第 2 章 未来予持と受動的綜合
第 4 節 過去把持と未来予持
フッサールは、『時間講義』において、根源的に構成しつつある意識流のプロセスが、「到 来するものそのものを空虚に構成して捕捉し、充実へともたらす未来予持によって生化さ れる」(HuaX, S. 52)と述べている。この言及は、未来予持の基本的な性質を的確に指摘 したものとなっている。フッサールのこのような未来予持に関する分析について、例えば ヘルトは、未来予持の充実化を、「純粋な到来性としての現在的な移行性の契機」であると し、現前化72を可能にするために不可欠なものとしている73。また、ローマーは、ヒュレー 的な与件に対する未来予持の待ち受け方について、『経験と判断』に依拠し、純粋な受動性 における法則性としての「固定した未来予持」と、能動性における受動性、すなわち、受 容性において経験に依存するものとしての「変化する未来予持」に分け、異なる性格を持 つ未来予持の働きについて述べている74。
このように、未来予持の諸性質について様々な分析がすでに為されているが、しかし、
それらの分析は、意識流の移行綜合それ自体を構成するプロセスの中で、未来予持がどの ようにして生じ、なぜ、意識流の構成プロセスに関わらねばならないのかを明確にしてい るわけではない。確かに、フッサールも『時間講義』では、意識流の構成プロセスについ
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て、主に原印象と過去把持による分析を呈示するに留まっており、両契機の本質規則性が 詳細に分析される一方で、未来予持の分析は、それらの構成の中でいつも派生的に扱われ ていると言える75。では、意識流が原印象と過去把持の二つの契機だけで説明できるのな らば、意識流における未来予持の積極的な役割や必然性は、いったいどのように確証し得 るのであろうか。
この問をめぐって、われわれは、『ベルナウ草稿』におけるフッサールの未来予持の記述 を基に、1)未来予持の基本的な諸性質を確認し、そしてそのさいに、2)未来予持が生じ て く る プ ロ セ ス と 、 そ の よ う な 構 成 プ ロ セ ス の 内 に 、 未 来 予 持 の 「 不 充 実 性
(Unerfülltheit)」という特性が本質的に含まれていることを指摘する。そして、そのつ どの意識構成のプロセスは、3)未来予持が充実するさいに生じる「意識の傾向(Tendenz)」
を包含しており、そのことによって、意識の流れが方向づけられているということを、フ ッサールは呈示している。これらの未来予持の諸特性は、4)過去把持の諸特性と共に、
時間の恒常的で力動的な構成プロセスを形成することになる。われわれは、これらの論点 から、未来予持という志向が意識流において必然的な役割を担うことを明確にしてみたい。
そしてその上で、5)未来予持の能作が、意識の感性的な領野において、衝動から成る動 機づけの発生を意味すること、すなわち触発(Affektion)という現象の分析へと導くこと を呈示する。以上の考察をつうじて、われわれは、意識流の構成における未来予持の必然 性、並びに、未来予持と触発の関係を明らかにする。
1)未来予持の含蓄性―特有な志向性としての過去把持と未来予持
未来予持についての考察に先立って、まずは以下のことを確認しておきたい。それは、
フッサールが過去把持と未来予持を、内的意識における特有な志向的能作であるとしてい る点である。これらの志向的能作が、どのような意味において特有であるのかを確認する ことで、意識流における構成プロセスの諸次元を区別し、考察の領野を規定することにな る。ここでわれわれは、いったん、前節の過去把持の考察を振り返って、その諸特徴を整 理し、それから未来予持の性質を考察する。
われわれは、これまで、内的意識における諸契機の実的な存続体(reeller Bestand)、 すなわち、感覚与件それ自体が、今点における原感覚の意識であるということを確認して きた(本文第1章第3節2)参照)。そして、この今点に直属する想起の系列は、どの今に とってもそれぞれ異なっており、またそれ自体で絶えず変転しているというものであった。
