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牧畜や草地の管理、財産の配分と処分、加えて⼆重⽣活を⽀えるうえで親族関係が重 要な役割を果たしている。親⼦からなる核家族や直系家族のみでこれらの課題は処理でき ていないようである。本稿は共同⾏動を担う最⼩単位がジューであるとみている。そこで ジューを⽀える親族関係に注⽬し、この親族関係がどのようものか以下に検討しておく。

エヴェンキの伝統的社会構造は、ハラ(哈拉)、モホン(莫昆)、ニモル(尼莫尓)

からなる(旗誌

1996,115)。ハラとはクラン(clan:⽒族親族集団)であり、ハラに含ま

れる者は当該クランの構成メンバーである。このようなクラン社会であるとされるエヴェ ンキの親族関係の現状をその階層構成、出⾃と帰属意識、婚姻関係の観点から検討してみ よう。

現在、ソロン・エヴェンキには、トゥグドン(涂格敦)、ドラル(杜拉尓)、ナッタ

(那哈塔)、ハーハル(哈哈尓)、ベイェーヘル(⽩亜格尓)、ヘールデヘール(何勒特 依尓)とボジリガル(孛・吉尓格勒)の

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つのハラが存続している15。⼈⼝規模で⾒ると トゥグドンとドラルが最も多く 、ベイェーヘル、ヘールデヘール、ボリジギルがそれら に次ぎ、ハーハル、ナッタは少数である(国家⺠委編

2009,310)。調査地 A

ガチャーの 場合、⼈数ではトゥグドン、ドラル、ハーハル、ナッタの4つのハラが⼤きい。かつては ハラ毎にハラ会議が⾏われ、ハラ内の重要事項について協議し、モホン間の遊牧地の利⽤

と関連する重要事項などについて調整と決定をしていた。請負制度が⾏われる前の時代、

ハラ会議が慣習的放牧地の割り当てを定め、遊牧範囲を監督していた。

15 エヴェンキ族⾃治旗に住むエヴェンキのトゥグドン、ドラル、ナッタ以外のハラを構成するモ

ホン数は不詳である。調査地のエヴェンキのモホン名はロシアに住むエヴェンキと違いがある

(吴守貴 2008,129,482)。

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モホンとはハラの下部組織(サブクラン、sub-clan)を指す(旗誌

1996,116)。モホ

ン毎に能⼒のある者からモホンダーと呼ばれる⼀⼈の⻑が選ばれた。従来、定期的に開か れるハラ会議はモホンダーによって開催された 。しかし、定住化によりモホン間の調整 が必要でなくなった現在、ハラ会議はなくなり、モホンダーもいなくなった。

このように現在ハラの役割はなくなったが、エヴェンキと⾃称する⼈々は今でも各々 のモホンの構成員であることを⾃他ともに認識している。同じモホンに属する⼈々は祖⽗

⺟或いは曾祖⽗⺟を同じくして互いに⾎縁関係を認識している。呉守貴によれば16

、ハ

ラ(⽒族公社)は当該ハラの者の他に、他ハラの者で当該ハラの男性と婚姻関係を結んだ

⼥性、また養⼦と認められた者を含むとしている(呉守貴

2008,15)。とはいえ、嫁いだ

⼥性も養⼦も⾃⾝の出⾃であるハラ名を変えることはない。このようなことは現実にはハ ラよりモホンのレベルで頻繁に観察される。モホンは出⾃を決定する規範としての役割を 保持している。しかしモホン間の関係は、古い時代に系譜関係があったといわれる以外 に、現在ではさほど重要な意味が認められない。ただしクランであるハラとサブクランの モホンとの間にそれぞれ系譜関係があることは知られている。

表 7 オジオバの呼称

本稿調査地 オルゴヤ2)

オジ オバ オジ オバ

⽗⽅ 年⻑1) ウッドゥグアバ a) ネーネー b) 合克

(hekke)

額基(ekki)

年下 エスヘ a) グーグー b) 阿基(akki) 額基(ekki)

⺟⽅ 年⻑ アミハン エニヘン 合克

(hekke)

額我(eue)

年下 ナグソー(ナーヌと呼 ぶ場合もある)

ナーヌ 姑⿊

(kuxie)

額基(ekki)

注 1:調査地においては、⽗⽅のオジオバのエヴェンキ語の呼称を現在は知る者がなく、現在はモンゴル 語a)と中国語b)の借⽤呼称を使っており、⽗⽅と⺟⽅の呼称が同じではない。

2:フルンボイル市エルグナ旗内のオルゴヤ⺠族郷に居住するヤクート・エヴェンキを指す。ここで は、オジオバの⽗⽅と⺟⽅の呼称に若⼲の差がある。右揃蘭は⽗⽅と⺟⽅オジオバの呼称が同 じことを指す(中国国家⺠委編2009)。

出所:現地調査により筆者作成。

16 呉守貴は内モンゴル、現ジャラントン(扎蘭屯)市出⾝のエヴェンキ族で、フルンボイル市の

政治指導者の⼀⼈であった。2015年現在、エヴェンキ族研究会の理事⻑を務めている。

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A

ガチャーには、6つのモホンがある。Jウリレンに居住するトゥグドン・ハラの事例 をみると 、このハラに所属する⼈々は、ウッドグ・トゥグドンとニスフン・トゥグドン の⼆つのモホンに分かれる17。モホンの内部は⾎縁的に⾮常に近い親族であるが、同じハ ラに含まれていてもモホン間の相互⾎縁関係は今では分らない。

