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Wikipedia - Eladia Blázquez (http://es.wikipedia.org/wiki/Eladia_Bl%C3%A1zquez)

Todotango - Eladia Blázquez (http://www.todotango.com/english/creadores/eblazquez.asp)

Todotango - A memory for Eladia By Antonio Rodríguez Villar (http://www.todotango.com/

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Homenaje | Eladia Blazquez (http://www.elportaldeltango.com/especial/EBlazquez.htm)

Eladia Blázquez (http://eladiablazquez.blogspot.jp/)

10tango.com - エラディア・ブラスケス(Blazquez, Eladia)(http://goo.gl/CAM81)

Patio del Gotán ゴタンの中庭 (タンゴの訳詞) (http://www.kitanoit.com/~gotan89/)

アストル・ピアソラ 闘うタンゴ、斎藤充正・著、青土社

アルゼンチン・タンゴ アーティストとそのレコード、大岩祥浩・著、ミュージック・マガジン

この稿を起こす前に、島﨑会長よりB. von Géczy(フォン ゲッツイ)の”Mama yo quiero un Novio”(R. Collazo)日Col. M316が落ちているとのご指摘がありましたので前稿の捕捉をいたします。

さて、げてもの(下手物)なるものを、辞書で引きますと 1.上手物の反対語、2.下世話なもの、3.

作りの粗末な安価な品物、4.偽物、とあります。一般的には本物(ほんもの)に対する偽物の意味 でよく使われるま・ ・ ・ ・ ・がいもの、一寸本道をはずれたもののこととして、げ・ ・ ・ ・てものと言う言葉が使われます。

我がタンゴ界でも、アルゼンチン タンゴを本流とすると、このタンゴのリズムのみ真似た欧州タ ンゴ楽団とかをげ・ ・ ・ ・てものと称して区別するのですが追々、アルゼンチンよりタンゴ楽団や歌手が欧州 に上陸するに及び、内容も向上し、中には本場物に匹敵するような楽団や歌手が生まれるようになり ました。

・ ・ ・ ・

てものの一例、

カルロス ガルデルが唄う“パルレ モア ダ ムール(聞かせてよ 愛の言葉を)”Od.18880

(e7365)Parlez moi D’Amour / Acquaforte(e7333-1)、またガルデルの英語での挨拶(BVE8945-1)

等は私はげ・ ・ ・ ・てものと考えました。カナロ楽団が取り上げたOd.4631(Mz 5283)Cantante Bajo La Lluvia(f.t.)– Singing in the Rain(T. Shapiro)/ Pajarito Cantor(M. Canaro)(Mz.5282)なんか もげ・ ・ ・ ・てものですね。こんなことで、これからとりあげるレコードは少々げ・ ・ ・ ・てものが・ ・ ・ ・かったものもまじ るのを、お許し下さい。

まずクラシック畠のピアノ奏者のドゥオから 仏)Col. LF38(日コロ)J1436(昭和9年発売)

Novelty Piano Duet M.M. Jean Wiener et Clement Doucet.

Garufa(Juan Antonio Collazo) (Mz WL2280)

La Cumparsita(G. H. Matos Rodríguez)(Mz2281)

クラシック界での名声は存じませんが、フランスのマエストロ二人組のレコードです。ラ クムパ ルシータは当時流行し始めた所で日本に最初に紹介されたラ クムパルシータの名誉を担うもので、

裏のガルーファに至っては出来てすぐの録音と思われます。まあ珍しいレコードです。

つぎに同じくコロムビア レコードのアルバムもの(6枚組)のギター音楽集の中の一枚 S-37 La Cumparsita(Matos Rodríguez)(Mz Co195190)

Solo de Guitarra por Julio Martínez Oyangren Rosarina(R. González)(Mz. d 3646)

Solo de Guitarra por Alberto Diana Lavalle

ラ クムパルシータはウルグアイの海軍士官で、クラシックのギタリストのオヤングレン(1901年 生まれ)の演奏。さすが自国の名曲だけにじっくりと誇りをもったプレーをみせてくれます。なおオ

タンゴ もう一つの祖国…

欧州で活躍したタンゴの使節たち (補足Ⅲ)

