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『 肥 前

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 178-199)

風 土 記 纂 註

』 に つ い て

は じめ に

『 肥 前 国風 土 記

』は

、 現存 す る 常陸

・ 播 磨・ 出 雲

・豊 後 の 四か 国 の 風 土 記 と並 ん で五 風 土 記と 称 さ れ、 和 銅 六年

五 月

、諸 国 に 下 さ れ た官 命 によ っ て 勘 進さ れ た もの と 考 えら れ る

『肥 前 国 風土 記

』 が 一 般的 に 流 布す る よう に な った の は

、江 戸 時 代に な っ てか ら で

、元 禄十 三 年(

)に 法印 実 観 が京 都 の 曼殊 院 所 蔵本 を 書 写、 さ ら に は 寛政 十 二年

) に は 荒木 田 久 老が 木 版 本と し て 出版 し て か ら

、ひ ろ く 流布 す る よう に な り、 国 学 者な ど が 注釈 に 利 用す る よ う に なっ た

。 とこ ろ が この 頃 は

、転 写

・ 校合 さ れ るの み で

、風 土 記 本 文 その も のの 注 釈 は 行な わ れ てい な か った

。 は じ め て『 肥 前 国風 土 記

』に 本 格 的な 注 釈 を施 し た のは

、 国 立国 会 図 書 館 所 蔵 の草 稿 の 写 し

) の 序 文 に

「明 治二 十 一 年

)八 月 中 清 書」 と あ る糸 山 貞 幹の

『 肥前 風 土 記纂 註

』で

、そ の 後

、 明 治三 十 二 年(

)に 栗 田 寛氏 が 五 風土 記 を 校訂

・ 注 釈し た

『 標 注 古 風 土記

』(

) を

、 昭 和 九 年

)に 井 上 通 泰 氏 が

『 肥前 風 土 記 新 考

』(

)を 著 し

、次 第 に 研 究 され る よ うに

な っ た

。『 肥 前 国 風土 記

』 の注 釈 書の 先 駆 であ る

『 肥前 風 土 記纂 註

』 の 成 果 に いち 早 く注 目 し たの は 栗 田氏 で あ る。 彼 は『 標 注 古 風土 記

』 の 凡 例 で 次の よ うに 記 し てい る 肥 前 風 土記 は

。 寛政 十 二 年荒 木 田 神主 久 老が 訓 點 を加 へ た る も の を 本 とし て

。 舊印 本 と いふ

。 其 異同 は

。吾 友 肥 前國 人 糸 山 貞 幹 が 諸 異本 を 以 て校 し た る本

。 と 同人 の 肥前 風 土 記纂 注 に よ れ り

。 其 大略 を い はゞ

。 谷 森氏 の も たる 本 の奥 書 に

。右 之 風 土 記 四 帖

。以

竈 御 殿預 家 之 傳本

。令

書 寫

。文 政 八 年十 月 上 旬

。 秦 公 均 とあ る も の。 又 湯 谷某 謹 誌 とあ る を寫 て

。 藤原 勤 が 青 柳 種 麿 に 贈り た る を。 三 橋 五麿 が 寫 せる 本

。ま た 元 禄十 三 年

。 以

曼殊 院 所 藏之 本

。書

於 高 野 村蓮 華 寺

。 法印 實 觀

。と あ る 本

。ま た 南里 元 籌 が天 保 八 年に

。以

講 談 所

本 寫

之と あ る 本

。 又 六 人 部是 香 が 本居 宣 長 と。 上 田 百樹 の 説を 書 入 たり と い ふ 本 な ど

。 其他 數 本 あり

。 増 注は

。 大 方糸 山 氏の 纂 注

。と 同 氏 の 風 土 記 書 入本 を

。 先き に 寫 し置 き た るも の によ れ り

。標 注 の 漢 文 な る は 舊本 の ま ゝと 知 る べし

。 古 書を 引 きた る は 此限 り に あ ら ず

。 二 箇 所 の傍 線 部か ら

、『 標注 古 風 土記

』の

『 肥前 国風 土 記』 の部 分 は

、 貞 幹 の『 肥 前 風土 記 纂註

』 お よび

、 貞 幹が 校 訂 した

『 肥 前国 風 土 記

』 を 利用 し て いる こ とが わ か り、

「 糸 山貞 幹 曰

」「 貞 幹 云

」と 記

す 頭 注 は 全体 を 通し て 十 六 箇所 存 在 する

。 ま た

、 栗田 氏 が 引い た 貞 幹の 説 を 井上 氏 が

『肥 前 風 土記 新 考

』に 間 接 引 用 し た り、 平 田 俊 春 氏

・ 秋 本吉 郎 氏

・久 松 潜 一氏

・ 植 垣 節 也 氏

が 校 訂 や 注 釈 に 利 用 す る な ど

、 未 刊 で は あ るも の の、 そ の 後 の 研 究 に与 え た影 響 は 大き い

『 肥 前 風 土記 纂 註』 は

、 おも に 重 野安 繹 の 序文 に も ある よ う に、

① 本 文 の 校訂 に 多 くの 種 類の 写 本 を利 用 し てい る 点

、② 国 学 者・ 地 元 出 身 者 など の 先 学諸 家 の説 を 多 く引 用 し てい る 点

、③ 本 文 の 注釈 に 様 々 な 分野 の 文 献を 引 いて い る 点

、④ 未 だ 先学 が 指 摘し て い ない こ と に 言 及し て いる 点 が 優れ て い る。 施 さ れ た注 釈 は

、『 肥 前 国 風土 記

』 の 注 釈書 の 最 初に し て、 最 も 詳細 な も の で、 研 究 史上 逸 す るこ と の で き ない 成 果と い っ ても 過 言 では な い

