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―描画行為に内在する身体的自己拡張感の検討―

大 石 幸 二

*1

成 瀬 雄 一

*2

A review about the effect of the drawing in clinical psychology:

Examination of a feeling of physical self-expansion to be inherent in a drawing act

OISHI Kouji*1 NARUSE Yuichi *2

  The drawing is made use of for assessment and treatment in the clinical psychology. The purpose of this study was to examine the effect of the kinetic family drawing and the kinetic school drawing. We were going to explain the effect using a concept called a feeling of physical self-expansion. As a result of having surveyed a precedent study of our country, it developed that a physical sense and a perception of the body movement played an important role. We trigger this physical sense and perception of the body movement, and the certified clinical psychologist must interpret drawing. The future problem is to accumulate a proof study. And it is to elucidate the source of the effect to have of the drawing.

Key Words: drawing, clinical psychology, physical self-expansion, a physical sense, a perception of the body movement

原  著

緒言

描画による芸術表現は太古の洞窟内の壁画に始まり、

現代の前衛芸術や実験的な作品に至るまで、それを鑑賞 する人々の心を釘づけにしてやまない。有名な芸術家の 手になる著名な作品はもとより、名もなき市井の人が描 き残した描画や生活芸術の中にも、私たちのこころを刺 激する作品が数多く存在する。一方、幼児が描いた描画 に癒されたり児童が制作した描画にハッとさせられるよ うな体験を、私たちは持つことがある。このように描画 をみるという行為により引き起こされる心理的な体験

は、私たちの心身に影響を及ぼしている。そして、描画 を含む画像・映像が私たちの心身に及ぼす影響は解析・

処理技術の革新に伴い、望むと望まざるとに拘わらず、

ますます無視することのできない大きなものになってい る。むろん、表現者・制作者自身に喚起される内的体験、

すなわち描くという行為によりもたらされる心理的な体 験もきわめて重要である(たとえば、片畑、20069))。

このような体験を活かして心理的援助が進められてき た。その際素材となったのは、芸術作品や美術鑑賞の対 象とされる絵画ではない。臨床心理学的な査定・治療で

*1 立教大学現代心理学部

*2 武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部(兼任講師)

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人 間 関 係 学 研 究 第 18 巻 第 2 号

用いられる描画である。本研究では「絵画は鑑賞される

(「見る」)」ものだと捉えるが、「描画は読みとられ、解 釈される(「みる」)」ものだと捉えている。よって、用 字の上でこの両者を使い分けることにしたい。

ところで、どのようにしてこの種の心理的な体験が引 き起こされるのだろうか。いくつかの実験的研究(たと え ば、 大 原・ 國 分、200227); 山 下・ 西・Eibo・ 増 田、

201141))がこの問いに関心を寄せ、情報工学系の画像解 析技術と知覚心理学の研究知見を応用しながら、現象の 解明に挑んでいる。いっぽう伝統的な臨床心理学におけ る描画法は、描画が引き起こすある種の心理的な体験を 投映法的な視座から検討し、これを臨床心理学的な査定・

治療に応用しようとする技法である。すなわち、描画に はそれを描いた描き手のこころの様子や内的体験が投映 されていると仮定するのである(高橋、201131))。そして、

臨床心理学における描画の分析は、行為・体験・表象と いったさまざまな水準で行われる(たとえば、Leibowitz, 199915);高江洲、200730))。また描画法の適用により治療 効果がもたらされるとする知見は、さまざまな事例研究 をもとにして得られたものが多い。たとえば藤田(19942) は、統合失調症の成人男性患者の症状寛解過程と描画表 現にみられる象徴性の変移とが相互に関連しており、描 画体験そのものが有する治療的側面ということに言及し ている。これは心理的障害が和らぐとき、描画に描き込 まれる内容が変化するということである。またこれと類 似の試みとして小西・稲垣(200812))は、軽度知的障害 の中学校生徒数名に対してソーシャルスキル・トレーニ ングを実施し、そのトレーニング効果を動的学校画

