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欧米では、1799 年のイギリス所得税法創設に始まり、その制度の発展とともに、所得 概念に関する議論も活発に展開してきた。特に、ドイツにおいては、「所得概念論争」が 行われたが、この論争に終止符を打ったのが、1896 年にシャンツが提唱した「純資産増 加説」であった。その後、シャンツの「純資産増加説」は、アメリカのヘイグ(1921年)

およびサイモンズ(1938年)の所得概念に影響を与えた。

他方、わが国において、「所得」に対する課税が行われるようになったのは、明治20(1887)

年所得税法においてであり、欧米の影響を受けながら、所得税制および課税所得概念を展 開していった。その後、明治32(1899)年所得税法改正によって、第1種所得税として 法人所得課税制度が導入された。その後も幾多の改正を経て、独立の法人税として法人 税法が制定され、昭和 40(1965)年法人税法全文改正をもって現行法人税法が誕生し たが、所得算定にあたっては、従来の所得の計算原則を変更したものではないと考えら れている1。しかしながら、法人税法第22条第2項が規定する「無償取引」に係る収益の 認識(収益発生事由)については、現在においても統一した見解が存在していない。

わが国の法人税法の課税標準は、原則的には、法人の所得金額である。この課税標準で ある課税所得は、税法上の理由や政策上の理由などから、その内容を複雑なものにされて いる。しかし、通常の実定法の在り方からみて、なんらかの所得の一般的概念をその基礎 としていることは疑いない2

したがって、わが国法人税法における課税所得概念を理解するため、課税所得概念がど のように形成され展開されていったか、そして、法人税法第22条第2項に規定する「無 償取引」に係る収益の認識(収益発生事由)を解明するため、法人税法が依拠している「純 資産増加説」が、「無償取引」に係る収益の認識(収益発生事由)の論理の中に、どのよ うな形で内在しているかについて明らかにする必要がある。

そこで本章では、わが国における課税所得概念の形成過程について考察するとともに、

現行法人税法における法人課税所得の計算原則について変更がなかったのかを検証する ため、所得に対する課税が行われるようになった明治 20(1887)年所得税法および法人 所得課税制度が導入された明治 32(1899)年所得税法について、制度史的経緯を踏まえ ながら、法人所得課税における税法本来の目的観や理念から導き出される課税所得計算構 造を明確にし、法人所得課税における課税所得概念を考察していく。また、現行法人税法 が損益の年度帰属の基準として「権利確定主義」を採用し、「資産の評価益」は原則とし て「益金の額」に算入しないとしているが、「無償取引」の課税根拠に関する学説および 判例等を斟酌するに、「権利確定主義」および「資産の評価益」の取り扱いは、「無償取引」

に係る収益発生事由を解明するに当たり、多分に関係を有するものである。そこで、明治

1 吉牟田勲「所得計算関係の改正」『税務弘報』第13巻第6号(1965年)、139頁。

2 吉国二郎・武田昌輔『法人税法〔理論編〕 改訂3版』(財経詳報社、1972年)、65頁。

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32(1899)年当時の個人所得税と法人所得税との対比を行うことで、相違点または類似 点を考察することで、先行研究とは異なる視点から、当時の法人所得課税制度における各 種の解釈を再検討する。

第1節 法人税の本質

法人税とは、法人を納税主体(納税義務者)として、その所得に対して課せられる租 税である。形式的意味における所得税と区別されているが、納税義務者が法人であるた めに法人税と呼ばれているにすぎず、その課税物件も税源も、いずれも法人の「所得」

である。詳しくは後述するが、わが国においては、明治 32(1899)年にはじめて法人 の所得に対して課税するようになってから、昭和 15(1940)年税法改正までの間は、

所得税の名称で個人所得にも法人所得にも課税されていた3

このように、法人税は所得税の一部をなすものであるが、理論の面においては、「法人 税の根拠ないしその性格については、さまざまな考え方が対立している。これは、個人 所得税の基本について殆ど異説を見ないのと顕著な対照を示している。そして、法人税 制の基本的構造も法人税の性格をどのように考えるかによって異なったものとなりうる」4 とされている。

法人税の性格について考え方が異なるのは、法人の本質に関する考え方の相違である。

つまり、法人の本質について、法人または法人所得を、法人の構成員である株主または 出資者等との関係において、どのように理解するかという考え方と関連して、以下の 2 つの説に代表される。

