第4章 「定常状態」への移行に際してエネルギーおよび食料の果たす役割
第1節 :「倫理」論文における「資本主義精神」の担い手
189)大塚久雄氏は「中産的生産者層の内面に「資本主義の精神」が宿ったばあい、そのうちのある人々は経営を拡大 して近代的な産業経営者となり、取り残された他の人々は経営内の規律にみずから進んで服することができるような 近代的な労働者となっていく」(マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄 訳、岩波文庫、1989年、P390)
190)小柳敦史「資本主義の精神と近代の運命-ヴェーバー・ゾンバルト・トレルチの比較から-」(『キリスト教と近 代社会』2011年、P40)
191)マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』梶山力訳、安藤英治編、未來社、1994 年、P169
192)『同上書』P174 193)『同上書』P224
のだとしている 189)。しかしながら彼らが「資本主義の精神」を持ち、資本主義の形成に おいて主要な役割を果たしたのかという疑問が挙げられる。つまり現実の資本主義形成と
「倫理」論文との整合性が問題である。そこで本稿ではイギリスにおいて封建制から資本 主義へと移行する際の歴史背景を整理し、ヴェーバーのいう「資本主義の精神」の担い手 がどういった階層であり、また彼らがヴェーバーの言う「資本主義の精神」の持ち主とさ れる階層であったかを検証していくものである。
194)『同上書』P201 195)『同上書』PP213-214 196)『同上書』P303 197)『同上書』P303、P306 198)『同上書』P311 199)『同上』P297
拒けねばならないとすることである。けだし自己確信のないことは信仰の不足の結果であ り、恩寵の作用の不足であると、見放されるからである・・・もう一つの道は、かような自 己確信を獲得するために、最善の方法として不断の職業労働が命ぜられた」194)のであり、
信徒は職業労働に励むことで救いを求めるのである。さらにヴェーバーは「カルヴィニズ ムの神が信徒に要求したものは、個々の善行ではなく、敬虔な生活すなわち、組織として 高められた正しい生活行為主義であった。かくして一般信徒の倫理生活から無計画と無体 系がはぶかれ、生活全体にわたる一貫した方法がとられた。・・・信徒の生活の唯一の目標 は「救拯」にあったが、そのために却って地上生活は完全に合理化された」195)のであると 述べ、カルヴィニズムをはじめとする改革派が特殊な禁欲的傾向をもつに至ったことを説 明している。この第1の局面において最後の引用文は特に重要であると思われる。なぜな ら、「個々の善行ではなく組織としての行為」が求められ、「無計画と無体系がはぶかれ」
ることから、社会全体として合理性の追求をみてとれるからである。
さて、第1の局面では禁欲が「救い」のために職業労働と結合していく過程が明らかに された。第2の局面「禁欲と資本主義」では、禁欲と結びついた職業労働がどういった性 格を帯び、それが資本主義とどう結びつくのか考察されている。ヴェーバーはイギリス清 教主義、特にリチャード・バクスターに「資本主義の精神」に通ずる職業観念を見出して いる。バクスターは 17 世紀の説教師・神学者であり、その教えでは「不断の熱心な肉体 的或いは精神的労働のすすめが一貫して」196)説かれている。なぜならば労働とは①古くか ら試験済みの禁欲的手段、②神から命ぜられた生活一般の自己目的である、からである197)。 そして「実践的には勿論最も重要な立場として、私経済的「収益性」によって」198)職業の 有益の程度と神によろこばれる程度が決定される。つまり資本主義形成期における利益追 求の基底的動機がここに見られるのであるが、ここで肝要なのは、「収益性」は禁欲的手 段、生活一般の自己目的の結果としてのものである。収益つまり富そのものは非常に危険 なものという認識がなされているのであり、さらに厳密に述べるなら、「道徳上真に罪悪 とされたものは、財産によって休息すること、富の享楽とその結果である無為と肉の欲に
「聖い」生活への努力をすて去ること」199)である。つまり、富そのものではなく、富にお ぼれる堕胎が非難されている。したがって「収益性」そのものが非難されるわけではなく、
それ自体は神から与えられた労働という崇高なる「行為」の結果において正当に評価され る。正当な営利は善行の証となる。
禁欲から職業労働に励むべき動機が与えられ、その職業労働は神によろこばれる指標と して「収益性」が重視された。これは利益を追求していくことが目的とされることにつな がり、人々が営利を目的として活動するという資本主義の根幹の形成を意味している。プ ロテスタントに共有されるこうした職業観が、かれらの生活一般を支配する倫理観、いわ
200)小室直樹『資本主義原論』東洋経済新報社、1997年、P113-114 201)『同上書』P114
202)ヴェーバー『前掲書』P116
203)大阪市立大学経済研究所編『経済学事典』岩波書店、1965年、P1060
204)例えば小林良彰は「領主直営地とは別に農民その他の人の保有地がある。これは農民その他の人たちに領主が貸 し与えた土地であり、・・・保有地のうえに領主の領主権がおおっているから、領主権を上級土地所有権とすれば、農 民その他の土地保有権は下級土地保有権ということになる。(小林良彰『経済史総論』桜門書房、1997年、P56)
ゆる「資本主義の精神」であり、それ故に西欧において現代に通ずる資本主義を発生せし めたひとつの要因なのである。
