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戦後社会保障制度の確立の光と影

第 1 章 戦後社会保障制度の確立の光と影

私たちの日々の生活は、様々な制度やしくみによって支えられている。病気・老齢・出 産・失業・死亡など生活の急激な変化が発生した場合に、一定基準の給付を行う社会保険 や、最低限度の文化的生活を保障する公的扶助、児童、障害者、母子家庭などを対象とし た各種の福祉制度がある。これらは、保健医療福祉領域にある法律や制度によって提供さ れており、これらの法律や制度の根幹をなすのが社会保障制度29である。

社会保障制度は、近代国家の形成に伴って確立されていった、近代的市民社会に特有の、

人々の暮らしを支えるしくみである。社会保障制度が確立する以前の前近代的社会では、

共同体にある伝統や慣習が生活の基盤であった。共同体が基盤の暮らしでは、互酬性や贈 与と交換のしくみが人々の暮らしを多層的に支えるしくみとして機能し、それによって 人々の暮らしの健康は支えられていた。つまり、人類の歴史という超長期的観点にたつな らば、社会保障という、国家が一元的に人々の最低限度の生活を保障するしくみが作られ たのは、比較的最近のことである。

日本における社会保障の萌芽は明治7年恤救規則という救貧制度にみられるが、これは、

親族や隣保的に救済されない者に米代を支給する程度の貧弱なものであった30。今日につ ながる日本の社会保障制度は、第2次世界大戦後に急速に整備された。質量ともに一定の 制度が整備されたのは、1970年代前半のことである。このことは、わが国において、社会 保障制度が一定のレベルに確立されてからまだ半世紀にも満たないということを意味し、

この間に、人々の生活を支えるしくみは劇的な進化を遂げたことを示唆する。では、暮ら しを支えるしくみの急激な変化は、人々の意識にどのような変化をもたらしたのであろう か。社会保障制度の抜本的な改革が必要とされている現在、一度立ち止まって、戦後社会 保障制度の確立が人々の暮らしに与えた影響を検証する必要がある。

本章の目的は、社会保障制度の確立によって生じたと考えられる、人々の暮らしにおけ る変化、特に、障害や疾病、貧困に対するまなざしの変化を考察することである。まず第 1節では、日本における社会保障制度が果たしてきた役割を考察する。第2節では、人々 が障害や疾病、貧困に対してどのような見方をしているのかを分析し、社会保障制度の確 立との関係を考察する。

第 1 章 戦後社会保障制度の確立の光と影 36 第 1 節 社会保障制度が果たしてきた役割

現在、社会保障といえば、国民の最低生活を保障する、国民が有する権利とされている が、このようなナショナルミニマム概念31を基盤とする社会保障のあり方が確立したのは 比較的最近のことである。社会保障は、社会が大きな変動や危機、たとえば、戦争、恐慌、

天災などに遭遇し、その時々の時代の要請に沿って形作られてきた32。社会保障が果たし てきた役割を考える上で、時代の要請を踏まえて考察することが必要であるが、それは複 合的な要素が絡みあい生まれているものであるがために、様々な解釈が成り立つ。

本論文の目的は、あくまで日本の戦後社会保障制度の確立が日本における人々の暮らし に与えた影響として、障害者や高齢者等、福祉サービスの対象となる人々に対するまなざ しの変化を考察することである。そのため、社会政策の詳細な議論には立ち入らないが、

簡単に社会情勢と社会保障制度の関係についての議論を要約する。

たとえば、社会保障の源流の一つといわれるイギリスのエリザベス救貧法(1601年)の 制定の背景には、産業構造の大きな変化によるイギリス都市部での浮浪者や乞食の増加が あり、都市部で増加した貧困層がもたらす社会秩序の乱れの抑制があったとされている33。 また、ドイツの社会保険制度確立の背景は、ビスマルクの「飴と鞭」の政策と言われ、社 会主義運動の弾圧と、労働者保護による労働者の体制への組み込みの意図があったと語ら れることが多い。だが、これに対して、土田(1997)は、ドイツの社会保険制度確立は、

その時代のドイツ資本主義の要請に答えるものという見解を示している。松田(2013)は、

社会保障制度の変遷の大枠の検討から、社会保障は社会の発展期ではなく「危機」を契機 に消極的な福祉から積極的なものへと発展してきたという見解を示している。

上記のドイツの例に見られるように、社会保障制度の役割については、様々な解釈が成 り立つ。それは、社会保障制度が様々な要素が絡み合い形成されるものであるからだが、

近代社会を成り立たせる上で必要とされたしくみとして、以下のことは言えるであろう。

まず、社会保障制度は、エリザベス救貧法の例が示すように、社会が大きく動く時、その 動きに沿わない者を救済・保護の対象としてきた。つまり、社会統合を支えるしくみとし ても作用する。エリザベス救貧法で、矯正院に収容されたのは病気などで仕事に就くこと ができず、路上で物乞いをしていた者であった。その多くは、当時、国際貿易の拡大によ る毛織物産業の発展の裏で進められた牧羊地の囲い込みによって、農地を追われ都市部に 流出した農民であった。エリザベス救貧法の場合は、路上で物乞いをしていて働けない者 たちを救済の対象として、産業化が進む社会の頽廃を抑制したのである。

