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子どもの発話スタイル の独自性(研究1)

1.問題と目的

本節では,子どもが発話行為者として,どのように社会文化的環境や 制度的環境に能動的に対応しているのか,ということを明らかにする。

具体的な課題としては,教室談話において,子どもは独自の発話スタイ ルをもちうるのかどうか,独自の発話スタイルをとることにはどのよう

な意味があるのか,ということを明らかにする。

前章第1節で論じたように,特定の教室を超えて一般化可能な,授業 のモデルやパターンの構築が目指されるなかで,教師一子ども間の相互 作用と子どもの学習成果とを因果論的に結びつける「プロセス‑プロダ クト」モデルに基づき,授業の言語的相互作用は, 「教師の働きかけ一 子どもの反応」であるとのみとらえられ(Cazden, 1986;茂呂, 1997a), 教師と子どもは「情報の送り手一受け手」という関係性に固定された0

このような因果論的なとらえ方は,教室談話の見方に対して次のような 問題点をもたらした。

問題の第一点は,教室談話研究においては,主として集団の談話パタ ーンが注目されてきたことである。例えば, Mehan (1978, 1979)が明

らかにした,主として教授場面における「教師の働きかけ(Initiation) 一子どもの応答(Reply) ‑教師の評価(Evaluation)」という,教師主 導のマクロな相互行為のパターンは,教室談話の分析カテゴリーとして

援用された(例えば Edwards & Westgate, 1994;鹿毛・上淵・大家, 1997)。つまり,教室談話は,談話システムとしての発話順行性や,学 級集団における規範に沿う範囲で展開されているという側面のみが強調 されてきたのである。結果的に,参加者の行為の画一性と発話の匿名性 を前提に教室談話がとらえられることとなり,行為者としての子どもや 教師の発話生成の能動性は検討されなかったのである。

第二点は,子どもの側の発話行為については,主として教師の働きか けに対する反応の多さや正確さが注目されてきたことである。例えば, 発話頻度の低い子どもは「お客さん」とみなされたり(吉本編,1981), 教師や子どもは,挙手を積極的に行う子どもほど学業成績や学習意欲が 高いとみなしている(藤生, 1996)つまり,子どもの発話の能動性は 発話や挙手行動の頻度の高さという表面的な行為と主に結びつけられ, 子どもの授業参加は制度的環境‑の適応としての顕在的な反応の形成に

しかみいだされなかったのである。

さらに,第三点は,分析手法や結果の一般化のために,主としてカテ ゴリーの符号化による数量的分析が用いられてきたことである。カテゴ リーの数量的分析では,コーディングシステムに再現性をもたせるため に,個々の発話を文脈から分断するため,対象学級独自の授業展開にお けるその発話の位置づけやつながり,発話者の意志や聞き手の反応など 発話生成の内実が捨象されることになったのである。

以上より,教室談話は,教師の統制と集団の秩序のもとで,匿名化さ れた子どもが教師‑の反応として生成する発話の集積であるととらえら れてきたといえる。これらのとらえ方は,行為者としての教師や子ども の発話生成を,社会文化的環境や制度的環境から一方的に制約を受けて いるとみなすと同時に,教室談話の均一性を前提とし,子どもの発話生

成における意志や関係性を教室談話のマクロな構造のなかに解消させて しまう点で問題である。

しかし,一方で,発話は社会的現象であり(バフチン, 1989),教室 談話は,教室における参加者なりの関係性を反映した相互作用過程であ

るともみられている。つまり,発話主体となる参加者側からみれば,敬 室の社会文化的環境や課題解決の認知的環境にどのように関わるか,と いうことが問題となる。近年では,言語実践の具体性(茂呂, 1997b) に注目する立場から,発話は,出来事が生成する「今‑ここ」という状 況において, 「関係性の網目」のなかで生成されるとされ,次のことが 指摘された。

一つには,教師と子どもは「情報の送り手一受け手」ではなく,協同 的に教室談話を構成する関係性にある,ということである。例えば,ワ トチ(1995)によれば,教師の用いるレジスター*1が優先,特権化され, 子どもに共有されていく過程が教師と子どもによる協同的な相互作用の 過程である。また,茂呂(1991, 1997d)によれば,教師と子どもは, 発話のテーマや内容,構成のあり方に応じて共通語と方言の使い分けを 互いに認知し共有し,発話タイプの使い分けに協同的に関与している。

二つには,発話者個人の発話の編成の仕方はそれぞれ異なっていると いうことである。例えば,国語の討論場面で,自分の読みを検証するた

*1レジスター(言語使用域)とは,特定の言語形式が特定の状況を形成する上で果たす機能, あるいは特定の状況の下で使用される特定の言語形式の慣習化である(茂呂, 1997d)。と りわけ,語嚢選択と密接に関係している(マッカーシー, 1995)し,語嚢の違いが異なる レジスターを区別するのに重要となる(ロメイン, 1997)0 Wertsch (1991/1995)は,教師 の発話に,特定の生徒との関係や特定の教科内容との関連に応じてレジスターが出現する

と説明している。

めに討論の場の情報を利用し自分の考えを明確にしてから発話する者も いれば,明瞭な根拠や理由がなくても討論の初期の段階で意見として発 表し,話し合いのなかで他者の意見を取り入れ,自らの教材文の読みを 構成させていく者もいる(佐藤1996;佐藤・星野・竹本, 1987)。つま