2.「倫理」論文における「資本主義の精神」の担い手
このような形で「資本主義の精神」が広がっていくのだが、重要なことはどのような人 々に広がっていったのかである。小室直樹氏は、以前においては一般信徒は聖書を読むこ とができなかったと述べている。それは当時ヨーロッパにおいてギリシャ語の読める人が 少なく、そもそも聖書を読むという行為が宗教活動の中に入っていなかったことによるも ので、大衆が読めるようになったのはプロテスタントによって各国語に訳された近代に入 ってからのことである 200)。原典からの近代語訳として最初に出版されたのはルター訳で 1522 年である 201)が、その後一般信徒の間に広く普及していき、先に見たような宗教思想
・職業観念が定着していったと考えられる。ヴェーバーは「オランダをはじめ他の地方 においても、企業家としてようやく身を起こしつつあった中小市民層こそが、資本主義 的倫理とカルヴィニズム進行との典型的な担当者であった。大規模な資産家・商人はい つの時代にも存在したが、市民的・産業的な労働の合理的な資本主義的組織は、中世か ら近世への発展によって始めて生じたものである」202)と述べている。「企業家としてよう やく身を起こしつつあった中小市民層」が「資本主義の精神」の担い手なのである。同時 に、「中世から近世へ」とは封建制から資本主義に移りゆく時代のことであり、そうした 時代における中小市民層ということになる。そうであるならば、封建制から資本主義へと 移行する時代の中小市民層がどういった階層であり、かれらが資本主義の形成にどう関与 しているかが問わればならない。
第2節:資本主義確立期の動き-封建制・イギリス市民革命・産業革命-
1.封建制
封建制はヨーロッパでは8~9世紀から18~19世紀にみられる生産様式で、主に農業 を産業の基軸とし、工業生産はこれに付加的な位置であった。農村では領主館を中心とし て、農民の屋敷が集落をなし、これを囲んで耕作地、牧草地、放牧地、森林が展開し203)、 いわゆる村落共同体を形成していた。土地所有に関しては領主に上級所有権、農民には下 級保有権が認められ 204)、一方、11 世紀以降には都市が形成され、商人・手工業者が形成 する共同体であった。後期になると絶対主義の時代になるが、それは 1300 年代から起こ
205)この議論は産業資本家に転身したと主張するドイツ歴史学派と、前期的商業資本として打倒されていくものだと する大塚史学に代表される議論としてあつかわれている(小林良彰『同上書』、P138)
206)小林良彰『同上書』P186
207)クリストファ・ヒル編『イギリス革命』創文社、1956年、PP2-94
る年貢などの軽減を求めた大規模な農民一揆への対応として、領主同士の結合や、さらに 国王に応援を求め、地方分権から中央集権へと移行した結果であった。
封建制後期になると産業にも変化が起こる。16 世紀にはイギリスにおいてマニュファ クチュアが発生し、特に農村で毛織物が盛んであった。生産力は増大し、中小産業資本家 の大群を形成した。また同時に問屋制手工業にみられるように商業資本の役割も大きくな る(15 世紀に特に盛ん)。彼らは富を蓄積し金融業者もかねたのであるが、後に近代的産 業資本家に転身するという議論と、前期的商業資本であり産業の発展を抑圧するものとし て打倒されていくという議論がなされ、現在では結局のところ打倒されたもの半分、近代 産業資本の原型になったもの半分という決着を見るにいたっている 205)。また彼らは絶対 主義の確立に対して、単一の法律のもとで営業活動を行った方が効率が良いため、統一戦 争に資金を提供していた。
2.市民革命
1609 年のオランダ独立戦争を皮切りに、ヨーロッパでは市民革命が起き近代社会へと 突入していく。市民革命以前は封建社会、絶対主義の時代であり貴族が国家財政を運営し ており、自分たちの非生産的な消費(奢侈)に向けられ、赤字が累積すると増税や借金の 踏み倒しが行われ商工業者が蓄積した資本を奪い取るのである 206)。となれば当然商工業 者の発展は阻害されるわけであり、市民革命は産業の発展に必須であり、市民革命の起こ りが早い場所ほどその後経済を発展させている。
さて、オランダに続き 1600 年代に市民革命を遂げ、1700 年代後半に産業革命を経験し ていち早く資本主義を確立したイギリスの市民革命をここで概観しておくことにする。
1642 ~49年にかけてのいわゆる「ピューリタン革命」を含む、1640 ~ 60年までの市民 革命に関して、クリストファ・ヒルが詳細な研究を行っており、以下ヒルの研究を抜粋す る207)。市民革命以前の 1640 年までに土地、産業および貿易などに変化が起こっていた。
土地に関しては1536~40年の宗教改革において、修道院が解散され、莫大な財産が没収 され、それまで修道院の領有地だった土地が市場に商品として出された結果、貨幣所有者 によって購入された。つまり都市に蓄積された資本が農村に移動し、農村におけるブルジ ョア形成につながるわけである。また、貿易・海賊行為が拡大され、新大陸からの略奪と 奴隷貿易により資本蓄積が進展していくが、特に貿易の拡大に関しては王権とブルジョア の利害が一致し、1588 年のスペイン無敵艦隊の撃滅まで協力体勢にあった。これ以降、ア ル マ ダ ブルジョアジーはますます商業活動を活発化させるが、同時に王権の必要性が弱まってい く。それどころか、ブルジョアジーの台頭を警戒した王権によって産業の発展を阻害され たことにより、両者の対立が明確なものとなった。つまり、商人・自営農民(ヨーマン)
およびジェントリによって資本が蓄積されており、彼らはこれをもっと自由な発展可能な