風 土 記 纂 註
』 に つ い て
は じめ に
『 肥 前 国風 土 記
』は
、 現存 す る 常陸
・ 播 磨・ 出 雲
・豊 後 の 四か 国 の 風 土 記 と並 ん で五 風 土 記と 称 さ れ、 和 銅 六年
(
七 一
)三
五 月
、諸 国 に 下 さ れ た官 命 によ っ て 勘 進さ れ た もの と 考 えら れ る
。
『肥 前 国 風土 記
』 が 一 般的 に 流 布す る よう に な った の は
、江 戸 時 代に な っ てか ら で
、元 禄十 三 年(
一 七〇
〇
)に 法印 実 観 が京 都 の 曼殊 院 所 蔵本 を 書 写、 さ ら に は 寛政 十 二年
(
一 八
〇〇
) に は 荒木 田 久 老が 木 版 本と し て 出版 し て か ら
、ひ ろ く 流布 す る よう に な り、 国 学 者な ど が 注釈 に 利 用す る よ う に なっ た
。 とこ ろ が この 頃 は
、転 写
・ 校合 さ れ るの み で
、風 土 記 本 文 その も のの 注 釈 は 行な わ れ てい な か った
。 は じ め て『 肥 前 国風 土 記
』に 本 格 的な 注 釈 を施 し た のは
、 国 立国 会 図 書 館 所 蔵 の草 稿 の 写 し
(後 述 参照
) の 序 文 に
「明 治二 十 一 年
(
一 八 八 八
)八 月 中 清 書」 と あ る糸 山 貞 幹の
『 肥前 風 土 記纂 註
』で
、そ の 後
、 明 治三 十 二 年(
一 八 九 九
)に 栗 田 寛氏 が 五 風土 記 を 校訂
・ 注 釈し た
『 標 注 古 風 土記
』(
大 日 本 図 書
、 一 八 九 九 年 十 二 月
) を
、 昭 和 九 年
(
一 九 三 四
)に 井 上 通 泰 氏 が
『 肥前 風 土 記 新 考
』(
巧 人 社
、 一 九 三 四 年 十 一 月
。 そ の 後
、一 九 七 四 年 二 月 に 臨 川 書 店 か ら 復 刻
)を 著 し
、次 第 に 研 究 され る よ うに
な っ た
。『 肥 前 国 風土 記
』 の注 釈 書の 先 駆 であ る
『 肥前 風 土 記纂 註
』 の 成 果 に いち 早 く注 目 し たの は 栗 田氏 で あ る。 彼 は『 標 注 古 風土 記
』 の 凡 例 で 次の よ うに 記 し てい る 肥 前 風 土記 は
。 寛政 十 二 年荒 木 田 神主 久 老が 訓 點 を加 へ た る も の を 本 とし て
。 舊印 本 と いふ
。 其 異同 は
。吾 友 肥 前國 人 糸 山 貞 幹 が 諸 異本 を 以 て校 し た る本
。 と 同人 の 肥前 風 土 記纂 注 に よ れ り
。 其 大略 を い はゞ
。 谷 森氏 の も たる 本 の奥 書 に
。右 之 風 土 記 四 帖
。以
二
竈 御 殿預 家 之 傳本
一
。令
二書 寫
一了
。文 政 八 年十 月 上 旬
。 秦 公 均 とあ る も の。 又 湯 谷某 謹 誌 とあ る を寫 て
。 藤原 勤 が 青 柳 種 麿 に 贈り た る を。 三 橋 五麿 が 寫 せる 本
。ま た 元 禄十 三 年
。 以
二
曼殊 院 所 藏之 本
一
。書
二於 高 野 村蓮 華 寺
一。 法印 實 觀
。と あ る 本
。ま た 南里 元 籌 が天 保 八 年に
。以
二講 談 所
一本 寫
レ
之と あ る 本
。 又 六 人 部是 香 が 本居 宣 長 と。 上 田 百樹 の 説を 書 入 たり と い ふ 本 な ど
。 其他 數 本 あり
。 増 注は
。 大 方糸 山 氏の 纂 注
。と 同 氏 の 風 土 記 書 入本 を
。 先き に 寫 し置 き た るも の によ れ り
。標 注 の 漢 文 な る は 舊本 の ま ゝと 知 る べし
。 古 書を 引 きた る は 此限 り に あ ら ず
。 二 箇 所 の傍 線 部か ら
、『 標注 古 風 土記
』の
『 肥前 国風 土 記』 の部 分 は
、 貞 幹 の『 肥 前 風土 記 纂註
』 お よび
、 貞 幹が 校 訂 した
『 肥 前国 風 土 記
』 を 利用 し て いる こ とが わ か り、
「 糸 山貞 幹 曰
