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中国近代化における圧縮性:近代の原理と制度の「同時的な非同時性」

第 8 章 おわりに

8.3 中国近代化における圧縮性:近代の原理と制度の「同時的な非同時性」

西洋社会が、産業革命以来、少なくとも200年間をかけて経験してきた近代化の過程は、

改革開放以降の中国社会では、わずか40年という短期間に展開された。そのため、現在の 中国においては、「①社会的課題に対して→②近代化の原理に依拠し→③その原理の実行 を確保するための社会制度を整備」という3つの経路の組み合わせが、西洋社会とは全く 異なる様相で成立している。

まず、現在の中国では、社会的課題としての貧困問題が軽減される前に、環境汚染が付 加されており、社会における産業化とリスク化が同時に進行する状況となっている。この ような2つの社会的課題に同時に対応を迫られる中国社会は、特殊な「リスク・トレード オフ」状態に陥っている。つまり、貧困という社会リスクを克服するために、粗放型の経 済成長モデルを実行したが、その「意図せざる帰結」として、大気汚染のような環境リス クが集約的な形で生み出されている。一方で、環境リスクを根本的に改善するためには、

これまでの生産様式を見直すことが必要であり、それを実行すれば、今まで促進また維持 してきた経済発展のスピードが抑制され、経済成長による貧困という社会リスクの削減効 果にブレーキがかかることが懸念される。

次に、PM2.5に代表されるような現代の新しいリスクは、その影響範囲が地域や国家と

いう範囲を超えて世界中に拡大するため、その脅威も国境を越える。このリスクの拡大を 媒介として、科学的そして社会的合理性、自由、平等という近代化の原理もまた、国民国

167 家という境界を越えて中国に伝えられることになる。

リスクを克服するための科学的および社会的合理性などの原理は、グローバル化の進展 とともに中国社会にも浸透している。しかし、経済成長が最優先される中国においては、

合理性という近代化の原理は、「進歩」という名のもと、経済発展にのみ用いられており、

リスクの克服には採用されていない。中国政府は、経済成長により近代化を評価する方針 を堅持しているため、環境リスクに関わる科学的知見を無視し、現実の環境問題対策は後 回しになっているのである。

現代の新しいリスクに対応し、リスク規制機関がますます国際化、多層化している中で、

中国政府主導のリスク規制策は、国民国家としての社会制度により実施されるため、ある 汚染を規制するか否か、どのような対応策を打ち出すかという判断は、政府の意思決定に 依拠している。PM2.5への規制策の設定過程には、法律上、社会的議論や一般住民による 参与が規定されてはいるが、現実には実施されていない。つまり、現行中国の社会制度で は、科学的合理性に依拠しつつ、社会的合理性の要請も反映するリスクの克服方法が、ま だ十分には確立されていないのである。これは本論で取り上げた中国社会におけるPM2.5 に対する認識過程やAPECブルーなどの事例に示されたように、グローバルなリスク規制 制度と、中国政府が主導するローカルな対応が一致していないことからも見て取れる。

他方で、改革開放以降、経済そして社会体制が著しく変化し、市場原理の導入と、国家 が主導する政策の転換により、個人は、計画経済体制下で作られた社会主義的な身分から 解放された。経済成長の目標をいち早く達成するために、個人の移動や就労の自由を厳し く制限する戸籍制度は緩和されたが、都市と農村を分離して人口を管理するという政府の 基本方針は、変わらず現在まで継続している。その結果、計画経済体制から解放された個 人は、都市住民と農民に分けられ、ぞれぞれに、全く異なる社会福祉制度に組み込まれる こととなった。つまり、富の創出を支えるための社会制度は構築されているが、富を平等 に分配するための社会制度がまだ確立されていない。その結果、農民工のような、社会福 祉制度に包摂されず、第一の近代の社会構成員として完全に認められない個々人が、現代 の新しいリスクに遭遇する際には、「自己責任」でその被害と損失を受け取り、伝統的な社 会関係からの援助を求めるしかない。

以上の論説を総括し、本論では、改革開放以降の中国の近代化における「圧縮性」は、

すなわち、非同時的であるはずの近代の原理と制度が、同時に組み合わされる現象である と主張するものである。すなわち、現在の中国社会においては、著しく変化した経済・社

168 会の現状と、社会通念や価値観、そして西洋とは異なる政治体制や社会制度が同時に並存 しているのである。

西洋の第一の近代においては、科学的合理性が富の創出に援用されてきた。同時に、権 利の平等という近代化の原理のもとに、富の分配に関する平等を確保するために、社会福 祉制度を含む、国民国家を単位とする社会制度が確立されてきた。しかし、改革開放以降 の中国においては、富の創出のために科学合理性を用いているが、その一方で、貧困とい う社会課題を克服するための社会福祉制度の整備が滞っている。同時に、PM2.5のような 新しいリスクが出現している状況において、中国政府によるリスク規制制度が、国民の社 会的合理性の制限と、第二の近代におけるリスクの国際的規制のもとで空洞化している。

また、西洋の第二の近代では、「現代の新しいリスク」は、最先端の科学技術により創出 されたものであり、それは科学知による予測や解決が困難であるため、産業社会で成立し た社会保障や保険などの社会制度により対応される範囲をも逸脱しがちである。このよう なリスクを制御し克服するために、社会的合理性に則った意思決定が導入されると同時に、

自由や平等という近代化の原理が貫徹されることに従って、遭遇するリスクを「自己責任」

で対応することが個人に要求されている。しかし、現在の中国では、グローバル化ととも に、西洋で貫徹されてきた自由や平等などの価値観が認識されているにも関わらず、それ を確保するための社会制度がまだ確立されていない。個々人が遭遇する労災や貧困という 産業社会におけるリスクでさえ、現行の中国の社会制度に依拠して克服することが困難で あるのに、現代の新しいリスクに自己責任で対処することを強いられている。すなわち、

改革開放以降の中国では、現代の新しいリスクに対し、第一の近代の原理である科学合理 性が採用されることも、第二の近代の原理である社会合理性が導入されることもなく、第 二の近代の原理としての自己責任のみが強制される形となっており、農民工階層において は農村の家族・血縁などの伝統的な中間集団に押し戻される形となっている。言い換えれ ば、第一の近代の社会制度および第二の近代の社会制度の両方が不充分である中で、自己 責任という第二の近代の原理だけが強制されており、改革開放以降に形成された農民工階 層は、伝統社会的な制度に頼ることしかできないという、本来、非同時であるはずの近代 の原理と近代以前の制度の組み合せが出現する構図となったのである。

近代の原理と制度の同時性が、このようなねじれた形で、本来的ではない組み合わせで 出現することこそが、現代中国の問題とその解決を困難なものにする、中国近代化におけ る圧縮性なのである。

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