妃 を 中 心 に
―
は じめ に 天
皇 の キ サキ に は
、皇 后
・ 妃・ 夫 人
・嬪 な ど の身 位 があ り
、 後宮 職 員 令 に 定 員と 資 格 が明 記 さ れて お り
、妃 は 二 名で 四 品以 上
、 夫人 は 三 名 で 三位 以 上
、嬪 は 四 名で 五 位 以上 と 規 定さ れ てい る
。 こ う し た 条文 は
、大 宝 令 以 降 に定 め ら れた と 考 えら れ る が1
、『 日 本 書 紀
』で は、 大 化 前代 の キ サキ に 関 して も 皇 后・ 妃・ 夫 人・ 嬪 の2
呼 称 が 用 い られ て い る。 い っ ぽう
、『 古事 記
』 では
、『 日本 書 紀
』の よ う に
「 皇 后
」
・3
「 妃
」
4
と い っ た 呼 称は 使 わ れ て い な い が、 地 位 の 高 い キ サキ を
「 大后
」 と 称し た こ とが み え てい る
。 こ の
「 大 后
」は
、『 古事 記
』 特有 の 呼 称で は な く、
『 日本 書 紀
』に も 用 例 が ある
。た だ
、『 古事 記
』で
「大 后
」と 記 さ れる 人 物 と『 日 本 書 紀
』の そ れ の 間に は 若 干の 出 入 りが あ る
。『 古事 記』 の「 大 后」 は
『 日 本 書 紀』 で は 例 外な く「 皇 后
」で あ る が
、『 日本 書紀
』の 皇 后 は、 か な ら ず しも
『 古 事記
』 で
「大 后
」 と表 記 さ れる わ け では な い
。 こ の「 大后
」 に つ い て は 岸 俊 男 氏 の す ぐ れ た 研 究が ある が
5
、 氏 の 研 究 で 特に 重 要 と思 わ れ るの は
、 以下 の 諸 点で あ る
。
① 大后 は
、 大 宝・ 養 老 令制 の 皇 后に 先 立 って 用 い られ た 称 号で あ る
。
② 五世 紀 中 ごろ か ら
、 多く の 后 妃の 中 で 皇族 出 身 の者 が 大 后の 地 位 にあ っ た
。
③ 制度 と し て確 立 し たの は 敏 達天 皇 朝 から 推 古 天皇 朝 で あ る。
④ 推古 天 皇 朝に 入 る 少し 前 か ら、 皇 太 子と 相 並 んで 皇 位 継承 者 た り うる 資 格 をも つ と 同時 に
、 国政 上 で もき わ め て重 要 な 地位 を 占 める よ う にな っ た
。 岸 氏の 研 究 は
、大 宝
・ 養老 令 制 以前 の
「 大后
」 や
「皇 后
」 の性 質 を 明 らか に し たも の と し て高 く 評 価さ れ て いる が
、大 化 前 代 のキ サ キ 制 度に つ い てい え ば
、な お 問 題が 残 る
。す な わ ち、 氏 は
、「 皇后
」 と「 妃
」、 あ る いは
「 大 后」 と 他 の キサ キ と に区 別 があ っ た こ とは 認 め る もの の
、 皇 后や 大 后 以外 の キ サキ に 序 列が 存 在し た こ と は認 め て お られ な い
。 しか し
、『 日 本 書 紀』 に は
、『 続 日 本紀
』 以 下 五国 史 や 律 令格 式 に は用 例 が ない
「 元 妃
」や
「 正 妃」 と いっ た 独 自 の用 例 が あ るこ と や
、「 皇后
」所 生 の 皇 子の 即 位 が多 数 を 占め る な かで
、特 定 の キ サキ が 生 んだ 皇 子 が即 位 し てい る 例 のあ る こと を 考 慮 する と
、
「 皇 后
」以 外 の キサ キ を 一括 し て しま う こ とに は
、一 抹 の 不 安を 覚 え る
。 そ こで
、 小 論 では
、 こ れま で 序 列が 存 在 しな い と され て い た大 化
前 代 の キ サキ
、 特 に「 妃
」 に重 点 を おい て 検 討し て み たい
。 一
、妃 につ いて の 検討 は