。 そ れ に もか か わ らず

、 前述 の よ う に、 未 刊 であ る が ゆえ に 世 に知 ら れ る こ とが な く

、植 垣 氏 が 現在 残 る写 本 の 翻刻

・校 訂が 試 み た

も の の

、 諸 本の 異 同 がは な は だ多 く

、 分量 も 膨 大な た め

、作 業 は 困難 を 極 め た らし く

、完 結 す るこ と は なか っ た

。 こ の た び、

『 肥 前風 土 記 纂註

』の 全文 翻 刻 およ び 写 本間 で の 校 合を 試 み た

。 全文 翻 刻 は次 章 で 掲げ る こ とと し

、 本章 で は

、糸 山 貞 幹著

『 肥 前 風 土記 纂 註』 に つ い て詳 し く 述べ て い きた い

、糸 山貞 幹に つい て は

じ め に、

『 肥 前風 土 記 纂註

』を 著し た 糸

の 略 歴 をみ て お き た い

。 貞 幹 は

、天 保二 年

) 二 月二 十 六 日

、肥 前 国佐 賀 藩 為重 村

)の 糸 山 主計 の 長 男と し て 生ま れ る

。吉 田 神 道 の教 え を う け

、 旧藩 時 代 にお い ては

、 国 学教 育 の 場で あ る 神学 寮 に おい て 教 頭 を 務 めた

。そ の後

、筑 後国 一 宮の 高 良 神社

・田 島神 社 の 権 宮司

・ 宮 司 を 歴 任し

、明 治 八 年(

)八 月 二 十五 日

、 政府 の 神 道国 教 化 政 策 に とも な っ て設 置 され た 教 導職 の 権 大講 義 と なり

、 同 年十 一 月 二 十 五 日に は 香 椎宮 の 権宮 司 に 任じ ら れた

。 佐 賀 中学 校

・ 師範 学 校 で も 教 鞭を 執 り、 私 塾を 開 い て立 言 舎 と号 し た。 大 正 八 年(

) 五 月 六 日、 八 十 八 歳 で 死 去

。貞 幹 は

、 祭 祀・ 和 歌

・ 郷 土 史 な ど の 分 野 に 精通 し てい た

。 祭祀 の 分 野で は

、安 政 五 年(

)に 関 守 一 と 大 森定 久 と とも に

『 順 考祭 奠 式

』(

西

、 和 歌 で は

『 百歌 選

』 や

『 増 訂 樟 葉 三 十 六 歌 仙

』 を 著 し、 郷 土史 では 南 里有 隣

が 編 集 し た

『 肥 前 旧 事』 に 増 訂を 加 える な ど

、博 学 多 才で あ っ たこ と が 知ら れ る

。 貞 幹 が 増 補 を 行 な っ た

『 肥 前 旧 事

』と は

、安 寧天 皇

か ら 光 厳 天

皇 に い た るま で の 肥前 国 に 関す る 事 柄を

、 お よそ 百 三 十種 類 の ぼる 文 献 を 引 き

、編 年体 で 記 した 通 史 で、 全 六 巻 か

ら なる

。内 閣 文 庫

・ 九 州 大 学・ 東 京 大 学史 料 編 纂所

・佐 賀県 立 図 書館

・西 尾 市岩 瀬 文 庫・ 無 窮 会 専 門図 書 館 など に 写本 が 残 っ てい る

。 佐賀 県 立 図書 館 所 蔵本 の 奥 書 に は、

「 萬延 二 年 辛酉 三 月下 旬 寫 絲 山貞 幹

」と あ り、 貞幹 に よ り 書 写・ 増 補 さ れた も の であ る こ と がわ か る

。『 肥 前 叢 書

に は 活 字 化 され た も のが 収 めら れ て いる が

、 こ ちら は 万 延二 年 の 奥書 が な い が

、佐 賀 県 立図 書 館 所蔵 本 で の訂 正 が 反映 さ れ

、記 述 も 少し 詳 し く な って い るの で

、『 肥前 叢 書

』の 方 が 新し い よ うで あ る

『 肥 前 叢 書』 の 奥 書 をみ る と

、「 明治 二 十 八年 八 月 中清 書

」と ある も の の

、第 一 之 巻の 冒 頭 をみ る と「 明 治 卅六 年 四月 中 清 書」 と あ り、 何 度 か 清 書を く り 返し て い る様 子 が うか が え る。 こ の 時期 は

