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ドキュメント内 『宗教研究』211号(45巻4輯) (ページ 66-69)

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難行・  六九 

     

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親鸞 

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二頁) 

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ン ケ リ 英三非二方便 ‑ 令 二倍二目心受と結んでいる︒ここ で 示されていることは自力も他力も方便であると いうことである︒ こ     

方便法身を論ずることは不可能である︒万個いる︒ 肛て  便法身と法性法身との関係については  唯信  妙文  意  が極めて簡明にのべ  て 

ついて 

れ 出たものであり︑方便法身として一応の形を とりながらその本質を法性法身においているとこ ろにあるのである︒ 

﹁法身の中にして常に三昧にまします﹂というこ とはこのことをいったものにほかならない︒ 従 って法性法身を離れ⑲  悩 具足の凡夫の無上覧のさとりを えさふらふな ることを ば︑ 仏と仏とのみ御はからひなり︒さら に 行者のはからひに 

あらず さふらふ ︒しかれば 義 なきを義とすとさ  ふらふ なり︒﹂︵ 4 ︶という如く救いの働き全体につい てのべられている・ ば  あいとにわけられる︒従ってこれらを考慮にい れ つっ考えてみることとしよう︒親鸞は他力であ る 如来の本願力を曇 

鸞 の 論 註を引いて次のように説明している︒ 

﹁輪目言写本願力 ‑ 者 示 ︐大菩薩 於 工法身中 ‑ 常在二一 ニ %‑ 市乳︒ 穣 ︐ 梗即種転 神通 種配説注 上智 鐙 Ⅰ本願 力起昼 ‑ 知了阿修羅 

答 雄三元ニ識者 ‑ 雨音曲自然 三 

かく他力の働きがいかなる働きであるかを明ら かにしている︒他力は方便法身の働きとして︑ 本 願力として︑そこ  を 通して種種の身︑種種の神通︑種種の説法を 現ずるのである︒しかしその働きは法性的である ︒阿修羅の答は鼓 す  る 者がないのに自然にその時その場に応じてその 音曲を奏でるというが︑丁度そのようにその 救 済の働きは自由自在 

でその時その場その機に応じて自然である︒この ような自然の働きはいうまでもなく方便法身が もと法性法身から 生 

所行信一者摂取不二捨  ‑  枚名工阿弥陀仏  ‑ 足日工  他 

  

らふ  なるときに︑  煩 

  ばこそ︑他力と申 事 にて候へ︒﹂︵ ︶という如く ︑信 ずる行者の側についてのべられたばあいと︑ 更 に ﹁十方群生涯 帰 : 命 

   なり︒如来の御ちか ひ なれば︑他力には 義 なき  を ま撲 と士 ﹂︵Ⅰ︶また﹁行者のはからがを ソ ︑ ちりばかり もあるべからず候へ    ﹁他力と申ことは︑弥陀如来の御ちか ひ の中に ︑ 選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を 信楽するを他力と 由 

﹁淫楽おば滅度といふ︑先馬といふ︑安楽といふ ︑常楽といふ︑実相といふ︑法身といふ︑真如 といふ︑一如とい 

ふ ︑仏性すなわち如来なり︒この如来微塵世界 ほろ ちみち たま へり︑すなわち一切群生海の心な り ︑この心に誓願を 

信楽するがゆへに︑この信心すなわち仏性なり︑ 仏性すなわち法性︑法性すなわち法身なり︒ 法 身 はいろもなし︑ か 

たちもましまさ ず ︒しかればこころもおよ は れ ず ことはもたへたり︒この一如よりかたちをあら わして︑方便法身 と 

まふす 御すがたをしめして︑法蔵比丘となのり たまひて ︑不可思議の大誓願をおこしてあらわれ たま ふ 御 かたち お 

ば ︑世親菩薩は尽千万元号 光 如来となづけたて まつ りたまへり︒この如来を報身とま ふす ︑誓願 の 業因にむくひた ま 

へるのへに報身如来とま ふ すなり︒ 報 とま ふす は たねにむくひたるなり︑この報身より 応 ・此等 0 元 量元 数の身をあ 

らはして︑微塵世界に元尋の智慧光をはなたし めたまふ め へに尺土万元号先仏とま ふす ひかりに て ︑かたちもましま 

さず︑いろもましまさず︑光明のやみをはら ひ亜 ぬ 業にさえられず︑この の へに元 号光 とま ふ なり ︒牙音はさわりなし 

とま ふ す ︑しかれば阿弥陀仏は光明なり︑光明 は 智慧のかたちなりとしるべ︵ し 6 ︒﹂ ︶ 

この 唯信 妙文意の文からわれわれは救済成立にあ たって二つの形而上的世界すなわち淫薬 界 たる 法性法身の世界と 

方便法身の世界があることをみる︒方便法身の 世界は法蔵の発願とその成就という現実的表現が とられているが︑ そ 

れは直ちにこの歴史的現実界ではない︒現実界 に 対しては形而上的である︒それでわたくし ほ法 性 法身の世界を第一 

次 形而上的世界︑方便法身の世界を第二次影面 上駒世界とよび︑現実界から区別しておきたいと 思う︒いま他力はこ 

の 第二次形而上的世界において阿弥陀仏を中心に して働くのである︒親鸞は葦 提 希や提婆を権化 の 仁 とみたが︑︵ 7 

︶これ 

らの応化身も報身たる阿弥陀仏から出ていると 解したのである︒しかもこの阿弥陀仏は本質的に は 無骨 光 如来として 

元号自在の働きをするのである︒それ故にヨ % 他力 ‑ 者 如来本願力也﹂といい︑三昧に在って 種 種の説法等すべて 本 

願力より起るというのである︒かく第二次影面 上駒世界は第一次形而上的世界に基礎をおき︑ そ こを離れず︑しかも 

く Ⅰ 00)  68 

十方  ‑ 坦懐ニ信心永倉  ニ︐  @  ︶  肛 叩  かならない︒十方に超え先覚して聞こえざる  まず名号は三ロ︵ことば︶の性格をもって  衆 

    

  

        仙子  峨  している働きである︒しかし名号は能  生  の  因であって︑光明がなければ所生の縁がない  という︒もともと光明は 

  光明君父母 斯則為 二科 縁 ‑ ︒内外因縁和合得 ︐ ‑, , @ , , 二証 報土貢 身 ‑ ︒ 故 宗師舌口 ‑ @ 二光明君 ロ亨摂 二化 

親鸞によれば方便法身はまず光明と名号として  働きかけくる︒  ﹁ 良  ︐ 虹お  ㍉繊手慈父  罷  曲私︒薄地㍉  肛町  悲母  ‑ 所生  縁乖  ︒能所因縁雄三司ニ和合  ‑ 升三信心葉  識 

‑  元三到︐光明上 

‑ ︒ 

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ど  の  よ    

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る  の  で  あ 

ドキュメント内 『宗教研究』211号(45巻4輯) (ページ 66-69)

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