り,子どもは各人の学習の状況に応じて子どもなりに発話のタイミング や内容を調整している。

三つには,子どもの発話の能動性は, 「反応」数ではなく行為を問う ことで明らかになるということである。例えば,子どもは,教師の要求 に応じ,いかにも授業に参加しているようにみせるために発話を方略的 に利用している(宮崎, 1996a, 1996b)。一斉授業で広くみられる<文節 尾強勢>語調(例えば「いいでェ‑す」)は,教材の部分的引用や読み 上げによる回答を求められる場面などで出現し,自らの経験や考えを発 話する場面では出現しなかったという。つまり,子どもにとっては,授 業においてどのようにふるまうのか,ということが問題なのである。

四つには,教室談話の分析において,出来事が生成する「今‑ここ」

という状況と分断せずに発話をみるという視点,そして「関係性の網目」

のなかで発話をみるという視点の導入が必要であるということである。

言語実践は具体的であり(茂呂, 1997b),教室談話には参加者の具体的 なふるまいや関係性が反映される。これら二つの視点に立てば,数量的 分析により発話の具体性を捨象するのではなく,発話者の関係性も含む 文脈のなかで発話の意味を解釈的に検討する必要が生じるだろう。

このように,教室談話は社会的環境としての教室において参加者によ って協同的に生成されており,子どもは情報を受け取るばかりではなく, 授業‑の能動的な対応として発話を生成しているといえるだろう。さら

に,子どもの発話編成がそれぞれに異なっているとすれば,子どもなり

の能動的な対応は発話編成の個人差にみいだされる可能性がある。本研 究においては,発話に一貫してみられる発話者なりの,独自な発話編成 の型を「発話スタイル」とする。発話スタイルに注目することで,子ど もは授業の認知的環境や社会的制度的環境にどのように対応しているの か,ということが明らかになるだろう。

先行研究では,次の二点から子どもの発話に注目している。一つには, 発話対象である。バフチン(1988)によれば,発話の本質的な特徴はそ れが誰かに向けられていることである。発話の宛て先,発話者と受け手 との関係性,発話に及ぼす受け手の影響,によって発話スタイルは異な る(パフチン, 1988)。このことは,教室談話における子どもの発話生 成についてもいえる。すなわち,一斉授業では,発話は誰からも聞かれ ていることが前提となる。しかし,発話者は学級全体に向けて発話する とは限らない。発話が誰からも聞かれる可能性があるということを了節 していても,子どもは発話しようとすると,蹟蹄したり円滑さを失うこ とがある(中田, 1997)。それは,発話が,聞き手に受容されるか否か が不確定だからである。例えば,規範に反しても,逸脱‑の兵感から受 容される場合がある(茂呂, 1996b)。また,発話内容や時機が適切か否 かではなく,発話者に対する聞き手の評価や好悪感情,発話者と聞き手

との関係性が,聞き手側の対応に影響することもしばしばある。いずれ にしても,発話者にとっては,自分の発話を聞き手がどのように評価し, 受容するのか,ということが問題となる。発話が受容されるようにあえ て発話対象を選択する可能性もある。以上より,発話対象に注目すると, 発話者と聞き手との社会的関係や,発話者は学級内の関係性をいかに調 整しながら発話を生成しているのか,ということが明らかになるだろう。

二つには,課題解決における発話運用である。認知は他者との相互作

用や協同活動する経験と過程のなかで成立する(佐藤, 1996)のであり, 発話は相互作用において媒介物として機能する。佐藤(1996),および 佐藤ら(1987)の研究は,子どもが,課題解決結果の確認や課題解決の 手がかりの取得など自らの課題解決の進行状態に応じて,他者から課題 解決の資源を得るために発話を生成していることを示唆している。また, 茂呂(1991, 1997d)によれば,教師の方言使用を契機に生じた子ども

の方言使用が,具体的な生活経験に基づいて問題をとらえなおすための 契機を子どもにもたらした結果,課題解決の行き詰まりが打開されたと いう。このほかにも,ふざけや反発によって援助要求が表明される可能 性もある。以上より,課題解決における発話運用に着目することで,発 話者が自己の課題解決の進行状態の把握や遂行,停滞の打開を他者との 相互作用のなかでどのように図るのか,ということをみることができる

だろう。

これまでの議論より,授業における子どもの発話生成について次の二 点が予想される。一つには,同じ一斉授業に参加していても,発話スタ

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イルは子ども間で異なるだろう。二つには,発話スタイルの違いは,自 分の課題解決を成功裡に遂行することや自分の発話が他者に受容される

ことを実現しようとする発話者の意志を反映しているだろう。

そこで,本節では, 2名の男児を対象児として,以下の三点について 対比的に検討する。一つには,学級全体と比較しながら,対象児の発話 の概括的特徴を,発話タイプと参入についてのカテゴリーを用いた数量 的分析により明らかにする。二つには,発話スタイルは発話者間でどの

ように異なるのか,ということを,発話事例の解釈的分析により明らか にする。三つには,対象児それぞれの発話スタイルの違いの意味を,対 象児の知的欲求と学級内での関係性を示す事例をもとに検討する。