第 9章 裏 ノ山遺跡
第 1節 遺跡 の調査 と概要
1 遺跡 の概要
本遺跡 は長野県上水 内郡信濃町大字柏原字裏 ノ山
525‑1番
地 ほかに所在す る。遺跡 は野尻湖南西岸 か ら 約6km、 伊勢見山南東尾根 の頂上部、標高713mに立地す る。1993年度 の試掘調査で新 たに発見 され た遺 跡 である。伊勢見山の北西 山麓 か ら裾野 には東裏遺跡が広 が り、 その南西側 に隣接す る。伊勢見山 は現在 山林 であるが、太平洋戦争 直後開墾 され、畑地 としてな り、本遺跡 も高速道路工事前 ま で は畑作 が行 われていた。
調査範囲 は伊勢見 山南東 の尾根裏 ノ山頂上部約8,500ピである。
平成
5年
度 に当初、縄文時代以降の遺物・ 遺構 の検 出が予測 されていたために、 ローム層上面 までの深 度 で、重機 による トレンチ調査 を先行 してお こな ったが、遺物・ 遺構 は検 出されなか った。引き続 き旧石 器時代遺物 の有無確認 のために重機 による トレンチをいれたところ、 ローム層 中よ り遺物が検出 されたた め、本格的な調査 をお こな うこととな った。重機 によ リローム層 (Ⅳ層
)上
面 までを慎重 に掘 り下 げた。次 に8mグ
リッ ド内にある16の2mグ
リッ ドの うち、一番北側で西か ら2番
目のグ リッ ドを原則 としてテス トピッ トを設定 し、人力 によりⅦ層 まで 遺物 の検 出を行 った。調査方法 は平成
5年
度 に試掘調査 を行 い、 旧石器時代 の遺跡 として平成6年
度 か ら調査 を開始 した。 当 初 旧石器時代 の小規模 な遺跡 として調査 は開始 した。遺物が検 出されたテス トピッ トについて は、遺物検出時点で掘 り下 げを中断 し、周囲を含 めて人力 によ るⅥ層上面 までの面的調査 を行 った。 その後 ほぼ全面か らの遺物検 出が予想 されたため、面的に調査を行 っ た。
遺物 の取 り上 げは
lalこ
ぅそ くに委託 して単点測量 を用 いた。グ リッ ドは長野県埋蔵文化財 セ ンター仕様 に従 い、七 ツ栗遺跡、普光 田遺跡、 日向林
A遺
跡 と合わせて 設定 した (第 1図)。4mグ
リッ ドで、手掘 りによるⅢ層 よ り掘 り下 げを開始 した。杭打 ち測量、遺物取 り上 げはl■lこ うそ く によって単点測量が行 われた。(2)調
査経過(日
誌抄)平成6年
4月 5日
除雪開始
5月 11日
尾根先端部 (I―ROWOX)掘
り下げ開始4月
18日
作業開始表土剥ぎ
杭打ち
試掘開始
5月 13日
尾根奥 (I‑00R、 Ⅱ―K)掘
り下げ開始4月22日
Ⅲ層より手掘りによる掘り下げ開始
6月
9日尾根頂上部Ⅲ層まで掘り下げ
―‑154‑一
2 調査 の概要
(1)調
査範囲 と調査方法 (第32図)第32図
裏 ノ山遺跡
全体図・ 遺構配置図・ 基本土層図 一‑155‑―
第 9章
裏ノ山遺跡
6月22日
尾根部分Ⅳ層上面まで掘 り下げ
10月
3日針ノ木遺跡の調査が開始 となり寺島調査研究員並 6月
23日
東端部まで拡張行調査
6月
30日
ラジコンヘ リによる空撮高所作業車から全体写 10月 6日
杭上の柱状図作成開始
真撮影
10月 28日
高所作業車による全体写真撮影東側尾根Ⅳo V 7月 4日
北側幅杭沿いを迂回道路設置のため掘 り下げ開始
層掘 り下げ
7月 8日
調査範囲東端部よりⅣ層掘り下げ開始
11月
2日V層
面出土状況の航空写真撮影 7月19日
北側幅杭沿い土層図作成11月
4日南側道路下表土剥ぎ後掘 り下げ 7月20日
東に延びるやせ尾根砥石出土のため表土剥ぎ
11月
8日杭部分掘 り下げ
9月 2日
Ⅳ層面出土状況空測
ブロックの輪郭を紐は利 し 11月
10日
コンタ図作成 て空測11月 11日
作業終了 9月 8日V層
掘 り下げ開始(3)調
査 結果 の概 要今 回 の調 査 で は後 期 旧石器 時代 の大規模 な ブ ロ ック群 (約
30)が
検 出 され たが、縄 文 時代以 降 の遺構 は 縄 文 時代前 期 の遺 物 集 中部(S Q01)と
早 期 の遺 物集 中部(S Q02)の
みで あ る。旧石器 時代 の遺 物 は、 Ⅳ層 か ら
V層
まで 出土 し、縄文 時代以 降 は縄文 時代前期 1個体 (35片)と
早 期 1 個体 (15片)、 石 鏃4点
、特 殊 磨石1点、打製 石 斧 1点、敲 石 1点のみで あ る。(4)基
本 土層 (第4図
、 第 2表)I層
表土層Va層
暗褐色土暗色帯
しまりやや良
粘性有 り
