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超国家史型グローバルヒストリー教育の授業モデル

-「人権問題」の教育内容開発-

第1節 授業構成の論理

1.ガルトゥングの構造的暴力論に基づいた人権問題の類型化

「人権は歴史として初めて理解される」154)とドイツの法学者

G.イェリネック(Georg Jellinek)は述べているが,ここでは,人権の歴史的展開を超国家史的な視点から考察す

るために,ガルトゥングの理論を援用し,「人権問題」の理論を組み立て,授業化する。

超国家史型グローバルヒストリーの実践には,第

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章第

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節で指摘したように,人類が未 来に向けて抱える課題の解決をテーマにした単元が有効であると考えるからである。

ガルトゥングの暴力論において,「直接的暴力」とは,行為主体が存在し,意図的であ り,顕在的な暴力である。これらの暴力によってなされる人権侵害は主に「自由権」の侵 害であろう。なぜならば,「自由権」とは抑圧するものに対して,直接的にその排除をめ ざすものだからである。また,「構造的暴力」は行為主体が曖昧で,無意識的で,潜在的 な暴力である。これらの暴力によってなされる人権侵害は主に「社会権」の問題であろう。

「社会権」の侵害とは,各人の「自由権」にもとづく自由な行動が他を害しようという意 識がなくても社会のシステムの中で結果的に他者を害している場合だからである。そこに は,暴力の行使の意識はない。各人は,自己の利益を追求して行動するのみである。従っ て,そのようなシステムによって生じた不平等には,これまで政府がその機能として,富 む国民から貧しい国民へ富の再配分をおこなうことで対応してきた。

また,近代から現代へと推移するなかで人権問題は,国内問題から国際問題 155)に拡が った。「直接的暴力」を国際的にとらえれば,国際的な規模の「自由権」の侵害となり,

いわゆる侵略・威嚇・内政干渉等の問題として,まさに「平和」に関する問題となる。ま た,「構造的暴力」を国際的にとらえれば,国際的な規模の「社会権」の問題となり,地 球全体のシステムの中で生じている環境問題や南北問題に対する「環境権」「発展開発権」

としてとらえられる。これらの問題は,各国の各人の意識に直接のぼることなしに,日々 の生活・活動を通じて構造的に発生する問題であり,まさにシステム的なものである。

このように,ガルトゥングの分類に従い,暴力を,まず,その行為の主体に関して,「直 接的暴力」と「構造的暴力」に分類する。また,ガルトゥングも中心的な立場として活動

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-【表9-1:“暴力”類型化】

【図9-1:“暴力”類型化による人権の歴史的展開】

しているWOMPでも,国民国家システムの限界という課題認識に対して,それを超越す る視点を重視していた 156)。この課題意識を活かし,暴力を「国内的暴力」と「国際的暴 力」に分類する。

その結果,暴力は,表9-1に示すように「直接的国内型」「構造的国内型」「直接的 国際型」「構造的国際型」の四つに類型化される。そして,この四つの類型をもとに,人 権の歴史は図9-1のように変遷したといえる。

つまり,

A「直接的国内型」暴力から「構造的国内型」暴力に対する人権へ

(=「自由権」から「社会権」へ)

B「直接的国内型」暴力から「直接的国際型」暴力に対する人権へ

(=「自由権」から「国際平和の問題」へ)

C「構造的国内型」暴力から「構造的国際型」暴力に対する人権へ

(=「社会権」から「環境権」や「発展開発権」等へ)

D「直接的国際型」暴力から「構造的国際型」暴力に対する人権へ

(=「国際平和の問題」から「環境権」や「発展開発権」等へ)

と変遷したのである。このように,暴力概念の拡大によって,人権の範疇は歴史的に拡大 する。そして,人権の歴史は,その拡大する暴力に対しての現在も継続中の克服への試み の歴史としてとらえられる。

また,最近になって,「自由権」的諸権利を「第1世代の人権」,「社会権」的諸権利を

「第2世代の人権」,そして「構造的国際型」暴力に対する「環境権」や「発展開発権」

等の諸権利を「第3世代の人権」と呼ぶようになってきた 157)。これは,人権意識が歴史 的な展開を示すことを表現したものであり,同時に「第3世代の人権」に対する問題意識 の高まりを表現したものである。つまり,「構造的国際型」暴力の問題は現代社会が未来 に向けて抱える課題であるという意識の高まりを表現しているのである。

