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第 3 章 米国湿地ミティゲーション政策における Flexibility

4.2 総合考察: flexibility とその活用

本研究においては,QLD 州の沿岸域オフセットと米国の湿地ミティゲーション政 策(WMP)を対象として,生物多様性オフセットにおける flexibility とはどういっ たもので,どういった動機・目的により導入されており,制度においてどういった 役割を果たしているのかを分析した.その結果を整理すると,表9のように分類す ることができる.

91 表9 生物多様性オフセットにおける flexibility

flexibility

種類 具体例 主な目的 有効と思われる状況 想定されるリスク リスクへの対策

ミティゲーシ ョン・ヒエラ ルキーに関す る flexibility

回避(代替案 の検討)の免 除

・許認可プロ セスの簡易 化(行政の負 担減)

・開発者の負 担軽減

・規制対象の開発(開発申請数)が多す ぎることにより管理者(行政)の 人的資 源が不足している.

・開発者の負担に対する反発が大きく制 度運用が困難.

・一つ一つの開発における影響が小さい.

・回避可能な生態系へ の悪影響の助長

・技術的に不確実な手 段(オフセット)への 依存

・大規模開発には適用 しない.

・希少な生態系や復 元・創造が困難な生態 系を対象とした開発 には適用しない.

代償手法に関 するflexibility

・既存生態系 の保存・保全 の実施

・間接的手法 の採用

・生態学的成 果の確保(失 敗率の低減)

・生態系の再生・創造の技術が確立して いない.

・新たに生態系を再生・創造する場所が ない.

・間接的手法が生態系保全に不可欠.

・ノーネットロスの未 達成

・評価の抽象化(比較 困難)

・意思決定過程の不明 瞭化

・オフセットとして認 められる手法につい て可能な限り明確な 基準を作る.

・意思決定における市 民参画機会を確保す る.

代償場所に関 するflexibility

off-site(遠隔 地)における オフセット の実施

・生態学的効 果の改善

・バンキング やILFの推 進

・小規模開発が多く,一括で代償を行う 方が効率が良い(バンキングに適してい る).

・開発地周辺に適したオフセット用地が ない.

・生態系サービスの再 配分

・生態系のつながりの 切断

・生態系サービスや生 態系のつながりに関 する基準を設ける.

・エリアを限定する.

代償対象に関 するflexibility

out-of-kind オフセット の実施

・生態学的成 果の確保・改 善

・優先して保全すべき生態系が開発圧の 高い生態系とは異なる.

・生態系の構成・配置が複雑 .

・代償困難な生態系の 安易な破壊

・地域の生態系のモニ タリングを行い,生態 系の状況に応じて柔 軟に基準を変更する.

92 生物多様性オフセットにおける flexibility を分類すると,ミティゲーション・ヒ エ ラ ル キ ー に 関 す る flexibility, 代 償 手 法 に 関 す る flexibility, 代 償 場 所 に 関 す る

flexibility,代償対象に関する flexibility に分類することができる.ミティゲーショ

ン・ヒエラルキーに関するflexibilityとは,すなわち回避(代替案の検討),最小化,

代償という検討順序に関する flexibility であり,具体的には小規模開発に対する回 避検討義務の免除が挙げられる.これは,許認可申請プロセスを簡易化することで 行 政 の 負 担 を 軽 減 す る こ と , ま た は 開 発 者 の 負 担 を 軽 減 す る こ と を 目 的 と し た

flexibility である.こうした flexibility は,例えば米国のように,規制対象となる開

発(開発申請数)が多すぎて,行政資源の限界からすべてを詳細に審査しきれない 場合,または財産権などとのバランスも含め開発者の負担が大きく反発が大きい場 合に制度運用の実効性を保つために導入することが考えられる .ただし,回避可能 な生態系への影響を助長したり,技術的に不確実性の高い生態系の再生・創造など に依存してしまうリスクが考えられるため,少なくとも影響の大きい大型プロジェ クトや,復元や創造が難しい生態系,希少な生態系に悪影響を及ぼすプロジェクト などに対しては適用すべきではないだろう.

代償手法に関する flexibility には,一般的に生物多様性オフセットの手法として 優先順位の低い既存生態系の保全・保存や,調査研究や資金提供などの間接的なオ フセット手法の採用が挙げられる.これらの手法の採用は,主にオフセットによる 成果の確保を目的としたものである場合が多い.こうした一般的に優先順位が低い と思われる手法を採用する flexibility は,生態系の再生や創造を実施する技術が確 立していない(または実施するための基礎的情報が不足している),または新たに生 態系を再生・創造する場所がない場合などに有効であり得る .また,当該地域の生 態系の損失の原因が開発などの物理的破壊ではなく,生態系の再生や創造を行って も開発圧以外の問題によって生態系が劣化してしまう可能性が高い場合などは ,生 態系の再生や創造といった手法以外の間接的手法(例えば農薬が問題である場合に 減農薬に対する補助金に充てるなど)が有効でありうる .

