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』 校 訂

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 132-136)

『 肥前 国 風 土記

』は

、昭 和 初 年に な って 発 見さ れ

、昭 和 三 十年

)に な っ て 国宝 に 指 定さ れ た平 安 時代 後 期 の書 写 と され る 故猪 熊 信 男 氏旧 蔵 の 猪熊 本 が 現存 最 古の 写 本で あ る

。ま た

、 元禄 十 三年

)十 二 月 五日

、 京都 の 曼殊 院 所 蔵本 を 実 観法 印 が 書写 した 旨 の 奥 書を 有 す る南 葵 文 庫本 が ある

。 南 葵文 庫 本 は、 猪 熊 本と 同系 統 と さ れて い る が、 若 干 相違 す る箇 所 があ り

、 難 解な 異 体 字を 多く 記 す 猪 熊本 の 本 文 を校 訂 する 際 に参 考 と なる

。 南 葵 文 庫本 の 親本 で あ る曼 殊 院 本は 現 在所 在 不 明と な っ てい る が、 従 来 よ り猪 熊 本 との 関 係 が論 じ られ て おり

、 猪 熊本 こ そ が曼 殊 院本 と す る 秋本 吉 郎 氏(

、 猪 熊 本と 祖 本 を 同じ く す る も別 系 統 と す る平 田 俊 春氏

、こ れ らの 研 究 史 を 整 理 した う え で 判 断を 保 留 す ると す る 田 中卓 氏

)と い う よ う に 定 説を みな い

。 こ の曼 殊 院 本は

、明 治 二 十一 年

) 八 月清 書 と 記す

『肥

前 国 風土 記

』の 注 釈書 の 先 駆で あ る 糸山 貞 幹氏 の 著に な る

『 肥前 風 土 記 纂註

』に お け る本 文 校 訂に

「 曼本

祿

)」 と し て

、曼 殊 院本 を 三回 転 写 した

「 曼 本」 が 利用 さ れて お り

、こ の 校 異 か ら曼 殊 院本 の 面影 を 復 元し よ う とし た 林崎 治 恵氏 の 試 み(

が あ る が

、「 曼 本

」を 校異 に 引 いて い る 七十 六 箇所 か ら

、猪 熊 本 との 親 疎 関 係 を 明ら かに す るこ と は でき な か った

。 この こ とか ら

、 やは り 猪 熊 本 と曼 殊 院本 と の関 係 は 不明 と す るほ か ない

。 そ して 寛 政十 一 年(

) 三月

、長 崎 人、 大 家惟 年 が 齎し た 原 本 を

、荒 木 田久 老 が京 都 で 校正 し て 訓点 を 加え

、 翌十 二 年 五月 に 版 本 と して 刊 行さ れ

、国 学 者 を中 心 と して 研 究に 利 用さ れ る よう に な っ た

。 前 に あ げ た

『 肥 前 風 土 記 纂 註

』 の 著 者 で あ る 糸 山 貞 幹 氏 は

『 肥 前国 風 土記

』に 注釈 を 施す だ け でな く

、校 異 は 記さ な い も のの

、 奥 書 から 現 在で は 失わ れ た 写本 と の 校合 も 行な っ てお り

、 そ の校 訂 本 は 現在

、佐 賀 県立 図 書 館に 所蔵 さ れ てい る

。明 治三 十 二 年(

) の 栗田 寛 氏 が 五 風土 記 の 本 文 を集 め て 校 訂

・ 注 釈 した

『 標 注 古 風 土 記』

)の 刊 行 は

、近 代 に おけ る 風 土記 の テ キス ト 研究 の 先駆 け と なっ た

。 凡例 に よる と

、『 肥 前 国 風土 記

に 関 し ては

、 前 述の 糸 山 貞幹 氏 が校 訂 を行 な っ た『 肥 前 国風 土 記』 の 写 本 およ び

『 肥前 風 土 記纂 註

』が 多 く引 用 さ れて い る

。 その 後、 昭 和 九 年(

)に な っ て、 井上 通 泰 氏が 板 本 を底 本 と し猪 熊本 を 対 校 し て校 訂 し

、栗 田 寛氏 の『 標 注 古 風土 記

』や 糸 山 貞 幹 氏の

『 肥 前 風 土 記纂 註

』を 引 用 し、 考 証 を加 え た『 肥 前風 土 記新 考

』(

)が

、昭 和 二 十 六 年

) に は 平田 俊 春 氏が 猪 熊 本を 底本

、 南葵 文 庫 本を 副 本と し