」「 貞 幹 云
」と 記
す 頭 注 は 全体 を 通し て 十 六 箇所 存 在 する
。 ま た
、 栗田 氏 が 引い た 貞 幹の 説 を 井上 氏 が
『肥 前 風 土記 新 考
』に 間 接 引 用 し た り、 平 田 俊 春 氏1
・ 秋 本吉 郎 氏
2
・久 松 潜 一氏
3
・ 植 垣 節 也 氏4
が 校 訂 や 注 釈 に 利 用 す る な ど
、 未 刊 で は あ るも の の、 そ の 後 の 研 究 に与 え た影 響 は 大き い
。
『 肥 前 風 土記 纂 註』 は
、 おも に 重 野安 繹 の 序文 に も ある よ う に、
① 本 文 の 校訂 に 多 くの 種 類の 写 本 を利 用 し てい る 点
、② 国 学 者・ 地 元 出 身 者 など の 先 学諸 家 の説 を 多 く引 用 し てい る 点
、③ 本 文 の 注釈 に 様 々 な 分野 の 文 献を 引 いて い る 点
、④ 未 だ 先学 が 指 摘し て い ない こ と に 言 及し て いる 点 が 優れ て い る。 施 さ れ た注 釈 は
、『 肥 前 国 風土 記
』 の 注 釈書 の 最 初に し て、 最 も 詳細 な も の で、 研 究 史上 逸 す るこ と の で き ない 成 果と い っ ても 過 言 では な い
。 そ れ に もか か わ らず
、 前述 の よ う に、 未 刊 であ る が ゆえ に 世 に知 ら れ る こ とが な く
、植 垣 氏 が 現在 残 る写 本 の 翻刻
・校 訂が 試 み た5
も の の
、 諸 本の 異 同 がは な は だ多 く
、 分量 も 膨 大な た め
、作 業 は 困難 を 極 め た らし く
、完 結 す るこ と は なか っ た
。 こ の た び、
『 肥 前風 土 記 纂註
』の 全文 翻 刻 およ び 写 本間 で の 校 合を 試 み た
。 全文 翻 刻 は次 章 で 掲げ る こ とと し
、 本章 で は
、糸 山 貞 幹著
『 肥 前 風 土記 纂 註』 に つ い て詳 し く 述べ て い きた い
。
一
、糸 山貞 幹に つい て は
じ め に、
『 肥 前風 土 記 纂註
』を 著し た 糸いと
山やま
貞さだ
幹もと
の 略 歴 をみ て お き た い
。 貞 幹 は
、天 保二 年
(
一 八三 一
) 二 月二 十 六 日
、肥 前 国佐 賀 藩 為重 村
(
現 佐 賀 市 諸 富 町
)の 糸 山 主計 の 長 男と し て 生ま れ る
。吉 田 神 道 の教 え を う け
、 旧藩 時 代 にお い ては
、 国 学教 育 の 場で あ る 神学 寮 に おい て 教 頭 を 務 めた
。そ の後
、筑 後国 一 宮の 高 良 神社
・田 島神 社 の 権 宮司
・ 宮 司 を 歴 任し
、明 治 八 年(
一 八 七 五
)八 月 二 十五 日
、 政府 の 神 道国 教 化 政 策 に とも な っ て設 置 され た 教 導職 の 権 大講 義 と なり
、 同 年十 一 月 二 十 五 日に は 香 椎宮 の 権宮 司 に 任じ ら れた
。 佐 賀 中学 校
・ 師範 学 校 で も 教 鞭を 執 り、 私 塾を 開 い て立 言 舎 と号 し た。 大 正 八 年(
一 九 一 九
) 五 月 六 日、 八 十 八 歳 で 死 去
。貞 幹 は
、 祭 祀・ 和 歌
・ 郷 土 史 な ど の 分 野 に 精通 し てい た
。 祭祀 の 分 野で は
、安 政 五 年(
一 八五 八
)に 関 守 一 と 大 森定 久 と とも に
『 順 考祭 奠 式
』(
二 巻。 国 立 国 会 図 書 館
・ 東 京 国 立 博 物 館
・ 東 北 大 学
・ 西 尾 市 岩 瀬 文 庫 に 写 本 が あ
)る
を
、 和 歌 で は
『 百歌 選
』 や
『 増 訂 樟 葉 三 十 六 歌 仙
』 を 著 し、 郷 土史 では 南 里有 隣
6
が 編 集 し た
『 肥 前 旧 事』 に 増 訂を 加 える な ど
、博 学 多 才で あ っ たこ と が 知ら れ る
。 貞 幹 が 増 補 を 行 な っ た
『 肥 前 旧 事
』と は
、安 寧天 皇
7
