第7章 研究の結論、成果、今後の課題
第 1 節 研究の結論
1.都市の形成と河川の活動の相互関係 (1) 都市と河川の関係の画期
戦国時代末期から現代までを通観すると、都市と河 川の関係には2つの画期があった。第一は中近世移行 期で、大名による領国経営、水運の活発化、近世の治 水技術を背景に、都市が山麓や台地から氾濫原に進出 する。第二は近代で中央集権的な統治、鉄道輸送の普 及、近代の治水技術を背景に、都市が河川への依存を 脱し、国家が河川の改修と制御を推進する。つまり、
中近世移行期には都市と河川の関係が発生し、近代に それが変化したが、ここでは後者に注目する。なお、
事例3都市では近代中期に河川が、後期に都市が大き く変化したと見られる(6章2節2)。
(2) 事例都市の立地と地形
(表7-1)には事例各都市の共通課題5項目に関 わる主要な事象と特徴を整理しており、結論から言え
表7‐1 事例3都市における共通課題の総括
ば違いの多くは立地と地形から説明できる。すなわち、
扇状地は源流となる山地に近く地形は急勾配、蛇行帯 は平野の中央にあって緩勾配、三角州は海に近く低平 であり、それが都市、河川のあり方、さらには両者間 の関係に強く影響している。
ただし、分析の途上で明らかになったことだが、各 事例都市は立地と地形に関して、やや混合的な性格を 有する。富山町は常願寺川扇状地の端部にあるが、扇 状地の裾に神通川の蛇行帯が接しており、神通川の水 害の方が多い。大垣町は蛇行帯に位置するが、濃尾平 野では蛇行帯も低平なため、水門川沿いには内水氾濫 や湛水など三角州型の水害が発生する。新潟平野では 三角州と河口の間に広大な潟性の海岸低地があり、洪 水に際してそこが遊水池となるため、河口の新潟町で は近世を通じて水害がほとんどなかった。
こうした事情も念頭に置きつつ、河成地形による河 畔都市の違い、近世と近代における河畔都市と河川の 関係の変化を、共通課題の項目ごとに見ていく。
太字は河成地形、イタリックは時代による違いが顕著な特徴
事例都市 時代 富山町 大垣町 新潟町
(河成地形) 区分 (扇状地) (蛇行帯) (三角州)
常願寺川扇端部+神通川蛇行部 揖斐川・杭瀬川間の輪中内 拡大した砂嘴上・砂丘麓+砂洲
背後に山地、急勾配 平野の中央、緩勾配 海に近接、低平
神通川の氾濫 揖斐川・杭瀬川の氾濫 信濃川の氾濫(近代以降)
(水害)常願寺川の出水・土石流 水門川の内水氾濫・湛水
① 突発的な出水・土石流 勢いのある溢水 緩慢な湛水
水害と治水 近世 (常願)霞堤、 (神通)連続堤、控堤 輪中堤、三川分離(薩摩藩) (阿賀野川・松ヶ崎)分水路 治水 [減災策]水害防備林・ 船橋 [減災策]水屋・助命壇、堀田
近代 合口用水、砂防堰堤、 捷水路 木曽三川分離(デ・レーケ)、機械排水 分水路(大河津・関屋)、機械排水 治水 内水氾濫 内郭堤の切割り、水防の衰退 地盤液状化、海岸侵食
山間(飛騨街道)へ中継 幹線街道(中山道・畿内)に中継 海運(日本海)に中継
② 小規模(船着場) 中規模(港湾地区) 大規模(港湾都市)
水運と川港 近代 富岩運河に新港、鉄道と接続 水路を延長し鉄道と接続 対岸に埠頭、鉄道と接続
戦後 消滅 消滅 海岸の工業港と河口港が併存
扇端部微高地+氾濫原 自然堤防・後背湿地 地盤が安定した砂洲
③ 陸水の境界の陸化 陸水の境界の陸化
土地利用 廃川地の埋立て 郊外の微高地に工場群 信濃川両岸の埋立て
水域の陸化 水域の陸化
[形成]扇状地河川の瀬替え・転用 [形成]輪中内河川の瀬替え・利用 [形成]計画的開削
④ [機能]外水排除・内水排除 [機能]外水排除・航路・内水排除 [機能]航路・内水排除 水路 近代 [形成]富岩運河、火防水路 [形成]大垣運河(排水路に転用) [形成]住宅開発に伴う排水路
戦後暗渠化・街路拡幅・運河の廃棄 開渠で温存 埋立て・街路拡幅
城下に大河川の自然景 河川、水路、川港の水網都市 水域に囲まれた半島状の港町
⑤ 標高による身分的住み分け 水系による身分的住み分け 川からの距離に応じた機能配置 水辺の景観 近代 城地の開放(桜木町遊郭) 桑名航路(蒸気船) 水辺の近代建築(議事堂、銀行)
