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第 3 章 意識の駆動力としての衝動志向性

第 6 節 相互覚起と衝動

フッサールは、『受動的綜合』において、連合的な綜合を考察するさい、二つの与件の間 の、同質性や異質性を基にした結合ないし統合を、「対(Paar)」として記述している(vgl.

HuaXI, §28)。与件の間の「対」の構成に関して、フッサールは、1)連合的な綜合におけ

る根本形式としての「対化」という構成の規則性を見出し、さらに、その対化が起こるさ いの、感性的な領野における、与件と空虚表象との相互覚起という綜合について考察して いる188。この対化は、前節で考察された類似性の連合という議論に関係しているが(本文 第2章第5節1)、2)参照)、さらに詳細な考察を行うことで、受動的綜合における構成の 基盤となっていることが示される。とくにフッサールは、この対化という綜合について、

『デカルト的省察』の第五省察で他者論を展開するさいに言及しており(vgl. HuaI, §51)、 受動的綜合における根本形式の一つとして、重要な役割を占めていると主張する。そして また、フッサールは、その対化が生じるさい、両項の継起における時間的な関連において、

与件(現在)と空虚表象(過去)が互いに呼び覚まし合っていることを、相互覚起という 綜合であると指摘している。われわれは、この対化という連合的な綜合を、これまでに考 察された過去把持と未来予持の能作と関係づけることで、この相互覚起の呼び覚まし合い という規則性を理解することとなる。

そして、この対化の働きが新たな際立ちを出現させる中で、そのさいに生じる触発力が 問題になる。感覚の際立ちは、意識の最も深い層で生じているのだが、そこでフッサール は、2)それらの際立ちの志向的な方向づけと内実について、衝動志向性という、意識活 動を根源的に動機づける志向性を見出している。われわれは、フッサールが根源的と述べ るこの衝動志向性の内実を確認し、その志向性によって意識が駆動するということを考察 する。この考察を経て、われわれは最終的に、意識の力動性に関する本質規則と、その根 源的な契機を見出すことになるだろう。

1)感覚与件と空虚表象との相互覚起による対化

これまでの考察において、われわれは、触発に関わる連合的な覚起の綜合が、顕現的な 意識の発生の基礎になっているということを確認し、そのことが、過去把持と未来予持と 共に理解することができるということを明らかにした。また、以上のような覚起と連合か らなる触発の本質条件について、フッサールは、感覚与件という契機を受動的に綜合する ことが、その条件であるとみなしていた(本文第2章第5節3)参照)。われわれは、この フッサールの感覚の綜合に対する見解について考察を進め、受動的綜合の根本的な構成プ ロセスを明らかにしたい。

触発の本質条件が構成されるさい、与件をまとめ上げる連合の働きは、自我への発生的 な方向を規定する重要な役割を担っている。ここでの連合によるまとめ上げの仕方につい て、われわれは、諸与件の同質性と異質性に即した類似と対照の綜合によって、表象の二

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つの際立ちが生じるということを確認した(本文第2章第5節2)参照)。だが、フッサー ルはさらに、それらの二つの際立ちについて、「ある意識において出現する(共在しつつあ る、あるいは継続しつつある)ヒュレー的な与件の総体は、共通の類似性をつうじて、そ してその類似性が十分である限りにおいて、ヒュレー的な与件を統合しつつある感性的な まとまりを持つ」(HuaXI, S. 398)189と述べ、ヒュレー的な与件の統一も、すなわち感覚 与件の統一も、類似性の連合的な綜合によって成されていると指摘する。このことは、例 えば単純に言って、色は色の類似性に即してまとまり、音は音の類似性に即してまとまる ということである。そして、この綜合によって、「感覚野のそれぞれは、それ自体である固 有の完結した触発的な傾向の領野を形成し、連合をつうじて組織化しながら統一する能力 がある」(HuaXI, S. 151)190ということを、われわれは認め得るのである191。しかし、こ こで問題となるのは、諸感覚野の統一に関わる連合の能力、すなわちこの類似性によるま とめ上げの「仕方」が、いったいどのようなものであるのか、ということである。

連合によるまとめ上げは、類似性に即して成されるが、この働きについて、フッサール は、「類似性とは、そもそもまず「関連」を生み出すことである」(HuaXI, S. 399)192と 述べている。フッサールは、連合の規則性にしたがって諸与件を類似しているもの同士で まとめ上げることが、それらの与件をグループとして形成し、それらの間に「関連」を生 成するということになると考えており、その類似性による関連の生成は、以下のようにし て生じると述べている。「今に存在しているものが立ち現われることをつうじて、継起的な 綜合は、以前の今という、たった今、立ち現れたものと本質的に合致する・・・〔だが、〕あ る現在において、類似する二つのものが立ち現われる場合、それらは、はじめに存在して、

次にその綜合が成り立つのでない。〔そうではなく、〕似ているというのは、そのような〔継 起的な〕綜合の中で共在して立ち現われることを言うのである」(HuaXI, S. 398)。この 言及には、注意せねばならない点が二つある。一つは、ここでフッサールが指摘するとお り、対となる類似した二つのものは、最初から存在者として実在するのではなく、受動的 綜合における契機に過ぎないという点である。このことについて、山口は、この受動的綜 合の次元での構成について、「すでに実在する二つのものが前提にされて、その二つのもの の間の属性として成立している何らかの類似性が、いわば抽象されて成立するのではない」

193と指摘し、「原創出的な原初的なものが、つねに生き生きと働く過程のなかで与えられ ている」194と述べている。つまり、二つの与件は、意識的に後から.......