(kinetic school drawing:KSD)におけるスコアの変化 から捉えようとした。この研究では対象生徒の対人関係 の拡がりと深まりがKSDによく表現されていた。小西・

稲垣(200812))は臨床心理学的な査定の手段として、

KSDが有効な資料となることを示唆している。同様の 試 み は、Halperin and McKay(19984)) やNeale and Rosal(199324))、および田中(200933)、201234))におい ても見られる。これらの研究に共通しているのは、臨床 心理学的な査定に応用する際の信頼性と妥当性について 考察していることである。けれども、Leibowitz(199915) やWallon(200139))が指摘するように、臨床心理学的な 査定の手段としての描画に対しては、その信頼性と妥当

性についての否定的な見解も多い。すなわち、他の手法 に較べて解釈の余地が多く残されるのである。また仮に 量的な研究を試みたとしても、方法的な難しさがある。

たとえば描画においてスコアリングを行う場合、注意し なければいけない点がある。古川(20103))は、描き手 の表現内容に対して個別に検討の目を向けることが重要 であると述べている。それはたとえ表現に含まれるイ メージや描画が同じで、同じ得点が与えられても、その 背景にある心理的な体験が描き手により異なると考えら れるからである。よって評定尺度をステレオタイプに適 用することは控えたほうがよく、数値化を試みる場合に はその数値の持つ意味についても深く考察する必要があ るとされる。藤田(19942))も小西・稲垣(200812))も、

内的な心理体験が臨床心理学的効果と関連していること を示唆している。そして、描画過程や描画行為により前 記の内的な心理体験が喚起され、その検討にあたっては 事例研究を重ねることが有効であることを指摘している のである。けれども、信頼性・妥当性に関する検討は不 十分なところを残している現状は変わらず、何れの方法 も一長一短がある。

上記のように、臨床心理学的な査定の手段として精度 を高める努力が求められている。しかしながら、そもそ も描画過程や描画行為に焦点を合わせた実証性の高い研 究は、近年のコンピュータを用いた解析技術が発達する まで十分に検討がなされてきたとは言い難い(Wallon, 200139))。これまでの量的研究はせいぜい描かれた描画 の形態や要素を客観的に捉えることに留まっていたので ある(たとえば、津川・斎藤・松下、199535))。そこで 本研究では、描画における臨床心理学的効果について、

みるという行為や描くという行為により引き起こされる 心理的な体験に着目する。そして先行研究を概観する際、

描画過程や描画行為の意義・作用に言及するわが国の知 見を整理する。たとえば、先述した山下ら(201141))は 境界拡張という記憶現象を重視する立場から画像を捉え るが、こういった知覚心理学や実験心理学の研究知見も 積極的に取り上げる。彼らの知見は本研究にも示唆的で ある。その上で、この描画過程や描画行為に内在すると 仮定される身体的自己拡張感について展望する。こちら が本研究の中心的課題である。この身体的自己拡張感と いう概念は、描画行為に運動過程が内包されるとする大

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描画における臨床心理学的効果に関する展望―描画行為に内在する身体的自己拡張感の検討―

久保(200028))の知見、この運動過程ではみるという行 為が大きな役割を演じるとする宮崎・宮﨑(200016))の 知見、このみるという行為が身体運動のイメージ化に関 与するという朝岡(20051))の知見、この身体運動のイ メージ化に際して軌跡の分節と統合の知覚が用いられる とする中村(200222))の知見、そして、動きの構成時に もこの軌跡をなぞる行為のイメージが仲介するという大 山(200929))の知見に基づいて仮定された。あわせて、

村松(200818)、200919)、201020))による一連の研究知見 も参照した。そして、この身体的自己拡張感という概念 が描画の臨床心理学的効果の源泉の1つになっていると 仮定した。

