さらに普通株新発行(二四億ドル)の突に一八倍もあった﹂ことを指摘され︑さらに
社債(一五
O
億ドル)の三倍︑資本コスト概念の再検討
一五 五
経 営 と 経 済 '
一五
六
また別の資料によって︑﹁留保利益︑減価償却︑新証券資本三者の合計を一00%として︑それぞれの比重を戦前の
一九二二年ないし二九年と戦後の一九四六年ないし四九年とを比較してみると︑戦前は︑留保利益二一%︑減価償却
三六%︑新証券資本四二%(内︑株式一八Mm)であったのにたいし︑戦後は留保利益五O%︑減価償却二九%︑新証
券資本二一%(内︑株式五労)となっており︑会社資金源泉をめぐってのはげしい移りかわりと︑なかでも留保利益
n可uを主体とする自己金融のいちじるしい拾頭をみのがすわけにゆかない﹂乙とを指摘しておられる︒このような事実か
らすれば︑各種調達源泉の資本コストのうちでも留保利益の資本コスト︑したがってまたその意味ならびに計算法が
甚だしく重要な地位をしめることが当然帰結されてくる︒
利益留保による調達資本がコストをもつか否かについては見解のわかれるところである︒大部分の論者は︑支出原
価としての資本コストが存在しないことは当然であるが︑設備管理のためにはオポチュニティi・コストとしての資
本コストをかんがえるべきであるとするもののようである︒たとえば︑河野豊弘助教授はつぎのようにのべておられ
る ︒
﹁まず経済計算においては利子はオポュニティ
l
︒コストとして考えるべきことである︒すなわち︑内部資金であっ
ても
︑
それを借入金の返済に用いたときには利子を節約できる︒もしも投資すれば︑その利子以上の利益のある
ことが必要である︒そこで自己資金にも利子がつくものと考える﹂︑また﹁資金コストをその調達によって現実に増
加した資金と︑そのために通常必要な最低の支払額と考えるときには︑
(しかし︑投資の経済計算においては︑内部資金といえども返済によって節約できる利子をオポチュニティ・コ
ω
ストとして計算に入れるべきことは前に述べたとおりである)
Y
0﹂(この二つの括弧のうち前の括弧は筆者の補足 (留保利益︑減価償却には)資金コストはなl'
留保利益の資本コストをオポチュニティl・コストとしてかんとうべきことには筆者もまた賛成である︒しかし間 D
題は
︑
オポチュニティ
l
・コストとして何をかんがえるべきかということである︒河野助教授は︑経済計算でもちいられる内部資金コストとして借入金返済えの充当による利子節約分をかんがえられるが︑乙乙で内部資金とは留保利
益のみでなく減価償却による回収資金をもふくむこと︑さらに一層根本的に同助教授が資本コストをかんが加えるばあ
︑ ‑乙 ︑ l l
一貫して会社それ自体の立場にたたれることに注意しなければならない︒もし留保利益のみの資本コストをか
んが
え︑
かつ会社イコール普通株主とかんがえる立場にたつなら︑かかる利子節約分をかんが担えることは適当でな
い︒なんとなれば︑各種投資項目のうちかかる利子率以上の利益率が見込まれるもののみに資金を配分し︑残額を配
当にまわすことは株主にとって最大の利益とはならないからである︒たとえば留保利益額が一O億円であるばあい︑
一五パーセントの利益率を見込まれる設備投資Aの資金所要額が一億円︑一一パーセントの利益率を見込まれる設備
投資
B
の資金所要額が二億円︑九パーセントの利子率をもっ社債の発行額が五億円︑八パーセントの利益率を見込まれる設備投資
C
の資金所要額が二億円であるばあい︑社債利子率を資本コストとかんがえるばあいには三つの設備投資 ︑
A
・
B‑C
のうちA
・
Bのみが資金の配分をうけ︑社債償還後の残額二億円は配当にまわされることになる︒しかしもしこの会社の株主がこの会社の他に有利な投資対象を見出しそれが一二パーセントの利益率を見込みうるもの
であるばあいには︑株主の配当課税をかんがえなければ留保額のうちAのみに資金を配分し九億円の残額はすべて配
当として株主に支払うべき乙とになる︒逆にこの会社の株主がこの会社のほかに当面見出しうる投資対象のうち最有
利なものが七パーセントの利益率しか見込まれないばあいには︑A
・
B
‑
Cの
すべ
aてに資金を配分することが株主の
利益になる︒乙こで株主の受取配当にたいする課税を考慮にいれれば︑
かかる後者のとときケ
l
スの万が現実的であろう︒かくて留保利益の資本コストとしては︑自社以外の投資対象のうちの最有利なものの利益率をかんがえるべ
き乙とになる︒もっとも︑ここで株主の受取配当にたいする課税を考慮し︑かかる利益率を適当に修正してかんがえ
