第2章 Brouwer の不動点定理
B. 応用問題
Brouwerの不動点定理の証明は次節以降に譲ることにして,この節ではその応用
として第1章で扱った電車の問題の2次元化について考えてみたいと思います.
問題 2.5. −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
道なき大平原をバスが A 地点からB 地点まで走る.平原は真っ平らで,しかも 何の障害物も無く,バスはどんなルートをとることも可能であるとする.そして そのバスの中には下端がちょうつがいで床に固定された棒が立っている.しかも 電車の問題の場合とは異なり,この棒は前後だけでなく左右にもまた斜めにも自 由に傾く 6 とする.バスが A 地点を出発するまで棒の先端を手で押さえておき,
出発の瞬間手を離し,その後は重力やバスの減加速に応じて棒は自由に揺れ動く とする.このとき,出発時の棒の角度を適当に選べば,B 地点に到着した瞬間に は棒がまっすぐ立っているように出来ることを示せ.ただし,バスの走り方が予 め決まっていることとする.また途中で棒が倒れて床に接した場合には,その後 棒は一切動かずそのまま倒れ続けたままであるとすることも,電車の問題と同様 である.7
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A
B
図B.1: 大平原を走るバス
ただこの問題を解くためにはいくつか準備が必要です.そのひとつにベクトル 場の概念があります.いまX を平面R2 の部分集合とします.そのとき,写像 V :X→R2 を X 上のベクトル場と呼びます.なぜこんな写像をベクトル場と 呼ぶかを説明しましょう.V の定義域Xから勝手な点P を取ります.すると平 面内の点V(P)が決まります.その位置ベクトル−−−−→
OV(P) をその始点が点P と 重なるように平行移動します.これで点P からひとつ矢印が生えました.次に点 P を集合 X 全体に渡って動かします.するとX の各点から矢印が生えている 絵が得られます.もちろん一般には基点 P に応じてベクトルV(P) の大きさや 向きも変わります.これがベクトル場に対するイメージです.
6パソコンゲームで使うジョイスティックを想像してみて下さい.
7しかも,棒が(倒れたまま)床の上を転がることもない,と仮定します.バスの床面に粘着物 質が塗ってあって,棒が倒れたら床面に貼り付いてしまう,という情況を思い浮かべてください.
B. 応用問題 27
P
O X
V(P)
図 B.2: ベクトル場
写像V :X →R2が与えられたとする.各点P∈X に対し,ベクトル
−−−−→
OV(P)を始点がP となるよう平行移動する.すると,Xの各点からベク トルが「生えた」ように見える.これがベクトル場の幾何学的描像である.
日常的な例をひとつ挙げましょう.たとえば,X を名古屋市だとします.
8 さらに,各点P ∈X に対し,V(P)はその点における風の速度としましょう.
実際には,上昇気流等,風の向きは必ずしも水平ではないかも知れません.その 場合には,その水平成分をV(P)とする,と約束しましょう.例えば,名古屋大 学豊田講堂前の風速が 2 m/秒,風向が西,という場合には,その地点から西向 きに 2 mのベクトルが「生えている」,と考えるわけです.こんな仕方で名古屋 市の上で定義されたベクトル場がひとつ得られます.物理学で習う重力場や電場 もまたベクトル場の一種です.
再び,X を R2 の部分集合,V :X→R2 をその上のベクトル場とします.
もし V が X からR2 への写像として連続であるならば,V は連続ベクトル場 であると言われます.一方,V(P) がゼロベクトルとなるようなX の点P を,
ベクトル場V のゼロ点と呼びます.例えば,先程の風の例では風が全く吹いてな い地点がゼロ点になります.
いまとくにV が円板 D 上のベクトル場の場合を考えます.さらに円板の周
∂D ={P = (x, y)∈R2 :x2+y2= 1} 上,V はゼロ点を持たないと仮定し ます.このとき,周上の各点P ∈∂D においてベクトル場V が内向きか否かが 以下の仕方で自然に定義されます:
V が P ∈∂D において内向きであるとは,十分小さな > 0 に対し P+V(P)∈D◦ が成り立つことであるとする.
ただしここでD◦ は円板Dの内部{P = (x, y)∈R2 :x2+y2 <1}を表します
(図 B.3).
8ただし,名古屋市は真っ平らであると仮定します.
(a) (b)
図 B.3: ベクトル場の内向き・外向き
(a)は内向きの場合,(b)はそうでない場合.とくにベクトルが円板Dの周 に接する向きを持つ場合には内向きでないと約束することに注意されたい.
Brouwerの不動点定理から次の系が得られます.
系 2.6. ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
円板D上の連続ベクトル場 V が,周∂D 上にゼロ点を持たず,しかも周上のい かなる点においても内向きであるとき,V は D の内部に必ずゼロ点を有する.
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再び,先程の風の例えを思い出してみましょう.Dをまん丸な形をした島だと します.そして,V をその島の各地点における風の向きと速さを表すベクトル場 だとします.それが連続であると仮定するのはさほど無理がないかと思います.
するとその島の海岸の各点においては,島の内側に向かって風が吹いている,と いうのが仮定の意味です.一方結論は,その島には風が全く吹いていない地点が あるということになります.実際にはこんな情況では,島のどこかに上昇気流が 生じるでしょうが,いま空気の動きの水平成分のみを取り出してベクトル場を定 義しましたから,この定理の結論は現実ともマッチしています.
