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Eisenstein, Sergei Mikhailovich (Эйзенштейн, Сергей Михайлович), [1947].

(セルゲイ・M・エイゼンシュテイン,エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳「立体映画に ついて」,『エイゼンシュテイン全集 第2部 映画――芸術と科学 第6巻 星のかなた に』キネマ旬報社,1980年,238−282頁.本論文は1947年に執筆された.)

映画作家エイゼンシュテインが1947年に発表したこの論文は,今日でいうところの3D 映画のみならず,歴史上さまざまなかたちで試みられてきた立体映画的な企てについて,

出来うる限り網羅的に探求することを試みたものである.エイゼンシュテインは立体映画 を映画が向かうべき当然のなりゆきであると考えた.そして,人々が立体映画へとむかう 意味を,観客とスペクタクルの間の壁を取り払い一体化しようとする,中世以降の劇場に おける様々な実践を通じて論証した.立体映画について記述された部分では,前景構図な どの構図上の工夫やモンタージュ,音響等の効果を,彼自身のいくつかの映画の場面から 解説している.

Lipton, Lenny, 1982, Foundations of the Stereoscopic Cinema: A Study in Depth, Van Nostrand Reinhold.

Sammons, Eddie, 1992, The World of 3-D Movies, A Delphi Publication.

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Hayes, R. M., 1998, 3-D Movies: A History and Filmography of Stereoscopic Cinema, McFarland.

R・M・ヘイズの『3D 映画』は,二十世紀初頭から現在にいたるまでの 3D 映画の初の

完全かつ精確な歴史書である.すべての技術的仕様が含まれるほか,写真器材についても 触れられている.200本以上の作品をカバーする徹底的なフィルモグラフィーは,かつて出 版されたものとは比べものにならないくらい信頼性のある詳細なものである.真面目な研 究者も3Dファンも,ここで『大アマゾンの半魚人』,『ダイヤルMを回せ』,『蝋人形の館』,

『キャプテンEO』,『メタルストーム』,『ホンドー/HONDO』,『キス・ミー・ケイト』,『雨 に濡れた欲情』といった作品にかんするさまざまな詳細な資料を入手できることを喜ばし く思うだろう.この本には,スチル写真,広告の図版,舞台裏の写真などの事例もたっぷ り収められている.(Book Descriptionより抜粋)

Zone, Ray, 2007, Stereoscopic Cinema and the origin of 3-D Film, 1838-1952, University Press of Kentucky.

著者のレイ・ゾーンは3Dアーティスト兼映画プロデューサーである.表紙の紹介文によ れば,この本は,「3D技術とその後の映画製作の達成,また3D映画の文化的インパクトと,

それに対する大衆的反応を徹底的に研究したものである」.本文は 10 章から構成されてお り,立体写真,映画,ステレオスコープ,3D映画の技術的確立と公開の過程がそれぞれ論 じられている.ゾーンは,1952年までにつくられた初期の立体映画とその受容のあり方に とくに注目し,立体映画の登場が,近代的な映画製作システムと深く結びついていたと主 張した.

Devernay, Frédéric, Paul Beardsley, 2010, “Stereoscopic Cinema,” in Image and Geometry Processing for 3-D Cinematography, Vol. 5, 11-51.

近年,立体映画が隆盛し,2009年には初めてハリウッドの主要スタジオが一斉に3D映 画を公開した.これはスポーツ番組への3D技術の適用,そして家庭向け3Dテレビの登場 と並行して起こった出来事であった.それ以前の1950年代と1980年代における3D導入 の試みは,現代的な技術の未熟さゆえに観客の不快感をまねいたため失敗に終わった.し かし,現代の技術――精密調整可能な3Dカメラ装備,3D映像を撮影後に調整するための デジタル加工,映画スクリーンで二つの立体映像の正確な位置を定めるためのデジタル上 映,観客の左右の目の混線を軽減するための偏光シルバースクリーン――は,観客がかつ

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てよりもずっと高次の品質を経験できるようになったということを意味する.とはいえ,

立体映画の創造は開かれた活発な研究領域であり,そこには異なるサイズのディスプレイ に対する自動的適応技術の獲得からポスト・プロダクションにいたるまで多くの課題が山 積している.この章では,現代における立体映画の芸術的位置づけと将来的な方向性につ いて論じる.(abstractの日本語訳)

中村秀之, 2011, 「1953-D年,日本――「立体映画」言説と映画観客」, 藤木秀朗編『観客 へのアプローチ』森話社, 59−86頁.

1953年に起こった3D映画の「第一次ブーム」期における日本国内での反応を検証した 論文であり,「立体映画」の「語られ方,日本で公開された立体映画の作品(わずかな数で あるが)に対する批評の傾向,そして特に当時の立体映画の言説に浮かび上がる映画体験 や映画観客の在りよう」を論じている.本論文はある種の観客理論として提示されてはい るが,中村の念頭にある「映画観客」は,「映画を観る諸個人やその集合」に還元されるも のではなく,むしろジョナサン・クレーリーの「観察者」の概念に根ざしている.中村は,

第一次ブームの急速な冷却の理由を,当時の映画観客が従来の物語映画の観覧モードにも とづいて「立体」の効果を拒絶した点に見出し,単にシネマスコープにその座を取って代 わられたとみなす先行研究に疑問を付している.

大口孝之・谷島正之・灰原光晴, 2012, 『3D世紀――驚異! 立体映画の100年と映像新世 紀』ボーンデジタル.

3D 映画ジャーナリストを名乗る大口をはじめとする著者らが,立体映画の概要を一冊 の本にまとめたもの.三章立てであり,三人の著者がそれぞれ執筆を担当している.まず

「HISTORY: 3D映画・映像史」と題された一章は,大口が担当し,立体映画の歴史や各国 にまつわるエピソードを記述したものである.「CREATIVE: 3D映画・企画製作」と題され た二章は,アジア初のデジダル3D映画『戦慄迷宮 3D』の企画・製作の過程を,プロデュ ーサーであった谷島が書き記したもの.「TECHNOLOGY: 3D 映画・映像技術」と題され た三章では,3D映像の技術者でもある灰原が3Dの原理と技術について解説している.

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