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第4章 環境への対策と修復

4.3. 農業対策

4.3.1. 初期対策【事故から半年】

1986年5月2〜5日の4日間に、CEZ【チェルノブイリ30km圏立入禁止区域】から約5万頭の牛と、1 万3千匹の豚、3300匹の羊、700頭の馬が、住民とともに避難した[4.26]。この避難の際、CEZに2万 匹以上の犬や猫などの家畜やペットが残されたが、これらは処分され地中に埋められた。避難した 家畜も、飼料不足や、避難先での管理の難しさ【数が多いので難しい】のために、かなりの数が屠 殺処分された[4.27, 4.28]。事故直後の緊急時【acute period】で、動物を放射能汚染のレベルごとに 分けることができず、結局、1986年5月〜7月の期間に全部で9万5500頭の牛と2万3000匹の豚が処分

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された【避難数より多いのはCEZの外も汚染されていたから】。

処分された動物の死骸の多くは地中に埋められ、一部は冷蔵保管された。しかし、これらの処置 は衛生上・実際上・経済上の問題を引き起こした。【汚染の程度にかかわらず】肉を食用禁止する 事は、直ぐに行える効果的な内部被曝対策で、旧ソ連や他の地域で広く行われた。しかし、この方 法は経済負担が大きく、【食用しない事で】汚染肉、即ち放射性廃棄物を大量に生み出した。

事故直後の数週間の旧ソ連での対策は、【牛乳などの】ミルクの131Iの濃度を低くすることと、汚 染されたミルクが食物連鎖【food chain】に入らないようにすることである。そのために推奨された 方法は以下のとおり[4.29]:

(a)家畜を室内に入れて、外の汚染された牧草の代わりに、汚染されていない貯蔵飼料を与える。

(b)加工工場に持込まれる原乳の放射能汚染を常時測定【モニター】して、安全基準値を越えた原 乳の流通を禁止する(当時の安全基準値は、131Iの場合、3700 Bq/L)。

(c)安全基準値を超えた原乳を保存食品(コンデンスミルク、粉ミルク、チーズ、バターなど)に 加工する

事故直後の数日間は、【牛乳などの】ミルクの放射能対策が主で、集団農場といくつかの個人農 家が対象となった訳注11。残念ながら、ミルク汚染への対策は集団農場の管理者や地方当局にのみ知 らされ、田舎の個人農家には知らされなかった。そのため、地方の個人農場をはじめとしてミルク 汚染対策【出荷停止等】が十分に行われたとは言い難く、効果があまり上がらなかった地域すらあ る。

事故後3週間も経たないうちから、【一部の農場で】汚染されていない保存飼料【前年刈り入れの 干し草など】が使われ始めた。その理由は、牛の体内の137Csを、1〜2ヶ月で許容水準にまで減ら す可能性があるからである【牛の筋肉の代謝時間は1〜2ヶ月】。しかし、春の新緑期という事で、

汚染されていない保存飼料が不足しており、この方法は直ぐには広まらなかった。

1986年6月初旬の時点で、すでに汚染区域での放射性物質の沈着密度の地図が出来上がっており、

この地図から、牧場・放牧地の汚染の程度も推定できて、汚染牛乳の生産地域も明らかになった。

1986年の生育期【春から夏】は、依然として植物の表面が多量に放射能汚染されていた。そのう え、農業対策はあまり出来なかった。事故直後の2〜3ヶ月間は、放射能汚染の深刻な土地の使用 が禁止され、同時に汚染の比較的少ない土地で農業生産を続けるための対策が次々に勧告されてい った。放射能汚染が極めて深刻な地域では、乳牛を飼うことが禁止された。飼料や他の作物の収穫 の時期を遅らせるというのは、農作物の放射能汚染を減らす有効な方法であった。農産品の放射能 検査(Radiation control)が、生産・貯蔵・加工の各段階で導入された[4.3, 4.30]。

1986年5月〜7月に実施された放射能調査に基づき、ベラルーシで13万ヘクタール、ロシアで1万 7300ヘクタール、ウクライナで5万7千ヘクタールの農地の使用が取りあえず禁止された[4.31]。

1986年6月からは、新たに137Csの農作物への取り込みを抑えるための対策が以下のように実行さ れた。

(i) 137Csが555 kBq/m2を超える高汚染地域での屠殺の禁止。屠殺前の1ヶ月半の間は汚染されて

いない食物を与えなければならない。

(ii) 農作で通常行われる作業のいくつかを省略する事で、【農民の】被曝と放射性ダストの発生

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(iii) 放射能汚染された堆肥の使用制限。

(iv) トウモロコシ用のサイロの準備。干し草の代わりにトウモロコシを保存飼料に使うため。

(v) 個人農場で生産された【牛乳等の】ミルクの消費の制限。

(vi) 農産品の放射能検査の義務化。

(vii) ミルクの加工の義務化

表土を取り除くのは、除染の手法としては不適切である。というのも、多額の費用がかかり、既 に肥沃な土壌を破壊してしまい、しかも汚染土壌を埋める事で生態系に深刻な問題を引き起こすか らである。

1986年8月〜9月には、農地・牧場の放射能汚染地図と、農産品の放射能汚染に関する対処法が、

集団農場ごとに与えられた。この説明には農場内の個人農地での農法の指導も含まれていた訳注

12[4.3, 4.30]

西ヨーロッパの初期対策としては、複数の国で現地飲用水をなるべく消費しないようにというア ドバイスが事故直後に出された【水道水だけでなく、売っている水もその土地で取れた水を単純浄 化している場合が多い】。

旧ソ連以外で高いレベルの放射能汚染を受けた国にスウェーデンがある。スウェーデンは、先ず 輸入食品と国内生産食品の両方に対し、131Iと137Csの両方の安全基準値を定めた(4.1.2節参照)。以 下のような対策も立てられた。(a) 土壌汚染が 131Iで10 kBq/m2、放射性セシウムで3 kBq/m2を超え た場合、牛を牧場に出してはならない。(b) 新鮮な葉野菜はなるべく食べない。他の野菜も出来る だけ洗う訳注13。(c) 下水処理後の残土を肥料とする事の制限。(d) なるべく深く地面を耕す。(e) 牧 草を収穫する際に、地面近くを捨てて、なるべく高い位置で刈り取る。

ノルウェーでは、収穫した農作物の放射能検査を行い、放射性セシウムの汚染が、生の状態で600

Bq/kg以上の場合、作物は畑に埋められて破棄された。また、6月に収穫された干し草や、それをサ

イロに貯蔵したものも放射能検査を行った。放射能がガイドライン値を超えた干し草は飼料には使 われなかった。

ドイツでは、バイエルン州の原乳の一部が、流通されずに、工場へ送られて粉ミルクへと加工さ れた。この粉ミルクは豚への飼料として使用される予定だったが、実際には放射性セシウムが高濃 度だったため、使用されなかった。

イギリスではアカライチョウ(red grouse)を食べる事を規制すべきであるという勧告が出た。ま た、イギリス国内の比較的汚染の高い地域の多くで、高原の羊を移動することや屠殺することが制 限された。

オーストリアでは1986年5月の短い期間だけ、新鮮な草を牛に与えないよう勧告された。

訳注11:旧ソ連の集団農場は政府が強く関与していたので対策を施しやすかった。

訳注12:旧ソ連の集団農場には、農民の生産意欲を上げる為の個人農地があった。

訳注13:野菜の少ないスウェーデンでは葉野菜の寄生虫も少ない事から、栄養保持のために水洗い を避ける傾向があった。

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