系譜関係の⽇常的な意識や認知は、⽗⽅と⺟⽅との間の親族呼称の違いに現れよう。

⽗⽅と⺟⽅双⽅のオジオバの呼称をまとめたのが第

2

表である18。現在、⽗⽅のオジオバ にあたる語はモンゴル語や中国語の借⽤がおこなわれている。エヴェンキ語の呼称が確認 できず、エヴェンキの⾔語に⽗⽅のオジオバ呼称があったかどうかが明らかではない。し かし⺟⽅のオジオバの呼称はエヴェンキ語であり、調査地の例では⽗⽅と全く異なってい る。このことは⺟⽅との系譜関係の存在を⽰唆し、⽗⽅と⺟⽅の出⾃たるモホンが明確に 区別されていることを意味している。しかし、Cジューの例でもみられるようにエヴェン キ同⼠の婚姻から⽣まれた⼦供は⽗⽅モホンを継承する傾向が⾒られる。

モホンが意識されるのは祭祀が催される際である。今⽇では、オボー祭事がモホンの レベルで⾏われる共同⾏動のほぼ唯⼀の機会になっている19。各モホンに「⾃然信仰の神 様」がいて、年に⼀回

5

⽉か

6

⽉にモホン毎にオボーを催す。サマン教(サマン:薩満 とはシャーマンを指し、サマン教はシャーマニズムとされる)に結び付いた信仰の⼀種で ある。祭事を⾏う場合に、かつてはモホン毎にサマンがいて、⼈々を招集してオボーに参 拝した。現在では、サマンがいないモホンが多く、モホン内でその意義を重視する⼈が中

⼼となってサマンの代わりに祭事を催す。⼀つのハラに属する複数モホンの集団が合同で 祭祀を⾏うことはない。祭祀はもっぱら⼀つのモホン内で⾏われるに留まっている。

モホンレベルでの外婚制はまだ存続している。婚姻関係についてトゥゴルコフ

(1981)は「ロシアのエヴェンキ族⽒族制の⼤きな特徴は外婚制である」と記述してい るが、調査地域のエヴェンキも同様である。かつては同じハラに属するため通婚が慣習的

17 そのほか、A

ガチャーにはドラル「杜(ドゥ)」、ナッタ「那(ナ)」、ハーハル「韓(ハン)、ま たは哈(ハ)」がある。現在トゥグドンの場合は中国の住⺠登録上は姓⽒として漢字の「涂(ト ゥ)」が⽤いられている。

18 これらオジオバの親族呼称は調査地の事例である。エヴェンキの他の地域では、異なる呼称が

使われる場合もある。

19 オボーとは、元々⽯または⽊を重ねて作られ、⼭頂や峠のような⾼所に建てられる⼀種の標柱

である。境界標識や道標としての役割を果たしていたが、そこで宗教儀礼が⾏われるようにな るとともに⾃然信仰などの宗教的意味を⽰す参拝の場所と祭事になった。

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に禁⽌されていたウッドグ・トゥグドンとニスフン・トゥグドンだが、現在ではお互いに 通婚可能になり、現に通婚している。つまり、同じハラ内でも異なるモホンであれば通婚 が認められるようになっている。しかし、同⼀モホン内の外婚制は依然として機能してい る 。

あるモホンに属する⽗⺟、祖⽗⺟あるいは曾祖⽗⺟と⾎の関係があることがモホンの タイトルを継承する条件である。親族関係に関し、同⼀モホンに属している⼈々をバルチ ャ(balcha:親族)と⾔う。しかしバルチャという場合は姻族つまり法定親属を含んでお り、中国の親属法の「親属」に相当する(斯波義信

2012,383)。ただし、同じハラでも

異なるモホン同⼠の間では系譜関係が明らかではない場合が多く、バルチャとは⾔わな い。

他⽅ニモル(nimor:エヴェンキ語の意味は「近い」)は、20世紀初頭までは、⽒族 的⾎縁関係を残しモホンを構成する下部集団(遊牧公社)だったとされる(孛・吉尓格勒

他編

2004、44)。遊牧などを⽀える⾎縁互助集団であり親族関係の最下位にあるリネー

ジだったと推測される。だが現在の

A

ガチャーでは、70歳以上の年⻑者しか知らない語 彙であり、ニモルを⾎縁関係の最⼩単位や⽣産単位の意味では使わない。中国建国の

1949

年以降、特に⼈⺠公社が成⽴するとともに、ニモルという⾔葉は消滅した。今⽇、

⼟地の請負制により牧畜が個別の経営世帯に解体されたとは⾔え、次節で検討するように 複数世帯の協⼒関係無くして牧畜経営は困難で、⽣活の様々な局⾯での互助的組織は不可

⽋と思われる。ニモルは⽒族的⾎縁縁関係を残したモホンを構成する下部集団、⾎縁関係 の最⼩単位集団だとすれば、ジューはニモルのようなものとして互助的親族組織として復 活しているものと考えられる。

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