子どもの動物概念は、「不十分に一般化し、限られた、または、かなり限定さ
れた見解を持っている。」という報告がTrowbrigeとMintzesによって報告されているが、今回の研究においても顕著に見られた。さらに、子どもは動物
(科学で用いる動物)を、 「動物」 「鳥」 「魚」 「虫」に分類し、しかも並列 に存在していることが分かった。
この4つの分類をよく見てみると、「動物」は陸上にいる比較的大型の生き物。
「鳥」は空にいる生き物。 「魚」は水の中にいる生き物。 「虫」は陸上にいる 比較的小さな生き物。というように大きく生活場所によって分類していること
が伺える。
このような分類を行うのは、自分との比較をしていると考えられる。すなわち、
「自分は陸の上に住んでいて、空を飛ぶこともできないし、水の中にずっとい ることもできない。陸上でも、自分とは違ってとても小さな生き物がいる。」
という考えを子どもは持っており、その考えに従って動物を見ている。この考 えは子どもが経験から生まれたものであり、子どもにとって無理のない分類方 法であり、受け入れやすい分類方法であることがはっきりした。
このような四分する分類は、動物の生態を捉えている。「動物」は4本足であ り、 「鳥」は翼をもっており、 「魚」はひれがある。 「虫」は小型である。そ れぞれが生活場所に適合するように分かれていったとも考えられるし、考えや すい見方である。
この見方を歴史的な分類の観点からみると、アリストテレスの有血と無血に分 けたものとは違う。アリストテレスにとって生命の源である血液を重要な分類 観点としたのは、神の存在があったためだと考えられるが、今の子どもには全
くみられない観点である。逆に子どもにとって鳥や魚に血液があるかどうか、
血液をどのように考えているか調べる必要があるくらいだ。
子どもの分類はリンネの分類体系と近いと思われる。しかし、リンネは四分す る分類に加えて、両生類、蠕虫類を加えている。これは今の子どもにとってこ れらの生き物と多くふれる機会が少ないためだと思われる。
現在の分類体系に近い分類を行ったラマルクは、基準を神経系においたが、こ の分類は体の構造が分からなければできない。
以上のことから、子どもの分類は18世紀のリンネの分類に近いことが分かっ
た。そこで、このような子どもの見方を、20世紀の見方に近づけるためには、
ラマルクのように体の構造を学習した後でなければ受け入れることができない
と思われる。
次に、 「驚くほど頑固で変えにくい」動物概念をFinkeらが提唱した
preinventive formの創造的思考の観点から分析結果によると、分類学習を行
った後では、いくら「自分なりの、自由な分類を行う」という指示を出しても、
動物を固定した見方をすることが分かった。
これは、Finkeらの言うfpreinventive fo㎜は自分で作った方がいい。」
という考えにそったものである。すなわち、与えられた分類を学習するだけで は、違った見方ができにくく、多面的・創造的な見方をすることにつながらな いことがはっきりした。そのため、現在の分類体系を学ぶことも大切であるが、
この分類体系からもう一度、それぞれの動物を振り返ってみたり、捉え直しが できなければならない。すなわち、生物の示す「普遍性、連続性、多様性」の 事象を考え、それぞれの見方がつながる必要があり、普遍性だけでも不十分で
あり、多様性だけでも不十分である。
Finkeらの研究の評価は、創造的な発明品が考案される割合が高いのか低いの かという点であったが、創造の水準という観点で評価することにより、はっき
りとできた。これは、創造とは何でもイメージすればよいというのではなく、
「意味があるもの。価値があるもの」でなければならない。Finkeらは、それを
「3人の評定者に有用性と独創性の尺度によって独立に評定した。」とあるが、
何にとって有用性なのか、独創性なのか大変重要な問題になる。ある分野では、
まったく使い物にならないものでも、別の分野では大変有用性であることはよ くある。そこで、Finkeらはカテゴリーを提示し、そのカテゴリーの範疇で判断 するようにしている。
この点から今回の研究をみると、第三水準と判断した分類した理由は、もっと 検討する必要があった。仲間分けをするのに、それぞれの動物の文字に注目し た子どもが何人かいたが、仲間分けを行うカテゴリーを示す必要があったと考 えられる。すなわち、意味のある、または価値のある分類という意識を持たせ ることである。例えば、「自分より小さい子どもに教えるには、」というよう な制約を課すことで違った分類を行ったと思われる。Finkeらも「視覚的イメー ジの合成にもとつく発明の場合、制約が厳しいほど創造1生は高まる。」と述べ ている。特に中学校3年生に対しては、制約により全く別の分類を行ったと考
えられる。
最後に、Bell,B.F.らが「動物は、消費者である。」というように、子どもに導
入したいと思う概念を単純化できるならば、適切な形で学習が起こりうると述
べている。このような宣言的知識だけでなく、手続的知識も大切であるとされ ており、今回の研究において直接経験が分類に及ぼす影響を調べた。しかし、
表れてきた分類に関しては、直接経験が反映されたと思われる分類はほとんど
なかった。
直接経験は積み重ねであり、経験したからすぐに効果があるとか、理解できる ようになるという訳ではないということである。長年、直接経験・直接体験を 研究し、原体験を提唱した山田でさえ、 「原体験(直接体験)は直ちに教育効 果が認められるようなものではない。生涯教育という長い視点で評価が大切で
ある。」55とある。しかし、「原体験は感性・意欲などの生きる力や概念形成の 基盤となるであろう」とあるように、まだはっきりとしていない点がある。
また、「われわれの経験の記録諸事象についての記憶、われわれがかかわっ たり、目撃した出来事等は、すべてエピソードである。」56と言われている。エ ピソード記憶と意味記憶と分けられることがあるが、経験そのものには、意味 を持たないことを示している。しかし、何かを理解しようとする場合、たくさ んのエピソード記憶がなければ、理解しようとするものに反映できないと思わ れる。すなわち、多くのエピソードがなければ理解することはできない。理解
していることがたくさんなければ、新しいものを生み出すことはできないと考 える。しかし、多くのエピソードがあったからといって、理解できるわけでは ない。多くのことを理解しているからといって、新しいものを生み出せるとも
限らない。
このように考えると、経験とは思考過程のもっとも底辺にあり、創造とは頂点 にある。ゆえに、ちょっと経験したから創造できるというものではないことは はっきりわかる。わずかなきっかけ(経験)で全く新しいものを創造する人が おり、このような人になることを夢見るが、新しいものを創造する人には膨大 な経験や体験に支えられた知識があり、さらに計り知れない人間の英知がある
のだろう。
ドキュメント内
子どもの動物概念の形成とその変容 : 創造的思考の観点からみた動物分類の分析を通して
(ページ 64-67)