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第2章  試験検定及び免許状と任用制度

第4節  武道教師と無資格教員

 第7章で体操科担当教員の検討をすることになるが、そこで現れる無資格教員について 触れておこう。無資格者について、文部省は1905(明治38)年10月27日(巳発普250 号各地方庁へ普通学務局通牒)「師範学校中学校高等女学校教員ノ有スル免許状ノ学科目ト 受持学科目トノー致並無資格者減少方」を発している。

師範学校中学校高等女学校教員ノ免許ハ当該免許状二記載ノ学科目ヲ教授スルニ堪能タ ルコトヲ証明スルモノニ有之従テ縦ヒ有資格者トシテ採用セラレタルモノト錐免許以外 ノ学科目二対シテハ無資格者ト異ルコト無之候然ルニ従来右学校ノ教員配置ヲ見ルニ教 員ノ有スル免許状トー致セサルモノ往々有之教授改良上遺憾少カラス候條自今右学校ノ 各学科目ハ該学科目二対シ相当資格アルモノヲシテ教授セシメ候様致度若シ貴管内学校 教員ノ配置ニシテ前述ノ如キモノ有之候ハ今日ヨリ漸次其組織ヲ変更シ教員ノ受持学科 目ト免許状ノ学科目トー致セシムルト同時二成ルヘク無資格者ヲ減少セシムル方針ヲ以 テ教員ヲ配置相成度依命此段及通牒候也

追テ本文ノ学校ニシテ貴官管理以外ノモノヘハ本文ノ趣旨篤ト御示達相成度此段申添候 也 9

 っまり、他の学科目の免許状を所持し中等学校の教員となっていても、免許のない剣道 や柔道の授業を担当することは無資格者と同様ということである。

 武道担当教員や武道の免許状取得者について、山崎真之(2009)10 の研究をもとに見 てみると以下のようである。

 中等学校における剣道、柔道の正科採用は、1911(明治44)年7月31日文部省令第 26号による中学校令施行規則の改正により、1912(明治45)年から正科教材として取り 入れることが出来るようになった。ただし、この時点では体操科の中でいわば選択科目と しての位置づけであった。武道の必修化は1931(昭和6)年1月10日文部省令第2号に よる中学校令施行規則改正の時になされ、同年4月から実施された。

 剣道、柔道に関する独立した教員免許状は、前節で見たように1916(大正5)年の「教 員検定二関スル規程中改正」によって授与されることとなった。

 では教員の任用はどうであったのか。教員免許令第2条では「特別ノ規定アル場合ヲ除 クノ外本令二依リ免許状ヲ有スル者二非サレハ教員タルコトヲ得ス但シ文部大臣二定ムル 所二依リ免許状ヲ有セサル者ヲ以テ教員二充ツルコトヲ得」とされている。教員任用につ いては有資格者の採用が原則であることを明示するとともに、但し書き以下で無資格者の 採用も文部大臣の定める規定に基づく限りにおいて容認している。

 無資格者の任用についてはどのように規定されているのだろうか。文部省は1900(明治 33)年9月6日文部省令第15号「教員免許状ヲ有セサル者ヲ教員二充ツルヲ得ル件」を 定め、その諸条件を規定している。その条件について第1条で教員免許状を有する者を得 難い場合と決め、第2の条件として、第4条で無資格教員が有資格教員の2倍を超える場 合には文部大臣の認可を得る必要があるとされた。その後1908(明治41)年には有資格 教員の2分の1を超える場合には文部大臣の認可を得る必要があると改正され、無資格者 の採用は制限されていく。この規定が廃止されるのは戦後のことになる。つまり、1908(明 治41)年以降、無資格者の採用は中等学校それぞれの教員全体の3分の1まで認められる 状態になっていたということができる。

 また、文部当局は次のような通牒を各地方庁へ発している。1911(明治45)年1月24 日(媛普112号各地方庁へ普通学務局通牒)「中学校二於テ体操科ニテ撃剣及柔術ヲ受持 ヘキ教員ハ教諭助教諭ト称スルコトヲ得ス当分ノ内有資格無資格ノ関係上何レニモ属セサ ルモノトシテ取扱フ」という通知である。

客年文部省第二十六号ヲ以テ中学校令施行規則中改正ヲ加ヘラレ来学年ヨリ体操科二於 テ撃剣及柔術ヲ授クルコトヲ得ルコト、相成候二就テハ自然右受持教員採用二向モ可有 之ト存候所何等教員免許状ヲ有セスシテ専ラ撃剣及柔術ヲ受持ツヘキ教員明治三十三年

文部省令第十五号第三条ノ関係二於テハ教諭助教諭ト称スルコトヲ得サルハ勿論二候へ 共第四条ノ関係二於テハ当分ノ内有資格無資格何レニモ属セサルモノトシテ御取扱相成 度依命此段及通牒候也11

 この通牒によって、無資格教員の任用を教員全体数の3分の1に制限する規程に抵触す ることが予想された武道教員の不足を、全体の教員者数から除外するという応急的な処置 を講ずる旨を通知したものであった。