じ め に
、『 日 本 書紀
』で
「 妃」 と 記 され る キ サキ に つい て 検 討し た い が
、そ れ に 先立 っ て
、「 皇 后
」と は なに か と いう こ とを 明 ら かに し て お く 必 要が あ る
。そ こ で
、先 行 研 究が 皇 后 をど の よう に 定 義し て い る か を みて お き たい が
、 この 点 に つい て は
、以 下の よ う な 諸説 が あ る
。
① 皇 女 で ある こ と6
② 皇 女
、 ある い は 所生 子 の 子孫 が 皇 位に 即 い てい る こと
7
③ 皇 族 で あ るか
、 所 生子 が 即 位し た か
、い ず れ かい っぽ う の 条件 が 満 た さ れて い る こと
8
こ れ を み る と、 い ず れの 定 義 も、 出 自 や所 生 子 の即 位の 有 無 を問 題 に し て い る。 そ こ で、 こ れ らの 説 が 的を 射 て いる か どう か を 確認 す る た め
、
『 日本 書 紀
』に あ る 天皇 の 生 母の 称 号 と出 自 を みて み る と、 左 の
〔 表1
〕 の とお り で ある
。
天皇 生母の称号 生母が皇族 備考 1 神武天皇
2 綏靖天皇 皇后 3 安寧天皇 皇后 4 懿徳天皇 皇后 5 孝昭天皇 皇后 6 孝安天皇 皇后 7 孝霊天皇 皇后 8 孝元天皇 皇后 9 開化天皇 皇后 10 崇神天皇 皇后
11 垂仁天皇 皇后 ○ 12 景行天皇 皇后 ○ 13 成務天皇 皇后 ○
14 仲哀天皇 妃 ○ 日本武尊の子 15 応神天皇 皇后 ○
16 仁徳天皇 皇后 ○ 17 履中天皇 皇后
18 反正天皇 皇后 履中天皇の同母弟 19 允恭天皇 皇后 反正天皇の同母弟 20 安康天皇 皇后 ○
21 雄略天皇 皇后 ○ 22 清寧天皇 妃
23 顕宗天皇 その他 市辺押磐皇子の子 24 仁賢天皇 その他 顕宗天皇の同母兄 25 武烈天皇 皇后 ○
26 継体天皇 その他 ○ 彦主人王の子 27 安閑天皇 妃
28 宣化天皇 妃
29 欽明天皇 皇后 ○ 30 敏達天皇 皇后 ○ 31 用明天皇 妃
32 崇峻天皇 妃
33 推古天皇 妃 敏達天皇皇后
34 舒明天皇 その他 押坂彦人大兄皇子の子 35 皇極天皇 その他 舒明天皇皇后 36 孝徳天皇 その他 皇極天皇の同母弟 37 斉明天皇 その他 皇極天皇重祚 38 天智天皇 皇后 ○
40 天武天皇 皇后 ○
〔表1〕歴代天皇の生母
こ の表 を み る と、 歴 代 天皇
(
推 古
・ 皇 極〈 斉 明
〉 天 皇 は 即 位事 情 が 特殊 な た め 小 論 で は 除 外
)の 生 母 の 多 く は「 皇 后
」と 記さ れ る が
、仲 哀
・ 清 寧
・ 顕 宗
・仁 賢
・ 継体
・ 安 閑・ 宣 化
・用 明
・ 崇峻
・ 推 古・ 舒 明
・ 孝徳 の 諸 天 皇の 場 合 は そう で な い。 こ の うち
、 仲 哀・ 顕 宗・ 仁 賢
・ 継体
・ 舒 明
・ 孝徳 天 皇 は、 父 が 天皇 で は なく
、 母 も「 皇 后」 で は な い。 ま た
、 履中
・ 反 正・ 允 恭 天皇 の 母 は
「皇 后
」 だが
、 皇族 で は な い。 さ ら に
、 清寧
・ 安 閑・ 宣 化
・用 明
・ 崇峻 天 皇 の場 合
、母 は
「 皇 后」 で も 皇 族で も な い
。 と ころ で
、 この 事 実 を踏 ま え ると
、 さ きに 紹 介 した
①
~
③の
「 皇
后
」の 定 義 に はい ず れ も例 外 が存 す る こと を 認 めな く ては な ら ない
。 ま ず
、皇 女 で ある こ と を皇 后 の 要件 と す る① 説 で は
、仁 徳 天皇
「 皇 后
」の 磐 之 媛命
(
葛 城 襲 津 彦の 女
)が
、こ れ に 牴 触す る
。ま た
、武 烈天 皇
「 皇 后
