---先生、レクチャーや教科書といった学習資源にも十分なデザインが必要だと いうことがよくわかりました。
そう。まずは教えたい内容を十分整理して、順序よく組み立てることが必要だ。
---でも、それだけでは十分ではないですよね。
そうだね。ガニエの9教授事象で出てきたように、注意をひき、目標を意識さ せ、今までに知っていることを思い出させることが重要だ。
---ただ教えたいことを羅列しても、学習者は困ってしまいますよね。
そうなんだ。ただ教えたいという情熱だけではダメなんだ。それをどのように組 み立てれば学習者にとって意味のある情報として受け取ってもらえるのかという ことを工夫することにこそ、インストラクショナルデザインの神髄がある。
---リソースの準備が終わったら、次は何ですか?
次は、活動とフィードバックだよ。学習者が実際に行う活動と、それに対してど のような情報を返すかというフィードバックのデザインをしよう。
---実際に学習者が行う活動ですから、一番重要なところですね。
もちろん学習者の活動は重要だ。それに加えて、フィードバックをするというこ とがさらに重要なことなのだよ。
---せっかく課題をやっても、それに対して何のコメントももらえないと、やる 気を失ってしまいますものね。
11.1 宇宙船モデル、再び
これまでの講義で、インストラクションというのは、全体としてまとまったひとつの システム(図11.1)であるとして話を進めてきています。まず、エンジンとなるニーズ を確定し、そのニーズを分析し、最終目的であるゴールを設定します。そして、ゴール に到達するためには、どのような細かな課題が必要かというゴール分析を行います。
ニーズとゴール、すなわちエンジンと行き先が決まると、次に、胴体と翼が必要です。
それがインストラクションの実際の内容となる、リソース、活動、そしてフィード バックです。
リソースとは資源という意味で、主にテキストやレクチャーとなりますが、その他に も文献や論文、またインターネットから得られる情報なども利用方法によってはリ ソースとなります。また、周囲の人々、学習を行う環境なども広い意味でのリソース となります。しかし、直接的に関係があるリソースとしては、テキストやレクチャーの ような学習内容を記述したものが大きなリソースとなります。これらのデザインにつ いては前回の授業で行いました。
そして今回は、実際に学習者が活動を行うには、どのような学習活動をするかという 活動のデザインと、活動をしたらそれでおしまいというのではなく、その活動に対し てどのようなフィードバックをするか、というフィードバックのデザインを行います。
N:
ニーズ 事A:
活動A:
活動A:
活動G:
ゴール前 事
後
R:
リソースFB:
フィードバック図11.1 向後の宇宙船モデル:インストラクションの全体像
11.2 活動のデザイン
教師制御から学習者制御へ
まず、活動のデザインについてですが、なぜ、わざわざ活動というのでしょうか。それ は、学習の捉え方が、教師制御の学習から学習者制御の学習へと移り変わっているか らです。これは、別の言い方をすれば、Teacher-centeredからLearner-centeredに移
り変わったということです。Teacher-centeredとは、教師中心主義、Learner-centeredとは、学習者中心主義のことを言います。
これまでの伝統的な学校システムを見てみるとわかるように、教師中心の学習とは、
先生が学習者をコントロールし、授業を運営します。そして先生がどのように学習を コントロールするかという点が重要でした。しかし、教師が一生懸命に学習者をコン トロールしたからといって、学習者がそれに従い学習をするという保証はありませ ん。
そう考えると、見るべきは、実は先生側ではなく、学習者が何をしているかという点 だということになります。すなわち、Learner-centeredにおいては、学習者が自分自 身の学習を制御することが大切だという見方をします。これは学習者に責任と積極性 を持たせるということです。Teacher-centeredの時代では、先生が学習に責任を持 ち、その責任を果たすために細かな指導を学習者に対して行っていましたが、一方で 学習者は自分の学習に対して無責任であったともいえます。これでは、学習者に実質
しかし、Learner-centeredの場合は、学習者に責任を持たせることで、学習者は学ぶ ためにはただじっとしているわけにはいかず、自分が積極的にならなければなりませ ん。そうすることによって実質的な学習を生み出そうとするのです。
教師の役割
では、Learner-centeredにおける教師の役割とは何なのでしょうか。ここでは、教師 は全体を見るモニターの役割(スーパーバイザー)、または授業全体の方法の開発者 という役割を果たします。教師は、教室全体、コース全体のデザインに責任をもち、