関係..

づけ..

るのではなく......

、 そのような能動的な意識が働く以前に、言わば無意識的に、感性的な「似ている」と「似 ていない」という差異に即して、原初的に際立ってくるものなのである。したがって、類 似性の連合的な綜合は、根源的な受動性の次元で働いていることを、つねに考慮して分析 せねばならないのである。

そして、もう一つの重要な点とは、これらの類似するものが二つの項として際立つ、と いうことに、時間意識構成による継起的な綜合195が関係しているということである。これ について、山口は、「共在的感性野のなかで、端的な知覚のなかに現出する類似的なものど うしが、過去把持的把促と「なお把捉されてあること」における諸位相内容の融合と際立 ちとをつうじて、一つの対、対化する対象性が現出することを意味する」196と指摘してい

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る。つまり、たんに二つの契機が予め存在するのではなく(それは上で述べたように、そ のような実在物の想定をエポケーせねばならない)、時間的な綜合により、契機同士の間に 時間的な移行による「前後」というズレが生じ、この時間的なズレをもとに、「類似した二 つ」という位相内容の契機が生じるということである。こうして二つの与件は、類似性と 継続性の綜合によって、「一つの対」というまとまりを成すことになる。つまり、これらの 綜合が同時に生じることが、まさにフッサールの言う対化なのである197。したがって、対 という関係が形成されるためには、時間性と類似性に関する二種の綜合が欠かせないとい うことが理解されるだろう198。こうして、対化という関係の生成は、受動的綜合の原形式 の一つであると認められ得るのである(vgl. HuaXIV, Nr. 35)。

以上のような対化の働きを、山口は、「相互に覚起しあう対化」199であると指摘してい る。この相互に覚起し合うということについて、フッサールは、「今や、われわれは現象的 な統一を相互覚起において持っており、「似たものが似たものを指示し」、その「繰り返し」

として指示するという仕方で持っている」(HuaXIV, S. 531)200と述べ、指し示すという 連合的な性質に注目する。そしてまた、フッサールは他方で、この連合の性質だけでなく、

「〔類似性の綜合における〕覚起とは、相互のものであり、相互に移行する傾向である。そ して事況のすべては、ある同等のもの、すなわちそのような移行の前後における対化、隔 たりの合致が、それ自体で構成されるということなのである」(ebd.)201と述べ、覚起の 移行傾向にも言及している。これと同様のことを、フッサールは、『デカルト的省察』の中 で、「それは、対象的な意味が生き生きと呼び覚まし合うこと、交互に、押し被せながら覆 い合うことである」(HuaI, S. 142)202とも述べている。つまり、対化が働くさいに見られ る与件間の「指し示し」は、たんに一方の与件から他方の与件へと、一方的に指し示すの ではなく、相互に指し示し合っているのである。このことは、過去把持と未来予持の能作 による時間的な位相の合致を思い出せば(本文第2章第4節3)参照)、容易に理解し得る。

例えば、現在的な直観が過去把持によって過去へと沈み込むさいに空虚表象となるが、こ の空虚表象として過去把持される直観であったものの内実には、それが充実するさいに持 っていた未来予持的な傾向も共に含まれており、過去地平に沈んでもなお、その傾向を触 発力として持っている(本文第2章第5節3)参照)。そして、そのような空虚表象は、何 らかの所与があったさい、過去把持した傾向を、触発力としてその与件に対して向けるの だが、ここで空虚表象に触発を促すのは、まさに与件からの覚起である。ここで、与件と 空虚表象の両契機は、類似の内容として連合的に綜合されれば、合致することになる(類 似していなければ内容上の合致は成立ぜず、それは、変化の連合的な内容として綜合され る)。このような時間意識構成と連合的な覚起による綜合を、われわれは、過去と現在が互.......

いに呼び覚まし合っている............

とみなすことができる。つまり、われわれは、対化における相 互覚起という、類似したもの同士の呼び覚まし合いが、同時に、時間意識構成における現 在と過去の呼び覚まし合いでもあると、指摘することができるのである。このことについ て、フッサールは、相互覚起における対化の綜合を、「沈殿した意味の目覚めがあってはじ めて、意味が再び触発的になる」(HuaXI, S. 178)203と述べている。したがって、われわ れは、対化における相互覚起を、時間意識構成の綜合と共に、その内実を、理解し得るの