、 まさ に

『 肥 前 風土 記 纂 註』 を 清 書し て い ると き に あた り

、 両書 の 清 書が ほ ぼ 同 時 に進 行 して い た こと が 注 目さ れ る

。 こ う し て 清書 を くり 返 す 過程 で

、 貞幹 が さ らに 系 図 や文 書

、 諸家 の 説 を 中 心に 百 十 八種 類 の 文献 を 引 いて 増 補 を行 な っ てい る

。 これ ら の 増 補 は「 増

」と い う よう に

、 南里 有 隣 の文 と 区 別し て 文 中に 編 入 さ れ てい る が

、佐 賀 県 立図 書 館 所蔵 本 で は

、上 部 の 余白 や 行 間、 あ る い は 朱筆 で

「 増補

」 と 記さ れ て いる

。 増 補 は お もに

、文 中に 引 か れて い る史 料 に 異 本の 校 異 を示 し た り、

地 名 比 定 とい っ た

、南 里 有隣 が 編 集し た 文 に対 す る 注釈 や

、 貞幹 が 追 加 し た 史料 に 基 づき

、 新た な 項 目を 立 て るよ う な 構成 に 関 わる も の な ど

、『 肥前 叢 書

』で は 大小 合 わ せて 七 百 八十 箇 所 ほど が 確 認で き る

。 そ れ で は、 貞 幹 はど の よ うに 増 補 を行 な った の か

。仲 哀 天 皇 の御 世 に 神 功 皇后 が 登望 村 で 男装 し た こと の 典 拠に

、『 肥前 国 風 土 記』 松 浦 郡 登 望 駅条 を あ げて い る。 こ の 箇所 を 佐賀 県 立 図書 館 所 蔵 本で み て み た い

。 同 ク 登 望村 ニ テ雄 装 ヲ シ玉 フ

同 書

曰、 登 望 駅

※ 昔

、 氣長 足 姫 尊到

※ 此

所 留 為雄

装 御魚 之 鞆 落 於此 村 因 号鞆 駅

※ 東

西 之海 有 蚫 螺鯛 雜 魚 海藻 海 松 等 本 文 を みて み ると

、※ を 附し た 場所 に 増 補の 書 き 込み が み られ る

。 す な わ ち

の 右 傍 に「 在 郡 西

の 右 傍に

「 於

」、

の 右傍 に「 増 東 松 浦郡 ニ 呼 子村 大 字 大友 小 友 ア リ

」 とあ り

、 地名 比 定と 異 本 の校 異 を 補っ て い る。 こ の よう な 記 述 方 法 は、

『肥 前 風 土記 纂 註』 とよ く 似 てお り

、清 書の 時 期 も近 い こ と か ら

、こ れ と同 じ 方 針で 増 補 を行 な った の で あろ う

。 そ の 後

、 貞 幹 は

『 肥 前 旧 事 続 編 料

』(

) を 著 し て い る

。 こ れ は

、『 肥前 旧事

』の 続 編 で

、 後 醍 醐 天 皇 の 建 武 元 年

) か

、 後 柏原 天 皇 の 大永 八 年(

)ま で の 百九 十 四 年間 に わ たる 記 録 を 収 めて い る

。上 巻 の 冒頭 に

「 明治 三 十 四年 二 月 中清 書

」 と記 し

、「 明治 卅 四 年七 月 中 清書

」と あ る佐 賀 県 立図 書 館所 蔵『 肥 前 風土 記 纂 註

』 乙本

)と ほ ぼ 同 じ時 期 の清 書 で ある

。 貞 幹 は

、 ほか に も多 く の 著作 を 遺 して い る が、 な か でも 本 章 で取 り あ げ る

