• 検索結果がありません。

― 命

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 97-109)

)を 娶 っ て 生 まれ た 子 が 岡 本宮 で 即 位 し た こ と ま で しる し て いる

。 忍 坂日 子 人 太子 の 他 に天 皇の 子 孫 の系 譜 が 記 さ れ てい る 例 は、 建 内宿 祢

)、 倭 建 命(

) の二 例 で

、 この 二 例 と時 期 の 隔た り が あり

、 さ らに 二 人を 伝 説 上の 人 物 と み る 見解 が 依 然と し て 強い

。 し かし

、 御 子 の系 譜ま で し るし て い る こ と は、 日 子 人太 子 が 有力 な 御 子た る こ との 表 われ だ っ たの で は な い か と思 う

。 こ こに み え る日 子 人 太子 の 御 子と は舒 明 天 皇の こ と で あ り

、『 日 本 書紀

』 によ る と

、の ちに 日 子 人太 子(

) は 皇 祖 大兄 と い わ れ

、そ の 私 有 し てい た 皇祖 大 兄 御名 入 部 は、 代 々 皇 祖 大 兄 の子 孫 へ 伝承 さ れ

、大 化 二 年に 中 大 兄皇 子に よ っ て国 家 に 返 上 さ れ た

結 果 的 に 日子 人 太 子 は 即 位す るこ と は な か っ た が

、 忍 坂 日 子人 太 子 は 敏達 天 皇 の有 力 な 御子 で あ った と考 え ら れる

。 以 上 の 諸例 で 注 目さ れ る のは

、 前 にみ た 木 梨軽 之 太子

・ 白 髪太 子 と 忍 坂 日子 人 太 子の 三 人 は

、「 太 子

」が 名 前 の 一部 と化 し て いる 点 で

あ る

。 これ ま で の太 子 の 例は

、 太 子の 名 を 負う

、 また は

「 太子 大 雀 命

」「 太 子伊 耶 本和 気 命

」の よ う に、

「 太 子

」と い う 形式 で 記 さ れ て おり

、太 子 は ある 種 の称 号 か のよ う で ある

。こ れに 対 し

、「 木 梨 軽 之 太子

」「 白 髪 太 子

」「 忍 坂 日 子 人 太 子

」 は

、「

太 子

」 の 形 を と り

、前 者 の

「太 子

」 とは 性 質 が異 な る

。こ れ は「 太 子

」の 語 が 本 来 は 有力 な 御 子に 対 す る敬 称 で あっ た が

、時 が 進む に つ れて 有 力 な 御 子 とい う 意 味だ け にと ど ま らず

、 皇 位 継承 有 力者 の 意 味を ふ く む 語 に 変化 し た ので は ない か と 考え ら れ る。 と こ ろ で

、「 太 子」 の用 例 が

『 日 本 書 紀

』 に お け る

「 大 兄

」 と 類 似 し て いる と い う荒 木 氏 の指 摘 は さき に も 紹介 し たと お り だが

、 こ れ ま で みて き た「 太 子」 の用 例 で

、「 大兄

」に 相 当す るの は

、忍 坂 日 子 人 太 子= 押 坂 彦人 大 兄皇 子 の 例の み で ある

。 一 応は 太 子 伊耶 本 和 気 命

= 大兄 去 来 穂別 尊 と する こ と もで き よ うが

、 直木 孝 次 郎氏 が 明 ら か に され て い るよ う に、 大 兄 去 来穂 別 尊 の「 大 兄」 は 地 名の

「 大 江

」 で あ る か ら

、 や は り 忍 坂 日 子人 太 子の 例 の み と す る の が 妥 当 で あ る

。「 太 子

」の 例 を みる と

、そ のほ と んど が 長子 で あ るが

、皇 位 継 承 の 原則 と し ての 大 兄制 を 認 める か 否 かに か か わら ず

、 長子 を 意 味 す る「 大 兄

」の 初 例 が 勾大 兄 皇 子で あ る こと は

、ほ ぼ異 論 が ない

ま た

、『 古 事 記』 で「 太 子

」の 用例 が 確 認さ れ る 時期 は、

『 日本 書 紀』 で

「 大 兄」 が み える 時 期 とは 一 致 しな い の で、

『 古事 記

』 の「 太 子

『 日 本書 紀

』 の「 大 兄

」と 類 似 した も の とす る こと は で きな い

。 以 上