研究目的

本研究の目的は、描画を描くという行為あるいは描か れた描画をみるという行為によりもたらされる臨床心理 学的効果について展望することである。描画をみたり描 いたりすることにより引き起こされる心理的な体験が臨 床心理学的効果と関連することは多くの先行研究で示唆 されている(たとえば、藤田、19942);小西・稲垣、

200812);小山、200714))。けれども、その作用機序につ いての仮説は曖昧であったり一貫性を欠いていたりす る。ごく最近まで描画過程や描画行為に焦点を合わせた 臨床心理学的研究が実証的な研究方法で積み重ねられて いるとは言い難かった。また、行為を分析対象とする研 究は知覚心理学系・情報工学系が中心で、これらの研究 には臨床心理学的視座がない。そこで本研究では、先行 研究を整理することをつうじて描画行為に内在し、描画 をみたり描いたりする際に体験されると予想される身体 的自己拡張感という概念について説明を試みる。それは この身体や運動、イメージなどを扱う概念が伝統的な臨 床心理学にも知覚心理学・情報工学にも通底するからで ある。そのことを通じて、描画をみたり描いたりするこ とにより引き起こされる心理的な体験の過程を実証的・

客観的に捉えるための視座を示そうとする。そして、そ の視座を心理的援助に結びつけることを目指している。

動きを表す描画

臨床心理学的行為ないし心理臨床学的実践の一分野に 芸術療法がある。臨床心理学的行為とは心理的援助を含

むこころの健康をめぐる活動の総体を指している(山本、

200140))。また、同様の術語は東山(20035))や亀口(20068))、

あるいは菊池(200410))においても用いられている。そ して、芸術療法の一領域に描画法が位置づけられている。

描画テストないし描画法は心理臨床や教育の場で活用さ れる(高橋、201131))。本研究で検討するのは臨床心理 学的な査定・治療で用いられる描画である。その中でも 人と人が社会的に関わり合いながらある種の活動や動き が 表 現 さ れ る 動 的 家 族 画(kinetic family drawing:

KFD)や動的学校画(KSD)に言及する。市川(20056) によると、描画法のうちKFD(家族皆が何かしている 様子を描出)はR. C. BurnsとS. H. Kaufmanが考案した ものがわが国に紹介され、描画診断法として活用されて いる。同様にKSD(学校場面を描出対象とする臨床描 画法)では、教育臨床場面における査定研究などが紹介 されている。KFD、KSDともに家族や教師、友だちと の人間関係に対するイメージと対人相互作用のあり様が 分析の対象とされる。その描き手として想定されている のは幼児・児童、思春期の子どもである。動きを表す描 画に目を向けるのは、本研究が作品そのものではなく、

行為を検討の対象にしたいと考えているからである。

既述のように描画行為は描画を描くという行為と描か れた描画をみるという行為に大別される。本研究ではと くに後者の描画をみるという行為に着目したい。それは 描く行為を臨床心理学的に捉えた先行研究は散見される が、みる行為が引き起こす心理的な体験はその研究例が 少ないからである。中村(201123))は臨床描画法の分析・

解釈法において視線方向のような身体を介した視覚的な 注意の意義に言及している。臨床心理学的な査定・治療 を行う臨床心理士は動きを表す描画(本研究で問題にす るのはKFDやKSD)をみるとき、描き手が描画を描く という行為(どのような体験を背景としてそれを描いた か)を鋭く捉え、その心理的な体験をも追体験するので はないだろうか。事実高橋(201131))は、みる行為によ り描いた人の感情や欲求などを推察できると述べてい る。また森(200517))も眼科医の立場から「みる」とい う行為を生理的要因で生じるものと心理的要因で生じる ものに大別する基本的理解を提示している。それは写生 画・写実画よりも動きを表す描画において顕著に現れる のではないか(たとえば、石坂・高橋、20067))。その