2.類型に基づく人権問題の歴史的展開 (1)「直接的国内型」暴力

「直接的国内型」暴力は,「直接的暴力」が国内の範囲で行使されるものである。近年 問題となっているものを挙げても「南アフリカのアパルトヘイト」や「1989 年の中国天 安門事件」,「モーリタニアの奴隷制」,「イスラエルのパレスチナ人弾圧」など,限りが ない。これらは,「精神の自由」「身体の自由」「経済活動の自由」といった「自由権」を 侵すものであり,実際,この「直接的国内型」暴力に対しては「自由権」の保障が主張さ れている。

この「自由権」は,歴史的には,ヨーロッパの絶対主義時代に君主の「直接的国内型」

暴力に対抗する論理として

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世紀の「市民革命」を通じて獲得されたものである。

また,理念的には「人の支配」から「法の支配」の要求,および自然法思想を背景にした ロックやルソーの社会契約説の主張により正当化された権利であり,人権の出発点ともい える権利である。この「自由権」は,国家権力等の違法・不当な介入を排除し,各人の自 由を保障するものであり,「国家からの自由」を意味している。

(2)「構造的国内型」暴力

「構造的国内型」暴力は「構造的暴力」が国内の範囲で存在しているものであり,近年 問題となっているものとしては,「アメリカのホームレス問題」などに見られる失業・貧 困問題,または貧富の差の拡大が挙げられる。これらは,「労働権」「生存権」といった

「社会権」を侵すものであり,実際,この「構造的国内型」暴力に対しては「社会権」の 保障が主張されている。

「自由権」の保障後,夜警国家の役割しか果たさない政府の下で,資本家は「経済活動 の自由」を追求した。その結果,経済恐慌・劣悪な労働条件・失業・貧困などを招いた。

そのため

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世紀になって,「参政権」の主張と共に,国家による国民生活の社会的・経済 的保障が「社会権」として要求されるようになった。この「社会権」は「国家による自由」

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-を意味しており,福祉国家としての政府のあり方を求めるものであった。つまり,政府を 通じての富む者から貧しい者への富の再配分による人権の保障を求めたものであった。

この「社会権」の要求に対し,資本家は強硬に拒否の姿勢を見せた。しかし,労働運動 の高まりやロシア革命によるソビエト連邦の成立を背景にして,資本家は,階級闘争と社 会主義革命をいかにして回避し,労働者を体制内化するかという対応を迫られるようにな った。このような状況の中で「社会権」は実現されるようになったのである。

(3)「直接的国際型」暴力

「直接的国際型」暴力は「直接的暴力」が国際的な範囲で行使されるものであり,近年 問題になっているものとして,「湾岸戦争」や「イラク戦争」などに顕れる侵略・威嚇・

内政干渉等の問題であり,まさに「平和」に関する問題である。これらは,「身体の自由」

「精神の自由」「経済の自由」といった「自由権」が他国から侵されることを意味してい る。

この侵略・威嚇・内政干渉等の問題は古くから存在した。しかし,まさに

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世紀に入 ると,それは地球規模の問題となった。2度にわたる世界大戦,および,列強の植民地政 策やドイツのナチス,ソビエト連邦のスターリン,日本の軍国主義による「直接的国際型」

暴力の問題が

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世紀になると続出した。

同時に,これらの問題の解決のために,様々な試行錯誤をし続けてきたのが

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世紀で もある。実際,これらの問題に取り組むにあたっては,従来の国民国家のあり方では限界 がある。人権も,従来は国内法の範囲で認められてきたものであって,自国民にしか適用 されない。しかし,地球的な人権問題が深刻化するにつれて超国家的に人権を保障するべ きだとする要請が生まれてくる。その結果,国際法による人権保障が求められるようにな る。現在では,国際連合を通じて国際的な平和の維持と人権の保障がめざされている。ま さに「平和」に関する問題は,現代の問題として,人類がその解決のために取り組んでい る最中の人権問題といえる。

(4)「構造的国際型」暴力

「構造的国際型」暴力は「構造的暴力」が国際的な範囲で行使されるものであり,近年 問題になっているものとして,「アフリカの飢餓」「途上国のスラムの拡大」など,さま ざまなものが挙げられる。これらは,「生存権」「労働権」といった「社会権」が,国際 社会のなかで構造的に侵される問題として意識されつつある。そして,第3世界・途上国 から環境問題や南北問題の解消のために「環境権」や「発展開発権」の保障が要求されて