、時 系列 に 沿っ て

、「 太 子

」の 事 例 を検 討 し てき た が、 そ の 結 果

、『 古事 記』 で は、 時期 に よっ て「 太 子」 の 意味 が大 き く 二つ に わ か れ る こと が 判 明 した

。す なわ ち

、「 太 子」 は 結果 的に 皇 位 継承 有 力 者 と イ コー ル の 関係 に あ る もの の

、 本来 は

、 有力 な御 子 に 対す る 敬 称 で あ った と 考 えら れ る

。さ ら に

、仁 徳 天 皇 段以 降は

、「 太 子」 は 長 子 で あ るこ と に 加え て

、 御 名代 が 設 置さ れ た こと が記 さ れ てお り

、 さ ら に

、允 恭 天皇 段 から あ とは

、「 太 子

」が 名 前の 一部 と 化 して い る 人 物 が みら れ る こと か ら

、 有力 な 皇 位継 承 者 とし ての 意 味 をふ く む 語 へ と 変化 し た こ とが う か がえ る

。以 上 の 点か ら

、『 古 事 記』 の「 太 子

」 の 用例 は 時 期に よ っ て変 化 し てお り

、 長子 で

、な お か つ「 ヒ ツ ギ ノ ミ コ」 と さ れる 人 物 を『 古 事 記』 で は

「太 子

」と 記 す とい う

、 一 貫 し た法 則 性 を強 調 さ れた 荒 木 氏の 説 に は従 え ない

。 二

、『 日 本書 紀』 にみ える

「太 子」 に つい て 次

『日 本 書 紀』 に み え る「 太 子

」に 目 を 移し てみ よ う

『 日本 書紀

』で は

、「 太 子

」 の 用 例 と 並 行 し て

「 皇 太 子

」 の 語 も み ら れ る が、 こ ち らは 皇 太 子制 の 確 立後

、 そ の知 識を 溯 ら せて 記 し た 可 能 性が 大 き い

。む ろ ん

、『 日 本書 紀

』編 者 が皇 太子 と 書 くに は そ

れ な り の根 拠 が あっ た と考 え ら れる が

、 こ の点 に つい て は 必要 な 範 囲 で ふ れる と し て、 以 下 は、 も っ ぱら

「 太 子」 の 用語 を 検 討対 象 と す る こ とに し た い。

『 日 本書 紀

』 にお け る

「太 子

」 の用 例 は

『古 事 記』 同 様

、別 表 に 網 羅 し たが

、そ の 初見 は、 安 寧 天 皇即 位 前 紀で あ る。 こ こ には

、「 磯 城 津 彦 玉 手看 天 皇

。 神 渟 名川 耳 天 皇 太 子、 也、

。 母曰

五 十 鈴 依 媛

。 事 代 主 神之 少 女 也

。(

)」 と あ り

、 安 寧 天 皇 は 綏 靖 天 皇 の 太 子 で あ っ た とし る さ れて い る

。綏 靖 天 皇二 年 正月 条 に は、

「 立

五 十 鈴 依 媛

即 天 皇之 姨 也

。 后 生

磯 城 津彦 玉 手

、、

、 看 天 皇

。」 と あ り、 綏 靖 天皇 が 五 十鈴 依 媛 以外 に 后妃 を 娶 った こ と が 記 載 され て い ない

。 し かも

、 唯 一娶 っ た 五十 鈴 依媛 と の 間に 生 ま れ た 皇 子は

、 磯 城津 彦 玉手 看 尊 ただ 一 人 であ る

。 次 に 孝昭 天 皇 即位 前 紀に

「 観 松 彦香 殖 稲 天皇

。 大日 本 彦 耜友 天 皇 太 子、 也、

。母 皇 后 天 豊津 媛 命

。 息 石 耳 命 之 女 也

。(

)」 と あ り

、 孝 昭 天 皇 は懿 徳 天 皇の 太 子で あ っ たこ と が し るさ れ てい る

。 懿徳 天 皇 二 年 正 二月 癸 丑 条に あ る皇 統 譜 を確 認 し てみ る と「 立

天 豊 津 媛命

皇 后

后生

観、 松 彦 香殖

、、 稲、 天皇、

」 と あ る

。懿 徳 天 皇の 場 合も

、 天 豊 津媛 命 以 外に 后 妃を 娶 っ たこ と が 記 さ れ てい な い

。ま た

、一 書 に よる と 観 松 彦香 殖 稲尊 に は 同母 弟 に 武 石 彦 奇友 背 命 がい た と記 さ れ てい る が

、あ く ま でも 分 註 で載 せ る

と い う 形に 留 め られ て お り、 本 文 に採 用 さ れて い ない と こ ろを 考 え る と

