神経現象学を展開するヴァレラの課題は様々ある412が、その中でも、彼は時間意識に関 して重要な考察を行なっている。これについてわれわれは、ヴァレラの「見かけの現在」
という論稿413における時間意識の議論を扱うことで、フッサール現象学における時間意識 論が、認知科学の成果とどのように相互制約しあっているのかを、考察することにする。
ヴァレラは、意識の「今性(nowness)」414という経験を研究するさい、たんに認知科学 による説明だけでなく、フッサールの時間意識論を用いている。ヴァレラが時間意識の分 析に対して認知科学とフッサール現象学を両立てて研究する目的は、これまで述べられて きたとおり、「二つの相補的なアプローチ、〔すなわち〕現象学的な分析と認知的な神経科 学に基づいて、現在の今性という経験の、明示的で自然化された記述を提案する」415こと にある。具体的に言えば、ヴァレラがこのような提案をするのは、認知科学において見出 される脳神経細胞の活動におけるダイナミクスが、フッサールの時間意識論における過去 把持と未来予持という特有な志向性の能作に相応していると考えるからである。
そこでわれわれは、時間意識に関わる神経活動のダイナミクスと、時間意識構成に関わ る志向的能作を、ヴァレラがどのように相応させて考察したのかを、本章において考察す る。もちろん、このヴァレラの議論を考察するためには、フッサールの時間意識論の正確 な理解を前提としており、また、前章でわれわれが考察したように、現象学的な体験の記 述をまず基本とした上での自然化的な説明になっているかどうかを、そのつど吟味しなが ら、考察を進める必要がある。したがって、われわれは、これまでの現象学の自然化と領 域的存在論を念頭に置いた上で、まず、第 12 節において、神経ダイナミクスと過去把持 がどのように関係するのか、ということを、ヴァレラの議論に即して考察する。ここでわ れわれは、ヴァレラが、現在を瞬間的な時間点ではなく、拡がりを持って生じていること を、現象学的還元をとおして記述した上で、その現象学的な体験を神経生理学的な観測結 果をどのように自然化的な説明へともたらしているのか、ということを考察する。
そしてさらに、これを受けて、第 13 節では、神経ダイナミクスと未来予持の関係を考 察する。未来予持が過去把持のたんなる裏返しではなく、独特の性質を持ち、そして時間 意識の構成プロセスに、触発や衝動という駆動の契機をもたらしていることは、すでに述 べた(本文第2章および第3章を参照)が、これについてヴァレラは、神経ダイナミクス の駆動を、情動や衝動、触発という体験に対応させ、未来予持や衝動志向性との関係を指 摘し得るような考察を行っている。われわれはこの点について、ヴァレラの自然化的な説 明を吟味しなければならない。
そして最後に、第 14 節において、時間意識を構成する二重の志向性と神経ダイナミク スの関係を考察することになる。二重の志向性による流れと留まりによって成立する時間 意識について、ヴァレラはその構成を、力学的な理論を用いた分析によって、自然化的な
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説明を試みる。この試みから、現象学的な分析によって明証的に呈示された時間意識構成 の本質規則性が、自然科学的な法則性にも相応しているということが、ヴァレラによって 指摘されるのである。以上の考察をつうじて、われわれは、時間意識の力動性を、現象学 と認知科学の両面から見出し得るかどうか、また、現象学と諸科学との関係が本質的に相 応し得る可能性があるかどうかについて、明確にすることを目標とする。
第 12 節 神経ダイナミクスと過去把持
われわれは、ヴァレラの神経現象学による具体的な研究を考察するために、彼が重要視 する、意識の時間性の議論を取り上げる。ヴァレラは、時間に関する意識の問題を神経現 象学的な分析によって明らかにしようと試みるが、その議論は、フッサールの時間意識論 をベースにして展開されている。したがって、われわれは、これまで第1部で考察してき たフッサール時間意識論とヴァレラの議論を対照しながら、考察することとする。
まず、われわれは、1)本論の第 1 部におけるフッサールの時間意識論を振り返えりつ つ、ヴァレラによる認知科学的な時間意識の分析を考察する。ヴァレラは、時間的な意識 の具体的な経験における質感(テクスチュア)を重視し、その質感の時間的な拡がりから、
時間意識の流れと留まりを、フッサール現象学に即した形で記述する。その流れと留まり を 、 ヴ ァ レ ラ は 、 身 体 的 な 行 為 の 知 覚 化 で あ る イ ナ ク シ ョ ン の 「 多 重 安 定 性
(multistability)」として、認知科学的に説明している。ここで、ヴァレラは、イナクシ ョンにおける感覚-運動のシステムが神経細胞の活動に基礎を持つとし、2)神経細胞の活 動電位の観測から、3)そのダイナミクスを考察している。このことを基に、ヴァレラは、
4)神経ダイナミクスと過去把持の能作を結びつけ、両者の相応関係を主張することにな る。本節においてわれわれは、これらの考察から、ヴァレラの時間意識に対する認知科学 的な研究成果を確認すると共に、神経現象学が、現象学の自然化という目標に対し、どの ように展開していくのかということを、具体的に理解することになる。
1)時間意識における多重安定性とその連続的な移行
フッサールが時間という問題を考察するさいの特徴は、世界時間ないし客観的な時間に よって計られる時間的な対象や出来事を現象学的還元にもたらし、それらを内的意識にお ける時間客観(Zeitobjekt)として捉えることであった(本文第1章第2節参照)。前者の 客観的な時間とは、時計の時間や自然科学的な前提としての時間、例えば古典物理学が、
時間を一つの単位とし、客観的な対象を瞬間的な継起の連続として理解するように、われ われ自身の主観から超越した線形の時間軸を素朴に前提することである。これに対し、後 者の現象学的還元によって見出される時間は、われわれ....