自ずと過去のものへと変転した原感覚の諸位相は、「今」の位相と「想起の系列」という意 識において、持続する意識内容として意識されている。この「持続する意識内容として意 識される」ということを、フッサールは、すでにその内側に過ぎ去った想起の「想起」を 含蓄するということであると、性格づけた76。ここで言われる想起の含蓄こそが、まさに 過去把持であり、意識の位相から意識の位相への志向的な関係(根本的に異なった志向的 な関係)を特徴づけるものであった。過去把持は、感覚の射映系列の形式において、先行 した発展すべての遺産を自らの内に担うことにより、過去の位相が相互内属的に、積み重 なるように、そのつどの現在において自ずと含蓄していく意識の働きである。
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そして、含蓄的な持続を構成する過去把持は、すでに過ぎ去った構成済みの意識位相を 再想起するような統握作用とは、まったく異なる性格を持っている。もし、過去把持が過 去の位相を「今」の意識において再生産的に想起する統握作用と同じであるならば、すな わち「あらゆる内容が、その内容へと向けられた統握作用をとおしてのみ意識へと至ると 言うならば、それ自体で一つの内容であるこの統握作用において、意識される意識の問題 が即座に立てられ、無限遡行は避けられない」(HuaX, S. 119)77ことになる。しかし、フ ッサールは、「あらゆる「内容」が、それそのものにおいて、必然的に「原意識されている」
ならば、それ以降に能与する意識の問題は無意味となる」(ebd.)78と述べ、原意識される ことが、無限遡行を回避すると言うのである。この原意識は、いまだ対象的になってはい ない与件を、先現象的な存在として所持し、そして明証的に所持している。つまり、原意 識における与件とは、志向性によって統握されて対象化する以前の与件である。これはす なわち、感覚与件に他ならない。そして上述のように、感覚与件の変転に関わる志向的な 能作が過去把持であることからすれば、過去把持と原意識は、感覚与件を対象化すること.......
のない...
意識ということになる。この両者の関係について、フッサールは、「過去把持的な位 相が、先行した位相を対象にすることなく意識して所持するように、原所与もまたすでに 意識されている」(ebd.)79と述べ、「まさにこの原意識は、過去把持的な変様へと移行す るのであり、―その時、この変様が原意識の過去把持と原意識において原本的に意識され た与件の過去把持であるというのは、原意識と与件が不可分離に一つのことだからである」
(ebd.)80と指摘するのである。
以上のことから、感覚与件の相互内属的な含蓄的移行の能作である過去把持は、原意識 と共に働く能作として、すなわち、「特有な志向性(Intentionalität eigener Art)」(HuaX,
S. 118)81として、統握-統握内容図式による無限遡行の問題に陥ることはない。したが
って、過去把持は、準現在化的な再想起の作用以前に生じている現在化の能作として、明 証的な記述において確証し得るのである。
では他方で、未来予持の場合はどうであろうか。フッサールは、未来予持の特質を解明 するにあたり、『ベルナウ草稿』において、「前もって方向づけられた志向性が必然的に存 在し、…絶えず「予期」(もちろん、注意する自我関与なしの〔予期〕)、〔すなわち、〕未来 予持が、到来しつつあるものへとつねに向けられる」(HuaXXXIII, S. 7)と述べる。この 自我の関与を含まない未来予持の持続は、過去把持における系列の持続と共に考察する中 で、「「先行している未来予持が、より後の未来予持のすべてを、志向的に、それ自体の内 に、包含する(それらを含蓄する)」(HuaXXXIII, S. 10)という性質が見出される。つま り、未来予持をつうじて先行描出される諸位相は、過去把持の場合と同様、含蓄的に構成 されており、自我の関与を含む意識作用(統握作用)としての予期によって成立している わけではないということである。このことについて、フッサールが、『ベルナウ草稿』の
Nr. 1のテキストで、『時間講義』で展開されている過去把持の二重の志向性について言及
しながら、「両者〔過去把持と未来予持〕において、われわれは間接的な志向性を持ち、ど の間接的な志向性にも、その志向性の二重の「方向」が属しており、…このことが、両者 共にいかなる無限遡行にも陥らないようにしている」(ebd.)と述べている点に注目すべき