無申告逋脱罪の本質を考慮するにあたり、ここでは租税逋脱罪における 犯罪論とは別に、同じ無申告行為という観点から各種個別税法に規定され ている単純無申告罪との関係を予め節を設け検討することとする。
無申告逋脱犯の意図は、あえて申告しないことによって税を免れ、その 目的を達成させるという特殊な手段を用いることにあるといえるが、この 不作為犯による課題をさらに複雑化させていた要因の一つに、単純無申告 罪の規定との整合性の問題がある。これまで単純無申告罪の研究に関して
は、無申告逋脱犯との関連性について部分的な見解がみられたものの、そ の目的や保護法益及び罪の性質との関係などについてはほとんど採り上げ られなかった。筆者は当節及び現行法を扱う第2章以降において、この単 純無申告罪の規定を逋脱規定と比較しながら、無申告行為という枠組みの 中で掘り下げて考慮したいと考える。
単純無申告罪の本質は「法定期限内に申告書を提出しないことにより、
申告義務を果たさないこと」であり、各種個別税法における罰則規定はこ の単純無申告罪における規定を、逋脱罪の規定とは別にそれぞれ定めるこ とによって、期限内における申告書の不提出についての部分のみを咎めて いることがその特徴といえる。この単純無申告犯の目的は、究極的には逋 脱の防止を目的とするものであるにせよ、直接的には申告納税制度が導入 されて日が浅く、申告納税意識が定着していない状況下において申告納税 制度を定着させることにより申告義務を励行させるとともに、昭和24年の 第二小法廷判決106が「不申告という消極的な行為をもって、不正の行為の 概念に包含することは、とうてい是認できない」として当時の無申告逋脱 行為を法的に罰することができないとした判示に対しての一時的な代替策 として翌年の昭和25年に制定されたという経緯がある。逋脱規定が直接的 に国家の租税債権を侵害する実害犯(侵害犯)であるのに対し、この単純 無申告罪の法的性質は租税法(行政法)上の申告納税義務に違反する行為 であり、租税債権との関係では抽象的危険犯(形式犯)であると考えられ る。そして無申告逋脱罪は法定申告期限を徒過することによって法益侵害 が発生し犯罪は一旦その時点で終了(既遂)することにより犯罪終了後の 侵害状態はそれ以前の犯罪に評価し尽くされているため、行為と結果を明 示的に要求する結果犯の中でも類型的には状態犯であるのに対し、単純無 申告罪は結果犯というよりはむしろ行為自体が法益侵害ないしその危殆化 を伴っているために挙動犯(単純行為犯)であると考えられる。それで期 限後申告は無申告逋脱罪の成立に関係しないのと同様に、単純無申告罪の
成立にも期限後申告の効力は何も影響しない。
この両者の関係をまず科刑上の観点から考慮するならば、その関係は無 申告という一つの行為(構成要件的にも重なり合いが認められる)に対し て、それが単純無申告罪(申告義務)と逋脱罪(納税義務)という二つ以 上の罪名に触れるものであるため、観念的競合の関係にあるといえる。こ の場合、外形的には無申告という手段によって税を免れたという結果が伴 うため、一見すると「原因と結果」もしくは「手段と目的」のそれに相当 するようにも見えるが、あくまで無申告という行為は一つ107しか存在しな いため、牽連犯とは明らかに違うものと考えられる。「偽りその他不正の 行為」に条文上この無申告が含まれるかどうかの論議は後述することとす るが、この無申告逋脱罪との関係において無申告という一つの行為(不作 為)は少なくとも税を免れるための「手段」でもあり「原因」となってい ることは事実であり、この両者の関係は無申告で「税を免れる」というこ とを一つの目的と考える場合、科刑上一罪(刑法54条1項)として扱われ るため、何れにしても結果的には刑法上は重い罪(逋脱罪)のほうが適用 されることとなる。そして単純無申告罪のみが適用されるならば、刑量は 逋脱罪のそれと比較すると非常に軽い。
無申告で「税を免れる」という行為を逋脱の目的をもった一つの行為と して考えるならば、それは両者の条文の何れに対しても不作為犯としての 適用をみることは十分なのであるが、単純無申告罪の場合は条文上「申告 書を提出しないことによって」成立する犯罪であり、構成要件が直接的に 不作為の形式を採用しているので、真正不作為犯となることは理解に難く ない。そしてどの命令に違反しているかというと、逋脱罪と同様、所得税 を例にとるならば逋脱犯と同様の所得税法120条における申告義務(すな わち税額があるなら申告せよという命令規定)と考えられるのである。そ して正にその保護法益は申告納税制度であるといっていいだろう。
