第5章 海女の社会と文化
第3節 チアマイという病
長 谷 川 彩 1.はじめに
輪島市海士町には、潜水漁を営む海女が多いが、海女の間では「チアマイ」という疾患 にかかる人が少なくない。この報告では「チアマイ」を中心に潜水漁という生業と関わる 疾患について述べていきたい。まず「チアマイ」がどのような病であるのか実例を挙げる。
そして、なぜ海女に多くみられるのか、ラテンアメリカの女性にみられる精神的疾患「ネ ルビオス」と比較して潜水業を生業にする海女と「チアマイ」の関係を探る。
海士町は舳倉島という離島も含む。舳倉島の概要は海士町概要のページを参照してほし い。舳倉島の平成18年夏期滞在者数は100人で、その内男性が47人、女性は53人であ る。このほとんどが漁業関係者である。舳倉島には昭和 36 年に診療所が開設し、以前は 年輩の医師が数年ごとに交替で勤務していたが、現在は自治医科大学の卒業生が半年交替 で勤務している。
調査は海士町と舳倉島で、主として潜水漁を営む海女を対象に聞き取りをおこなった。
また、舳倉島駐在の医師にもインタビューをおこなった。
2.舳倉島診療所の利用状況
まず海女がかかる疾患について舳倉島診療所の利用状況から簡単に見ていく。
海女は4月から7月まではナマコ漁をしたり、カジメ、テングサなどの海藻をとる。ア ワビ、サザエ漁が 7月から10 月まで続き、この間海女は酸素ボンベを使わずに潜水漁を 行う。10月からはナマコ漁と岩ノリ採りが行われる。
表1.平成 18 年 6 月~8 月の舳倉島診療所利用状況 月 一月あたりの患者数
6月 163人 7月 184人 8月 169人
診療所の医師から聞き取った話を以下に記していく。4月から7月は岩場での海藻採り があり、その際に腰をかがめるので腰痛を訴える人が多い。
7 月以降はアワビ、サザエの海女の潜水漁が解禁になる。足ヒレをつけて水深十数メー トルまで潜る潜水漁は耳に水圧がかかるため、鼓膜の内側と外側の圧力が大きく異なる。
そのため2メートルから3メートルも潜ると耳が痛くなり、放置すると鼓膜が破れる場合 がある。鼓膜内外の圧力差を同等しくするために、鼻腔から鼓膜内側の内耳に空気を送る 必要があるが、海女はこれを耳抜きと呼んで鼻をつまみ息を強く吐いて行う。これが耳に 負担となり中耳炎や外耳炎の原因となる。そのため耳の疾患を訴える人が増える。
舳倉島の患者はほとんどが 60 歳以上であるので、大半は高血圧、高脂血症、糖尿病な
どの治療のために訪れる。
舳倉島の人はムカデに咬まれるなどして腫れあがっても医院を利用しない人が多い。医 師に頼らず自分で治そうとする人が多いのである。また毎日仕事がある人が多く、安静に しているということがなかなかできないので、薬を出してもらって働き続ける場合がほと んどである。
そして、海女の 5、6割は「チアマイ」と呼ばれる胸がどきどきする不快感など原因の 分からない不安症のために抗不安薬を使用している。
「チアマイ」は「チアメ」とも呼ばれるが、この報告書では「チアマイ」で統一する。
3.「チアマイ」について
海女の半数以上がかかっているという「チアマイ」がどのような病であるのか、なぜ海 女に多く見られるのかを以下に実例を挙げて明らかにしていく。
3-1.「チアマイ」の症状
具体的にどのような症状を「チアマイ」と呼ぶのだろうか。
例えば B さん(50 代)は「原因は分からないけどチキネエ、チキネエ(辛い辛い)っ て言うこと。」と説明し、同じく50代のAさんは「陸にいてもどこにいても不安。どきど きする。」と言う。このことから「チアマイ」は原因不明の動悸や不安を訴えることである といえる。
症状によっては仕事量にさしつかえが出る場合もある。
「波がくるのが恐ろしかった。チアメにかかった人は他の人から見ても分かる。普段サザ エを10個捕れる人が2、3個になると“あの人チアメだ”と思う。症状が軽くてもチアメ っていうこともある。」(Cさん60代)
「胸の中がドスーンてなる。空きっ腹で海にもぐれない。お腹空いたらなる。12時になっ たら船にあがって飲み物や何か食べないとそれ以上海に潜れない人もいる。その人はパン 一口でもジュースでも食べないときっとチキナイことになる(苦しくなる)と信じている。」
(Dさん50代)
このように、「チアマイ」と呼ばれる状態は症状も程度もさまざまである。なんとなく気 持ちが沈んでいることも体調が良くないことも、何かが心配で心配で落ち着かなくなるこ とも含まれる。
