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第 4 章 認知科学とヴァレラの神経現象学

第 7 節 認知科学の方法論

ヴァレラは、意識の科学的な研究のさいに、神経現象学という「方法」を用いるべきで あると考えている。ヴァレラの言う神経現象学とは、意識に対する科学的な外面的説明(認 知科学)と人間的経験の一人称的説明(現象学)の相互補足関係によって答えようとする 方法論であり、また、現代の認知科学を人間的な経験へ結びつける探究姿勢の表示でもあ る。この方法論を、ヴァレラは、チャーマーズの「意識のハード・プロブレム」という課 題226に対する「救済策」となるべく提唱したものである、と述べている227。このことにつ いてわれわれは、ヴァレラの神経現象学的な研究の柱となる幾つかの重要なアプローチを 理解するために、まず本節において、認知科学の基本的な研究方針を確認する。まずは、

1)計算主義(computationalism)と結合主義(connectionism)という、脳神経科学の基 本的な研究方針がある。これらは、脳生理学的な研究と共に、脳神経系の活動をモデル化 するという方法で、意識現象の解明を試みている。次に、2)「アフォーダンス(affordance)」 という、生態心理学からのアプローチを考察する。このアプローチは、生物と環境の関わ り合いの中で、とくに環境の側から、生物の行動がいかに導かれるのか、という研究であ る。そして、3)それら二つの研究の中道を行くような、新たな認知科学の研究方針とし て、「イナクション(enaction)」というアプローチを考察する。このアプローチは、まさ にヴァレラが提唱しており、脳神経系と環境の双方に対する、言わば媒体としての「身体」

に重きを置いて、それら全体が関連する大きなシステムとして研究するものである。最後

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に、4)このようなイナクションの観点から導き出される、神経系、環境、身体運動とい うそれぞれのシステムの連動は、「カップリング(coupling)」という力学的な原理から理 解される。そのようなシステム間のカップリングは、その接合が成ったさいには、新たな システムを創発すると言われるのだが、このことが、意識を新たなシステムの生成として 見出し得る可能性を提示する。われわれは、以上のような認知科学の基本的な方法論や認 知観を確認し、神経現象学自体の考察の導入とする。

1)計算主義と結合主義

意識のハード・プロブレムという問は、物質(神経細胞)の電気的・化学的反応の集合 体である脳神経系から、どのようにして「意識」が生じ..

るのか...

、というものである。この 問における主な課題は、「物理的な刺激である電気信号と感覚質の関係」、そして「特定の 感覚質から様々な表象が生じる仕組み」の解明にある。とくに後者の課題は、茂木健一郎 によれば、「ノーベル賞100 個分位の難しさ」228があり、一般にクオリア(感覚質)問題 とも呼ばれている。それは、被験者の内観的な経験に立ち戻り、それに外面的な説明を加 えるという作業において生じるものである。例えば、われわれが赤を感覚したさい、その 時にわれわれの意識に何らかの表象が現れる。それは、ポストやリンゴであったり、ある いはまったく関係ないように思えるドという音の表象であったりする229。ここで観測され た感覚と表象との関係が、いかにして(因果的に)連続するのか、ということを明らかに することが、認知科学の目標とされている。しかしながら、このような感覚刺激-表象と いう図式の持つ解明の困難さは、伝統的に、哲学や心理学においてもある230。つまり、認 知科学は、意識ないし心的な現象、すなわち、知覚や想像などの意識を分析するさいに、

すでに大きな困難を孕んでいるのである。

しかしながら、それでも、感覚刺激と表象の関係がどのような仕組みによって生じるの かという問題は、自然主義において脳の問題へと還元される。この方向において、伝統的 な、認識論的な問題は、1950年代以降から急速に進歩する人工知能研究と相俟って、自然 科学における研究対象となり、新たな活路として受け入れられることになる231。したがっ て、認知科学による感覚-表象関係の解明への取り組みは、この方向へと進路を取ること になるのである。こうした認知科学研究の取り組みについて、指針となる代表的な方法は、

(古典的)計算主義と結合主義(コネクショニズム)という研究方針である232。ここでわ れわれは、認知科学的な研究を支える両研究方針について、確認を行うこととする。