      ―ドイツ編 その1― 芝 野   史 郎

ヤングレンは同国の芸術団の代表として1931年7月にBsAsを訪問、大歓迎を受けた後、1936年から レコーディング活動を行っています。

ロサリーナの方は想像ではブエノス アイレスのギター奏 者と思うのですが名曲ロサリーナをかなり奔放に演奏し、し かもさっぱりと終えるようにしています。どちらかと言えば ロサリーナの方が勝れていると言えるでしょう。

さてそこで、こんな目線から見まわしますと実に多くのげが存在しまして、いちいちあげつらうのもシンドイ話 ですが事の成り行き上とに角集めたものを披露いたします。

(主にドイツのオークションより)

実に55年も前になりますが、私が京都在住の頃、河原町竹 屋町下ル西側に“渡辺古レコード店”がありまして、時々こ れはと思う古レコードを見出し得ました。これもまた、その 一つで多分大阪当たりから仕入れてきた古レコードを思われ ます。実は渡辺店主は大阪出身の戦災被害者でした。

Fco. Lomuto y su Orq. Sinfónica(カムデン盤)

  Vic.37056 Arroz con Leche –Ranchera-(Claudio Frollo – F. Lomuto)

Muñequita(Adolfo Herschel – Fco. Lomuto)

  Vic.37286 Afilador –Ranchera-(Emilio Magaldi – Fco. Pracánico)

Papanata(Antonio Bogtta – Fco. Lomuto)

の2枚と

TANGO Kapelle Manuel Romeo(Eden-Hotel, Berlin)

Vox 8516 Crépusculo(E. Bianco – J. de Kel- Sar)

Yegüecita(Bachicha – Bachicha)

Vox 8648 Lueño(Laupie)

Cursilona(Aberico / Supparo)

マヌエル ロ・ ・ ・メオ楽団を私は永い間マヌエル ロ・ ・ ・メロの誤植ではないかと思っておりました。しか し私は当時床屋の寺田太作氏と交流しておりましたので、ついロムートの2枚を入手したと洩らした らどうしてもほしいと言われて、ついゆずってしまいました。さてこのマヌエル ロメオの方ですが 入手したときはクレプスクーロ/ジェグエシータが既に入手していたビアンコ・バチーチャのものと 編曲も全く同じでした(Bianco-Bachicha Orq. Típ. Crépusculo 74352, Yegüesita 74354)のでドイツ の二流楽団かと思っていたのですが、その後、HQのドイツ楽団集や“ベルリンへ”、等のCDを聴い て、やはりドイツで頑張っている楽団と言うことを、認識するに至りました。編成 Bn 3, Vl 2, Gt, Cb, Celo 各1。

またこのVoxレーベルではBernardo Ettéと言う楽団があり、かなりのアルゼンチン タンゴを出し ております。例えば

12吋盤 Vox 1439 Java(M. Yvain)Mz 1395A Rosina(Etté) Mz 1396A

Vox 1482 A la cumba(Etté)Mz 1439A Viotetera(J. Padilla)Mz 1427A

10吋盤 Vox 1680 Como los Nardos en Flor(M. De Groth)Mz 2294B La Nasquita(Fusellas)Mz 2295B

Vox 8168 Fredyse(G. Espósito)Mz 3209B

Montevideo(T. Marwell – F. Grümbaum)Mz 3211B Vox 8458 Donna Vatra!(O. Köpping)Mz 1722BB

La Cumparsita(G. H. Matos Rodríguez)Mz 1721BB Vox 8620 Olivero(Wills)Mz 2394G

Aranjuez(J. d’Alba)Mz 2395G

(いずれも推定1927年録音)

Imperial 3096 Es sprach der weis Marabu

(Egen Gorman – Rosen Lion)Mz C550 Leb’ wohl Matrose

(Ralph – Pölster Ludwig)Mz C552

(インペリアル レーベルはブルンスウィック レコードの第2会社のレーベルと聞いております。)

さてここで一寸欧州のレコード関係の参考となることを申しておきますと(収集家の皆様には既に よくご存じのことですが...)

