= 需要
第4節 :小括
持続可能な社会へと転換するに際して、どのような道徳観念に立脚すべきであろうか。
政治経済学的アプローチによって社会の転換を論じようとするならば、何を善とし何を悪 とするか、何を重要と捉えるのか、といったことに関して基本的な立場の表明が必要にな ろう。
本章では、そうした議論のきっかけとして環境問題を語る際に世界的にキーワードとな
っているSustainable Development概念に注目した。SD概念をもとにした3つの経済モデ
ルが植田和弘氏によって紹介されたが、それらモデルの基本は環境容量を意識しつつ、生 産の強化を重視した従来の考え方から一線を画し、「生活の質」を重視したものである。
これを詳細にみると、SD 概念には基礎資源の充実をはかり貧困層へのケアをはじめとし た人権的要素が含まれていることが導出された。広義に捉えれば、SD は生存権をはじめ とした基本的人権に基づく経済社会のあり方だと理解できる。
基本的人権は、現代国家であればおおよその国で憲法などを通してその保障が組み入れ られている。本章においては、日本国憲法を例にとってみたが、特に重要なものとして生 存権と「公共の福祉」の考え方があげられる。生存権は単なる生命の維持ではなく、自己 の生存が維持されることはもちろんのこと、趣味などといった文化的な活動に参加できる ような生活を営む権利であって、(特に経済的に)そうした能力のないもの対して国家が 積極的に関与する義務である。そして生存権をはじめとした幸福は各人において自由に追 求できるが、それは「公共の福祉」に反しない限りとされる。「公共の福祉」とは、A.ス
ミスや J.S.ミルにとっては他人の利益や幸福のことであって、「公共の福祉」の阻害とは
不正義とされる。社会の基盤には一方で生存権を追求する自由があり、他方では「公共の 福祉」をめぐって正義・不正義の問題がって、この両者のバランスが問題となる。
ここで、正義についてなされている様々な議論をみることで、正義に内在する要素があ ぶり出される。正義に関して、功利主義的な立場にあるベンサムと現代正義論の祖である ロールズがしばしば引き合いに出されるが、それぞれ重視するものが福利と権利・自由で 違いがありつつも、両者ともに生存を基礎においていた。
生存は他の様々な自由を追求する上で、最も基礎になるものである。本論文では、生存 を追求する自由・権利を"Basic Freedom"と規定する。持続可能な社会およびその移行に際 しては、この"Basic Freedom"に立脚すべきだと考える。このことは、人々の幸福や暮らし を向上させることが使命の政治経済学と見事に歩調を合わせるものでもある。
106)環境経済・政策学会(2006)『環境経済・政策の基礎知識』有斐閣, p77.
107)T.R.Malthus 齋藤悦則訳『人口論』p33.
第3章 「定常状態」論の現代的意義と移行プロセスについての検討
第1章では、経済規模の拡大によって環境的持続可能性の危機が高まっており、それは 金融化によってより拍車がかかっていることを確認した。また、第2章では持続可能な社 会を目指す上で、すべての自由の基礎として生存があり、それが最も尊重されるべきであ るという意味で"Basic Freedom"概念を導出・規定した。
本章では、J.S.ミルやH.E.デイリーの「定常状態」論が"Basic Freedom"を根底におきな がら持続可能性を達成しうる可能性を持つ概念・理論であるか検討するものである。まず、
古典派経済学における「定常状態」の認識について、T.R.マルサス、A.スミス、D.リカー ドらについてみていく。彼らの見解はすべて経済成長の限界につながる、あるいはそれを 意識させるものである。
そして、「定常状態」の評価に関して J.S.ミルは積極的な評価を与えているが、それは 人間・自然哲学的な視点から評価しているためであって、そこに"Basic Freedom"との関連 が見出せると思われる。また、ミルは「定常状態」社会への移行手法についても述べてい る。一方、H.E.デイリーはミルを踏襲しつつも現代における環境問題の視点から「定常状 態」論を再評価・再検討し、ミルとは違う移行手法を提案している。
以上のような点を踏まえて、「定常状態」論が"Basic Freedom"を含みながら、持続可能 な社会への転換に有効な概念・理論であるのか、その意義を明らかにする。また、「定常 状態」論が持続可能性を達成しうるには、環境と経済の相互依存関係を踏まえた上で展開 されている必要があることは言うまでもないであろう。
第1節:古典派における「定常状態」の概念―J.S.Millを中心に―
1.T.R.マルサス A.スミス D.リカードらの見解
(1)T.R.マルサス『人口論』にみる人間の自然支配力の限界
経済学の世界で人間の自然支配力の限界を最初に説いたのは T.R.マルサス(Thomas
Robert Malthus)の『人口論』とされている106)。マルサスの『人口論』は「定常状態」論