か ら 光 厳 天
皇 に い た るま で の 肥前 国 に 関す る 事 柄を
、 お よそ 百 三 十種 類 の ぼる 文 献 を 引 き
、編 年体 で 記 した 通 史 で、 全 六 巻 か8
ら なる
。内 閣 文 庫
・ 九 州 大 学・ 東 京 大 学史 料 編 纂所
・佐 賀県 立 図 書館
・西 尾 市岩 瀬 文 庫・ 無 窮 会 専 門図 書 館 など に 写本 が 残 っ てい る
。 佐賀 県 立 図書 館 所 蔵本 の 奥 書 に は、
「 萬延 二 年 辛酉 三 月下 旬 寫 絲 山貞 幹
」と あ り、 貞幹 に よ り 書 写・ 増 補 さ れた も の であ る こ と がわ か る
。『 肥 前 叢 書
』9
に は 活 字 化 され た も のが 収 めら れ て いる が
、 こ ちら は 万 延二 年 の 奥書 が な い が
、佐 賀 県 立図 書 館 所蔵 本 で の訂 正 が 反映 さ れ
、記 述 も 少し 詳 し く な って い るの で
、『 肥前 叢 書
』の 方 が 新し い よ うで あ る
。
『 肥 前 叢 書』 の 奥 書 をみ る と
、「 明治 二 十 八年 八 月 中清 書
」と ある も の の
、第 一 之 巻の 冒 頭 をみ る と「 明 治 卅六 年 四月 中 清 書」 と あ り、 何 度 か 清 書を く り 返し て い る様 子 が うか が え る。 こ の 時期 は
、 まさ に
『 肥 前 風土 記 纂 註』 を 清 書し て い ると き に あた り
、 両書 の 清 書が ほ ぼ 同 時 に進 行 して い た こと が 注 目さ れ る
。 こ う し て 清書 を くり 返 す 過程 で
、 貞幹 が さ らに 系 図 や文 書
、 諸家 の 説 を 中 心に 百 十 八種 類 の 文献 を 引 いて 増 補 を行 な っ てい る
。 これ ら の 増 補 は「 増
―
」と い う よう に
、 南里 有 隣 の文 と 区 別し て 文 中に 編 入 さ れ てい る が
、佐 賀 県 立図 書 館 所蔵 本 で は
、上 部 の 余白 や 行 間、 あ る い は 朱筆 で
「 増補
」 と 記さ れ て いる
。 増 補 は お もに
、文 中に 引 か れて い る史 料 に 異 本の 校 異 を示 し た り、
地 名 比 定 とい っ た
、南 里 有隣 が 編 集し た 文 に対 す る 注釈 や
、 貞幹 が 追 加 し た 史料 に 基 づき
、 新た な 項 目を 立 て るよ う な 構成 に 関 わる も の な ど
、『 肥前 叢 書
』で は 大小 合 わ せて 七 百 八十 箇 所 ほど が 確 認で き る
。 そ れ で は、 貞 幹 はど の よ うに 増 補 を行 な った の か
。仲 哀 天 皇 の御 世 に 神 功 皇后 が 登望 村 で 男装 し た こと の 典 拠に
、『 肥前 国 風 土 記』 松 浦 郡 登 望 駅条 を あ げて い る。 こ の 箇所 を 佐賀 県 立 図書 館 所 蔵 本で み て み た い
。 同 ク 登 望村 ニ テ雄 装 ヲ シ玉 フ
同 書
( 肥 前国 風土 記)
曰、 登 望 駅
※ 昔1
者
、 氣長 足 姫 尊到
※ 此2
所 留 為雄
装 御魚臂 之 鞆 落 於此 村 因 号鞆 駅
※ 東3
西 之海 有 蚫 螺鯛 雜 魚 海藻 海 松 等 本 文 を みて み ると
、※ を 附し た 場所 に 増 補の 書 き 込み が み られ る
。 す な わ ち
、
※1
の 右 傍 に「 在 郡 西
補
(さ ら に「 在
」 の 下 に
「 松 浦
」 を 補 う
」)
、
※
2
の 右 傍に
「 於
イ
」、
※
3
の 右傍 に「 増 東 松 浦郡 ニ 呼 子村 大 字 大友 小 友 ア リ
」 とあ り
、 地名 比 定と 異 本 の校 異 を 補っ て い る。 こ の よう な 記 述 方 法 は、
『肥 前 風 土記 纂 註』 とよ く 似 てお り
、清 書の 時 期 も近 い こ と か ら
、こ れ と同 じ 方 針で 増 補 を行 な った の で あろ う
。 そ の 後
、 貞 幹 は
『 肥 前 旧 事 続 編 料