1917年 ・デッカ レコード社が第一次大戦の戦線用に兵隊用のポータブル蓄音機を開発。

1923年 ・カルル リンドストロームがロンドン、ベルリンにパーロフォン有限会社を設 立する。

1925年 ・ドイツ エレクトローラ社設立(電気録音)。

5月8日 (ビクターの電気録音の特許使用権を持っていたロンドンのグラモフォン カン パニーがエレクトローラ社を設立す)

1927年 ・リンドストロームがブリティッシュ コロムビアと共同でパテ フレールを買 収。

1928年 ・ドイツ グラモフォン社が日本にポリドール社を設立。

 〃  ・ドイツ国内にウルトラフォン社を設立。

1929年 ・リンドストロームが支店をパリ、ミラノ、バルセロナ、アジア、リオ、ブエノ ス アイレス、サンチアゴへ出店す。

1929年8月 ・エミール ベルリーナ永眠す。

1930年 ・テレフンケン(ドイツ)はアルコファル ラジオとレコードプレーヤーを組み 合わせて発売

1930年4月 ・ブルンスウィック社はレコードと蓄音機部門を手放す →ワーナーブラザース社に売却す。

1931年3月 ・イギリス グラモフォンとコロムビア社合併す。

・Electric and Musical Industries LimitedいわゆるE.M.I.の誕生、両社の管理会社 となる

E.M.I.の傘下 フランス=パテとラ ボアソンメートル(ビクター)

ドイツ=リンドストロームとエレクトローラ 1932年3月22日 ・テレフンケン コンツェルン ウルトラフォンを吸収合併す。

1933年1月 ・ヒトラー ナチ総統に就任 ゲッベルス宣伝相となりレコードを管理 上記がレコード初期のかなり変動の激しかった時代の動きを要約したものです。

さてベルナルド エッテのラ クムパルシータはVoxが一応電気録音をしているので、録音推定で 1925年12月~ 1927年2月頃迄のものと考えます。欧州のタンゴ楽団の中では一番古いラ クムパルシ ータの録音ではありませんか、また比較的このエッテはアルゼンチン風のタンゴの録音を沢山やって いたとも思えますが何しろバンドネオンを使用せず替りにアコーデオンを使用している様で、マヌエ ル ロメオはちゃんとバンドネオンの音を入れておりますので軍配はマヌエル ロメオに上がるでし ょう。

・Geraldos Gaucho Tango Orchestra

ヘラルドス ガウチョ・タンゴ楽団と言うのが沢山のレコードを出しておりました。凡そは日本コ ロムビアが出しておりましたがほんの少し日本デッカよりも出ておりました。その中では

日 コロ J 1838 ① Where are you, My dear?(Berto)Mz 13975 ② Zaraza(Tagle Lara)Mz 13976

①はドンデ エスタス コラソン、②はそのままサラーサでこのあたりは仲々良いものです。 

日 コロ J 1384  My Sunshine is You(Green halgh&Stolz)

Yira… Yira…(Discépolo)

日 コロ JX 1210 In einer klein Konditorei(Raymond – Dobrindt)

La Cumparsita(Rodríguez)

日 コロ JX 1211 Ich küsse ihre hand Madame(Otto Dobrindt)

Poema(Melfi)

ここでのジーラ ジーラやラ クムパルシータはまるでカナロ楽団やその他の謄写版刷りの様な演 奏であるの批判を受けております。しかし今となってはそのカナロのラ クムパルシータ等も遠くな り原曲を熟知している人も少なくなり、最早、知られざる曲となって参りました。

日 デッカ(ポリドールデッカ)では

日 ポリ A 139 チェ パプーサ オイ(ああ何たるパプーサ)

ノーチェ デ レージェス(夢の今宵)

日 ポリ A 407 クムパルシータ(ラ クムパルシータ) 

ホセ ラーモス タンゴ オーケストラ バンドネオン アラバレーロ

ジェラルド ガウチョ タンゴ オーケストラ

なかなか良いレパートリィですがこの方がコロムビア時代より良かったかも知れませんね。

ドイツではPeter Kreuder楽団もタンゴの演奏にバンドネオンを使用しているとのことでしたので、

アルゼンチン タンゴをやってないかと探しましたがドイツのものしかやっておらず、落胆しました。

何か情報があればお知らせ下さい。日本では日本テレフンケンで3枚程出ております。それは 日本テレフンケン 20657 (昭和13年)