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第3章 環境の放射能汚染

3.1. 放射性物質の放出と沈着

3.1.3. 事故発生時の気象条件

事故発生時、ヨーロッパのほとんどが高気圧に覆われていた訳注8。チェルノブイリ原発は高気圧 帯の南西部周縁に当たり、原発上空は高度700~800 mでも高度1500 mでも、南東から北西への風(空 気塊)が秒速5~10 mで吹いていた。

一方、夜明けの時点で、大気の混合層の高さは2500 mであった訳注9。その結果、混合層まで達し た放射性ダストは、そこで急速に撹拌されて、混合層全体【厚み方向】に放射性プルーム【水滴の 代わりに放射性ダストを主体とする雲、放射性ダスト雲】として広がった。一方、高度700~1500 m にまでしか昇らなかった汚染粒子は、そこで風【大気塊の移動】に乗って、まず北東方向、続いて 北方向へと広がった。この放射性プルームはスカンジナビア諸国で観測された。

このように、4月26日に地表面にあった大気塊【放射性ダストを多く含む】は、西~北西へと運 ばれ、4月27日から29日にかけてポーランドやスカンジナビア諸国へ到達した。ウクライナの南部 と西部、モルドバ、ルーマニア、スロバキア、そしてポーランドは、気圧勾配の弱い状態【大気が 安定し風が吹きにくい状態】だった。この後、アイスランド付近の大型低気圧【サイクロン】がゆ

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っくりと南西方向へと移動し、その結果【大陸高気圧が張り出して】旧ソ連のヨーロッパ部も概ね 気圧勾配の弱い状態となったが、その中に、大気の不安定な所もいくつかあった。そのうちの一つ が、【北東にゆっくり移動していた黒海付近の】弱い低気圧で、4月27日の朝にはゴメリ州南部【チ ェルノブイリの近く】に達している。

その後、5月7~8日頃まで、原子炉からの放出物のほとんどが、南西あるいは南方向へと運ばれ た。事故発生から5日間、風向きは全方位に変化していた[3.12]。

事故から数日のうちにヨーロッパ、日本、米国で空気中の放射能を測定した結果、高度7000 mま で放射性物質が浮遊していることがわかった。爆発の威力、チェルノブイリ原発付近での雷雨によ り大気が各層を超えて攪拌されたこと、原発とバルト海の間に温暖前線に近い空気塊があったこと

【雨を降らさない程度の温暖前線は空気を持ち上げる】、これらすべての要因によって、放射性ダ ストがこの高さまで持ち上げられた。

複雑な気象状況を更に理解するために、ボルジロフとクレピコバ[3.16]は、以下のようなコンピ ュータ・シミュレーション計算を行った。このシミュレーション計算では、一単位の放射性ダスト が瞬間的に一定の高さまで放出されたと仮定し、【このダストが放射性プルームとして】その時の 気象条件のもとでどのように動いていくかを計算した訳注10。計算で想定した6回の放出における放 出の高さは、4月28日の14時(世界時=グリニッジ時間)までが1000 m、その後は500 mに設定さ れた。6つの放出時刻は世界時で4月26日0時、4月27日0時、4月27日12時、4月29日0時、5月2日0時、

5月4日12時である訳注11。計算結果は図3.2に示されているとおりで、以下に示した長距離輸送条件で 計算した。

図3.2.: チェルノブイリからのプルーム(放射性煙雲)の形成と行き先。放射性物質の放出が、短

時間の爆発的なものによるものだけと仮定し、下記の時刻での気象条件から計算した。(1)1986年 4月26日深夜0時(世界時:グリニッジ時間)、(2)4月27日深夜0時、(3)4月27日12時正午、(4)4月 29日深夜0時、(5)5月2日深夜0時、(6)5月4日12時正午。[文献 3.16より引用]

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(1) 事故発生から4月26日12時までの間、放出は26日0時(世界時): ベラルーシ、リトアニア、

カリーニングラード(ロシア)、スウェーデン、フィンランドの方角

(2) 4月26日12時から27日12時までの間、放出は27日0時(世界時): ポルシエ、その後ポーラン ド、その後南西方角

(3) 4月27日12時から29日の間、放出は27日12時(世界時): ゴメリ地域(ベラルーシ)、ブリャ

ンスク(ロシア)、その後東の方角

(4) 4月29日から30日の間、放出は29日0時(世界時): スミ及びポルタバ地域(ウクライナ)、そ

の後ルーマニアの方角

(5) 5月1日から3日、放出は2日0時(世界時): ウクライナ南部、黒海を越えてトルコの方角

(6) 5月4日から5日、放出は4日12時(世界時): ウクライナ西部、ルーマニア、その後ベラルー

シの方角

ある地域がどのくらい汚染されるかは降雨に左右される。レインアウト(風雨の中で放射性物質 が雨滴に巻き込まれて降下すること)とウォッシュアウト(汚染された空気塊の中を雨滴が落下し て、汚染物質を取り込んでしまうこと)によって、放出された物質が降雨により地表へ運ばれるた めである。特に、放射性プルームが通過する空域に雨滴【雨雲】があるかどうかによって、沈着量 がどのくらい不均一になるかが決まる。また、放射性同位元素の種類が異なる場合や、同じ放射性 同位元素でも化学形が異なると、レインアウトやウォッシュアウトの効率も違ってくる。

図3.3.: 1986年4月29日のチェルノブイリ原発近郊での平均降雨量(mm/h)のマップ。[文献 3.12 より引用]

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事故の経過と共に何度も降水があり、そのため、原子炉から遠く離れた場所でも、地表汚染の酷 い地域が出てきた。実際、事故発生時の降雨状況は複雑な分布をしていて、その例が図3.3に示され ている。これは事故による放射能被害が最も深刻な地域(ベラルーシ、ロシア、ウクライナのそれ ぞれの一部)の4月29日の降水量を示した地図である。

降雨によらない汚染【乾性汚染:風による付着や自然な降灰】の場合、地表汚染の量は相対的に 低いが、混ざっている核種の中で植生による影響により放射性ヨウ素が濃縮されている。降雨によ る放射能汚染【湿性汚染】の場合、降下物の元素組成は、放射性プルームと近似していた。結果と して、沈着は地域によって異なり、放射性元素の比率【ヨウ素とセシウムの比など】や量は、フォ ールアウトが降雨によるかよらないかで異なった。

訳注8:大西洋のアイスランドに大型低気圧(サイクロン)が、フランス南西部と黒海に弱い低気 圧があっただけ。

訳注9:混合層とは上向きの熱対流が止まって停滞する層で、これが低いと汚染物質は地表近くに 留まる。

訳注10: 放射性物質が国境を越えて汚染する量の数値計算は、東京電力福島第一原発事故でも気 象庁が行なって IAEAに報告した。一方、SPEEDIは、近距離予想が目的である為、これよりも 桁違いに高い解像度で計算する。

訳注11:事故が起こったのは世界時で25日夜22時23分である。