第 6 章 リスクの規制からみる圧縮された近代社会
6.2 リスク規制をめぐる科学的知見と社会的合意
6.2.2 リスク社会論における科学的知見と社会的合意への再考
第一の近代である産業社会にせよ、第二の近代であるリスク社会にせよ、ないしは圧縮 された近代社会にせよ、それぞれの時代と社会形態で生じるリスクに関わる行為や決定 は、それぞれの時代の社会的な情勢や状況に依存する。
科学技術の発展、社会状況の変動、歴史的な経験の蓄積、さらに直面しているリスクの 変遷などの要素は、必然的に人間または社会の行為や決定に影響を与える。ゆえに、リス クというものは、単に損害の程度とその発生の確率の積で表現される狭義のリスクに限定 することができない。下山(2007:43)はリスク管理の観点を用いて、「損害の程度とそ の発生の蓋然性の積」で表現される一次的リスクに対して、管理の対象である一次的リス クが不確実の領域へ拡張することで、「危険に対する評価を誤る危険、および危険の制御 を誤る危険」という二次的リスクが常に付随するとしている。
これらの観点に従って、「リスクを回避できるか回避できないか」という判断もまた、
科学的知識のレベルの他に、社会的要請および政治的な力関係により変動するものである
(小川2007:8)。それゆえに、リスクの同定、回避、制御、または克服をめぐる判断や 意思決定に関して、合理性の問題、すなわち、そのリスクに関わる判断や意思決定が、ど のような準拠に基づいて行われるかが、俎上に載せられることとなる。
以下においては、第2章で言及した、ベックにより提出された科学的合理性と社会的合 理性の相互依存と衝突をめぐる論説に従って、科学的知見と一次的リスク、そして社会的 合意と二次的リスクとの関係について整理し、リスクの規制とその特徴を考察可能とする 理論的枠組みを抽出する。
(1)科学的知見と一次的リスク
114 ベックによれば、科学はリスクの原因でもあり、リスクの本質を明らかにする媒体でも あり、また解決の源でもあるとされている(Beck 1986=1998:317)。科学技術によって、
人類は伝統社会から近代社会に移行し、膨大な便益を受け取っている。しかし、それは一 方で、リスクを生み出す可能性を高める。たとえば、自動車の発明によって、人類は生活 に利便性を付加してきたが、その使用によって、交通事故や排出ガスによる大気汚染など、
様々なリスクも同時に生み出している。さらに、科学というものも、歴史的に変動してお り、百年前に科学的だと認識されたことが、今日の視点からは非科学的であるということ がよく起こる(松村2014:86-87)。
このように、変動する科学とその知識に伴い、その科学により生み出されるリスク自体 への評価および対応も変化しており、以前には回避不可能であると認識されたリスクが、
今日の科学と知識に依拠すると回避可能なものとなり得る。また逆に、以前にはリスクで あると認識されなかったものが、現在の社会環境においては、最新の科学的知見によって リスクと判断されるようになり、その脅威が認識されることも多く存在する。
第2章で言及したように、本論で援用しているリスク社会論では、時代、および社会の 変容という観点に沿って、変動しつつある科学的知見を 2 つの発展段階に区別している。
1つは、単純な科学化の段階(=第一の近代)であり、もう1つは、自己内省的な科学化 の段階(=第二の近代)である(Beck 1986=1998:317-318)。
単純な科学化の段階である第一の近代においては、科学は物事を認識するためにあり、
人間を啓蒙することが要求されている。伝統社会から近代社会への巨大な変容に直面する 際に、科学は人間を伝統的な束縛から解放していく。そして産業社会の発展につれて、科 学は生産効率を上昇させるための役割を果たし、多大な富を生み出すようになった。
しかし、科学というものが富を産出する源泉として扱われ、そして富に関わる問題こそ が優先されるべき問題として認識されるため、産業化の推進とともに生じる大気汚染のよ うなリスク問題は、産業化の「副作用」として見なされており、それを科学の視点から捉 える経験は少なかった。
たとえば、産業社会の初期に生じたロンドンスモッグ(4.1.1節参照)は、石炭の燃焼に より生み出されたものである。しかし、蒸気機関の技術革新や、電気の発明などの科学知 識の進歩により、近代的な生産生活が飛躍的に進化し、それに連なる大規模なエネルギー 消費により、近代以降の大気汚染問題は、伝統社会では想像できない規模で深刻化してい た。しかしながら、ロンドンスモッグが発生した第一の近代という時代においては、公害
115 問題としての大気汚染を、どのような方法を用いて規制すればいいのか、また、スモッグ に含まれる汚染物質が人間の健康および生命にとって、いかなる危険性があるのかなどに ついての科学研究は、極めて少ない状態であった。また、ロサンゼルス光化学スモッグ
