• 検索結果がありません。

― 元

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 109-123)

妃 を 中 心 に

は じめ に 天

皇 の キ サキ に は

、皇 后

・ 妃・ 夫 人

・嬪 な ど の身 位 があ り

、 後宮 職 員 令 に 定 員と 資 格 が明 記 さ れて お り

、妃 は 二 名で 四 品以 上

、 夫人 は 三 名 で 三位 以 上

、嬪 は 四 名で 五 位 以上 と 規 定さ れ てい る

。 こ う し た 条文 は

、大 宝 令 以 降 に定 め ら れた と 考 えら れ る が

、『 日 本 書 紀

』で は、 大 化 前代 の キ サキ に 関 して も 皇 后・ 妃・ 夫 人・ 嬪 の

呼 称 が 用 い られ て い る。 い っ ぽう

、『 古事 記

』 では

、『 日本 書 紀

』の よ う に

「 皇 后

「 妃

と い っ た 呼 称は 使 わ れ て い な い が、 地 位 の 高 い キ サキ を

「 大后

」 と 称し た こ とが み え てい る

。 こ の

「 大 后

」は

、『 古事 記

』 特有 の 呼 称で は な く、

『 日本 書 紀

』に も 用 例 が ある

。た だ

、『 古事 記

』で

「大 后

」と 記 さ れる 人 物 と『 日 本 書 紀

』の そ れ の 間に は 若 干の 出 入 りが あ る

。『 古事 記』 の「 大 后」 は

『 日 本 書 紀』 で は 例 外な く「 皇 后

」で あ る が

、『 日本 書紀

』の 皇 后 は、 か な ら ず しも

『 古 事記

』 で

「大 后

」 と表 記 さ れる わ け では な い

。 こ の「 大后

」 に つ い て は 岸 俊 男 氏 の す ぐ れ た 研 究が ある が

、 氏 の 研 究 で 特に 重 要 と思 わ れ るの は

、 以下 の 諸 点で あ る

① 大后 は

、 大 宝・ 養 老 令制 の 皇 后に 先 立 って 用 い られ た 称 号で あ る

② 五世 紀 中 ごろ か ら

、 多く の 后 妃の 中 で 皇族 出 身 の者 が 大 后の 地 位 にあ っ た

③ 制度 と し て確 立 し たの は 敏 達天 皇 朝 から 推 古 天皇 朝 で あ る。

④ 推古 天 皇 朝に 入 る 少し 前 か ら、 皇 太 子と 相 並 んで 皇 位 継承 者 た り うる 資 格 をも つ と 同時 に

、 国政 上 で もき わ め て重 要 な 地位 を 占 める よ う にな っ た

。 岸 氏の 研 究 は

、大 宝

・ 養老 令 制 以前 の

「 大后

」 や

「皇 后

」 の性 質 を 明 らか に し たも の と し て高 く 評 価さ れ て いる が

、大 化 前 代 のキ サ キ 制 度に つ い てい え ば

、な お 問 題が 残 る

。す な わ ち、 氏 は

、「 皇后

」 と「 妃

」、 あ る いは

「 大 后」 と 他 の キサ キ と に区 別 があ っ た こ とは 認 め る もの の

、 皇 后や 大 后 以外 の キ サキ に 序 列が 存 在し た こ と は認 め て お られ な い

。 しか し

、『 日 本 書 紀』 に は

、『 続 日 本紀

』 以 下 五国 史 や 律 令格 式 に は用 例 が ない

「 元 妃

」や

「 正 妃」 と いっ た 独 自 の用 例 が あ るこ と や

、「 皇后

」所 生 の 皇 子の 即 位 が多 数 を 占め る な かで

、特 定 の キ サキ が 生 んだ 皇 子 が即 位 し てい る 例 のあ る こと を 考 慮 する と

「 皇 后

」以 外 の キサ キ を 一括 し て しま う こ とに は

、一 抹 の 不 安を 覚 え る

。 そ こで

、 小 論 では

、 こ れま で 序 列が 存 在 しな い と され て い た大 化

前 代 の キ サキ

、 特 に「 妃

」 に重 点 を おい て 検 討し て み たい

。 一

、妃 につ いて の 検討 は

じ め に

、『 日 本 書紀

』で

「 妃」 と 記 され る キ サキ に つい て 検 討し た い が

、そ れ に 先立 っ て

、「 皇 后

」と は なに か と いう こ とを 明 ら かに し て お く 必 要が あ る

。そ こ で

、先 行 研 究が 皇 后 をど の よう に 定 義し て い る か を みて お き たい が

、 この 点 に つい て は

、以 下の よ う な 諸説 が あ る

① 皇 女 で ある こ と

② 皇 女

、 ある い は 所生 子 の 子孫 が 皇 位に 即 い てい る こと

③ 皇 族 で あ るか

、 所 生子 が 即 位し た か

、い ず れ かい っぽ う の 条件 が 満 た さ れて い る こと

こ れ を み る と、 い ず れの 定 義 も、 出 自 や所 生 子 の即 位の 有 無 を問 題 に し て い る。 そ こ で、 こ れ らの 説 が 的を 射 て いる か どう か を 確認 す る た め