最終的にそれがうまく動いているかをモニターし、評価し、改善していきます。すな わち、教師は実際の授業やコースをどのように運営するか、というのではなく、どの ように学習者の活動をデザインするかという点に力点が置かれることとなります。
コーチ、メンター、ファシリテーターの役割
そして、このような学習方法に変わったことによる副産物として、コーチ、メンターと いう存在があります。学習者は自分が学習することに責任を持ち、教師は、授業全体 の設計に責任を持ちます。教師は教壇から立ち去り、代わってそこに立つのは学習者 自身となります。しかしそうすると、教師と学習者との間に隙間ができてしまいま す。
教師と学習者との隙間を生めるために、両者を仲介する人の存在が必要となります。
それがコーチ、メンターという存在です。コーチ、メンターの役割は、直接学習者に対 して教えるというのではなく、より学習者に近い立場で学習者を支援する役割を担い ます。また、コーチ、メンターに似た言葉でファシリテーターという存在があります。
グループワークやワークショップなど実習系の活動を教師がデザインしたときには、
その場において学習者を支援する役割をファシリテーターが果たします。
実際の活動のデザイン
以上のような流れがインストラクショナルデザインにおける最近の動向といえます。
Learner-centeredという考え方が出てきたのは1990年前後のことであり、その後は、
このような流れがインストラクショナルデザインにおいても中心となっています。
では、実際にどのように活動をデザインしていけばいいのでしょうか。活動は、能動 的な活動と、受動的な活動の二つにわけられます。
(1) 効率のいいレクチャーとテキスト
レクチャー、テキストというリソースにより行われる活動は、一見して単なる受動的 な活動と捉えられてしまいますが、単にそれが受動的だから悪い活動であるというの ではなく、とても効率のいい方法であることがわかっています。学習の初期の段階 で、ある一定の知識を得るためにはレクチャーやテキストを利用して学習するのは、
とても効率のよい方法といえます。
しかし、やはり聞いたり読んだりするだけでは受動的な学習活動となってしまい、そ の学習内容が残らないこともあります。ならば、その学習を自分のものにするには、
受動的な学習を能動化する必要があり、そのための方策が必要となります。たとえ ば、レクチャーを聞いたあとに、質問する、または反論する、といったような能動的 な活動が引き出される課題を置くことで、レクチャーによる活動を能動的に変えるこ とができます。また、テキストの内容を自分の言葉で言い換えてください、または自 分でまとめてくださいという課題を置くことで、単にテキストを読むという受動的な 活動で終わらせるだけではなく、能動的な活動へと拡張することができます。このよ うに、さらなる課題を置くだけで、受動的な活動で終わってしまうところを、能動的 な活動へと拡張することができるのです。
リソース 受動 能動
レクチャー
テキスト
聞く 質問する
反論する
読む 言い換える
報告する
(2) 能動を引き出す形態
活動のデザインとして、テキスト、レクチャーというような古典的な方法を使う以外 に、もう少し拡張して、グループ討論や実習、ロールプレイといった形態をとる能動的 な活動というものもあります。
しかし、能動的な活動形態をとりながらも、受動的な活動としてだけに終わってしま う落とし穴もあります。たとえば、グループ討論の場においても、他人の意見に同調 するだけの人、またはまったく発言しない人にとっては、これらの活動は能動的な学 習活動とはなっていません。これでは、レクチャーと同じことになってしまいます。
実習についても、言われたとおりの手順に従って行うのであれば、「やりました」と いう体験だけで終わってしまい、自分でどのように役立つのかというところまで到達 することができません。たとえば実験調査研究法で行った学習が卒論作成の際に生か すことができないのであれば、結局は、実験調査研究法で行った学習活動は、受動的 な学習で終わっていたのだということになり、学習者、指導者ともに反省の必要があ ります。
ロールプレイも実習の一形態であり、一種のシミュレーションにより、新しい考え方 や行動を身に付けることができます。しかし、このとき慣れた役をすればあまり意味 がないことになります。我々はこのような実施形態を利用するのであれば、それが受 動的な形態になってしまっては、学習活動の価値がなくなります。それらが能動的な 活動となるためには、グループ討論においては同意するだけ、うなずくだけではな