」の 春 日 娘子 の 出 自が 不 明 な9
の も 問 題と なろ う
。 つ ぎ に
、 皇 女も し く は生 ん だ 子の 子 孫 の即 位 を 要件 と す る
② 説の 場 合
、 磐 之 媛命 の 問 題は ク リ アで き る とし て も
、生 ん だ子 も な い春 日 娘 子 に つ いて は 疑 問が 依 然 とし て 残 る。 し か も、 所生 子 の 子 孫の 即 位 と い う
、② 説 の 要件 の 一 つを 満 た して い る にも かか わ ら ず
、母 が
「 妃
」 とい うケ ース が 複数 存在 する が
(
後 述 参 照
)、 どう して 彼 女 た ち が
「 妃
」の 身 分 なの か
、
②説 で は じゅ う ぶ んな 説明 が な さ れて い な い
。 さ ら に
、② 説に 疑 念 があ る と すれ ば
、こ れに 近 い
③説 に 対 し て も、 同 じ 不 安 が 払拭 で き ない
。
② や③ の 説 では
「 皇 后」 の 要件 の 一 つに 子
(
子 孫
) の 即 位 を あ げ る が
、 要 件 を 満 た す キ サ キ が 同 時 に 複 数 生 じ た 場 合
、 その な か から
、 ど のよ う に して 皇 后 を決 める の か に つい て
、 こ れ らの 説 は 明確 な 説 明を 与 え てい な い ので あ る。 こ の よ う に 考え る と
、先 行 学 説の い う
「皇 后
」 の定 義 は い ず れも 問 題 が あ り
、完 全 に 支持 す る こと は で きな い
。 しか し、 皇 女 で ある こ と を 基 本に し て
、所 生 子(
の子 孫
)の 即 位 の 有 無に 着 目し た 見 通し は
、 方 向 性と し て は正 し い とい え よ う。
以 上の こ と を もと に 再 び先 行 研 究を み て みる と
、
①に つ い て、 仁 徳 天 皇「 皇 后
」の 磐 之媛 命(
葛 城 襲 津彦 の 女
)は 皇 族で な く
、武 烈天 皇
「 皇 后」 の 春 日 娘子 は 出 自が 不 明 であ る に もか か わら ず
「 皇 后」 と さ れ てい る 点 が問 題 と して 残 る
。
②は 皇 女
、あ る いは 所 生 子 の子 孫 の 即 位 とす る こ とで
、
① で問 題 と なっ た 磐 之姫 命 の件 は 解 消 され る が
、 所 生の 子 も いな い 春 日娘 子 の 問題 が 依 然と し て残 る
。 ま た、 所 生 の 子 の即 位 と いう 要 件 を満 た し てい る に もか か わら ず
、母 は「 妃
」 と な って い る 場合 が あ り、 こ の こ とに つ い て十 分 な説 明 が な され て い な い
。③ に つ いて も
② と同 様 の 問題 が あ る。 ま た、
② と
③ にあ る
「 皇 后
」 の 要 件 を
、 皇 族 も し く は 所 生 子
(
の 子 孫 も 含 む
) の 即 位 と し た 場 合、 要 件 を 満た す キ サキ が 同 時に 複 数 でて く ると い う こ とが 生 じ て くる
。 と ころ が
、〔 表 1〕 によ れ ば
、雄 略 天 皇 以前 は 母 を「 皇 后
」と す る 例 が 圧倒 的 に 多い の に 対 して
、 清 寧天 皇 以 降は
、 むし ろ 母 が
「妃
」 や
「 その 他
」 で ある ケ ー スが 多 い
。で は
、 なぜ
、 こう し た 変 化が み ら れ るの で あ ろう か
。 母 が「 そ の 他」 と な って い る事 例 に つ いて は べ つ に考 え る 必要 が あ るの で
、 小論 で は ひと ま ず 措く と し て
、「 妃
」 所 生 であ り な がら 即 位 した ケ ー ズ
、具 体的 に は