、 十 三 種 類 の写 本

・ 研 究 書と 校 合 し た

「校 本 肥 前風 土 記

」(

) が 刊 行 さ れた

。 昭 和 三 十三 年

)に 出 た 秋 本 吉 郎 氏校 注 の 日 本 古典 文 学 大系

『2 風土 記

』(

)の 登場 は

、 戦 後 に おけ る 風 土記 研 究 の発 展 に大 き な影 響 を 与え た

。 猪 熊本 を底 本 と し

、南 葵 文 庫本 と 対 校し て いる

。 そ の翌 年 に は久 松 潜 一氏 校注 の 日 本 古典 全 書『 風 土記

』(

)が 出 る が、 秋 本 氏 校 注 本と 比 較 する と

、 それ ほ ど広 ま らな か っ たよ う で ある

。 久 松 潜 一氏 の 後、 し ば らく の 間 テキ ス ト研 究 の 流れ は 落 ち着 き を み せ

、三 十五 年 あ ま り 経 っ た 平 成 六 年

、 田 中 卓氏 に よる 五 風 土 記の 校 訂 本で あ る 神道 大 系古 典 編七

『風 土 記

』(

) が 刊 行 さ れた

。『 肥 前 国 風土 記

』 の 部分 は 平 田 俊 春氏 の

「 校 本肥 前 風 土記

」 を 底本 と し、 猪 熊本

・ 南 葵文 庫 本

・ 荒木 田久

老 校 訂本 を 対校 し たも の で ある

。 そし て 平成 九 年(

) に 刊行 さ れ た 植垣 節也 氏 校注

・訳 の 新 編日 本 古典 文 学 全集

『5 風 土記

』(

) は、 猪 熊 本 を 底 本 と し て、 南 葵 文 庫 本

・ 田 安 家 本

・ 京大 図 書館 本

・荒 木 田 久老 校 訂 本な ど を参 照 して 校 訂 を加 え た 原 文 に、 頭 注・ 訓 読・ 現 代 語訳 を 載 せる

。 秋本 氏 校注 の 日 本古 典 文 学 大 系本 と なら ぶ 完成 度 の 高さ を 誇 るが

、 本文 校 訂の 際 の 校異 注 は 省 略 され て おり

、必 要に 応 じて 頭 注 に掲 げ て いる のみ で あ る。 また

、 近 年 にお い ては

、 平成 二 十 年(

に 沖 森卓 也・ 佐 藤 信・ 矢 嶋 泉 の 三氏 の 編 に な る

『豊 後 国 風土 記 肥 前 国風 土 記』

) が 刊 行 さ れ て い る

。 これ は猪 熊 本 を 底 本 と し

、 南 葵 文 庫 本 を対 校 した も ので

、 底 本で あ る 猪熊 本 の表 記 を尊 重 し たも の で あ る

。 以 上が

『 肥 前国 風 土記

』 のテ キ ス トで あ る

。 戦後 に刊 行 さ れた テ キ ス トを み ると

、 猪熊 本 を 底本 と し

、南 葵 文庫 本 を対 校 す る パタ ー ン が 主流 と なっ て いる

。 新 しい 校 訂 本の 作 成は

、 これ ま で の校 訂 本 に 何 らか の 問題 が あっ て

、 それ を 補 完し て より よ いテ キ ス トに す る 目 的 で行 な われ る もと 考 え られ る

。 これ ま で刊 行 され て き たテ キ ス ト は

、い ず れも 優 れた も の であ る が

、問 題 点と し ては

① 秋本 吉 郎 氏校 訂 の日 本 古典 文 学 大系 本 や

、 近年 刊行 さ れ た沖 森 卓 也

・ 佐藤 信

・矢 嶋 泉 の三 氏 に よる 校 訂本 な ど、 猪 熊 本と 南 葵

文 庫本 の み で校 訂 を行 な った も の が多 く

、 近世 に おい て 広 く流 布 した 荒 木 田久 老 校本 を 校合 に 利 用し た も のが 極 めて 少 な いこ と

② 猪 熊 本を 底 本と し

、 十三 種 類 の写 本

・研 究 書と 校 合 した 平 田 俊 春 氏校 訂 本 は

、対 校本 の 数で 並 ぶ もの は 今 な お出 てい な い が、 誤 植・ 校 異 注を 逸 する 箇 所が 少 な から ず み られ る こと

③ 平田 俊 春 氏校 訂 本を 底 本と し

、 猪熊 本

・ 南葵 文 庫本

・ 荒 木田 久 老 校 訂 本を 対 校し た 田 中卓 氏 校 訂本 は

、荒 木 田久 老 校 訂本 に よ る 校 異 の脱 落 が目 立 つ こと

。 な ど があ げ られ る

。そ こ で

