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有識者から見た医療の情報化

ドキュメント内 KEIRIN (ページ 150-173)

 

医療の IT 化は国の利益 

      大阪府立病院機構  理事長 

      井上  通敏         

IT 化自体が目的ではない 

  IT化自体が目的ではなくて医療をよくするための手段の一つとしてITを使うのだが、某元首 相のようにITとは縁のない人までがイット、イットというものだから医療分野に限らずIT(イ ット)自体が目的化していた時代があった。医療ITについては厚労省が平成13年12月に「保 健医療分野におけるIT化の推進に関するグランドデザイン」を発表し、この中で“平成18年度 までに400床以上の病院の60%以上が電子カルテを導入する”という数値目標が掲げられて いた。時の政府のIT推進政策に合わせて便乗した目標値であった。電子カルテを導入した病院に はわずかではあるが診療報酬が加算された。このため多くの病院が電子カルテの導入を急ぐこと になったが、「何のために電子カルテを導入するのか」という院内での議論を十分消化しきれない ままに踏み切った病院が多かったのではないかと思う。電子カルテを導入するには莫大なお金が 必要だから見返りにあれもこれもと期待するのは無理もないが、このあれもこれもがユーザーと ベンダの間で十分に詰めきれなかった病院が少なくなかったと思う。言い換えると、ユーザー側 に仕様書を書く能力があったのかということと、仮に立派な仕様書を提示したとしてもそれに応 える力がベンダ側にあったかという懸念があった。双方に未熟さがあって、導入後も溝がうまく 埋まらない状況が今も続いている病院が多いと感じている。 

 

あれもこれもは虻蜂取らず 

  あれもこれもというITに対する大きな期待があるが、病院にはたくさんの部門があり、各部門 の職員は自分たちの仕事に役立つようにITを活用したいと熱心に考えている。診療科だけでも2 0以上あり、各診療科を受診する患者の病態も異なるからそれぞれに合わせた電子カルテを作り たいという希望はよく理解できる。しかし、全部の要望を満たすとどんどん内容が膨れ上がり、

とてつもなく複雑で巨大なシステムとなってしまう。その結果、予算も足りなくなってしまうこ とになる。優先順位を明確にして内容を絞り込んだ電子カルテにすることが重要である。残念な がらこの絞り込みをリードできる人材が病院には乏しい。院長が陣頭指揮すればよいのだが、多 くの院長はITに自信がないからいきおいITに強い若い人に頼ってしまう。頼られた者もITにい くら詳しくても、各診療科のそうそうたる部長を相手に絞込みのために要望のカットをお願いす ることは非常に難しいから、結局は中途半端なシステムとならざるを得ない。その結果、運用段 階になって電子カルテに対する不平が院内に残ってしまう。 

  診療科レベルのあれもこれもの各論はそれぞれ理解できるが、そもそも電子カルテは何のため に導入するのかという議論が十分に詰め切れていないと思う。1)省力化による経費節減、2)

正確な情報伝達による間違いの防止、3)診療支援による診療の質の向上、4)診療情報の蓄積

とその活用による臨床研究の支援、5)医師と患者が情報を共有して説明と納得を支援、6)地 域の医療機関が情報を共有して包括的な医療に役立たせる  といったことが医療のIT化あるい は電子カルテ導入の狙いである。これらの目的を最初からすべて実現することは到底無理なので、

当面どの目的に主眼を置くのかを院長が判断しなければならない。しかし、院長の耳には内外か ら色々な意見が入ってくる。経営者の立場からは莫大なIT費用に見合うだけの収入増や経費節減 という見返りが本当に得られるのかという心理的圧力がかかる。診療現場からは業務が忙しいの に面倒なキーボードを叩いてどれほど医療の質がよくなるのか、また、本当に患者のためになる のかという疑問が発せられる。 

 

アメリカと日本の違い 

  アメリカでも電子カルテの開発が急がれている。アメリカの場合は、民間の医療保険会社がた くさんあって、一人の患者が複数の保険契約を交わしている場合が多い。患者を受け入れた病院 は診療内容を細かく分けて複数の保険会社へ請求しなければならないので事務経費が非常に高く つく。これは一つの例であるが、総じてアメリカの医療事務経費率は非常に高くて、総医療費の 20%近くに達しているとも言われている。事務経費を下げることは病院にとっても保険会社に とっても大きな利益が得られるので、双方が協力して診療情報のデジタル化HIPAA(the Health  Insurance PortabilITy and AccountabilITy Act)により保険請求事務の省力化を図ろうとしている。

捕らぬ狸の皮算用になるかもしれないが、HIPAAが成功すれば医療事務経費がアメリカ全体で約 2兆円分節約できると予測し、その分を電子カルテに投資しようと考えている。もちろん単に省 力化だけが目的ではなく、標準化された診療情報を保険会社が得ることにより病院別の診療能力 の比較評価が可能となり、病院間の診療能力の格差是正にも役立てようという訳である。 