上で挙げた例のように、何らかのセンス・データ(例えば赤色という視覚)について、

脳のある部位が反応すると、それに対応するように、何らかの認知(赤色という意味やそ れに関する何らかの表象、知覚、思考)が生じる。そのさい、その部位における神経細胞 群の反応は、刺激と反応に関する一つのまとまりとして、一個の単位として規定すること ができる。この単位化された構成要素は、その刺激-反応の中である一定の機能を持って いて、モジュールと呼ばれる。認知科学ないし神経科学は、特定の感覚刺激が特定のモジ ュールに反応したさいに、特定の認知が生じるという観測結果を根拠にして、それらの関 係を帰結する。つまり、認知的な経験と脳神経のモジュールを結びつけ、等価なものとす

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ることで、意識の経験が脳神経的な反応によるものと説明するのである。これが認知科学 研究の前提であるが、ここで帰結された前提に対して、認知科学は、計算主義と結合主義 という二つの考え方を生じることになる。

計算主義と結合主義は、両者共に心的な表象から出発する(表象主義233)が、その表象 がいかにして形成されるか、という点で見解が異なっている234。計算主義は、コンピュー ターをモデルとした考え方であり、それによると、心的な表象は、すべて構文論的な構造

(ある一定の要素がある一定の構成規則によって結合された構造、例えば主語と述語の関 係)を持つと考える。そして、心的な表象の構文論的な構造における構成は、例えば、「ト マトは赤い」という文が、「トマト」と「赤い」に分解され、他方で「リンゴは赤い」とい う文も同様に分解されたさい、分解されたものを組み合わせて「トマトとリンゴは赤い」

という文を造り上げる。つまり、計算主義は、実際に心に生じる表象を、脳神経系が論理 的な構文構造と同様な操作を行って構成するとみなしているのである235

それに対し、結合主義は、脳におけるニューロン群(神経ネットワーク)の働きをモデ ルとした考え方である。それは、例えば、あるニューロン群の興奮パターンがシナプスを 介して別のニューロン群に伝えられる、という観測において、心的な表象は、固定的かつ 分化的な、部分部分のニューロン群の形式的なパターン(構文論的な構造)を持つのでは なく、諸ニューロン群の非形式的で全体的な変形過程を次々に遂行することで生み出され るとみなす考え方である236。つまり、あるニューロン群を一つのユニットと考え、ユニッ ト間の興奮の度合いと繋がり方、伝播の仕方によって出力(表象)が変化するとみなすの である。ここでのユニット間の結合によって生じる表象は、それぞれのユニット全体の重. ね合わせ....

として観測される。このことは、計算主義のように「トマト」や「赤い」という それぞれに部分的で独立なユニットがあり、それらの構文論的な分離・結合という構造と して生じているような考え方とは相応しない。そのような部分的なユニットが個別に局在 する場所は確認できず、その論理的な規則を中央集権的に処理する装置を担うニューロン 群は、あまりにも広域的な範囲に分布している。したがって、脳神経系における興奮パタ ーンの伝播が、固定的な、構造的な仕組みを持っていないことから、表象の出現は、計算 主義的な仕組みとは別のものであると考えられるのである。

結合主義は、各ニューロン群のユニット全体による大域的な働き...........

の中で表象が生じると 考えるのだが、その表象の出現は、信原幸弘によると、「対象や性質が表象全体に分散して 表され、それらの重ね合わせにより、複合的な内容が表象される」237という。ここでは、

感覚-反応(表象)間に学習過程が加わって発展していく点と、複数のニューロン群によ る並列分散処理である点が、重要な特徴となる。例えば、人の顔を識別するさい、見間違 うことが多々あるが、それは、視覚的な情報(感覚刺激)の入力に対して、表象される顔 が「誤る」からである。この誤りは、視覚情報の増強や、誤認に対する反省などをつうじ て微調整される。結合主義における感覚と表象の関係は、たんなる因果関係や論理的な規 則ではなく、経験によって変化する「結合の重み」238、つまり、ユニット間の興奮を伝達 するさいの頻度や強さに依存しているのである。ここで理解される脳神経系の挙動は、計 算主義的な記号操作のアプローチとはまったく異なり、たんなる局在的なニューロン群の