、こ れ ら 先学 の 成果 を 踏ま え て 問題 点 を 補 完 すべ く

、改 め て本 文 校 訂を 行 な いた い

。校 訂 の方 法 は 左 の【 凡 例

】 の 通り であ る

【 凡 例

】 一

、 こ の た び の 校 訂 で は

、 猪 熊 本 を 底 本 と し

、 南 葵 文 庫 本

・ 荒 木 田 久 老 校 訂 本

・ 井 上 通 泰

『 肥 前 風 土 記 新 考

』・ 平 田 俊 春 氏 校 訂 本

・ 神 道 大 系 本

・ 山 川 出 版 社 刊

『 豊 後 国 風 土 記 肥 前 国 風 土 記

』 を 対 校 本 と し た

。 校 訂 に お け る こ れ ら の 写 本

・ 刊 本 の 略 称 は 次 の 通 り で あ る

( 1

) 底 本 猪 熊 信 男 氏 旧 蔵 本

。 平 安 時 代 後 期 の 書 写 と さ れ

、 現 存 す る

『 肥 前 国 風 土 記

』 の 写 本 で は 最 も 古 い が

、 書 写 の 年 月 日 を 記 し た 奥 書 は 存 し な い

。 猪 熊 本 の 存 在 が 知 ら れ る よ う に な っ た の は 昭 和 に な っ て か ら で あ る

( 2

) 南 本 東 京 大 学 総 合 図 書 館 所 蔵

。 旧 紀 州 徳 川 家 南 葵 文 庫 旧 蔵 本

。 奥 書 に

「 元 禄 十 三 年 歳 次 庚 辰 冬 十 二 月 初 五 日

。 以

曼 殊 院 所 藏 之 本

高 野 村 蓮 華 寺

。 法 印 實 觀

」 と あ り

、 元 禄 十 三 年

) 十 二 月 五 日

、 実 観 法 印 が 曼 殊 院 所 蔵 本 を 書 写 し た 旨 を 記 す

( 3

) 板 本 荒 木 田 久 老 校 本

。 跋 文 に

、「 右 一 冊 者

。 肥 前 國 長 崎 人 大 家 惟 年 所

齎 來

書 也

。 原 本 謬 誤 尤 多 矣

。」 と あ る

( 4

) 新 考 井 上 通 泰

『 肥 前 風 土 記 新 考

』(

)。 荒 木 田 久 老 校 訂 本 を 底 本 と し

、 猪 熊 本 を 対 校 本 と す る

( 5

) 校 本 平 田 俊 春 氏 校 訂 本

)。 猪 熊 本 を 底 本 と し

南 葵 文 庫 本

・ 井 上 通 泰 氏 旧 蔵 本 以 下 十 三 の 写 本

・ 研 究 書 と 対 校 す る

( 6

) 神 本 田 中 卓 氏 校 訂 本

)。 平 田 俊 春 氏 校 訂 本 を 底 本 と し

、 猪 熊 本

・ 南 葵 文 庫 本

・ 荒 木 田 久 老 校 訂 本 を 対 校 本 と す る

( 7

) 山 本 沖 森 卓 也

・ 佐 藤 信

・ 矢 嶋 泉 編

『 豊 後 国 風 土 記

・ 肥 前 国 風 土 記

』(

)。 猪 熊 本 を 底 本 と し

、 南 葵 文 庫 本 を 対 校 本 と す る

。 こ の ほ か

、必 要 に 応 じ て 秋 本 吉 郎 校 注

・ 日 本 古 典 文 学 大 系

『2 風 土 記

』(

)・ 植 垣 節 也 校 注 訳

・ 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 5

『 風 土 記

』(

) を 参 考 に し た

。 一

、本 文 の 字 体 は

、底 本 に 従 っ た

。そ の た め

、「 国

」・

「 國

」な ど

、常 用 漢 字 と 異 体 字 が 混 在 し て 不 統 一 な 部 分 も あ る が そ の ま ま と し た

。 一

、 風 土 記 の 原 文 は 十 四 ポ イ ン ト

、 校 異 は 七 ポ イ ン ト

、 訓 読 は 十 二 ポ イ ン ト で 組 版 し た

。 な お

、 分 注 に つ い て は

〉 で 括 っ て 大 字 と す る 体 裁 に 改 め た

。 一

、 校 異 に よ っ て 底 本 の 字 を 改 め た 場 合

、 該 当 す る 文 字 を 網 掛 け と し た

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 132-136)

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