系 2.6 の証明. 背理法による.V が D 上ゼロ点を持たないと仮定する.する と各点 P ∈D に対し,点 P を始点としベクトル V(P) 方向に延びる半直線 ={P+tV(P) :t >0} が一意的に定義できる.しかもV が Dの周上内向 きであることから,その半直線と円板D の交わりは正の長さを持った線分に なる.その中点をϕ(P)としよう.半直線と円板 Dの交わりとして得られる 線分の長さを λ(P) とすれば,ϕ(P) は
ϕ(P) =P+ λ(P)
2|V(P)|V(P)
で与えられる.ここで ϕ(P) はDの内部の点となることに注意しよう. 一方,
λ はD 上の関数として連続であるから,写像ϕ:D→D もまた連続である.
B. 応用問題 29
l
P
λ(P) V(P)
ϕ(P)
図 B.4:
したがって,この ϕ に対し Brouwer の不動点定理を適用することにより,
ϕ(P) =P なる点 P ∈Dの存在が従う.ところがϕの定義によればこの点P
において λ(P) = 0でなければならないことになるが,これは λがいたるとこ
ろ正であることに矛盾する.よって V はゼロ点を持たなければならない.
バスの問題を解くためには,さらに写像に関連した若干の定義を与える必要が あります.
定義 2.7. −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
X,Y を集合,ϕを X から Y の中への写像とする.
(1)x1=x2 なる任意のx1, x2∈Xに対し,ϕ(x1)=ϕ(x2)が成り立つとき,
ϕは単射であると言われる.
(2)各y ∈Y に対し,ϕ(x) =y を満たすx∈X が存在するとき,ϕは全射で あると言われる.
(3) ϕが単射かつ全射であるとき,ϕは全単射であると言われる.
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この定義は次のように言い換えることもできます.写像ϕ:X→Y が与えら れたとします.さらに,b∈Y を任意にとりましょう.すると,
ϕ(x) =b
はx∈Xに対する何らかの条件式,あるいは方程式と考えられます.このx∈X に対する方程式が,どんな b ∈Y に対してもたかだかひとつ 9 しか解を持た ないための必要十分条件が,ϕ が単射であることです.一方,この方程式がど
9「たかだか」は,「多くても」という意味です.したがって,「解がたかだかひとつしか存在しな い」ということは,「解がちょうどひとつ存在する」か,あるいは「解がひとつも存在しない」という ことになります.
んな b∈ Y に対しても少なくともひとつ解を有するための必要十分条件が,
ϕが全射であることです.
とくに関数f :I →R(ただしI ⊂Rは区間とする)の単射性・全射性を判 定するには,そのグラフを利用するのが有効です.関数y=f(x) のグラフと直 線y=b(だたしbは定数)の交点に着目します.どんなb∈Rに対しても交点 が少なくともひとつ存在すれば,f は全射です.一方,どんなb∈Rに対しても たかだかひとつしか交点が存在しないとき,f は単射になります(図 B.5).
x y
y=f(x)
y=b O b
(a)単射でない関数
x y
y=f(x) y=b
O b
(b)全射でない関数
図 B.5: 関数の単射性・全射性の判定法
(a)この図の場合,直線y=bと関数y=f(x)のグラフとの交点は複数個 存在する.したがって,この図のようなグラフを持つ関数は単射ではない.
(b) この図のように直線 y =b をとると,この場合その直線と関数 y=f(x)のグラフは交わりを持たない.したがってこの図の関数は全射 ではない.
定義が理解できたかどうかを確認するために簡単な問題をひとつ.
問題 2.8. −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
次の関数 R→Rは,単射かあるいは全射か?
(1) f1(x) = s inx; (2) f2(x) =x3−x;
(3) f3(x) =ex (4) f4(x) =x3:
だたし,x∈Rである.
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関数のグラフを思い浮かべれば,すぐに答が得られるはずです.答を表にまと
B. 応用問題 31 めておきましょう.
関数 単射 全射 f1 × × f2 × f3 ×
f4
写像ϕ:X→Y に対し,Y の部分集合
Imϕ={ϕ(x) :x∈X}
を写像ϕの像(image)と呼びます.10例えば,f(x) =x2により定義される関 数 R→Rの像は,区間[0,∞)になります.写像ϕ:X →Y が全射であるた めの必要十分条件は,Imϕ=Y が成り立つことであることに注意しましょう.
ところで,例えば問題2.8 (1)において関数f1の値域をR全体ではなく[−1,1]
とすれば,f1 は全射になることに気付かれたでしょうか.写像ϕ:X →Y が全 射かどうかは,値域 Y の取り方に依存することに注意しましょう.実際,任意の 写像 ϕ:X →Y に対し,その値域を Imϕに制限することが可能です.そし て,制限後の写像ϕ:X →Y(ただし,Y = Imϕ)は必ず全射になります.
先程証明した系2.6を利用して次の系を証明することが可能です.
系 2.9. ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
連続写像 ϕ:D→D が周 ∂D のすべての点を固定する,すなわち,
任意のP ∈∂D に対し ϕ(P) =P (2.1) を満たすと仮定する.このとき ϕ は全射でなければならない.
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この定理,次のように例えられるかも知れません.縁日の金魚すくいで使う例の 道具11 を思い出して下さい.取っ手のついた金属製の丸い枠に紙が張ってありま す.その紙の代わりに,例えばストッキングの素材のような伸縮自在な素材をその 枠に張ります.それを机の上に置きましょう.ストッキングの素材で出来た部分を 手でつまんで机の上に押しつけます.2重,3重に重なる部分があっても構いま せん.ただし円形の枠の部分からはみ出してはならないとします.もしストッキ ングが破けなければ,円形の枠内のどの点もストッキングで覆われている,とい うのが定理の主張です.この場合,「破けない」というのが連続性に相当します.
12
10この像を値域と呼んでいる本もありますので,注意しましょう.
11あれ,なんと呼ぶのでしょう?
12この例え,実はあまり気に入っていません.もっと言い例えがあったら是非お教え下さい.