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白米千枚田の観光化と保全活動

第4章 地域と観光化

第3節 白米千枚田の観光化と保全活動

杉 本 優 子 1. はじめに

白米

し ろ よ ね

千枚

せ ん ま い

は、多くの観光客が訪れる輪島市の観光名所の一つとなっている。そこで、

白米千枚田という棚田が観光化されていった経緯や、観光化されている中でどのように千 枚田での農業を維持し続けてきたのかについて興味を持ち調査することにした。調査は5 月から12月にかけて毎月1,2回輪島市や白米町で行った。ここでは、白米千枚田に関 する文献と現地での聞き取り調査で得た内容を報告していくこととする。

2.白米町の概要

2-1.白米町の歴史

白米千枚田がある白米町は、輪島市の市街地から東の曽々 方面へ約8キロメートル行 ったところに位置する。白米町には、およそ700年来の歴史がある。古くは壇ノ浦の戦い の後、九州から平家の落人が逃れてやってきたと言われている。彼らは現在の熊本県と宮 崎県の県境に位置する 泉いずみ村から、有力な親戚を頼って白米に来たそうだ。白米では目の前 に広がる海と後ろに広がる山を活用し、江戸時代までは狩猟や稲作、焼畑農業、製塩など を行い、自給自足でどこの支配も受けない自由な自治体であった。江戸時代になると、加 賀藩の支配下に入ることになる。それにより、白米の人々は年貢を納めるため、製塩や米 作りに力を入れるようになる。白米は能登の外そとうらのほぼ中央に位置するが、漁船を使うほ どの入江がなかったため、製塩と農業の村として発達していった。現在の千枚田は、江戸 時代の中期に天災による山津波や ま つ な みでできた日本海に至る斜面に、藩の命令により新しく作ら れたものであると言われている。明治時代になると、人々の生業の中心は製塩から農業へ と移っていった。白米町は、江戸時代は「能登 くに鳳至郡ふ げ し ぐ ん白米しろよねむら」と呼ばれており、明治時 代に入ると「石川県いしかわけん鳳至郡ふ げ し ぐ ん南志 むらあざ白米」となり、現在は「輪島市白米町」となってい る。

図1.白米町の位置(北陸・道の駅HPより転写)

2-2.白米町の人口と農業

白米町に現在暮らす人口は、現地での聞き取り調査によると男性15人、女性22人、20 歳未満5人の計42人である。世帯数は18世帯であり、そのうち一人暮らしの世帯が7世 帯、二人暮しが5世帯となっている。白米町全体の平均年齢は58.6歳であり、一人暮らし の世帯は全て70 歳以上と高齢化が進んでいる。図 2は、現地での聞き取り調査によって 得た白米町の各世帯の性別と年齢を図式化したものである。60歳以上の人口をみると、男 性が全体の60パーセント、女性が全体の約80パーセントとなっており高齢化が進んでい ることが分かる。

図3は現地での聞き取り調査による、白米町の世帯における農業種別を表したものであ る。この図をみると、現在の白米町の農業世帯は、専業・兼業農家合わせて7世帯である ことが分かる。専業・兼業農家の中でも、国指定文化財になっている千枚田で農業を行っ ている農家は4世帯のみである。図3の離農世帯とは、以前は水田で農業を行っていたが、

現在は行っていない世帯である。しかし、現在でも多くの離農世帯では自分たちで食べる 分だけの野菜などは作っているというところが多くみられた。

千枚田での農業はまず、4 月中旬の田作た づ くりの作業から始まる。下旬には畦あぜつけ(注 1)

をする。5 月上旬には代しろかき(注 2)が行われ、田に水が張られる。中旬にはボランティ アも参加し田植えが行われ、6月から 8月には水の管理や草刈がされる。そして、9月に またボランティアが参加し稲刈りが行われる。下旬にははざ干し(注3)、10月上旬に脱穀だっこく と精米を行い水田での農作業は終了する。

写真1:白米千枚田

注釈:(1)畦つけ:畦とは、水田と水田との間に土を盛り上げてつくった小さな堤のこ とである。畦つけとは、各水田に畦を形成していくこと。

(2)代かき:田植えのために、田に水を入れて土を砕いてかきならす作業のこと。

(3)はざ干し:稲刈り後、刈り取った稲を束にして干し乾かすこと。

年齢構成

0 0

1 0

4

3 1

2 1

6

6 7

2 4

0%

20%

40%

60%

80%

100%

性別

80~

70~

60~

50~

40~

30~

20~

図2.白米町の年齢別人口構成

図3.白米町の農業種別

2-3.白米千枚田の概要

棚田とは山の斜面や谷間の傾斜地に、階段状に造られている水田をいう。一般に、小 さなものまで数えれば千枚にも達するところから「千枚せんまい」ともいわれている。白米千枚 田では、田の 1 枚の面積が小さいことから、『狭い田』という言葉が『千枚田』に変化し ていったとも言われている。

白米千枚田は、標高70メートル付近に立地する白米集落の下60メートル辺りから海岸 線近くまで拓かれている。千枚田は田の 1 枚の面積が狭く、耕耘機こ う う ん き等の機械が入らない。

3

4 11

専業農家 兼業農家 離農

そのため、農作業は手作業で行われてきた。1968年(昭和43年)頃に、石川県と輪島市 から耕作助成金を出す代わりにこのままの田の形で耕作を続けてほしいという要望があり、

