第 5 章 改革開放以降の中国社会と社会制度
5.1 改革開放と社会構造の転換
5.1.3 遅延している社会制度の改革
前節では、改革開放以降の中国における経済体制改革を概観するために、農村部、都市 部、市場、および対外関係と国際貿易の、4つの視点を設けて整理を行なった。
第1段階 第2段階 第3段階 第4段階
90 前述したように、1978年以降、中国政府は、経済改革を先行させた。しかし、新しい経 済体制に対応できるような社会制度の改革は、相対的に遅延している傾向がある。そもそ も社会制度とは、大辞林[第3版]によれば、「その社会を形成し維持している仕組み、ま た、その社会で支持される行為様式が法・習慣として定型化されてもの」とされている(松 村[編]2006:1154)。つまりそれは、個人の生活様式や生き方に関連する婚姻制度、労 働者に適応される雇用制度と保険制度、および国家における政治形態や統治形式を規定す る政治制度などを指すと考えられる。本節においては、改革開放以降の中国における社会 制度の改革と、それにより生じる社会変遷の行方を捉えるために、本論の目的の達成と最 も深く関わる、中国の戸籍制度、雇用制度、および社会保障制度を取り上げて検討を行う。
(1)戸籍制度
中国の社会制度の基礎を成すものは、その戸籍制度である。それは農村に関しては、農 村人口の都市部への流動を制限し、都市住民への優遇・既得権益の保障を目的とするもの である。本節では、中国における戸籍制度と、改革開放以降のその改革を中心に整理する。
建国初期の中国における戸籍管理制度の実施は、人口数の変化や地域内における人口の 移動状況を把握することが、その主たる目的であった(張2010:53)。1949年から1957 年にかけて、農村における極端な貧困を逃れるため、都市に移り住む農民が増加するとい う現象が起こった。この突然の都市部への人口流入を規制するため、政府は人口流動を制 限する政策に踏み切った(張2010:53)。
1957年に「農村人口の盲目的流出の制限に関する指示」が公布され、都市への食糧、食 品の供給制度が戸籍制度と関連づけられるようになった。この規制規定は、都市で就労し ている農民にとって、都市における食糧の入手と長期的な滞在を困難にするものであった。
加えて、翌 1958 年に公布された「戸籍登録管理条例」では、農村と都市の分離を意図し た、「二元分割」という戸籍管理体制が正式に導入され、農民の都市への流入がより厳しく 制限された。
戸籍制度を導入した元来の目的は、人口の流動を制限し、農民を農地に定着させ、農業 の安定化を図ることにより、都市の産業化を支援することにあったとされている(柯2014: 173)。つまり、それは、政府が人為的に農産物の価格を抑制し、農民の利益を一部犠牲に して都市への食料配給を維持し、都市住民の生活安定を図ることを意味していた。
しかしながら、中国の全ての社会福祉制度はこの戸籍制度を基盤としているため、人口
91 移動に関する不平等だけでなく、食糧供給制度、教育制度、雇用制度、医療制度、住宅分 配制度などにおいても格差が生み出され、都市と農村という二元社会の構造が形成される こととなった。加えて、この人口管理手段として実施された戸籍制度は、農村を都市の下 に位置づけており、農民と都市住民にとっては、実質的な身分制度としての機能を果たし たと評価されている(三浦2006:68)。
改革開放後、特に1984年からの沿海部14都市の開放に伴い、都市部では、労働力の需 要が拡大したため、戸籍管理制度は緩和され、農民の都市への流入制限も緩められた。政 府は 1984 年、都市部において工業、商業、サービス業を営み、収入と住所が安定してい る農民およびその家族に対し、「食糧自弁戸籍」の申請を許可した。これにより、1958年 から厳しく制限されてきた農民の都市への流入が、制度上初めて許可されたが、食糧自弁 戸籍は、完全な都市戸籍ではなく、各種の条件が付けられていた(張2010:55)。つまり、
農民が都市での生活を確保するためには、自らの食糧を確保しなければならなかったが、
一方で、都市での雇用、医療、年金、住居、教育に対する社会福祉を受けることは、一切 許可されなかった。
人口の流動制限が緩和されると同時に、都市部に流入する農民を管理するための制度と 規定が打ち出された。まず1984年に、北京市政府は「居民身分証明書制度」を開始した。
世帯を単位とする戸籍制度に対して、居民身分証明書制度は、個人を単位とする人口の管 理制度であり、16歳以上の国民が、写真、個人番号付きの身分証明書を申請することが義 務付けられる。公的サービスを受ける場合だけでなく、高速鉄道や飛行機などの交通手段 を利用する場合、ホテルに宿泊する場合に、この身分証明書を提示しなければならないと 規定されている。この制度は、その後急速に全国に波及した(張2010:50)。また、中国 政府は、1985年以降に移住した農民を対象に、16歳以上で都市に3ヶ月以上に滞在する 場合は、移住先の都市政府(地方政府)に「暫住証明書」を申請することを定めた。
このような一連の規定の実施からは、次のような実態が明らかになる。第1に、制度上 においては、人口の流動規制が緩和されているが、実質的には、都市部に流入した農民に 対する管理と規制は完全には解除されていないことである。第2に、都市部に流入する農 民に対して、戸籍上の世帯を単位とする管理システムから、労働者、または個人を単位と する管理システムに変更がなされている。第3に、人口移動についての、中央政府により 統一された管理の補足として、農村人口の流入を受け入れた都市部の地方政府による「属 地管理」が導入されるようになったことである。