の体験に基づ......
いた..
時間..
であり、意 識に直接的に現れているものの記述である。フッサールが時間意識の問題として呈示して いるのは、まさに後者の時間的な体験であり、神経現象学を展開するヴァレラも当然なが ら、このような意識において直接的に現れている時間的な体験を、研究の出発点とする。
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この時間的な体験についてヴァレラは、意識に現れている時間客観を、「テクスチュア
(texture)」と呼ぶ416。ヴァレラは、現象学的還元によって呈示される内的意識の現出が、
様々な視覚的・触覚的な質感を伴った具体的.........
な体験...
であることを強調するために、この呼 称を用いている。
このテクスチュアとは、一般的に言えば、「肌理」という意味であるが、ここでのヴァレ ラの意図においては、「具体的な個々の感覚ないし知覚」と考えて差し支えない。それは、
細やかで生き生きとした生の体験として、抽象されることのない、そのつどの意識の現れ を指している。とくに、このテクスチュアは、われわれの意識においてつねに最前の現在 において意識され、意識の中心ないし焦点として現出している。ヴァレラは、このテクス チュアの現出における時間的な特徴を、現在的な焦点化であるとし、そのことをテクスチ ュアの「今性」と規定する417。この現在におけるテクスチュアは、当然ながら次の瞬間に 現在ではなくなり、過去になる。たった今意識されていたテクスチュアは、新たな意識の 焦点となるテクスチュアに対して、過去へと移動し、過去へと滑り去った現在のテクスチ ュアは、新たな現在に対して過去の地平へと沈んでいき、現在点の縁暈(fringe)となる。
つまり、過去のテクスチュアは、最前の現在のテクスチュアと共に掴まえられており、最 新のテクスチュアが現出して、意識がそれに焦点を合わせているにも拘らず、背景的に、
共に意識され続けることで、時間的な推移と幅を今現在の意識においても成立させている と、ヴァレラは考えるのである。
このように、現在をはみ出すようなテクスチュアの時間的な幅について、ヴァレラは、
われわれが体験するテクスチュアが神経現象学的な記述の「生の基礎(raw basis)」418で あるとし、体験の記述における不変項であることを指摘する。この指摘は、フッサールが
『時間講義』において、現在の知覚を意識しつつ、その現在をはみ出した過去と未来とい う地平的な拡がり持つ「時間野(Zeitfeld)」(HuaX, S. 168)の現れを記述していること と同等のものである理解し得る(本文第1章第1節1)参照)。実際、ヴァレラは、『時間 講義』のフッサールの記述を参照しており、それを基に、改めて自らの記述を展開し、拡 がりある今性のテクスチュアを呈示している。したがって、この時間野を持つテクスチュ アの今性を、ヴァレラは「時間性の三部構造(the three- part structure of temporality)」
419と述べ、フッサールの「過去把持-原印象-未来予持」という現在的な意識の時間構造 と対応させるのである。そしてまた、このようなテクスチュアの今性は、現在的な意識体 験に過去と未来の地平が考慮されている点で、客観的な時間が基本としている単純で線形 的な時間のシークエンス(連続)とは、異なったものであると理解されることになる。
さらにヴァレラは、以上のような現象学的還元によって呈示された体験の生の基礎から、
時間的な体験......
を構成する.....
という意識の働きに目を向けることとなる。そこで彼は、その構 成に、逆説的な事態が生じていることを指摘する。それは、われわれがテクスチュアを記 述するとき、一方で現在の統一をそのつどの体験に留まって記述できるのだが、他方では、
そのとき記述された意識は、つねに流れ去ってしまっており、留まりつつ流れるという、
互いに異なる事態が同時に体験されている、ということである。このような事態は、フッ サールが「留まりつつ流れる現在」と呼ぶものであり、彼の時間意識考察の中で重要な位