ることが必要である︒
資本コスト概念の再検討一
}h一 七
経 営 と 経 済
一五 入 かかる会社イコール普通株主という立場をもっとも鮮明に打ちだし︑かかる立場から明快に留保利益の 資本コストかんがえているのはソiルである︒ソ
l
ルはまず︑留保利益の資本コストをゼロにあるいはせいぜいそれとこ
ろで
︑ の市場性ある証券えの投資による小額所得とかんがえるような誤りは︑会社というものをその会社の普通株主と別個 の存在でありえ︑したがって︑株主を犠牲にして会社が利得しうるとする考え方に基因するものであることを指摘す
る︒かくてソ
l
ルは︑徹底的に会社イコール株主の立場にたちつつ︑留保利益の資本コストを株主利益の絶対的維持 のために会社が留保利益によってうみださねばならぬ最低利益率とするのである口これをつぎのような仮設例をもち
いて説明している︒
ある会社のキャピタリゼlションが一
O O万株の普通株からなり︑かっ一株あたり一ドルの税引後純益をあげいて
るばあい︑この会社が配当を全然おこなわずにえられる一
0 0万ドルの留保利益によって必要資金をまかなうことを
決定したとする︒このようなばあい︑この会社の重役はつぎのような考えを当然いだいているはずである︒すなわち︑
会社事業えの一
O O万ドルの再投資によってやがて当社普通株の市価はすくなくとも一
O O万ドルの騰貴をみるであ ろう︒したがって当社株主は所得において失った額を元本において取り戻すことになろうが︑そればかりでなく元本
の増加は一般の所得と異なって資本利得
S 1
z ‑
m m
E ω
として課税されるという利点を享有しうるはずである︑と口
さてつぎに︑かかる留保額の再投資が税引前で二Oパーセントの利益をうみだすものとすれば︑会社利益は税引前
で二
O万ドル増加し︑法人所得税率を五Oパーセントとすれば一O万ドル︑すなわち一株あたり一0セントの増加と
これだけの利益が当社株式の市価を騰貴せしめる大きさは︑市場が当社利益にあたえる資本化率す
なわちア
l
ニングズ・プライス・レシオg g
E 明 言 尽 ゆ
g t
︒によって決定されるといってよい︒いまかかる資本
なる︒ところで︑
化率を一Oパーセントとすれば︑一株あたり市価は一0セントの利益によって一ドルだけ増加することになる︒乙れ
は一株あたりの利益留保額つまり株主が利益留保によって失った所得にひとしいから︑
一Cパーセントの税引利益を留保利益によってうみだすことによって株主の利益は維持されることになるのである︒
もしかかる資本化率が五パーセントであれば︑︑乙の会社は留保利益によって税引後五セントつまり五パーセントの利
益をうみだせば株主の利益を維持することができることになる︒ソ
l
ルはかかる利益率︑したがって市場が当社株式にあたえる資本化率を留保利益の資本コストとかんが加えるのである︒ソ
l
ルの論文の同一個所からm m
引用は︑田杉競教授がすでにかなり以前に企業資本蓄積の観点から留保利益を検討された論攻の中で紹介しておられ︑また最近では凶後藤幸男助教授も資本費そのものにかんする論攻の中で紹介しておられる︒
一株
あた
り一
0
セントつまりしか
し︑
一応かかる会社イコール普通株主の立場にたちつつも︑それを現実的観点から批判してかんがえる論者と
してディ
l
ンをあげる乙とができる︒すなわちディl
ンはソl
ルとは若干異なるが留保利益の資本コストをやはりオポチュニティ
l
・コストとしてかんがえて︑内川HPてえられる報酬﹂と定義する一方で︑かかるオポチェニティ
l
・コスト原理が非現実的色調ωぢロ
︒︒ 同区 ロ円
g E
刊
U
を
﹁現金を当該企業の事業からこれに代る市場投資に転用する乙とによっ
このような定義は株主が王様であって財務政策の唯一の目的が株主資
本価値の極大化にあることを前提としているが︑大低の会社では︑財務的意味の利潤極大化は限定され変形され︑経
営者の拡張慾や資本市場ならびに証券取引委員会回避の当然の願いが支配しており︑かくてルかる留保利益の資本コ
ストが資金の留保や分配のシグナルとしてもちいられることは稀であると主張するのである︒ おびていることを指摘するのである︒
つま
り︑
きて最後に︑しからばかかる留保利益の資本コストについてデュランドがどのようにかんがえているかを考察して
みることとする口デュランドが普通株価値の極大化原理に立脚し︑したがって会社イコール株主という立場にたつ乙
とはこれまでの論述によってあきらかである︒したがって議論の展開にさいしてはソ
l
ルと同一の立場にたつのであ資本コスト概念の再検討
一五
九