「チアメやーとちょっと体調悪くてもいう人がいるし、気分が落ち込んだときでもいう人 がいる。若い人の中ではそんなに症状悪くなくても軽くチアメやーという人がいる。ドキ ドキして、心配・不安になったりすることはチアメという。」(Eさん30代事務職)
「チキネーチキネー(辛い辛い)よってなることがチアマイ。一人でおったら不安になる こととか一人で具合悪くなったらどうしようとか考えること。ウミオチするともいう。な んとなく前は潜ってた所に潜れないとか、なんとなくいつもの調子でなく不安がいっぱい なこと。」(Gさん30代)
Gさんは「チアマイは気持ちが沈むこと、気持ちの問題。だから血の病でチアマイとい うのかも」とも言っていた。
「ウミオチ」と「チアマイ」は異なる。「ウミオチ」は海に潜ることが怖くなることであ る。しかし両者には関係がある。
「船の近くにいないと不安というもの。今チアメだ。何十年も前からチアメで、風が吹い たり波が来たりしたら空ばっかり見てしまう。一度お腹が空いたと思ったらそればっかり 気になる。友人はパンを袋に入れて浮き輪に結んでおき、いつでも食べられるようにして おいた。ウミオチとチアメは違う。ウミオチは思っていたよりも海が濁っていたり、潜っ たところが予想以上に深いところだったりすると急に怖くなること。テレビで雅子様が人 前に出たくなくなっているのを見て雅子様はチアメやーと(みんな)いう。」(H さん 60 代)
「チアマイ」の症状に大抵共通するのは、動悸が起こる、突然不安になる、なんとなく 気が沈む、海に入ったり潜ったりすることが怖くなるなどのことで、一つのことが気にか かる脅迫神経症のような状態になる場合もある。
3-2.「チアマイ」になるケース
以上のような不安を訴える人には傾向がある。ここで、どのような人が「チアマイ」に なるのか見ていく。
Cさんは「男でチアメの人は海士町にはいないようだ。」と言う。このことからわかるよ うに、「チアマイ」は女性に特有の病である。
話を聞いていく中で、私は海に潜るのは怖くない、「チアマイ」になったことがないので 知らないという意見もあった。なる人とそうでない人がいるというが、海女の誰でもなる 可能性はある。「海女でもかかる人もいるし、かからない人もいる。今10人に1人ぐらい チアマイのひとがおるかな。誰でも明日なる可能性がある。」(Hさん)しかし「チアマイ」
になる人に傾向がないわけではない。
Hさんは「同じ状況でもならない人はならない。何でもクヨクヨしたり、気にするよう
な人はなる。」という言う。
「海女さんに限らずなる。」(Iさん60代)
「海女ではなくても体調がぐんと悪くなったりするとチアメという。けっこう元気そうな 人もチアメっていってる。産後の養生が悪くてもチアメっていう。河合町では聞いたこと がない。」(Fさん)
「チアマイ」にかかるのはほとんどが海女であるが、このGさんとEさんの発言から、
海女以外の人が「チアマイ」にかかる場合もあることがわかる。また、高齢の人がなりや すく、若い人で「チアマイ」になりやすいのは子どもを持った人である。海女のベテラン・
初心者に限らずなる可能性がある。
「おばあちゃんがたくさんなっている。(夏期舳倉島で)1人で暮らす老人の生活不安が原 因かもしれない。」(Bさん)
「若い人でも子どもをもった人でチアマイになった人がいる。子どものいる人がなりやす い。」(Dさん)
「若い人からチアマイについて聞いたことがない。15歳から潜っている19歳の人もチア マイについて何か言ったことがない。」(Eさん20代)
3-3.「チアマイ」になる原因
このような「チアマイ」にはどのような時にかかるのだろうか。
Dさんの場合は「海の底で耳の鼓膜に穴が空いた時にチアマイになった」ということで ある。〈注〉またDさんは「チアマイは予防できない。子どもの世話など疲れがたまったら いきなりなる。」と説明する。
このように、漁の最中に「チアマイ」になる場合は海で大きい波や事故など怖い思いを したことがきっかけとなる。疲れがたまるとなりやすく、子どもができると世話や心労が 増えるので「チアマイ」になりやすくなる。
「空が黒くなってきたら前怖かった時を思い出すのでダメで入れなくなるときがある。時 化(シケ)などの時がきっかけにもなる。チアメはいつなってもしょうがない。疲れがた まっているとなりやすい。」(Hさん)
また、海で誰かが「チアマイ」になったと聞いたことがきっかけになる場合もある。
「深く潜った人がチアマイになったと聞いて深く潜れなくなった人達がいる。」(Aさん)