』(
上 下 二 巻
) を 著 し て い る
。 こ れ は
、『 肥前 旧事
』の 続 編 で
、 後 醍 醐 天 皇 の 建 武 元 年
(
一 三 三 四
) か
ら
、 後 柏原 天 皇 の 大永 八 年(
一 五 二 八
)ま で の 百九 十 四 年間 に わ たる 記 録 を 収 めて い る
。上 巻 の 冒頭 に
「 明治 三 十 四年 二 月 中清 書
」 と記 し
、「 明治 卅 四 年七 月 中 清書
」と あ る佐 賀 県 立図 書 館所 蔵『 肥 前 風土 記 纂 註
』 乙本
(
後 述 参 照
)と ほ ぼ 同 じ時 期 の清 書 で ある
。 貞 幹 は
、 ほか に も多 く の 著作 を 遺 して い る が、 な か でも 本 章 で取 り あ げ る
『肥 前 風 土記 纂 註』 は
、 内容 の 豊 富さ か ら 郷土 史 と いう 枠 を 超 え
、 貞幹 の 研究 の 集 大成 と い うべ き 書 物で あ る
。 二
、『 肥前 風土 記 纂註
』の 諸写 本 さ
て
、『 肥 前 風 土記 纂 註
』は
、 現 在、 原 本 は残 っ て いな い も のの
、 国 立 国 会 図書 館 に 草稿 の 写し
、 佐 賀 県立 図 書 館に 貞 幹 の自 筆 稿 本が 一 本 と
、 写本 が 二 本の 合 計四 本 が 存在 す る
。 内容 に つ いて は 後 述す る こ と と して
、 こ こで は こ れら 諸 本 の書 誌 的 デー タ を 掲げ て お きた い
。
① 国立 国会 図書 館所 蔵本
(上 中下 三冊
)(
以 下、 国 会 本 と 称 す
) 1
. 上 巻(
請 求 番 号 一
〇二
. 三. 一 八三
)
袋 綴 一冊
。 題 箋に
「 肥前 風 土 記纂 注 上
」と あ り
、右 肩 に 請求 番 号 の
「 一〇 二
.三
. 一 八三
」 と 記さ れ たラ ベ ル を貼 付 す る
。 そ の ラ ベ ルの 下 に直 接
「 総国 基 肄郡 養父 郡 三根 郡 神 崎
郡
」と 記 す
。縦 二七 セ ン チ、 横 一 七 セン チ、 全 六 十 二枚
(う ち 遊 紙 一 枚
)。 遊 紙
(
六 十 二 枚 目
) 左 肩に
「 一〇 二・ 三
・ 一 八 三
」 記 さ れ た ラ ベル を 貼 付 す る。 一 枚 目 に
「 肥 前 国風 土 記 纂 註 一
〈
明 治 二 十 一 年 八 月 中 清 書
〉」 と 内 題 が あ り
、「 肥 前 国 風土 記 纂 註
」 の 左 傍 か ら 序文 の 二 行目 に か けて
「 帝 国図 書 館蔵
」 の 蔵書 印 が
、 さ ら に 右 下に
「 邨 岡氏 印
」 の角 印
、 その 下 に「 明 治 四五
. 三
.一 購 求
」 とい う 楕 円印 が あ る。 ま た 内題 の 左傍 に
「 佐賀 糸 山 貞 幹 草 稿
」と あ り
、こ れ が 草稿 で あ るこ と が知 ら れ る。 2
. 中 巻(
請 求 番 号 一〇 二
.三
. 一八 三
) 袋 綴 一 冊。 題 箋 に「 肥 前 風土 記 纂 注 中
」と あ り
、右 肩 に 上 巻 と 同 様 に請 求 番 号を 記 し たラ ベ ル を貼 付 し、 そ の 下に 直 接
「 佐 嘉 郡 小 城 郡 松 浦 郡
上
」 と 記す
。 縦横 とも に 上 巻 と 同 じ 寸 法 で
、全 六 十 一枚
(
う ち遊 紙 一 枚
)。 六 十 枚 目 左肩 に 請 求番 号 の ラ ベ ル を 貼 付す る
。 一枚 目 に
「肥 前 国 風土 記 纂註 二
」と あ り
、 そ の 下 に
「邨 岡 氏 印」 の 角 印お よ び
「明 治 四五
. 三
.一 購 求
」 の 楕 円 印 があ り
、 佐嘉 郡 の 記述 か ら 三行 に わた っ て
「帝 国 図 書 館 蔵
」 の 蔵書 印 が 押さ れ て いる
。 3
. 下 巻(
請 求 番 号 一〇 二
.三
. 一八 三
) 袋 綴 一 冊。 題箋 に「 肥前 風 土 記纂 注 三
」と あ り、 右肩 に 上 巻
・ 中 巻 と 同様 に 請 求番 号 を 記し た ラ ベル を 貼付 し
、 その 下 に 直 接