富岩運河環水公園 水門川遊歩道、川港の復元 みなとぴあ、朱鷺メッセ
運河の親水化 小河川の親水化 港湾地区の再開発
戦後 立地
近世
近世 近世 地形
近世 近代
(3) 河成地形と河畔都市の類型
① 水害と治水: 急勾配の扇状地では洪水に勢いが あり、山地に崩壊があれば土石流となる。蛇行帯では 勾配と水量が相まって、洪水は流路の屈曲や多少の起 伏は乗り越えながら地表を押し流す。低平な三角州で は洪水に水勢はないが増水が持続し、排水が悪いと長 期にわたって湛水する。つまり、洪水の類型を言葉の イメージで表わせば、扇状地は出水・土石流型、蛇行 帯は溢水・氾濫型、三角州では増水・湛水型である。
近世には河川の自然に沿った治水、減災が行なわれた ため、河成地形による違いが顕著である。常願寺川扇 状地では霞堤と水害防備林、神通川の蛇行帯では連続 堤、揖斐川の蛇行帯では特殊な連続堤としての輪中堤 と水屋や助命壇、新潟平野の海岸寄りでは阿賀野川の 松ヶ崎分水路などがつくられた。
② 水運と川港の変容: 立地と地形により各都市は 広域における陸運、水運上の位置づけが異なる。扇状 地の都市は源流山地の入り口にあり、山間の街道と河 川舟運の中継点となる。蛇行帯の都市は平野の中央部 にあって自然地形の制約は少ないため、主要街道と大 河川が交差するような交通上の要衝に立地し、三角州 の都市は河口の入り江状の地形を利用して海港とな るケースが多い。従って、それぞれにおける川港の結 節機能に着目すれば、扇状地は山間の街道、蛇行帯は 平野の街道、三角州は海路への中継である。
中継先の違いは荷揚げの量、結局は港の規模に影響 する。山地とのローカルな交易が中心の扇状地では川 港は小規模で、富山港には積荷の集積場以外に特段の 施設はなく、川岸に船を乗り上げて荷役を行なった。
交易が広域に及ぶ蛇行帯では川港にも拡がりがあっ て、大垣町の港地区は美濃路に沿って1000mにも 及んでいた。三角州の河口港は流域の広さや生産力に もよるが、概して大規模であり、日本海の重要港だっ た新潟はほぼ町全体が港湾機能を担った。
③ 河畔の土地利用: 扇状地は背後に山地を控え、
急勾配である。都市は狭い扇頂部より、拡がりがあっ
て勾配が緩く、湧水に恵まれた扇端部に立地すること が多い。富山も扇端部の舌状台地に初期集落が営まれ、
近世城下は扇央部の高地、蛇行帯の低地の2方向に拡 大した。特に、下町として発展したのは鼬川河口の両 岸で、川原町、小島町など川岸や砂洲の開発を示す町 名が今も残る。
蛇行帯では水害から比較的安全な自然堤防に初期 集落がつくられ、市街地は微高地を求めて川沿いに発 展する。大垣では牛屋川、水門川の周囲に城下が計画 され、港町としての発展に伴って人工の排水路兼航路 の船町川に沿って市街地が拡大した。
河口の三角州は堆積によって拡大するため、市街地 もそれに合わせて変化する。新潟では近世を通じて川 岸に次々と新たな砂洲が形成され、市街地の移転、拡 張、内水路の確保によって川港を維持した。
このように、近世には川岸の低地における市街地の 形成が活発だが、扇状地では流路の固定によって人工 的に水域を陸化し、蛇行帯では川沿いの自然堤防を、
三角州では自然に形成される砂洲を開発する傾向が 見られる。
④ 水路の開削と利用: 河川や海峡は(広義の)水 路に含まれるが、人工の運河や用水路には適切な総称 がなく、一般にはこれらを(狭義の)水路と呼ぶ。一 方、自然の河道やその痕跡の低地を使って用水路や運 河をつくることも多く、実は自然と人工も区別しがた い。本稿ではそうした曖昧さを承知しつつ水路を論じ たが、水路が河川の延長であることに異論はないだろ う。近世には河川と同様に水路も上水、下水、灌漑、
工業(醸造、製紙、染織、水車ほか)、防火、防衛な ど多目的に使われたが、労力をかけて水路網をつくり、
維持する以上、そこには主たる目的があった筈である。
扇状地では洪水が扇状地小河川やその痕跡を伝っ て扇面に拡がるため、扇状地都市の治水はその排除が 眼目となる。富山では扇頂部の馬瀬口に多重の堤防を 築いたうえで、その破堤への備えとして城下の上手に 四ツ屋川を開削し、扇状地小河川を迂回させた。さら