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豊前神楽の系譜と改変

第3章  神楽と鬼− 神仏習合の展開

第2節  豊前神楽の系譜と改変

1.豊前神楽のエージェンシー

 エージェンシー(agency)とは、通常は代理機関あるいは代理店などと訳される経済・経営用語 であるが、宗教人類学者タラル・アサドによって宗教研究に応用され、何か不明な概念をめぐる全体 的関係性を表す用語として用いられた。彼の著書『世俗の形成』(2003)は、近代社会に確固とした 地歩を築く「世俗及び世俗主義」のエージェンシーを探求したものであるが、代理関係の全体を一挙 に解明する/できるわけではなく、例えば「痛み」や「拷問」の否定などそれを構成する個々のテー マを対象に、行為主体(agent)の背後に構築される代理関係の全体性に迫るものであった。

 さて、現在、全国的に流布し執行されている神楽のエージェンシーというものがあるとすれば、神 楽とは「神慮を慰めるために」「民衆」によって「神社」に「奉納」される「民俗芸能」であり、そ の衣装や所作に日本人の「固有信仰(民俗宗教)の残滓がみられるということになろう。福岡県東部 から大分県にかけて分布する約百ヶ所の豊前神楽において、もしこのエージェンシーを抱いたまま参 加すると、見学者はかなりな違和感に包まれることになる。そこでは、観客として参加する民衆の最 初の行為は、まるで食堂のメニューのように掲げられた演目の料金表を前にどれかの演目を「買う」

ことである。買うと半紙に演目と自分の名前を書いてもらい、やがてその半紙は舞台の周囲に掲示さ れ、その前で舞手によってその演目が執行されるのである。この料金表は、今日では「奉納料」と書 かれてはいるが、所謂奉納とはその性格を異にしている。自分の財布と相談しながら演目を選択する この行為の背景にうっすらとではあるが、その祈願目的が見え隠れしている。今日でも、少々値は張 るが病気全快を願って湯立神楽(湯み さ き駈仙)を奉納(購入)する人もいる。近世期の史料に目を向けれ ば、神楽とその祈願目的との関係は一層明白である。大村神楽の母体である大富神社(近世期は宗像 八幡宮)の近世初期の神楽執行記録を見ると以下の通りである( 1 )

「元和六年庚申年(1620)細川越中守忠興公御領中 虫止五穀成就ノ御祈

4 4 4 4 4 4 4 4 4

4

トシテ綱切神楽奉納

4 4 4 4 4 4 4 4 4

アリ

4 4

 其後度々綱切執行 古例ニ依リ各郡社家出勤ナリ  ・・・・

 寛永八年(1631)細川越中守忠興公ヨリ五穀成就岩戸神楽祓執行御祈禱

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

トシテ米八石八斗ヲ 下附セラル・・・」(西暦・傍点は筆者)

 ここに見られる「綱切神楽」は現在、豊後では存在するが豊前では消滅している。だが、その他 の執行記録でも「文化九年(1812)・・・家堅御祈禱湯立神楽執行[貴船神社(永久)]、・・・四民 安全之神楽祓・・・[春日神社(三毛門( 2 ))]」 など、神楽が風雨順調・五穀豊穣・四民安全・疾病平癒、

さらに虫除けや家固めなどの特定の祈願目的をもった祈禱として行われてきたことは明らかである( 3 )。  さて、ここに見られるエージェンシー(代理=表象関係)に最も類似するものとは何か。おそらく、

現在でも広く行われている密教寺院における加持祈禱であろう。加持祈禱とは「崇拝対象に向かって その印契を結び、その真言をとなえて崇拝対象の境地に入った上で、願事の達成を祈る儀礼( 4 )」である。

何らかの祈願目的をもった祈願者は、寺院の受付で目的別の用紙に住所・氏名・年齢などを記入し、

布施(料金)を支払う。やがて本尊の前で僧 侶は印契や真言の誦唱や誦経を通じて本尊と 一体化し、祈願文を読み上げてその達成を祈 るのである。加持祈禱のエージェンシーにお いては、中核となる関係様式は、願主 ‐ 施 主関係である。在家、即ち在俗の信者が「願 主」となり、修法に通じ、修行を積んだ僧侶 が「施主」となる。修行とは縁がない在家信 者でも、彼らの代わりに出家した行者の修法 を通じて仏の慈悲に与れるとした、仏教伝来 以来我が国に定着した大乗仏教の根本形式に 通じている。もし、豊前神楽を、民俗芸能で はなく、この加持祈禱のエージェンシーに沿って見ていくならば、一見奇異に見える「神楽を買う」

行為もすんなりと視野に収まってくる。つまり、奉納料を納めることで観客は当該演目の「願主」と なる。そして神楽の舞手、地元で「法者どん」と呼ばれる社家集団が「施主」に当たるのである( 5 )。ま た、演目と祈願目的との関係では、病平癒と「湯立」、虫除けと「綱切」は、先述したが、風雨順調 と「地割(筑前地方では五行)」、そして火除けや安産、その他諸種の心願成就と「駈仙」との関係も おぼろげながら認められるのである。しかしながら、神楽を厳密な意味で加持祈禱と位置づけるなら、