(4.1.2節参照)においても、汚染の原因が科学的に明確になって初めて、効果的な規制が 実施され、スモッグの制御が可能となった。
学問領域において、汚染が生み出される原因を究明すれば、すなわち、「知らない」また は「因果関係を確定できない」という意味での非知を既知67に転換すれば、被害や損害と いう一次的なリスクは、科学的知見、経験的知識によって、回避できるものへ変化させる ことが可能である。単純な科学化の段階においては、ロンドンスモッグやロサンゼルス光 化学スモッグなどの環境リスクのあり様も、相対的に単純なものであり、これらのリスク に関る科学的研究が着実に行われば、被害を生み出す原因は究明されたはずである。すな わち、第一の近代では、科学が、リスクを克服するための決定的な存在であった。
しかし、産業社会においては、科学や技術が「経済しか見えない単眼構造」(Beck 1986
=1998:94)を持つものだとされており、大気汚染のようなリスクが公害問題という被害 に至るまで、そのリスクに関わる科学研究は推進されておらず、科学的知見に依拠する予 防措置も実施されない状態であった。つまり、第一の近代では、科学は富の生産の方に向 いており、副作用の解決の方向には、なかなか援用されなかったのである。
これまでの論述を通して言えることは、一次的リスクが回避できるか否か、どのような 規制がその被害を制御することが可能なのかを判断するためには、そのリスクを克服する ために、どのような科学的知見が存在するかに依拠しているということである。
(2)社会的合意と二次的リスク
一方で、自己内省的な科学の段階においては、真理の追求や啓蒙という科学の使命は弱 まり、科学技術の進展と応用が生み出した諸問題に関して、科学それ自体が懐疑の対象と なる。この自己内省的な科学の段階では、世の中の出来事の因果関係が容易に究明される ことに困難が生じ始め、逆に学問の領域に残される不確かさが増えるようになる(Beck 1986=1998:318)。
第二の近代におけるリスクとして取り上げた PM2.5(4.1.3 節参照)を例に取れば、科
67 非知とは、リスクに関わる科学的知見が不確かな場合を指しており、既知とは、すべての 因果関係が明確になっている状態を意味する(第2章参照)。
116 学的研究の展開により、それは人間の健康に及ぼす懸念があるとされたが、どのくらいの
PM2.5 を吸入すれば、いかなる健康被害が発生するのかについては、今現在においても、
科学的な結論は定められていない。
科学や知識が急速に専門化される現代社会においては、数多くの研究分野に散らばって いる科学的知見を統合することがますます難しくなる。そして、非知から既知への転換に より、一次的リスクを克服するという戦略の実現に困難が伴うようになる。これがすなわ ち、ベックの主張している、科学の進歩により生み出される「意図せざる帰結」である(Beck
1999=2014:212)。第二の近代においては、科学的知見によって同定できない一次的リス
クを制御するために、科学という範囲を越え、科学外部にある社会的、または行政的な参 与が求められるのである。
ベックの論議においては、科学の進歩により生み出されはするが、科学自体により解釈 しきれないリスクに対して、科学的合理性だけではなく、社会的合理性もそのリスクを克 服するための意思決定に組み入れられることが不可欠であるとされている(Beck 1986=
1998:41;1999=2014:208)。つまり、科学の進歩とともに、非知という領域が拡大さ
れる傾向があり、かつ数多の非知の中で、どの非知が優先的に対処されるべきか、またそ の非知を原因とするリスクにいかに対応するべきかという問題を解決するためには、情報 開示、議論、合意などの、社会的合理性に基づいた総合的な考慮と決断が必要である。す なわち、第二の近代における非知の特定化は、科学的合理性と社会的合理性が合意を見る ところで起こるのである。
実際のリスクの克服に向かう過程は、科学的合理性と社会的合理性を充分に組み合わせ ることにより、リスクが発生する可能性と、その時点の価値観により生じ得る損害を先取 りして決断をすることである。社会的合理性の参与に伴って、決定という行為に連結され ている責任は、リスク管理者から意思決定の参加者へ分散されることになる。それは、リ スク管理者やリスク規制機関にとっては、科学的知見の不確かさを原因として生じる一次 的リスクを回避し、予防し、軽減するなどの手続きを実施することを意味し、被害にさら される個々人は、「自らの営みとは無関係に、外から襲う被害(島村2003:152)」という 危険を、自己の判断によりリスクへ変化させることを意味する。
より民主的で開かれた合意形成の過程を通じて、意見を交換し、多様な価値観からの承 認と確認が成立することによって、科学や政府がリスクを判断し、規制に係わる決定を独 占する状態を改善することが可能となるのである。言い換えれば、社会的合理性の導入に