というよりも、食料と人口の成長速度およびバランスの点から自然扶養力における人類の 限界について述べたものといえる。ただ、J.S.ミルや H.E.デイリーのいう「定常状態」論 は人口や環境制約を要因とした経済成長の限界を念頭に入れ、その中で持続的な経済活動 を目指すものであり、『人口論』とも環境制約による限界という共通点がある。
『人口論』で特に頻繁に引用されるのは、「人口は、何の抑制もなければ等比級数的に 増加する。一方、人間の生活物資の増え方は等差級数的である 107)」という一文であり、
生活物資とは食料のことである。つまり、人口の増加速度は 1,2,4,8,16 と増えてい くが、食料は 1,2,3,4 というように増えていくことによって、食料に対して人口が過
108)マルサスは、「人口増加にむけての恒常的な営みは、もっとも悪徳のあびこる社会においてさえじっさいに見ら れるものであり、食糧が増産されるより先に人間の数を増やしてしまう」(『同上書』p40)と述べ、人間の性的欲求 が食料の増加速度を上回っていることを指摘し狩猟民族や遊牧民族、文明国の時代のどれにおいてもその傾向が見ら れるとしている。
109)ネガティブな調整作用とは、マルサスによれば悪徳や貧困である。たとえば狩猟民族においては、子育てをする 女性の負担の大きさによる流産、戦争による若年死の多さなどを挙げ、こうした生活苦が人口増加のパワーを抑制し、
人口を結果的に食料の産出と均衡させるものとしている。また、文明国の時代においては、結婚することによる支出 の増加や、子どもを扶養することが難しいと予見する、あるいは家族の扶養に収入の一部をまわすことによって自分 の地位が低下することなどを考慮して結婚にたいして慎重になる。そして、こうした抑制効果は貧しい者により強く 働くのであるが、マルサス自身は貧者を救済することは人口増加の圧力を強めるとして反対している。総じていえば、
人口増加のパワーは基本的には食料が増加する速度を上回るが、人間の数が食料によって制限されることが、悪徳や 貧困といったネガティブな方法で調整され、それが必然的でもあると主張している。
剰となる傾向が歴史的に見出されるという 108)。同時に、人口が過剰になったとき、ある いは過剰になりそうな時の調整作用は人類にとって非常にネガティブな方法でなされる
109)。人口と食料の増加速度がマルサスの述べるごとくかどうかはさておき、人間の生存に とって食料は必須であるから、生産される食料の量によって人口が制限されることに疑う 余地はないだろう。事実、人口の増加によって食料事情は逼迫しつつある。
1961 年以降のデータをみれば、人口が倍増する中で主食である穀物生産量は 3 倍弱に 増加している。1人あたり穀物量は1961年の261kgから1970年代以降は300kgほどで推 移しており増加傾向は頭打ちといえる。耕地面積は1961年から現在まで14~15億haと ほぼ横ばいであり、人口が増加しているためこの間の1人当たり耕地面積はほぼ半減して いる。それにもかかわらず穀物生産量の増加および 1 人あたり穀物量が 1970 年代以降
300kg ほどで推移しているのは単収の増加によるものである。単収増加の大きな要素の一
つである化学肥料は1961 年の3,170万t から2008年には 1億5,600万トンへと増加して
いる(表3-1)。
表3-1 人口と穀物生産にかかわる指標
※1 1961~2008年の耕地面積を一律に15億haとして計算。 また、穀物以外の作物も含めての面積である。
資料 FAO(http://www.fao.org/statistics/en/), IFA(http://www.fertilizer.org/statistics)
UN Department of Economic and Social Affairs(http://esa.un.org/unpd/wpp/Excel-Data/population.htm)より筆者 作成(最終閲覧2015/02/06)
1961 3,082,830,266 876,874,886 31658.2 1.24 0.28 0.49 1962 3,141,071,531 933,373,275 34047.4 1.31 0.30 0.48 1963 3,201,178,277 949,346,114 36508.3 1.31 0.30 0.47 1964 3,263,738,832 1,001,214,296 41170.6 1.36 0.31 0.46 1965 3,329,122,479 998,593,157 46306.1 1.37 0.30 0.45 1966 3,397,475,247 1,078,340,254 51316.4 1.48 0.32 0.44 1967 3,468,521,724 1,124,081,414 55362.0 1.51 0.32 0.43 1968 3,541,674,891 1,160,679,900 59077.7 1.55 0.33 0.42 1969 3,616,108,749 1,170,999,674 62404.4 1.56 0.32 0.41 1970 3,691,172,616 1,192,508,666 68388.6 1.6 0.32 