そこにはより直接の関係がなくてはならない。特に、加持は本来密教的な修法を指す用語であり、印 契や真言などの要素が必須となる( 6 )。こうした点を踏まえて、豊前神楽の系譜を探っていきたい。

2.豊前神楽の系譜 – 加持祈禱

 今回の調査で、神楽に関係する最古の文書としては、大富神社に関わる社家である長谷川家から、

慶長八年(1603)の印信切紙が発見され、川本英紀氏によって既に整理されている( 7 )。ここではその 内容に関して考察してみたい。

 「神道神楽大事」

  朱 神楽大事    金剛合掌シテ

 

 

 

 

 

 

、八人ノ八乙女、五人ノ神楽男、

 

字法身ノ神ノ子ニ、 

字報身ノチワヤヲキセ、 

字応身ノ鈴ヲ持セ、

 大ノ三伝、小ノ三伝  

Χ

 

 

 

   歌ニ曰ク

 チワヤ□ル神ノ神楽ノスゝノヲト、成□ヒサシキ心ロナリケリ  唵縛日羅ケンタトシヤコ

    伯掌

写真1.神楽を買う(友枝神楽)

 唵縛日羅ホキシヤホク 三反        朱  慶長八年壬卯二月吉日久作立        朱 行光坊伝之

 以上が原文の内容である。朱は、梵字

(ア)の朱印が押された箇所である。川本が指摘してい るように、慶長八年は正しくは癸卯であり、前年の十干と取り違えたのかもしれない。まず、金剛合 掌(両手指の先端を交差させた合掌)してア・キリク・ウンそしてキリク・ア・ウンと唱える。ア字 は「法身」(宇宙の真理、即ち仏性)、ウン字は「報身」(その属性、修行して成仏する姿)、キリク字 は「応身」(この世における悟りの姿)を表しており、法報応の三身を合一させることが天台本覚思 想にも通じる教義の根幹であることである( 8 )。ここで注目できるのは、法身が舞手の存在(精神と身体

=神の子)、報身がその衣装(  チハヤ)、そして応身が舞手が持つ鈴に擬えられている点である。

そしてその前段で神楽の主体を「八人の八乙女、五人の神楽男」としている点である。八乙女(巫 女)や神楽男(サオとも呼ばれる)が主体となる神楽が里神楽の最古の形態であったことは、石塚が 既に指摘している所である( 9 )。あるいはここでア字に例えられている「神の子」とは、厳密には巫女=

八乙女を指すのかもしれない。しかしながら仏教における女人禁制の圧力は極めて強く、やがて巫女 は神楽から姿を消すのである(10)

 次の行、大小の三伝とは、法報応の説明であり、次行のボロン・ウン・ソワ・カの真言は、

Χ

(ボ

ロン)、即ち一字金輪の境地を表すものである。法報応の三身即一の境地であり、舞手の身体と衣装、

そして鈴を一体と観想することで即身成仏の達成を図るのである。その境地を歌で表せば「ちはやふ る神の神楽の鈴の音 成るぞ久しき心なりけり」となる。上段では、神の枕詞に掛けて血(チハヤ)

と鈴の音を対応させ、舞手がちはやを着て鈴を振り踊る様を示し、下段ではそれによって得られる法 報応の三身合一の境地を描いている。次の唵縛日羅(オンバサラ)は、川本によれば、ゲンダトシャ コクが正しく、「振鈴の真言」である(11)。その後、伯掌(拍掌の印契)して、「唵縛日羅ホキシヤホク」

の真言を三回唱える。現行の密教的加持祈禱の正式な修法は、荘厳行者法(護身法)・結界法・荘厳 道場法・勧請法・結護法を経て供養法に至るのだが、供養法の最後に、撥遣の真言として「オン・バ ザラ・ボキシャ・ボク」が唱えられる(12)。撥はつけん遣とは、開眼(魂入れ)に対する魂抜きである。故に、神 楽を通じて即身成仏した舞手を再度俗化させるために撥遣の真言が唱えられたのであろう。

 総じてこの切紙の内容は、両部神道(13)における一般的な神楽の意味づけを表したものである。教義的 には、法身・報身・応身の三身説に基づいて、三身即一の教理を神楽に観想したものである。前節で 述べた真言や印契を通して本尊との一体化を図る加持祈禱の要素を備えたものである。この場合の本 尊とは、文中、三箇所に押された

字朱印、即ち胎蔵界大日如来であろう。

 さて、この切紙を伝えたのが「行光坊」であることは、文書の最後に記されているが、彼が何処の 寺社組織に拠る宗教者であったかが重要である。川本によれば、行光坊という名は、求菩提山にも見 えるし、松まつのう尾山にも見えるとのことである。豊前神楽が、中世期、広義の豊前地方に依拠した彦山六 峰、あるいは豊前六峰と称された彦山(霊仙寺)を中心に、それを取り囲む六つの山岳寺社勢力に 大きな影響を受けたであろうことは容易に推察できる(14)。北から、福智山(金光明寺)、普智山(等覚 寺)、蔵持山(宝船寺)、求菩提山(護国寺)、松尾山(医王寺)、檜原山(正平寺)であるが、これら 六寺社は彦山の影響を受けつつも、各々独立性を保って一山組織を維持してきた。当然ながら近隣の