1 つは、「法人を独立した課税上の主体とは考えず、法人企業を株主の集合体」5であ ると考える「法人擬制説」であり、他の 1 つは、「法人企業を株主とは別個の独立した 課税上の主体」6であると考える「法人実在説」である。

「法人擬制説」の考え方とは、法人は、その構成員たる個人の営利活動のための手段 や機構にすぎないと理解し、したがって、その所得は構成員たる個人の所得にそのまま 帰属すべきものであるから、法人を個人と並んで独立した納税義務者とするべきでなく、

もし課税技術ないし課税便宜上法人の所得に対して法人税を課税するとしても、この税 は構成員たる個人に対する所得税の前取り(源泉徴収)にすぎないとみるのである。し たがって、個人に対する所得税の課税にあたっては、法人税として前取りされた税額を、

その個人に対する総所得税額から控除することとなる7

これに対して、「法人実在説」の考え方とは、法人をその構成員たる個人から独立した

3 志場喜徳郎『法人税』(中央経済社、1958年)、3頁。

4 田中二郎『租税法(第3版)』(有斐閣、1990年)、482頁。

5 末永英男『税務会計研究の基礎』(九州大学出版会、1994年)、4頁。

6 同上、4頁。

7 志場喜徳郎、前掲注3、4頁。

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社会的存在と理解することで、法人を個人と並んで独立した納税義務者とみるのである。

この考え方に従えば、法人の所得に対して法人税を課税するとともに、その所得から構 成員に分配される配当に対しては、これを受けた個人に対して所得税を課すこととなる8。 「法人擬制説」の考え方を終始徹底させているのは、イギリスである。イギリスにお いては、1803年にはじめて法人に対して課税が行われて以来、1965年に法人税が創設 されるまで、法人税を個人の源泉課税であるとする「法人擬制説」の考え方が一貫して 採られてきた9

一方で、アメリカ、西ドイツ、フランスなどの法人税は、いずれも「法人実在説」の 考え方を採っている。したがって、法人の所得に対して課せられた税額は、配当を受け た個人に対する所得税の計算の際にはなんら考慮されないのである10

現在、わが国の法人税は、「法人擬制説」の建前をとっているといえるが、この問題に 関しては歴史的に種々の変遷を経てきている。はじめて法人の所得に対して課税するよ うになった明治 32(1899)年当時は、出資者たる個人の受けた配当は、個人の課税所 得に算入しないこととしており、いわば「法人擬制説」の立場であったといえる。

しかしながら、個人の所得税が累進税率によって課税されるのに対して、当時の法人 所得税が比例税率であるために、配当所得者である個人の負担が低くすむことになって いた。この税率の違いによる負担の不公平の是正を図るため、大正 9(1920)年には、

法人実在説的な考え方を採用し、出資者の受けた配当に対しても個人所得税を課税する ことに改められたのである。しかし、これによると、多額の配当を受ける個人の負担が 激増するとともに、二重課税の議論も相当強かったため、配当金額のうち40%を控除し

た60%相当額だけを他の所得と合算して総合課税することとされた11

その後も、「法人実在説」の考え方は強くなり、昭和12(1937)年の改正では上記控

除額が40%から20%へ引き下げられ、昭和15(1940)年の改正において上記控除を全

部廃止することとされ、「法人実在説」が徹底したのである。

ところが、第二次世界大戦後の昭和 23(1948)年の改正では、配当はその全額を個 人所得に総合課税するけれども、その総所得税額から配当金額の15%を控除することと された。さらに、昭和 25(1950)年の税制改正、いわゆるシャウプ税制使節団の勧告

8 同上、4頁。

9 末永英男、前掲注5、4頁。

10 志場喜徳郎、前掲注3、5頁。

アメリカにおいては、「一九五四年の改正により、個人の受けた配当については、配当額の最初の 五十ドルを課税所得から控除して、その残額を他の所得と合算するとともに、このようにして算出 された所得税額から、五十ドルを控除した残りの配当額の四%相当額を控除することとなった。こ れは、不徹底ではあるが、擬制説の方向へ一歩踏み出したとみることもできよう」(同上、5頁)。

11 同上、6頁。

大正 9年以前の税制では、「配当所得は、法人課税によって源泉課税される建前になっていたのが、

実際には、配当所得に転嫁されず、多くの場合、所得税は一種の営業費と見做されて配当所得は免税 といってよかった。この結果が…配当所得者のいちじるしく軽微な租税負担を招来したのであった。」

(高橋誠「明治後期の所得税制―日本所得税制史論 その三―」『経済志林』第28巻第1號、1960年、

157頁)。