、 観 松彦 香 殖 稲尊 は 天 豊津 媛 命 所生 の 唯 一の 皇子 で あ った 可 能 性 が 大 きい

。 続 い て、 孝 霊 天皇 即 位 前紀 に

「 大日 本 根 子彦 太 瓊天 皇

。 日本 足 彦 国 押 人 天 皇 太 子、 也、

。 母 曰

押媛

蓋 天 足彦 国 押 人 命 之 女 乎

。(

」 と あ り

、孝 霊 天 皇 は孝 安 天 皇の 太 子 であ っ た こと がし る さ れて い る

。 孝 安 天 皇廿 六 年 二月 壬 寅 条 を見 て み ると

立 姪 押媛

皇 后

后 生

大 日 本 根 子 彦 太瓊 天 皇

、、

、、

。」 と あり

、 や はり 孝 安 天 皇 の 場合 も 押 媛以 外 に 后妃 は な く

、押 媛 と の間 に生 ま れ たの は 大 日 本 根 子 彦太 瓊 尊 のみ で あ る。 続 く 孝元 天 皇 即位 前 紀 に「 大 日 本根 子 彦 国 牽天 皇。 大 日 本根 子 彦 太 瓊 天 皇 太 子、 也、

。 母 曰

細媛 命

。 磯 城県 主 大 目 之 女 也

。(

)」 と あ り

、 孝元 天 皇 は孝 霊 天 皇の 太 子 であ っ た とい う

。孝 霊 天 皇二 年 二 月 丙 寅 条 には 次 の よう に 記 され て い る。 立

細 媛命

皇后

后 生

大 日 本 根 子彦

、、 国、 牽、 天 皇、

。妃 倭 国香 媛 亦名 絙 某 姉。 生

倭 迹 迹日 百 襲 姫命

。彦 五 十 狭 芹 彦 命。

倭 迹 迹稚 屋 姫

。亦 妃 絙某 弟 生

彦 狭 嶋命

。稚 武 彦 命

。 弟 稚 武彦 命

。 是吉 備 臣之 始 祖 也。 大 日 本 根子 彦 国 牽尊

)の 例が こ れ まで の 例と 異 な るの は

、 父 で あ る孝 霊 天 皇が 複 数 の女 を 娶 り、 そ れ ぞれ の 間に 皇 子 が生 ま れ

て い る 点で あ る

。し か し、 大 日 本根 子 彦 国 牽尊 に は同 母 兄 弟が お ら ず

、 孝 霊天 皇 皇 后と の 間 に生 ま れ た唯 一 子 であ る とい え よ う。 前 に あげ た 四 例を ふ くむ 綏 靖 天皇 か ら 開化 天 皇 にい た る 八代 の 天 皇 の 記 録は

、 系 譜は 存 在す る が

、事 績 を しる し た 部分 が 欠 けて い る こ と か ら欠 史 八 代と い われ

、 た と えば 立 太 子記 事 の形 式 が 統一 さ れ て い る 点な ど か ら、 直 木 氏は 編 者 の手 が こ の部 分 にも っ と も多 く 加 わ っ て いる こ と を唱 え てい る

。 こ の年 代 の 記録 は 古い た め

、記 録 の 脱 落 な どの 可 能 性を 想 定し て お くべ き で あろ う が

、后 妃 の 出自 や 名 に 異 伝 を伝 え て いる 場 合が あ っ ても

所 生子 に つ いて は 記 紀と も に ほ ぼ 同じ 所 伝 のた め

、 ひと ま ず 前に あ げ た四 例 は、 即 位 前紀 で 前 天 皇 と の続 柄 を 表わ す た めに

「 太 子」 の 語 を用 い てい る た め、 皇 后 と さ れ る后 妃 の 唯一 子 を 意味 す る と考 え た い。 次 に 神 功皇 后 摂 政 十 三 年二 月 甲 子条 を み る と

「命

武 内宿 禰

太 子、

、 令

角 鹿笥 飯 大 神

。」 と あり

、 武 内宿 禰 に命 じ て 太 子に 従 わ せ て 角鹿

) の笥 飯 大神 に 拝ま せ た とい う

。こ こ で の「 太 子」 は

、神 功 皇 后摂 政 三年 正 月 戊子 条 の「 立

誉 田 別皇 子

。為

皇 太子

。」 の 立 太 子の 記 述 をう け た もの と 推 測さ れ る

。そ の 後、 誉 田 別皇 子 は 即 位 し て応 神 天 皇と な って い る

。仲 哀 天 皇 二年 正 月甲 子 条 によ る と

、 誉 田 別 皇子 の 異 母兄 弟 に大 中 姫 所生 の 麛 坂皇 子 と 忍熊 皇 子

、弟 媛 所 生 の 誉 屋別 皇 子(

)が い た こ とが し る

ドキュメント内 古風土記受容の研究 (ページ 97-109)

関連したドキュメント