『肥 前 風 土記 纂 註』 は

、 内容 の 豊 富さ か ら 郷土 史 と いう 枠 を 超 え

、 貞幹 の 研究 の 集 大成 と い うべ き 書 物で あ る

。 二

、『 肥前 風土 記 纂註

』の 諸写 本 さ

、『 肥 前 風 土記 纂 註

』は

、 現 在、 原 本 は残 っ て いな い も のの

、 国 立 国 会 図書 館 に 草稿 の 写し

、 佐 賀 県立 図 書 館に 貞 幹 の自 筆 稿 本が 一 本 と

、 写本 が 二 本の 合 計四 本 が 存在 す る

。 内容 に つ いて は 後 述す る こ と と して

、 こ こで は こ れら 諸 本 の書 誌 的 デー タ を 掲げ て お きた い

① 国立 国会 図書 館所 蔵本

(上 中下 三冊

)(

) 1

. 上 巻(

袋 綴 一冊

。 題 箋に

「 肥前 風 土 記纂 注 上

」と あ り

、右 肩 に 請求 番 号 の

「 一〇 二

.三

. 一 八三

」 と 記さ れ たラ ベ ル を貼 付 す る

。 そ の ラ ベ ルの 下 に直 接

「 総国 基 肄郡 養父 郡 三根 郡 神 崎

」と 記 す

。縦 二七 セ ン チ、 横 一 七 セン チ、 全 六 十 二枚

)。 遊 紙

) 左 肩に

「 一〇 二・ 三

・ 一 八 三

」 記 さ れ た ラ ベル を 貼 付 す る。 一 枚 目 に

「 肥 前 国風 土 記 纂 註 一

〉」 と 内 題 が あ り

、「 肥 前 国 風土 記 纂 註

」 の 左 傍 か ら 序文 の 二 行目 に か けて

「 帝 国図 書 館蔵

」 の 蔵書 印 が

、 さ ら に 右 下に

「 邨 岡氏 印

」 の角 印

、 その 下 に「 明 治 四五

. 三

.一 購 求

」 とい う 楕 円印 が あ る。 ま た 内題 の 左傍 に

「 佐賀 糸 山 貞 幹 草 稿

」と あ り

、こ れ が 草稿 で あ るこ と が知 ら れ る。 2

. 中 巻(

) 袋 綴 一 冊。 題 箋 に「 肥 前 風土 記 纂 注 中

」と あ り

、右 肩 に 上 巻 と 同 様 に請 求 番 号を 記 し たラ ベ ル を貼 付 し、 そ の 下に 直 接

「 佐 嘉 郡 小 城 郡 松 浦 郡

」 と 記す

。 縦横 とも に 上 巻 と 同 じ 寸 法 で

、全 六 十 一枚

)。 六 十 枚 目 左肩 に 請 求番 号 の ラ ベ ル を 貼 付す る

。 一枚 目 に

「肥 前 国 風土 記 纂註 二

」と あ り

、 そ の 下 に

「邨 岡 氏 印」 の 角 印お よ び

「明 治 四五

. 三

.一 購 求

」 の 楕 円 印 があ り

、 佐嘉 郡 の 記述 か ら 三行 に わた っ て

「帝 国 図 書 館 蔵

」 の 蔵書 印 が 押さ れ て いる

。 3

. 下 巻(

) 袋 綴 一 冊。 題箋 に「 肥前 風 土 記纂 注 三

」と あ り、 右肩 に 上 巻

・ 中 巻 と 同様 に 請 求番 号 を 記し た ラ ベル を 貼付 し

、 その 下 に 直 接

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 178-199)

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