、清 寧・ 安閑
・宣 化
・ 用 明
・崇 峻 天 皇 につ い て
、そ れ ぞ れの 即 位 の事 情 につ い て は 個別 に
分 析 し て おく 必 要 があ ろ う
。 た と え ば
、清 寧 天 皇 の場 合
、父 の 雄 略 天皇 に は「 皇 后
」が い た が
、 子 は な か った よ う であ る
10
。ま た
、安 閑・ 宣 化 天皇 は 継体 天 皇 の「 皇 后
」 手 白 香皇 女と の 間 に 天国 排開 広庭 尊
(
欽 明 天 皇
) がい たも の の
、 彼 が 幼 年 で あっ た こ とを 理 由 に天 国 排 開広 庭 尊 より 先 に即 位 し てお り
1 1
、用 明・ 崇 峻 天 皇は
、欽 明 天 皇の
「 皇 后
」石 姫 所 生の 訳 語 田渟 中 倉 太 珠 敷尊
(
敏 達 天 皇
)の あ と に 即 位し て い る。 こ の よ う に
「妃
」 が 生ん だ 皇 子の 即 位 の例 は
、
①「 皇后
」 所 生の 皇 子 が い な いケ ー ス
、②
「 皇 后」 の 生 んだ 皇 子 が幼 年 のた め に 即位 が 困 難 な ケ ース
、
③
「皇 后
」 所生 の 皇 子の 即 位 が実 現 した あ と 登極 し た ケ ー ス、 の 三 例に 限 ら れて い る
。 こ こ で 注 目し た い のが
、 敏 達天 皇 以 後の 即 位 の順 序で あ る
。 敏達 天 皇 以 後 は
、用 明天 皇
、崇 峻 天 皇 とい う よ うに
、欽 明 天 皇の 諸 皇 子、 す な わ ち 敏 達天 皇 の 異母 兄 弟 にあ た る 皇子 ら に よっ て 皇位 が 継 承さ れ て い る 点 が注 意 を ひく
。 こ れら の 天 皇の 即 位 の順 序 と系 譜 関 係を 示 す と
、 つぎ の と おり で あ る(
天 皇 は 太 字
、「 皇 后
」 は 囲 み 線
、「 皇 后
」 が 複 数 の 場 合
、 冊 立 順 を ロ ー マ 数 字 で 表 し た
)。
尾 張 連 草 香
目 子 媛
春 日 山 田 皇 女
勾 大 兄 皇 子
(27 安 閑)
檜 隈 高 田 皇 子( 28宣 化
)
石 姫
橘 仲 皇 女
稚 綾 姫 皇 女
石 上 皇 子
息 長 真 手 王
広 姫Ⅰ
男 大 迹 王
(26 継 体
)
箭 田 珠 勝 大 兄 皇 子
押 坂 彦 人 大 兄 皇 子
訳 語 田 沼 中 倉 太 珠 敷尊
( 30敏 達
)
天 国 排 開 広 庭尊
( 29欽 明
)
穴 穂 部 間 人 皇 女
※
竹 田 皇 子
尾 張 皇 子
手 白 香 皇 女
厩 戸 皇 子
大 兄 皇 子
(31 用 明
)
小 泊 瀬 稚 鷦 鷯皇 子
(25 武 烈
)
豊 御 食 炊 屋 姫 尊
( 33 推 古
)Ⅱ
蘇 我 稲 目
堅 塩 媛
穴 穂 部 間 人 皇 女
※
泊 瀬 部 皇 子
(32 崇 峻)
小 姉 君
春 日 娘 子
右 の系 図 を 参考 に
、 敏達 天 皇 の皇 子 に つ いて み て みよ う
。 ま ず、 一 人 目 の「 皇 后
」広 姫 と の間 に は 押坂 彦 人 大兄 皇 子 がい た が
、 何ら か の 理由 に よ り即 位 し てい な い
。敏 達 天 皇四 年 十 一月 の 広 姫 の 薨去 を う けて 冊 立 され た 二 人目 の
「 皇 后」 豊 御食 炊 屋 姫 との 間 に は
、 竹田 皇 子 と尾 張 皇 子が い た
。竹 田 皇 子に つ いて は
、 推 古天 皇 が 竹 田皇 子 の 陵に 合 葬 する よ う 遺詔 し て い るこ と から
(
推 古 天皇 三 十 六 年 九 月 戊 子 条
)、 こ れ 以前 に 薨 去 し てい た と 考え て よ いで あ ろ う1 2
。な お
、尾 張 皇子 に つ いて は
、系 譜(
敏 達 天 皇 五 年三 月 己卯 条
)以 外 で 存在 を