Ⅱ 層
黒色土
柏原黒色火山灰層
Vb層
褐色土暗色帯
しまり良
粘性やや有 り
Ⅲ 層
黒褐色土
モヤ層
Ⅵ 層
黄褐色土
全体に赤スコ
(小
豆大)1.混在Ⅳ 層
黄褐色土
ソフトローム層
Ⅶ 層
明褐色土
赤スコ
裏 ノ山遺 跡 は開墾 が行 われて い るため、頂上 部 で は耕作 土下 で即 Ⅳ層 が あ らわれ、 Ⅳ層 まで は非 常 に薄 い。 Ⅳ・V・ Ⅵ層 が混在 し、層位 的 に遺物 を取 り上 げ るの は困難 な地点 もあ った。
V層
か らは一 変 して 出 土状 況 が散 漫 とな った。 Ⅲ層面 か らS Q01・S Q02は
検 出 して い る。第 2節 縄文 時代 の遺構 と遺物
1。
SQ01
裏 ノ山遺 跡頂上 部 よ り約
25m北
東方 向 に下 った緩 い斜 面 に、約3×2mの
範 囲 に土器片 と礫 が や や散 漫 に集 中 して分布 して いた。土器 は、全点 同一個体 で、35片 しか 出土 しなか った。東方 向 にず り落 ち るよ う に出土 して い る。2。
S Q02
裏 ノ山遺 跡頂上 部 よ り
40m東
側 に下 った斜面 に土器 片 が集 中 して 出土 して い る。 約 2×2。5mの
範 囲 で 散 漫 に小 さな土器 片 が1個体 (15片)出
土 した。S Q02よ
り標高 で は約60cm下って い る。2 遺物 遺構
遺物集中部 (図版162)
(1)土
器 (図版162‑1〜 4、 第37表)一‑156‑―
縄文以降の土器 は遺物集 中部で出土 した ものが主 であ った。縄文時代表裏縄文土器 と前期の土器である。
その他平安時代 の土器 が散布 している。
2〜 6は同一個体 の表裏縄文土器である。
S Q02よ
り出土 してお り、全点同一固体 と思 われ る。2は
口縁部であ り、 口唇部 に施文 があ り、 日縁 は緩 く外反す る。縄文 の撚 りは
RLで
斜 め方向の施文 で条が縦 である。 口唇下 内面22mmは
横方 向か らの施文であ る。外面 は斜 め方 向か らの施文で、縦方 向の施 文 で ある。4の内面胴部 に指頭圧痕 が見 られ、条 が整 っていること点や胎土 に白色粒 が多 く見 られ ること等か ら 日向林
A遺
跡 にみ られ る縦 の条 のそろった施文 に類似す る。1は縄文時代前期前半 の土器であるも縄文 の撚 りは
RL環
付縄文 (ループ文)で
ある。胎土 には多 くの繊維 とやや粒 の粗 い礫 が含有 している。器形 は尖底 と想像 され、 口縁部 は波状文 である。
図版番 号 図 N︒整 理番 号
実 測 番 号
構 分 遺 区
物 号 遺 番
ス ケ ー ル
文 様 部 位 特 徴 撚 り 色 調 外 土 分 類 備 考
図版162 SQ01 縄 文 口縁 部 〜胴 部 多段ル ープ文 ル ー プ 文 にぶい黄橙 繊 維 多 関 山式 整理番 号8246〜 8274接 合 図版162 827 SQ02 表 裏縄 文 口縁 部 縦走施 文 RL にぶい黄橙 白色粒(長石?)多量 第3類 整 理番 号8275〜 8288同 一個 体 図 版 SQ02 表 裏縄 文胴 部 縦 走施 文 RL にぶい黄橙 白色粒(長石?)多量 第3類 整 理番 号8275〜 8288同 一個 体 図 版 SQ02 表 裏縄 文胴 部 縦走施 文 RL にぶい黄橙 白色粒(長石?)多量 第3類 整理番 号8275〜 8288同 一個 体 図版162 8282 SQ02 表 裏縄 文胴 部 縦 走施 文 RL にぶい黄橙 白色粒(長石?)多量 第3類 整理番 号8275〜 8288同 一個 体 図版162 8277 SQ02 1 表裏縄 文胴 部 縦 走施 文 RL にぶい黄橙 自色粒(長石?)多量 第3類 整 理番 号8275〜 8288同 一個 体
第37表
裏 ノ山遺跡
縄文時代土器属性表
(2)石
器 (第33図 1〜 4、 第38表)縄文時代 の石器 は土器集 中部 にはな く、散発的 に
4点
が分布す る。他 に特殊磨石 などが出土 している。石鏃
(1〜
4)1〜 4は黒曜石製であ る。 出土地点 は1が 正一R02、 2が I一M17、 3が 正一F09、 4が 正一T10で出 土層位 は不 明である。石鏃 は凹基 の三角鏃 に近 い形態である。土器 の出土地点 とはなれ、土器 との関係 は 不明である。裏 ノ山の西斜面 に多 く出土 してお り、狩猟 の際 の石鏃 と思 われ る。石鏃 の形態か ら縄文前期 初頭 の土器 と同時期 の石鏃 と考察 され る。