もちろん税額が発生し逋脱の故意があり、且つその目的で無申告であっ
た場合には、商業帳簿の備え付けの有無に限らず、正当な理由がある場合 を除いては逋脱罪の適用を免れないと考えられるが、仮に税額が結果とし て発生しないか又は発生しても税額が逋脱罪の成立における非可罰的な範 囲内に止まっていたり、あるいは逋脱の故意が立証困難である場合、逋脱 犯が結果犯、故意犯である以上その成立は否定される。それで「重い罪の 認識で軽い罪を犯した場合には、現に生じた事象の該当する軽い犯罪類型 について「故意の有無」が問われ…その場合には重い罪の未遂犯が成立す る余地があることに注意しなければならない」108との意見もある。しかし 周知のとおり逋脱犯に未遂規定は存在しないため、単純無申告の存在意義 に新たな要請がでてくることも筆者は指摘したい。現行の租税逋脱罪の規 定に未遂規定は存在しないので、軽い罪の規定である単純無申告罪の適用 を考慮する必要が生じるのではないかということである。故意の有無に関 して言及するならば、主観的要件を比較すると無申告逋脱罪のそれは逋脱 の故意であるのに対し、単純無申告罪のそれは申告義務に違反する故意
(不提出の故意)であるといえる。もちろん有税であることを知っていて 逋脱の故意が立証できれば逋脱罪が成立するが、結果として可罰性が否定 されれば法理論的には単純無申告罪が成立するはずである。しかし実務的 にはこの単純無申告罪の適用は皆無に等しく、その存在意義に関しては実 質的な効力を持ち合わせていないのが現状である。筆者はこの単純無申告 罪の適用に関しては、無申告ではあっても逋脱の故意が立証できないとき に積極的に運用させるべきであると考えている。
加えて、先に検討した逋脱規定の犯罪事実の認識段階における5段階 と、税額が発生している事案における単純無申告罪の比較を行うことも同 じ無申告という枠組みの中における罪の性質という視点から考慮できる。
基本的に第一段階(申告すべき税額の発生の認識)と第二段階(申告義務 の発生の認識)に関しては、この両者は共に同じ認識段階を踏むものと思 われ、税額発生ベースが前提での相違点は第三段階以降となるだろう。そ
れで第三段階(自ら無申告・過少申告を行い、それが租税を逋脱している ことの認識)からは比較の対象を無申告という枠組みに限ることとなる が、単純無申告罪の犯罪事実の認識における当段階では故意の種類は不提 出の故意となるため、申告義務に違反しているという認識は当然に必要と なったとしても逋脱罪の認識事実の後半における「租税を逋脱しているこ との認識」は逋脱の故意となり、必ずしも必要性が生じないものと考えら れる。次いで第四段階(自らの行為が違法性を有することの認識)につい ては、仮に租税逋脱の認識はあったとしても、少額であるため逋脱罪には 該当しないと思っている場合、即ち逋脱罪の違法性に認識を欠いている場 合が相違する。最後に第五段階(刑罰に該当することの認識)に関して は、それぞれの罪の種類が違うだけであって刑罰法規に該当するという概 念は同じ認識であると考えられる。
この単純無申告罪の議論においては再度後述するが、無申告逋脱罪とと もに単純無申告罪に関してもその適用は曖昧な側面を有しており、行政上 の秩序罰である無申告加算税との兼ね合いにおいても、それが行政刑罰に もかかわらず実務上は中性的な要素が強いため、条文規定としての存在理 由が問われてきている。そういった意味において無申告における犯罪行為 という枠組みの視点からの考察が必要であり、単純無申告罪の位置づけと して、広い意味で逋脱犯研究対象の幅として広げることは有意義なことで あると筆者は考える。現に無申告逋脱罪の解釈論は困難を極めるため、筆 者は単純無申告罪109と逋脱罪とを、解釈論につきその理論的整合性を諮る ことが同時並行して求められてくると考えている。そういった意味でも単 純無申告罪をどのような位置づけに据えることが望ましいのか、第2章以 降でも引き続き考察することとする。