『 日本 書 紀

』に あ る 天皇 の 生 母の 称 号 と出 自 を みて み る と、 左 の

〔 表1

〕 の とお り で ある

天皇 生母の称号 生母が皇族 備考 1 神武天皇

2 綏靖天皇 皇后 3 安寧天皇 皇后 4 懿徳天皇 皇后 5 孝昭天皇 皇后 6 孝安天皇 皇后 7 孝霊天皇 皇后 8 孝元天皇 皇后 9 開化天皇 皇后 10 崇神天皇 皇后

11 垂仁天皇 皇后 12 景行天皇 皇后 13 成務天皇 皇后

14 仲哀天皇 日本武尊の子 15 応神天皇 皇后

16 仁徳天皇 皇后 17 履中天皇 皇后

18 反正天皇 皇后 履中天皇の同母弟 19 允恭天皇 皇后 反正天皇の同母弟 20 安康天皇 皇后

21 雄略天皇 皇后 22 清寧天皇

23 顕宗天皇 その他 市辺押磐皇子の子 24 仁賢天皇 その他 顕宗天皇の同母兄 25 武烈天皇 皇后

26 継体天皇 その他 彦主人王の子 27 安閑天皇

28 宣化天皇

29 欽明天皇 皇后 30 敏達天皇 皇后 31 用明天皇

32 崇峻天皇

33 推古天皇 敏達天皇皇后

34 舒明天皇 その他 押坂彦人大兄皇子の子 35 皇極天皇 その他 舒明天皇皇后 36 孝徳天皇 その他 皇極天皇の同母弟 37 斉明天皇 その他 皇極天皇重祚 38 天智天皇 皇后

