2‐1. 先行研究について
1)近接性モデルと方向性モデル
有権者と政党の関係を空間的に捉えるモデルに、どのようなものがあるのかを簡 単に紹介しておきたい。上述したことからもわかるように、これには大きく二つの アイデアがある。一つは「近接性モデル」であり、もう一つは「方向性モデル」で ある。
近接性モデルの基本的な考えから紹介していこう。このモデルにおいては、「有
権者の政策効用は、有権者の最適点と政党(候補者)の政策位置間の距離で定義 し、この距離が小さいほど効用が大きくなる」とされる(谷口 2005, p88)。つま りここでは政党の政策位置と有権者の政策位置の距離が問題とされる。有権者は自 身の立場にもっとも近い立場の政党や候補者を評価し、投票を行うと考えられる。
このモデルにおける代表的な研究としては Anthony Downs の著作である An Economic Theory of Democracy(1957:邦題『民主主義の経済理論』)が挙げられ るだろう。
近接性モデルにおいて有権者と政党の位置を表現する方法としては、差の絶対値 や差の二乗値、ユーグリッド距離などがある。本稿では距離を絶対値とするものを 使うので、算出式は以下のようになる。
Uij = 効用 i = 有権者の政策位置 j = 政党(候補者)の政策位置 k = 争点
方向性モデルは距離ではなく、その名の通り「方向」が問題とされる。方向性モ デルの代表的な研究としては、Rabinowitz(1989)がある。ここにおいてRabinowitz は、近接性モデルに対する方向性モデルの優位性を示した。このモデルでは、有権 者の政策効用は有権者と政党が志向する政策の方向性の一致、あるいはその政策を 志向する強度で定義される(谷口2005)。そして政策効用は、政党(候補者)と有 権者が位置している数直線上の値(これは政策を志向する強度も表現している)の
「積」で測定される。このとき直線の中点を「0」と考え、それの両側に正の値と 負の値が並ぶものとする。こうすることで、政党と有権者の政策方向が一致した際 の積は正の値となり、一致しなかった際の積は負の値となる。そして政策効用を
「積」で表すことにより、方向が一致した際はより極に位置する政党を評価すると いうことになる。これを式で表すと以下のようになる。
両モデルの問題点を次に説明する。近接性モデルの問題点としては、果たして有 権者が厳密に距離を測定することができるのか、ということが考えられるだろう。
ある争点において、自身の立ち位置と各政党の立ち位置を認知し、距離を測定する ことは容易ではない。さらに争点数や政党数が増加するに従い、距離の測定は困難 さを増していくこととなる。
方向性モデルの問題点としては、有権者は実際にはあまりに極端な意見を掲げる 政党を嫌う傾向があるということである。方向性モデルに基づけば、極端な位置に ある政党ほど政策効用が高くなるということになる。しかしそれは実情を反映して いないというわけである。そこで極端な意見をもつ政党、つまり有権者の「許容範 囲」を越す政党には「ペナルティ」を課すというモデルが考案された(Mcdonald, Listhaug, and Rabinowitz1991)。それは以下のようになる。
しかしこのモデルについても許容範囲概念が恣意的であるとの指摘がある(増山 1997)。本稿においては、このモデルを使っての検証は行わない。
2)日本における近接性モデルと方向性モデルの検証
日本においてどちらのモデルが説明力を持つか検証した研究としては、谷口
(2005)による研究がある。谷口は1995年参院選・2003年衆院選を舞台として、ど
ちらのモデルが説明力を持つかを分析している。本稿では、基本的にこの谷口
(2005)の分析方法に依拠した分析を行っていくことに留意されたい。詳しくは3章
分析枠組みでふれることとする。
2‐2. 命題と仮説
本稿では次の命題と仮説を検討するものとする。
命題:争点次元ごとにモデルの説明力は変化する。
どちらのモデルがより高い説明力を持つかは、争点次元固有の性質に影響を受け るものとここでは考える。ここでいう争点の性質とは、その争点が合意争点である か対立争点であるかといったものを指す。そして本稿では争点の性質として「争点 の重要性」に着目し、以下の仮説を提唱する。
仮説:争点重要性仮説‐有権者が争点を重要と認知するか否かで、モデルの説明 力は変化する。
注意してほしいのは、この仮説における争点の重要性とは、有権者個人にとって の重要性であることだ。つまり客観的に見てその争点が重要であるかどうかではな く、争点の重要度はあくまで有権者がどう認知しているかに依存している。
またどういった状況の時に、この仮説が実証されたといえるのかも記述しておこ う。争点の重要度とモデルの説明力は以下のようになるとこの仮説では考える。
重要性が高い争点 → 方向性モデルの説明力が優位となる 重要性が低い争点 → ?
なぜこうなるのかを説明する必要があるだろう。有権者がある争点に基づいて、
投票や政党への評価を下すとする。その時その争点が重要であると認知されていた 場合、そこではどの政党が自身の立場にもっとも近いかではなく、どの政党が自身 の立場と方向を同一にしているかが問題となるとここでは推測する。有権者がある 争点に対して、その争点は重要だと認知したとする。そのとき有権者はその争点に ついて判断を下すため、具体的には争点に基づいて投票や政党への評価を行うため に、その争点についての情報を得ようとするだろう。このとき人は、どの政党が自 身の意見に一番近いかについても検討を行うだろうが、まず行うのはそもそもどの 政党が自身と同じ方向性であるのかを検討することだと思われる。なぜならこちら のほうが情報処理にかかるコストが少なくてすむからだ。上述したように近接性モ デルに基づいての情報処理はコストがかかる。対して方向性モデルは政党の政策と 自身の意見の方向性を一致させればよいため、情報処理にかかるコストが低くすむ。
重要な争点とは多くの場合「目立つ」争点であるため、多くの人が争点に関して判 断を下すこととなる。多くの人が争点について検討するゆえに、方向性モデルに基 づく判断が多く行われるはずである。なぜなら上述したように、方向性モデルに基 づく検討は情報処理コストが低くすむので、大半の人にとって採用しやすい方法だ と考えられるためだ。
具体的な例で言えば2005年の衆議院選挙で争点となった郵政民営化があげられ る。この争点は「賛成か反対か」という政策の方向が問題とされた。そして郵政民 営化は、「目立っていた」争点であったため、恐らく多くの有権者にとって重要だ と認知されていたはずである。そのためこの争点については重要性を加味すると方 向性モデルが優位となるはずである。
また重要性が低い争点について、どちらが優位となるかはここではとくに検証対 象としない。どちらのモデルが優位となるのかは、様々な要因の影響を受けている と考えられる。そのためどちらが優位となるのかは一概にいえないだろう。ここで 検証したいのは、あくまで争点の重要度が増加するほど、方向性モデルが優位とな る仮説である。このとき争点の重要性は高まっていくほど、モデルの説明力に影響 するその他の要因を凌駕する影響力をもつものと考える。重要度の上昇が、方向性 モデルが優位となるように機能すると仮定される。