白米の人々は1970年(昭和45年)に、この要望を受け入れて今日まで至っている。保全 当初の千枚田は田の数が約2千枚あった。現在は、白米町の間を通る国道249号線の下に ある千枚田だけで、1,004枚ある。この枚数は、2001年(平成13年)に国指定文化財に 指定されている枚数である。田の枚数が以前より減少しているのは、1970年以降に棚田を 観光地化する動きが進み、棚田の側を通る国道249号線の拡張工事や、農道のうどうの整備、また 国道脇に棚田の景観を一望できる千枚田ポケットパークと呼ばれる道の駅を作ったことに より、田の一部が潰されたことが原因である。現在、1,004 枚ある田のうち、耕作枚数は 862枚であり、 休きゅう耕地こ う ちが106枚、畑が36枚となっている。

3.白米千枚田の観光化

3-1.白米千枚田の観光

白米千枚田は現在、輪島市の重要な観光資源となっている。このように市の観光資源と なった背景には、時代の変化が影響している。輪島市内からバスで白米千枚田に向かうま で、海岸線には多くの棚田を見ることができる。古く江戸時代には、その棚田を全て能登 の 棚田と呼び有名であったそうだ。棚田のある斜面は地すべり地帯であり、毎年4月に地す べりで崩れた田の畦あぜを直す作業を行っていた。崩れた田を手作業で直すため、田はどんど ん細分化され小さくなっていった。昭和に入ると、日本で農業の機械化が進み、機械を入 れられるように田の面積を広くする区画く か く整備せ い びが全国で行われた。能登の棚田でも同様に区 画整備が行われ、白米千枚田以外の地域では田の面積を大きくしていった。白米千枚田は というと、周辺地域と同様に区画整備を行いたかったが、輪島市と県から補助金を出す代 わりに景観を守って欲しいという要請を受け、区画整備を行わなかった。白米町の人は、

「手作業は大変だし、本当は田を大きくしたかった。でも、大きくしていたら今みたいに 有名になってないだろう。」と話していた。

棚田の保全事業は、1970年代に本格的に始まる。1974年までは観光資源保護対策事業 として、県と市から毎年40~50万円の耕作助成金が出された。さらに、1975年から1980 年には歴史的観光資源保護対策事業として 50~100 万円の耕作助成金が、1981 年から 1990年には千枚せんまいけいしょう景 勝保存会ほ ぞ ん か い助成金じょせいきんとして100~140万円が毎年県と市より支出された。

しかし、1991年に県が助成金の支出を打ち切った。そのため、輪島市は前年度より20万 円増額し160万円の助成を行った。県が助成金を打ち切ったのは、千枚田の間を通る国道 249号線の拡張工事に際して、県と市が1億円を支出し、国道脇に駐車場、レストハウス、

公衆トイレを備えた展望台である千枚田ポケットパーク(道の駅)を建設したことによる。

県はこの施設を地元に無償で貸すことにより、そこから得られる収益で助成金の捻出が図 れると判断し、助成金の打ち切りを決めたのである。しかし、その後、地元の要望もあり

1992年には再び県と市による160万円の助成が行われるようになった。

白米千枚田の景観は、これまでさまざまな賞や百選に選ばれている。下の表1を見れば 分かるように、白米千枚田の景観は高く評価されている。また、この景色を見に多くの著 名人も棚田を訪れている。最近では、平成 17 年に当時首相であった小泉純一郎衆議院議 員が白米千枚田を訪れ、「絶景だ。」と言われたそうである。

表1.白米千枚田が選ばれた各賞

3-2.白米千枚田での観光客の動向

白米千枚田には全国各地から観光客が訪れる。時期としては、5 月の田植えから、9 月 末の稲刈りにかけて多くなる。冬場は寒さもあって、観光バスが止まることは少ない。観 光客は、観光バス、自家用車、バイクで来る人が多い。台数としては自家用車が多いが、

観光客の人数としてはツアーなどで観光バスを利用し来る人が多い。千枚田ポケットパー クに止まっている車のナンバーを見るだけで、全国各地から観光客がやってきているのが わかる。9月に11時から13時までの2時間、ポケットパークに入ってきた車の数を数え たところ、観光バス・旅館のバス合わせて 14台、自家用車51台であった。自家用車は、

鹿児島から横浜までさまざまな地域から来ていた。また、中には台湾から来ている人もお り、白米千枚田の知名度の高さを伺うことができた。このほか、中国や韓国から来る人も いる。

観光客が千枚田で要する時間は、約 10 分であり、その間に景観をカメラに納める人が ほとんどだ。観光客が白米千枚田で楽しむのは、景観だけではない。話しを聞いたり、観 光客の行動を観察したりしていると、田の景観とともに地元の人とのふれあいを楽しむ人 も多いことに気づいた。千枚田ポケットパーク内には、地元の老年女性たちが出している 露店がある。朝の9時頃から夕方4時頃まで、午前と午後の二回に分けて有志で集まった 地元の老年女性が交代で店を出す。露店では、店を出している女性たち手作りの麻で作っ たお守りや市内から仕入れてきた置物などが売られている。観光客の中には、「以前来たと き、ここでお守りを買ったんだけど、まだあるかな。」と寄って行く人もいれば、露店の女 性と話し、「また来るから元気で。」と言って帰る人もいる。露店を出す地元の女性は、「い

昭和31年 市指定名勝 平成3年 日本の米作り百選 平成4年 手作り郷土賞 平成6年 手作り観光地百選 平成8年 水の郷

平成11年 日本の棚田百選 平成12年 県指定名勝 平成13年 国指定文化財名勝