しかしながら,こうした手法を認めることで,生態系の機能や面積といった点で はノーネットロスの達成が少なくとも短期的には困難になる場合も多く(例えば調 査研究などは生態系保全に不可欠だが,それ自体は生態系の機能や面積を生み出さ ない),開発による影響との比較も難しい(どこまで実施すればいいかの判断が難し い).さらに,評価や比較が難しいことで,意思決定過程が不明瞭になる(恣意的な 判断が介入する)リスクが生じる恐れがある.そのため,“どこまでがオフセットと

93 して認められるべきか”といった基準を明示し,かつ公聴会やパブリック・コメン トのように市民が意思決定に参画できる機会を確保することが重要 である.

代償の場所に関するflexibility は,すなわちoff-siteにおけるオフセットを許容す

るflexibility である.Off-siteでのオフセットを許容する目的は,一つはより適した

代償用地を選択し,生態学的効果を高めることである.On-site でのオフセットは,

外部環境からのストレス(エッジ効果)も大きくなることも多く,より周辺環境と 生態学的なつながりが持てる off-site において代償を行った方が高い効果が期待で きる場合が多い.また,バンキングやILFなどの複数の開発による影響を一括で代 償するシステムの場合,代償地はどうしてもoff-siteになる.そのため,効率的なシ ステムであるバンキングやILFを促進するためには,代償場所に関しては flexibility が必須といえる.

しかし,off-siteオフセットを推進していくと,都市部などで開発が行われ,地方

で生態系の再生や創造が行われる都市部から地方への“生態系の遷移”が発生する . これは,生態学的成果のみに着目すればより適した場所において生態系が保全され ることにもなるが,生態系から人々が受ける恩恵を考えると,もともと恩恵を受け ていた人々が恩恵を受けられなくなる,“生態系サービスの不平等な再配分”が生じ ることとなる231.また,off-siteでオフセットを行う方が生態系をつながりを持ちや すい場合もあるが,その逆もあり得る.例えば,開発地の生態系が,そこにあるこ とで重要な役割を果たしているような場合(周辺生態系の中で要になっているよう な場合),生態系が off-siteに移動することでそのつながりが切られてしまう可能性 も高い.例えば,湿地はその周辺の森林などと一体となって生態学的機能を果たし ていることが多い.そこで,湿地を開発してon-siteにおけるオフセットを行わない 場合,森林に生息しているが湿地のような水辺にも依存しているような動物は生息 地を失うことになる.特にバンキングのような市場メカニズムを利用したようなシ ステムでは,単純に安価であるという理由で off-siteでのオフセットが選択される危 険がある.そのため,開発地や代償地そのものの生態系機能にとどまらず ,周辺生 態系とのつながりや生態系サービスの局地性などもオフセットの判断基準に入れる 必要があるだろう.特にバンキングなどを利用する場合は米国におけるIRTのよう な監査組織が代償地選択の正当性を確認する必要があると考えられる.

最後に,代償の対象に関する flexibility は,out-of-kind のオフセットを許容する

flexibilityである.Out-of-kindオフセットを許容する目的は,一つは開発によって失

われた生態系よりもより重要な生態系を対象とすることで,地域にとってより望ま

231 3.1.11参照.

94 しい生態学的成果を得ることであり,もう一つは,代償(復元や創造)が難しい生 態系が失われた場合に,成功率が低いin-kindのオフセットよりも成功率が高く確実

なout-of-kindのオフセットを選択することで一定の生態学的効果を確保することが

挙げられる.こうした flexibility は,その地域において優先的に保全すべき生態系 が開発圧を受ける生態系と異なっており,かつ開発圧を受ける生態系が豊富に存在 している場合に有効でありえる.しかし一方で,代償(復元・創造)が困難な生態 系の開発にあたり,オフセットが難しいという理由で異なる生態系の復元や創造を 行えば,当然その生態系が減少していくこととなる.そのため,地域における生態 系の変化をモニタリングし,開発圧にさられている生態系が将来に渡って豊富であ り続けられる限界点を見極め,それ以上はout-of-kind オフセットを認めない,また は開発自体を認めない必要があるだろう.

このように,生物多様性オフセットにおける flexibility は多岐に渡り,それぞれ 有用と思われる状況もそれに伴うリスクも異なる .そのため,生物多様性オフセッ トを運用している(または導入しようとしている)地域がその地域に適したかたち

でflexibilityを選択,導入する必要がある.例えば豪州QLD州では,対象生態系の

複雑さ(技術的不確実性)や利用可能な土地の少なさといった制限要因に flexibility で対応しており,米国では開発申請の多さ(行政資源の限界)や土地所有者の権利 との軋轢などの問題に対処するために flexibility を導入していた.次節では,日本 においてどのようなflexibilityが有効でありうるかを考察する.

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