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第2節 教育実践への示唆
学級のなかでオルタナティヴに関係性を築き, 「うまく」たちふるまお うとする矢野に対し,園田のふるまい方は不器用で,教師との関係性に 逃げ込んでいる状態であった。園田にとって,授業における教師こそが 園田が心理的に安定した関係を築くことができるパートナーだったので あり,その意味でも「授業」自体に参加することは,彼の学校生活にと って重要な居場所の確保になっていた。園田のような子どもは,学業的
には優秀であるがゆえに「問題のない子ども」としてみおとされがちで ある。だが実際は,教室という閉じられた社会文化的空間でどのように 生きるかという点では,大きな問題を抱えた子どもであったのである。
園田の事例からは,授業だからこそ,教師が正統性をもって子どもの関 係形成に介入し,関係を媒介することができるということが示唆される。
子どもをみとるということは,カリキュラムの形態や教育内容にかかわ らず,そのときの状況を子どもが,子どもなりにどのような欲求をもち, どのように生きているか,ということを社会文化的に総合的にみる行為 なのである。
三つには,授業における教師の役割の再確認である。教師は,授業に おいて教授者としてだけでなく,談話空間の構成者,教室談話の管理者
として重要な役割を担っているということが挙げられる。教室談話にお いて,授業参加者間で欲求のぶつかりと調整が生じるが,とりわけ,敬 師の発話生成は基本的に「調整」に向けられる。研究3において,教師 の復唱が暗黙的な評価機能を担っていたことに示されるように,教師の 欲求は,必ずしも発話生成によって学級に向けて明示的に表されない。
なぜなら,教師は,子どもに比べ,圧倒的に多くの欲求のぶつかりを感 知しており,自らの欲求を充足させることよりも,教室談話の進行に向
けた,欲求のぶつかりの調整を優先させているからである。この「調整」
という行為が,実質的に授業展開を推進しており,その意味で,教師は, 談話空間の構成者,教室談話の管理者として存在しているのである。
したがって,教師の役割としては,次の二点が挙げられる。一つには, 談話空間の構成者として,子どもの授業参加に向けた発話権の保障を行
うということである。子どもが発話権を取得するにあたり,発話順行性 は重要な資源となる。ただし,発話順行性の存在だけでは子どもの発話 権取得は実現されない。発話権取得は,発話を生成することそれ自体と 同様,あくまでも学級集団としての社会文化的状況におけるふるまいと して成立する。そうすると,子どもにとっては,学級内の社会的関係や 課題解決‑の関与の仕方によって発話権取得の実現可能性が左右され る。子どもによっては自らの意志や欲求が発現できずに,ストレスや疎 外感を感じることもあるだろう。教師は,談話空間の構成者として,発 話権取得における子どもの心理的負担や疎外感を軽減するための何らか の手だてを講じる必要がある。二つには,それゆえ,教師は教室談話の 構成者として,子どもの発話生成を支援する手だてとして,両義的な発
話の許容範囲を調整したり,復唱を用いて子どもの発話‑の受容を示し, 自らのねらいに子どもの発話生成を誘導するなど,発話運用の柔軟性の 幅を調整することや,発話者とも聞き手ともなる子ども同士の関係性形 成を媒介することが求められるであろう。加えて,談話空間の構成者, 教室談話の管理者として,発話運用の柔軟性の幅をどのようにもたせて いるか,発話の運用自体をどのように行っているのか,という点に教師
としての職能発達が示されるであろう。