 以上のように、昭和戦前期に武道が必修化された後も、無資格教員でまかなっていた状 況は変わらず、しかも、職員録には教員者数から除外された武道教師の職名で扱われてい たとみられる。職員録に掲載された無資格教員については第7章で詳しく分析する。

(小括)

 検定試験の出願資格と無試験検定の試験免除となる該当者の変化をまとめると次のよ うなことがいえる。

 出願資格の拡大については、以下のようであった。1907(明治40)年4.月25日、文部 省令第13号「教員検定二関スル規程中改正」において、始めて出願資格が明記され、そ

の中で「小学校本科正教員」という教員資格を持った者が指定された。その後、小学校教 員に関しては、1908(明治41)年11月26日、文部省令第32号「教員検定二関スル規程」

で「尋常小学校本科正教員」が追加され、1921(大正10)年3月4日、文部省令第14号

「教員検定二関スル規程中改正」では、「小学校本科正教員、尋常小学校本科正教員、小学 校専科正教員若ハ小学校准教員」に拡大された。文部省は中等教員の直接養成学校を拡大 することはなかったことからも、彼らに教育の大意や国民道徳要領を免除し、中等教員の 不足を補う役割を担わせようとしているように見える。また、小学校教員にしてみれば中 学校、高等女学校を卒業していない場合でも、教員免許状をステップアップして行くその 先に、中等教員へのキャリアアップの道がつながっているように見えただろう。天野郁夫

(1996)は「教員の世界が、独学者にとって重要な社会的上昇移動への道でありえたのは、

この独自の細分化された階梯的な資格制度のゆえであるといってよい。」12 と述べ、小 学校教員から「文検」を通過して中等教員へ転身して行くに際して、このシステムの果た

した役割を指摘している。

 無試験検定による検定合格の該当者については以下のようにまとめられる。1894(明治 27)年3月5日、文部省令第8号「尋常師範学校尋常中学校高等女学校教員免許検定二関 シ規定スルコト左ノ如シ」を定め、無試験検定該当者を明らかにした。その該当者は「元 体操伝習所卒業生ハ普通体操二関シ、陸軍教導団卒業生ハ兵式体操二関シ第一項二依ルコ トヲ得」とされた。体操伝習所卒業生は普通体操を主に担当していたが、学校体育の主流 はしだいに兵式体操に移っていった。1901(明治34)年5月9日、文部省令第12号「明 治三十三年文部省令第十号教員検定二関スル規程中左ノ通改正ス」が公布され、第2条「検

定ヲ為スヘキ学科目左ノ如シ」とし、それまで普通体操と兵式体操の二部に分けて検定を 行っていたものが、体操だけになってしまった。また、第10条で「左二掲クル者ニシテ 体操科ノ試験検定ヲ出願シタルトキハ兵式体操ノ部分ヲ省ク 1 陸軍歩兵科士官/2 陸軍歩兵科下士任官後満4年以上現役二服シタル者」として兵式体操の部分は免除という 優遇措置だけは残った。実際には、そこだけが免除されても普通体操の部分の検定は必要

であったため、陸軍出身の士官、下士官の中等教員免許状取得者は激減した。一本化され て以降は兵式体操も普通体操も併せて体操科教員が担任していることになった。そうした 中、1925(大正14)年4.月11日に、勅令第135号「陸軍現役将校学校配属令」が公布さ れた。配属将校は、体操科教員と一体となって学校教練の指導に当たることとなった。1932

(昭和7)年8月30日、文部省令第15号「師範学校中学校高等女学校教員検定規程」に おいて、体操科の免許状は体操、教練、剣道、柔道の4種類となった。これに伴い陸軍歩 兵科士官と陸軍歩兵科下士任官後満4ヵ年以上現役に服したる者は教練の試験検定を出願 した場合には試験免除の扱いを受けた。このため、予備試験はなく、本試験の時に教育の 大意、国民道徳要領の筆記試験と口述試験だけが課されて、結果的に教練教員免許状を取 得する陸軍出身者が増加することとなった。以上のように体操科の中で兵式体操や教練は、

陸軍の出身者を常に優遇してきたという特異な分野であったと云えよう。

 また、中等学校における武道の正課採用は1912(明治45)年から始まり、武道教員の 養成はその後を追いかけることとなった。その結果、武道教員の採用に当たっては無資格 教員が多くを占める状態は続いた。法規制では、無資格教員は教員数全体の3分の1に制 限されていたが、武道に関してはその制限を受けない取り扱いができるように処置された。

すなわち、このことが無資格教員の数に入れなくともよいという取り扱いの武道教師とい う職名が職員録には現れる原因となったと思われる。

第2章 註

1『官報』573,1885年6月1日

2牧昌見(1971)日本教員資格制度史研究、風間書房p.317 3同上書

4『官報』573,1885年6月1日 5『官報』5705,1902年7月11日

 中村民雄i(1983)明治期における体操教員資格制度の研究(二)、福島大学教育学部論集35、

  P.129

 船寄俊雄(1989)中等教員試験検定制度史研究(第2報)一試験検定の日程について、大阪   教育大学紀要IV 38(2)p.114

6中村民雄 前掲:書p.130 7中村民雄 前掲書p.135 8牧昌見 前掲書p.394

9 『文部省例規類纂 第三巻』大空社(1987)p.536