えるという傾向が出てきた。野宿は寄せ場や貧困地区を中心 に起こるまれな現象ではなく、寄せ場や貧困地区以外でも頻繁に起こりうるごくありふれた現象に なってきた。
野宿者の増大と広がりの傾向を受けて、多くの大都市自治体で、野宿者の生活実態に関する調査が 実施されるようになった。東京都調査については、『東京のホームレス』(東京都福祉局、2001 年)、『平成11年度 路上生活者実態調査』(都市生活研究会、2000年)、大阪市調査につい