0.41 1971 3,766,754,345 1,299,668,757 72078.4 1.73 0.35 0.40 1972 3,842,873,611 1,258,479,748 77846.4 1.7 0.33 0.39 1973 3,919,182,332 1,357,016,286 84496.5 1.78 0.35 0.38 1974 3,995,304,922 1,326,550,611 81388.4 1.73 0.33 0.38 1975 4,071,020,434 1,359,805,195 89174.3 1.74 0.33 0.37 1976 4,146,135,850 1,463,712,449 96552.1 1.86 0.35 0.36 1977 4,220,816,737 1,456,345,570 101153.3 1.85 0.35 0.36 1978 4,295,664,825 1,582,021,186 108032.5 2.03 0.37 0.35 1979 4,371,527,871 1,537,503,183 112700.5 1.99 0.35 0.34 1980 4,449,048,798 1,549,913,848 116231.2 1.97 0.35 0.34 1981 4,528,234,634 1,632,383,821 114861.8 2.05 0.36 0.33 1982 4,608,962,418 1,692,541,673 114537.1 2.17 0.37 0.33 1983 4,691,559,840 1,626,948,118 125004.5 2.09 0.35 0.32 1984 4,776,392,828 1,786,797,441 130603.7 2.28 0.37 0.31 1985 4,863,601,517 1,821,242,843 128717.2 2.31 0.37 0.31 1986 4,953,376,710 1,834,024,516 132827.3 2.33 0.37 0.30 1987 5,045,315,871 1,771,531,205 138804.8 2.31 0.35 0.30 1988 5,138,214,688 1,727,629,727 144406.2 2.22 0.34 0.29 1989 5,230,452,409 1,871,357,887 142501.9 2.38 0.36 0.29 1990 5,320,816,667 1,952,459,276 137017.6 2.51 0.37 0.28 1991 5,408,908,724 1,889,805,881 134171.1 2.43 0.35 0.28 1992 5,494,899,570 1,973,928,745 125267.1 2.53 0.36 0.27 1993 5,578,865,109 1,904,448,322 120290.2 2.48 0.34 0.27 1994 5,661,086,346 1,956,887,812 121810.6 2.55 0.35 0.26 1995 5,741,822,412 1,897,816,421 129834.7 2.49 0.33 0.26 1996 5,821,016,750 2,072,315,532 134256.5 2.67 0.36 0.26 1997 5,898,688,337 2,095,807,914 136959.2 2.71 0.36 0.25 1998 5,975,303,657 2,084,568,909 137894.5 2.77 0.35 0.25 1999 6,051,478,010 2,085,338,658 140185.1 2.8 0.34 0.25 2000 6,127,700,428 2,060,170,182 136977.1 2.76 0.34 0.24 2001 6,204,147,026 2,110,080,293 138988.0 2.83 0.34 0.24 2002 6,280,853,817 2,032,482,797 143190.3 2.78 0.32 0.24 2003 6,357,991,749 2,091,561,762 148577.0 2.82 0.33 0.24 2004 6,435,705,595 2,279,821,897 155589.8 3.06 0.35 0.23 2005 6,514,094,605 2,268,168,609 156249.6 2.97 0.35 0.23 2006 6,593,227,977 2,235,768,283 162922.3 2.97 0.34 0.23 2007 6,673,105,937 2,355,821,827 168381.7 3.06 0.35 0.22 2008 6,753,649,228 2,527,319,920 155403.6 3.21 0.37 0.22
一人当たり耕 地面積(ha)※1
人口(人) 穀物(t) 化学肥料
(千t)
単収
(t/ha)
一人当たり穀 物量(t)