日本で社会保障制度が急速に確立した時代は、戦後の復興と経済成長に国民総動員で向 かった時代であった。ということは、戦後の日本の社会保障は、この経済成長を成し遂げ ることを、その目的に沿うことが困難な人々を救済・保護という形で日本社会に統合する

第 1 章 戦後社会保障制度の確立の光と影 37 ことで、支えるという機能を持っていたと考えられる。では、実際に社会保障はどのよう に確立されていったのだろうか。

1. 日本における社会保障制度の流れ

現在の日本の社会保障体制度の体系は表1に示したとおりである。日本において、この 表にあるような今日の社会保障制度の基盤が形作られたのは、第2次世界大戦後のことで ある。終戦直後の日本は、住居を失い路上生活を余儀なくされた者たちがあふれ、物品の 不足、飢餓、餓死など、貧困の極致が多くの人々を襲っていた。日本の社会保障は、連合 軍総司令部(GHQ)の介入のもと、戦後の混乱期の貧困問題への対処から始まった(横山・

多田 1991)。

戦後に急速に構築された日本の社会保障は、最初から、ビヴァリッジ報告のナショナル ミニマムの概念を取り入れたものであった。まず、最低限の生活の保障にはじまり、大き く2つの段階を経てきたといえる。第1段階が社会福祉の対象者の保護と施設収容を主た る手法とした段階であり、第2段階が脱施設化(地域における生活の支援)である。この 2つの段階の変化は、社会保障の50年勧告と95年勧告の内容に対応している。

表 2 日本の社会保障制度の体系

1950年の「社会保障制度に関する勧告(50年勧告)」では次のように社会保障の理念を 謳っている。

社会保険 健康保険法、国民健康保険法、厚生年金保険法、国民年金法、雇用保険法、労働 者災害保険法、介護保険法など

公的扶助 生活保護法

社会福祉 児童福祉法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法、老人福祉 法、母子及び寡婦福祉法など

公衆衛生(および医療) 水道法、下水道法、結核予防法、予防接種法など 老人保健※ 老人保健法 (現在は、後期高齢者医療法)

※ 1982年 老人保健法制定から

出典) 福祉臨床シリーズ編集委員会編 「社会福祉シリーズー社会保障」弘文堂、東京、2008年より p.14を補筆・修正した 

日本の社会保障制度の体系

第 1 章 戦後社会保障制度の確立の光と影 38 いわゆる社会保障制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子そ の他困窮の原因に対し、保険的方法または直接公の負担において経済保障の道を講じ、

生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するととも に、公衆衛生および社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員 たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうのである

このように50年勧告には、日本の社会保障制度が、社会保険、公的扶助、公衆衛生(お よび医療)、社会福祉という4分野で構成されることが明記された。後に1983年に老人保 健分野が追加され、現在は5分類となっている。戦後5年間のうちに「社会福祉三法体制」

――生活保護法(1946年)、児童福祉法(1947年)、身体障害者福祉法(1949年)による

「貧困」「児童」「障害」という生活問題に対処する法律――が敷かれた。

その後、日本は世界に類を見ない速度で経済成長を果し、その上昇景気に後押しされた 形で、社会保障制度を急速に拡充していく。1961年に国民皆保険制度が敷かれ、全ての国 民に対し保険制度のセーフティネットが一定程度かけられることになった。福祉領域では、

1960年に精神薄弱者福祉法(現知的障害者福祉法)、1963年に老人福祉法、1964年に母 子福祉法(現母子及び寡婦福祉法)が整備され、「社会福祉六法体制」が確立した。1973 年、日本は、老人医療の無料化を達成した。社会保障費予算の増額も相まって、この年、

戦後の社会保障・社会福祉基盤整備に関する一つの国の目標を達成したとされ、報道機関 は、1973年を「福祉元年」と表現した。

この時期の大きな特徴は、入所型大型施設の建設である。櫻田(2002)は、この背景に あった思想は弱者救済の思想34であり、それが手厚い保護を行う施設入所を推し進めたと 論じている。実際、この時期には、障害者のコロニー(入所型大型福祉施設)や、精神病 院が劇的に増加した(広田 1981; 堀ほか 2012)。これらのほとんどは、市街地からほど 遠い山奥に建設された。これは、広大な敷地が必要であったことが背景にあるが、結果的 に障害者や精神病者は通常の社会生活をおくる多くの人々の生活空間から切り離されるこ とになった。

この入所型福祉から脱施設化(地域化)へと大きく転換することになるのは、20世紀終 盤であるが、70年代に入た頃にはすでにその議論は始まっていた。そのきっかけの1つは 1973年に起こった「オイルショック」を契機にした経済成長率の低下である。

経済成長を背景に社会保障・社会福祉制度の拡充を図ってきた日本では、これを機に社 会福祉の抑制を進める声があがり、「日本型福祉社会」構想35が議論されるようになる。

1979 年に閣議決定された「新経済社会 7 カ年計画」の前文に、この時代の社会保障制度 をめぐる議論の方向性がよくあらわされている。

欧米先進国へキャッチアップしたわが国経済社会の今後の方向としては、先進国に