40 天武天皇 皇后

〔表1〕歴代天皇の生母

こ の表 を み る と、 歴 代 天皇

)の 生 母 の 多 く は「 皇 后

」と 記さ れ る が

、仲 哀

・ 清 寧

・ 顕 宗

・仁 賢

・ 継体

・ 安 閑・ 宣 化

・用 明

・ 崇峻

・ 推 古・ 舒 明

・ 孝徳 の 諸 天 皇の 場 合 は そう で な い。 こ の うち

、 仲 哀・ 顕 宗・ 仁 賢

・ 継体

・ 舒 明

・ 孝徳 天 皇 は、 父 が 天皇 で は なく

、 母 も「 皇 后」 で は な い。 ま た

、 履中

・ 反 正・ 允 恭 天皇 の 母 は

「皇 后

」 だが

、 皇族 で は な い。 さ ら に

、 清寧

・ 安 閑・ 宣 化

・用 明

・ 崇峻 天 皇 の場 合

、母 は

「 皇 后」 で も 皇 族で も な い

。 と ころ で

、 この 事 実 を踏 ま え ると

、 さ きに 紹 介 した

③の

「 皇

」の 定 義 に はい ず れ も例 外 が存 す る こと を 認 めな く ては な ら ない

。 ま ず

、皇 女 で ある こ と を皇 后 の 要件 と す る① 説 で は

、仁 徳 天皇

「 皇 后

」の 磐 之 媛命

)が

、こ れ に 牴 触す る

。ま た

、武 烈天 皇

「 皇 后

」の 春 日 娘子 の 出 自が 不 明 な

の も 問 題と なろ う

。 つ ぎ に

、 皇 女も し く は生 ん だ 子の 子 孫 の即 位 を 要件 と す る

② 説の 場 合

、 磐 之 媛命 の 問 題は ク リ アで き る とし て も

、生 ん だ子 も な い春 日 娘 子 に つ いて は 疑 問が 依 然 とし て 残 る。 し か も、 所生 子 の 子 孫の 即 位 と い う

、② 説 の 要件 の 一 つを 満 た して い る にも かか わ ら ず

、母 が

「 妃

」 とい うケ ース が 複数 存在 する が

)、 どう して 彼 女 た ち が

「 妃

」の 身 分 なの か

②説 で は じゅ う ぶ んな 説明 が な さ れて い な い

。 さ ら に

、② 説に 疑 念 があ る と すれ ば

、こ れに 近 い

③説 に 対 し て も、 同 じ 不 安 が 払拭 で き ない

② や③ の 説 では

「 皇 后」 の 要件 の 一 つに 子

) の 即 位 を あ げ る が

、 要 件 を 満 た す キ サ キ が 同 時 に 複 数 生 じ た 場 合

、 その な か から

、 ど のよ う に して 皇 后 を決 める の か に つい て

、 こ れ らの 説 は 明確 な 説 明を 与 え てい な い ので あ る。 こ の よ う に 考え る と

、先 行 学 説の い う

「皇 后

」 の定 義 は い ず れも 問 題 が あ り

、完 全 に 支持 す る こと は で きな い

。 しか し、 皇 女 で ある こ と を 基 本に し て

、所 生 子(

)の 即 位 の 有 無に 着 目し た 見 通し は

、 方 向 性と し て は正 し い とい え よ う。

以 上の こ と を もと に 再 び先 行 研 究を み て みる と

①に つ い て、 仁 徳 天 皇「 皇 后

」の 磐 之媛 命(

)は 皇 族で な く

、武 烈天 皇

「 皇 后」 の 春 日 娘子 は 出 自が 不 明 であ る に もか か わら ず

「 皇 后」 と さ れ てい る 点 が問 題 と して 残 る

②は 皇 女

、あ る いは 所 生 子 の子 孫 の 即 位 とす る こ とで

① で問 題 と なっ た 磐 之姫 命 の件 は 解 消 され る が

、 所 生の 子 も いな い 春 日娘 子 の 問題 が 依 然と し て残 る

。 ま た、 所 生 の 子 の即 位 と いう 要 件 を満 た し てい る に もか か わら ず

、母 は「 妃

」 と な って い る 場合 が あ り、 こ の こ とに つ い て十 分 な説 明 が な され て い な い

。③ に つ いて も

② と同 様 の 問題 が あ る。 ま た、

② と

③ にあ る

「 皇 后

」 の 要 件 を

、 皇 族 も し く は 所 生 子

) の 即 位 と し た 場 合、 要 件 を 満た す キ サキ が 同 時に 複 数 でて く ると い う こ とが 生 じ て くる

。 と ころ が

、〔 表 1〕 によ れ ば

、雄 略 天 皇 以前 は 母 を「 皇 后

」と す る 例 が 圧倒 的 に 多い の に 対 して

、 清 寧天 皇 以 降は

、 むし ろ 母 が

「妃

」 や

「 その 他

」 で ある ケ ー スが 多 い

。で は

、 なぜ

、 こう し た 変 化が み ら れ るの で あ ろう か

。 母 が「 そ の 他」 と な って い る事 例 に つ いて は べ つ に考 え る 必要 が あ るの で

、 小論 で は ひと ま ず 措く と し て

、「 妃

」 所 生 であ り な がら 即 位 した ケ ー ズ

、具 体的 に は

、清 寧・ 安閑

・宣 化

・ 用 明

・崇 峻 天 皇 につ い て

、そ れ ぞ れの 即 位 の事 情 につ い て は 個別 に

分 析 し て おく 必 要 があ ろ う

。 た と え ば

、清 寧 天 皇 の場 合

、父 の 雄 略 天皇 に は「 皇 后

」が い た が

、 子 は な か った よ う であ る

。ま た

、安 閑・ 宣 化 天皇 は 継体 天 皇 の「 皇 后

」 手 白 香皇 女と の 間 に 天国 排開 広庭 尊

) がい たも の の

、 彼 が 幼 年 で あっ た こ とを 理 由 に天 国 排 開広 庭 尊 より 先 に即 位 し てお り

、用 明・ 崇 峻 天 皇は

、欽 明 天 皇の

「 皇 后

」石 姫 所 生の 訳 語 田渟 中 倉 太 珠 敷尊

)の あ と に 即 位し て い る。 こ の よ う に

「妃

」 が 生ん だ 皇 子の 即 位 の例 は

①「 皇后

」 所 生の 皇 子 が い な いケ ー ス

、②

「 皇 后」 の 生 んだ 皇 子 が幼 年 のた め に 即位 が 困 難 な ケ ース

「皇 后

」 所生 の 皇 子の 即 位 が実 現 した あ と 登極 し た ケ ー ス、 の 三 例に 限 ら れて い る

。 こ こ で 注 目し た い のが

、 敏 達天 皇 以 後の 即 位 の順 序で あ る

。 敏達 天 皇 以 後 は

、用 明天 皇

、崇 峻 天 皇 とい う よ うに

、欽 明 天 皇の 諸 皇 子、 す な わ ち 敏 達天 皇 の 異母 兄 弟 にあ た る 皇子 ら に よっ て 皇位 が 継 承さ れ て い る 点 が注 意 を ひく

。 こ れら の 天 皇の 即 位 の順 序 と系 譜 関 係を 示 す と

、 つぎ の と おり で あ る(

)。

27

28

26

30

29

31

25

33

32

右 の系 図 を 参考 に

、 敏達 天 皇 の皇 子 に つ いて み て みよ う

。 ま ず、 一 人 目 の「 皇 后

」広 姫 と の間 に は 押坂 彦 人 大兄 皇 子 がい た が

、 何ら か の 理由 に よ り即 位 し てい な い

。敏 達 天 皇四 年 十 一月 の 広 姫 の 薨去 を う けて 冊 立 され た 二 人目 の

「 皇 后」 豊 御食 炊 屋 姫 との 間 に は

、 竹田 皇 子 と尾 張 皇 子が い た

。竹 田 皇 子に つ いて は

、 推 古天 皇 が 竹 田皇 子 の 陵に 合 葬 する よ う 遺詔 し て い るこ と から

)、 こ れ 以前 に 薨 去 し てい た と 考え て よ いで あ ろ う

。な お

、尾 張 皇子 に つ いて は

、系 譜(

)以 外 で 存在 を

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 109-123)

関連したドキュメント