  一方、我が国の場合は、医療事務に使われている費用はアメリカと比べると相対的に高くはな い。医療事務費が医療費全体に占める割合はアメリカの1/2〜1/3くらいであると推定される。

したがって、医療事務の省力化のためにITを導入してもIT経費に見合うだけの効果はアメリカ ほど期待することができない。日本では一体何のためにIT化を推進するのかと言えば、待ち時間 の短縮などの患者サービスの向上、情報伝達の精度向上による医療事故の防止、情報支援による 診療の質の向上などが目的となる。いずれも患者の立場からは重要なことで、ぜひ実現して欲し い目的である。しかし、このような目的のIT化は病院にとってはすぐに収益に結びつかない。こ のようなことから、院経営者にとって投資意欲や開発意欲がいま一つ湧き上がってこないと言う のが本音ではないかと思う。 

 

IT は医療の質を改善できるか 

  医療関係者のIT化に対するモチベーションを上げるために、国は医療の安全性や質を高めるこ とのできるITシステムの導入に対して十分な診療報酬加算をすべきである。しかし、国の支出を 国民に納得していただくには医療の質や効率を改善できるシステムを開発し、その効果を検証し てからのことになる。これまでも医療の質を改善するためのシステム開発が続けられてきたが、

その効果が検証できているかというと自信を持って示せる例は多くはない。 

  そもそも医療の質とは何であろうか。このことを仕様書、つまりコンピュータが理解できるよ うに記述することから始めなければならない。 

  ピンの医療からキリの医療まで存在することは、まぎれもない現実である。患者は誰でもヤブ

医者よりは名医に診てもらいたいと思っている。また、患者は一昔前の医療よりは最先端の医療 を受けたいと思っている。医療の質の改善にはニつの対策がある。一つの対策はピンの医療を更 によくすることである。これを可能にするのは医学研究である。これまでのものよりも優れた新 しい診断法、新しい薬、新しい治療法を開発することである。医療の質を改善するもう一つの対 策はキリの医療をピンの医療に近づける(底上げする)ことである。これを可能にするのは教育 であり、研修である。ITは研究という創造的な仕事にはあまり役立ちはしないが、キリの医療を ピンの医療に近づけて質のばらつきを小さくすることであればITは大いに役立つ手段となる。製 造業では製品のばらつきを小さくする品質管理が重視されていて、その手段としてITが大きな威 力を発揮している。一方、医療のように人間を相手にするサービス業では製造業における品質管 理をそのまま適用できる訳ではないが、たとえば、同じような病態の患者の診療を行った場合、

医師間や病院間で治療方法が異なっていたり、同じ治療を受けても入院期間や費用に大きな差が あるとすれば、この相違や格差を小さくすることが医療における品質管理に相当するのであろう。

極端な例を示すと、特定機能病院を対象に診断群分類による包括評価制度DPC

(Diagnosis-Procedure Combination)が実施されているが、公表された初年度のデータの一つに、

心臓バイパス手術の平均在院日数のもっとも短い病院は18日、もっとも長い病院は54日で実に 3倍の開きがあった。手術が下手なのか、術後の管理が悪いのか、結果として、患者には長い入 院生活という不便と莫大な費用負担をかけているし、国の総医療費の増大にも寄与したことにな る。このような病院格差や医師格差を是正するにはどうすればよいのであろうか。学会などが診 療ガイドラインを作成することやこれを更に具体化してそれぞれの病態毎にクリニカルパス(治 療のステップとスケジュールの概要)を作成することが役に立つ。しかし、ガイドラインを作っ ただけではだめで、研修などを通じて普及啓発しなければならない。最近はクリニカルパスを備 えた電子カルテも開発されているので、ばらつきの縮小化に大きな威力を発揮するものと期待さ れている。 

 

電子カルテは鏡の役割 

  電子カルテは従来の紙カルテの内容を電子化するだけではほとんど意味がなく、診療中の患者 の病態に関係した知識や情報を医師に提供して診療を助ける機能が期待される。クリニカルパス はその一例である。極端に言えば、研修医が診察してもベテランの医師と変わらないほどの診療 ができるように誘導してくれるような電子カルテが理想である。 

  電子カルテのもう一つの大きな意義は“鏡の役割”であると思う。電子カルテに入力されたデ ータはデータベースに蓄えられ、さまざまな集計や表示ができる。自分が行った診療や自分の病 院の診療データを見ることができる。自分の姿を見ることができるわけである。ネットワークで 他の病院とつながっておれば、あるいは全国の病院の診療データが集計されているデータベース にアクセスできるならば、他の医師や他の病院のデータと比較することができる。先ほど例示し た心臓バイパス術の在院日数であれば、その平均値やばらつきをA大学病院とB大学病院と比較 することができる。“他人の振り見てわが振り直せ”を可能にしてくれるのが電子カルテである。

電子カルテは“鏡の役割”である。これによって自分の姿を改善しようと努力することが医療の レベルを引き上げる原動力となる。 

 

比較可能の条件 

ドキュメント内 KEIRIN (ページ 150-173)