92 1992年から、改革開放がさらに推進されたことにより、農村労働力は大規模に都市へ転 入し、第1次産業である農業から、第2次、第3次産業に従事するようになる。さらに、
2000年以降、農村から都市への出稼ぎ人口は、高度経済成長を維持するための低賃金労働 力の需要を担って、年間約700万人という高い割合で増加するようになった(楊2011:151)。
このような労働市場と人口流動の現状に応じて、1990年代以降、戸籍制度に関する一連 の調整が行われていた。それらは、1997 年の「小都市戸籍管理制度の改革に関する試行 案」、「農村における戸籍管理制度の改善に関する意見(通達)」、1998年に公布された「戸 籍管理事業で現れる問題点に対する意見(通達)」、さらに2001年の「小都市・鎮(町)に おける戸籍管理制度改革の推進に関する意見(通達)」などである(張2010:56–57)。
国民の移動を制限するための戸籍制度は、現在でも完全には廃止されていないが、1990 年代以降に行われた戸籍制度をめぐる議論と調整により、条件を満たす一部の農民は、都 市戸籍を獲得することが可能となった。その条件は、農民子弟が軍役に就き除隊後に都市 で就職する、また、農民子弟が大学卒業後、都市に就職することである。加えて、農民で 起業している者で、都市部に安定した住所(不動産の所有)がある場合は、金銭で都市戸 籍を購入することが可能となった(柯2014:173)。ただし、農村戸籍から都市戸籍への変 更において、その移入人口の受け皿としては、北京や上海のような大都市ではなく、農村 に近隣する中、小都市しか許可されていないのが現状である(張2010:58)。
このような戸籍変更を許可する例外的な条件は、一般の農民にはどれも実現困難なもの であり、現実に農村から都市へ戸籍変更した出稼ぎ労働者は、全体のわずか 1.7%しか存 在しない(国務院研究課題組2009:17)。中国では、雇用制度および社会保障制度が戸籍 管理制度の下で成立しているため、都市戸籍が獲得できない農民が都市へ流入しようとす る時、正規雇用契約の締結や社会保障の受給において、大きな障害に直面することとなる。
この点については、第7章において、再度詳しく論述する。
(2)雇用制度
これまで述べてきたように、中国では、改革開放という大転換により、計画経済体制に 市場経済体制が導入され、改革前には存在しなかった労働市場が形成され、労働市場の形 成に伴って、雇用関係および雇用制度に急激な変化が起こっている。言うまでもなく、中 国は世界一の人口大国である。巨大な人口に対する雇用制度の改革と、それとともに生じ る失業問題、社会保障と福祉システムの再構築問題などは、いずれも大きな社会的課題と
93 なっている。
前述した通り、改革開放以前の中国政府は、厳しい戸籍制度の実施により労働力を都市 と農村に分離し、農民の都市部への流入、就労、生活を禁止していた。それに対して、都 市部においては、企業の所有権を国家と労働組合が掌握しており、都市部の企業に就労す る労働者は都市戸籍を所有していた。すなわち、改革開放前の雇用関係は、国家と都市部 の労働者の間に生じる契約関係であり、雇用制度は、都市部の企業に就労する労働者にの み適応される制度であったため、農民は雇用制度から排除される存在であった。
計画経済体制下における、都市部の労働者の雇用制度と政策について、羅(2012:112)
は、次の4点を挙げている。第1に、国有企業の従業員の採用と配属は、政府が策定した 計画に基づいて実施されたこと、第2に、企業内では終身雇用制が採用されていたである。
第3には、国有企業に勤務する労働者の賃金水準は、国家により策定された計画により統 一管理されており、第4に、企業に勤める労働者に対する医療や年金など全ての福祉厚生 は、企業により提供された、ということである。
5.1.2節の都市部における企業の経済改革で言及したように、都市部の労働者にとって、
改革開放前の国営企業または集団所有制企業は、「生産単位(労働の場)」、「生活単位(生 活の場)」、「行政単位(役所)」という3つの機能を併せ持っていた。劉(2012:68)が指 摘したように、労働者が企業と雇用関係を締結する場合、企業は、賃金を提供するだけで はなく、住宅も提供しなければならない。そして労働者の生活を維持し福祉を充実させる ために、企業は、食堂、商店、美容室、浴場、文化施設、幼稚園などを設け、経営規模が 大きく就労者人数の多い大企業は、さらに農場、付属病院、小学校から高校などまで完備 していた。計画経済体制の下では、社会保障と福祉厚生に関しての雇用者と労働者の役割 分担には極端な差が存在していた。雇用者である国家は、労災の他に、生活保障、老後保 障などを含む全ての社会保障の責任を担っており、それに対して、労働者が負担すべき義 務は全く存在せず、一部の保険料を個人で負担するなどのこともなかった。
このような計画経済体制の下で形成された、雇用関係と社会保障を一体化する制度は、
企業の運営にとって大きな負担であり、それは、加速した人口成長によって倍増すること になった。この問題の対応策として、中国政府は改革開放を機に、1978年から人口抑制政 策を制度化し、「一人っ子政策」の実施に踏み切った。さらに、都市部における企業をめぐ る改革や、市場経済体制導入の影響として、上で述べた「生産単位」、「生活単位」、「行政 単位」に代表されるような「単位」による計画経済的な雇用制度も解体されつつある。