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弥生時代 の遺構・遺物

ドキュメント内 下 第 13,15次 調査 ― (ページ 38-41)

‐ 蒟 =

第 3節   弥生時代 の遺構・遺物

概要 (図16〜19、 図版

20) 

弥生時代の遺構 は、弥生時代中期の包含層である 〈9層

)上

面 と、後期の包含層で ある

(8層

〉で検出 した。〈9層〉上面で検出 した遺構 は溝

2条

(8層

〉で検出 した遺構 は溝

4条

である。

これ らの遺構が構築 された弥生時代中期か ら後期にかけての時期、本調査区内では狭い高まりが点在 し、その

151

150 146

BL

BM

BN

BO

BP

BCl

BR

BS

│:│:│:1:::1高まり

A

(S=1/250)

AⅢ

―‑10m

‑05m

(縦

方 向の縮尺

=1/125)

16 

弥 生 時 代 遺 構 全 体 図

―‑  29  ‑―

17 

弥生時代遺構全景

間 に低位部が広が る景観 となっていた ことが明 らか となった。 ここでは地形の推移 を概観 し、

関係 について もふれてお きたい。

弥生時代 中期以前

 

弥生 時代 中期お よびそれ以前 と推測 される時期 の地形 として確認で きた ものの うち、最 も下層 の ものは、調査 区南西部お よび北東部での トレンチ調査 によってデー タを得ることができた河道である。調査区南西部 。北東部ともに (10層〉下面から北西―南 東方向の河道が確認された。限られた トレンチ調査の範囲内では十分なデータを得 られなか ったが、南西部の河道は幅約

10m以

上、深 さ約0,75m以 上 というおおよその規模 を推測で き

 

た。この トレンチ調査の過程で南西部の河道内か ら板材が出土 した(図

18)。

この板材以外の 遺物は出土 していないため、河道の時期は後述する 〈9層〉の時期 (弥生時代中期前葉

)を

下限 とする。調査区北東部の河道については、調査区内で確認できた範囲が狭 く、調査区外 に大 きく延びているもの とみ られる。調査区内で確認できた規模は、幅約 4m、 深さ0.4mで ある。

この河道が埋没 した後、〈10層〉、〈9層〉が形成 される。〈9層〉は中期前葉の土器を包含 するが(図

19‑1〜 6)、

中期後半や後期の土器は含 まないので、中期前葉段階までに形成 さ れた土層 と考えられる。

(9層

〉段階の地形 をみてみると、調査区の北側 。南西には帯状にのびる高まり、調査区

検 出 した遺構 との

l

<S ︲/

w︲

番 号 器 種 最大 長 (cm) 最 大幅 (cm) 最大厚 (cm) 樹 種 特 徴

Vl

板 材 (459) (57)

ヒノキ

柾 目取 り、側縁 面取 り加工

18 

弥生時代 中期以前の河道 出土遺物―木製品一

弥生時代の遺構・遺物

中央 。南東 ・南西 に隅丸長方形 や隅丸方形 の形状 を とる高 ま りが確 認 され る。 それぞれの高 ま りの規模 と形状 を 以下 に記す。弧状 に緩 く湾 曲 しなが ら東西方 向にのびる北側 の高 ま りは、南北幅約

7〜

8m、 東西長約30.8m、

高 さ約0.2〜0.3mであ る。南西部の北西 ―南東方 向にのびる高 ま りは幅約6m、 長 さ約20m、 高 さ約0.15〜0.3mで あ る。調査 区中央 の高 ま りは東西 に長 い隅丸長方形 を呈 し、東西約8m、 南北約3.5m、 高 さ約0.2mの規模 を有す る。南東 の高 ま りは隅丸方形 を呈 し、東西約4m、 南北約4m、 高 さ約0.2mの規模 を有す る。

本調査区の弥生時代中期前葉頃には上記のような高まりとその間に低位部が広がる起伏のある地形が展開して いたことがうかがわれる。このような環境下で構築された遺構は

3条

の溝のみである。いずれも高まりの形状に 沿って掘削されてお り、地形の影響をうけていることが看取されるものである。なお、この高まりの成因につい ては人為的なもの、あるいは自然の営為によるもの、という二つの可能性が考えられるが、確定的な判断を下す 材料は得 られなかった。

弥生時代後期

 

〈8層 〉出土土器 (図

19‑7〜 15)は

弥生時代中期後半から後期にかけてのものを含み、土師器 を含まないので、

(8層

〉は後期に形成された土層 と考えられる。また、〈9層 〉の高まりは、この段階にも引き 続き認められ、高まりと低位部が展開する起伏のある地形がのこっている。この段階の高まりは、〈9層 〉段階の 高まりを核 とし、外縁部に 〈

8b層

〉・〈

8c層

〉が堆積することで規模を拡大 していく様子がうかがわれた。そ れぞれの高まりの規模 と形状を以下に記してお く。

東西方向にのびる北側の高まりは 〈9層 〉段階からの形状をとどめ、弧状に緩 く湾曲する。規模は南北幅約8

9m、 東西長約30.8m、 高さ約0.2〜0.3mである。南西部の北西 ―南東方向にのびる高まりは幅約6m、 長さ約 20m、 高さ約0.2〜0.3mである。調査区中央の高まりは東西に長い隅丸長方形を呈 し、東西約10m、 南北約5.5m、

高さ約0.2mの規模を有する。南束の高まりは隅丸方形を呈 し、東西約7m、 南北約7m、 高さ約0.2mの規模を有 する。

(9層

〉段階の高まりに比 して拡大 した規模は、北側の高まりで幅約lm、 中央の高まりで南北約2m、 東 西約2m、 南東の高まりで南北約3m、 東西約

3mで

ある。

〈8層 〉で検出した遺構は調査区南西部に北西 ―南東方向にのびる高まりの縁辺部に掘削された

2条

の溝およ び、この高まりの南に位置する高まりとの間の窪みの最深部に掘削された溝、調査区東半部で南北方向に掘削さ れた溝であ り、散漫な遺構の分布状況を示 している。北側高まり上に東西方向に掘削された 〈9層 〉段階の溝は この時期には引き継がれない。調査区南西部の溝は地形の方向に沿ったかたちで構築されているが、調査区東半 の溝は地形の高まりや窪みを横断して構築されている。これはこの溝の時期が調査区南束の溝群よりもやや遅れ た後期末に属 しているため、この段階にはさらに堆積がすすみ、調査区東半ではすでに地形の起伏がわずかなも のとなっていたとも考えられるからである。また、この段階の溝は、弥生時代後期の溝4・

5が

ほぼ同じ位置に 並行 して掘削されていることや弥生時代後期末の溝 6の 流路が古墳時代初頭にも引き続 き踏襲されてお り、この 段階以降、溝の位置が一定期間にわた り固定化されるようになる。

なお、この

(8層

〉で確認された高まりについては、人為的なものか、自然地形かという問題がある。

(9層

〉 の高まりの周囲の 〈

8b層

〉・〈

8c層

〉が高まりの整形を目的とした盛土、溝4・

5が

耕地への給水を目的とし た溝であり、高まり間の低位部に堆積 した

(8a層

〉に耕作土としての性格を仮定 した場合、高まりを人為的な ものとしてとらえることとなる。しかし、

(8層

〉の各細分層が高まりの周囲から低位部を順に埋めていった土層 と考えれば、

(8層

〉細分層の堆積順序は、堆積作用によって起伏のある自然地形が埋没 していく過程を示すもの となる。〈8層 〉の性格については、複数の可能性が考えられるものの、盛土や耕作土とする決め手を欠 くため、

現時点ではこの高まりは自然地形の可能性が高いと考えておきたい。

〈7層 〉に属する遺構は検出されなかった。(6・ 7層 〉から出土した弥生後期土器 (図

19)に

ついては、

(8

層〉検出遺構出土遺物よりも古い特徴をそなえてお り、混入品と判断される。

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︹= HⅣ Hい H同

ドキュメント内 下 第 13,15次 調査 ― (ページ 38-41)